彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

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「明日、医者を呼ぶから」
 彼に背を向け、布団の入った押入れへ向かおうとするものの、腕を掴まれ引き留められる。彼の素肌に転ぶ。しなやかな筋肉は弾き返すくせ隆々とした両腕は女の身体を胸板に押し付け、蒸籠の中にいるように熱を分け与えられる。
「布団を敷きたいのだけれど」
「…悪り。悪りィ…本当に…どうかしちまってる」
 蒸し殺されそうだった。熱過ぎる腕が緩み、女は身を剥がしたが桃花褐は名残惜しげに女の腕を摩った。荒い呼吸の合間に喉が鳴る。
「桃花褐さん」
「あの店は、ヤベぇ。嬢ちゃん、今すぐ手ェ引け」
 摩る手が腕を引き、傷のある唇のほうへ運ばれていく。
「何があったの。酔ってるわけじゃないんでしょう?」
「薬、打たれた…首に、」
 喋りながら桃花褐は極彩の腕に歯を立てる。垂れた目がカッと開いて彼女を突っ撥ねた。よろめく程度の力で、桃花褐のほうが負荷は大きいらしく、苦しげに口元を覆って床を見つめていた。
「桃花褐さん…吐きそう?」
 暑苦しい髪が揺れた。風呂に入った肌はまた汗で光っている。具合を確かめようと顔を覗いた。両肩を鷲掴まれ、床に倒される。男は鬱陶しげな髪を振り乱し、繊細な高音とともに女の隠し持っていた短刀を抜いた。汗が床に散る。居間の照明が皆焼の刃を煌めかせ、男は自身の手の甲を貫く。極彩は身を竦めた。
「ちょっと!」
 鏡のように美しい刃から真っ赤な泉が湧いた。桃花褐の激しい動悸が頭をおかしくさせる。
「姉ちゃん?」
 銀灰の声がすぐ近くで聞こえた。鈍い物音は何か落としたらしかった。弟が駆け寄り、獣のような男は短刀を引き抜き、身を捩りながら少年に襲いかかる。極彩は弟の前に割り込んだ。熱い体温に包まれる。首筋に痛みが走った。血に染まった白刃が視界の端に映り、素手で止める。掌に鋭い感覚が起こった。
「姉ちゃん!」
「大丈夫」
 刃物の汚れか自身の血か分からないぬめりのある手を開閉させた。花の芳烈が鼻腔の奥で爆ぜる。重い身体に圧し掛かられ、男はじゅるじゅると音立てながら血を貪った。弟は蒼褪めた顔をしている。
「銀灰くん」
 汚れた手を伸ばす。弟は動転しているようだったが姉に呼ばれると伸ばされた手に触れた。優しい手付きで傷に触れないように指先がぶつかったが、極彩から少し骨張った手を握った。彼は嫌がらないという確信があった。そしてそれに甘える。
「ご飯中にごめんね」
「そんなこといいんすよ。手当の道具取ってくるっす」
「もう少しだけ、ここにいて」
 彼が離そうとしたため、より強く握った。傷はすでに塞がり、流れ出た血も乾いていくが彼の手が赤く染まっていく様をみていると泣きたくなった。だというのにその手を放せなかった。獣は角度を変えて女から血液を奪っていく。極彩はぼんやりした頭で霞む弟の姿だけを映していた。
「桜ちんの大きなお友達っすよね…?」
「そう。ちょっと具合が悪いみたいだったから」
「傷、痛くないっすか。ごめんなさいっす」
 極彩は首を動かしかけたが首に入った牙が深く刺さるだけだった。
「びっくりしちゃったよね。痛くないよ。色々あってさ、もう傷ないんだ」
 ゆっくりと弟から手を離し掌を見せる。手相に沿って血が渇いていた。
「助けてくれてありがとう。気にしないで」
「…それ、結構いい刀っすね。手に馴染んで、ちょっと怖いっす」
 再び手を繋ぎ直し、銀灰は転がっている寸延短刀を見下ろした。
「持主、もう亡くなってるんだって。本当かどうか分からないけれど、胡散臭い占い師が言ってた」
「じゃあ多分妖刀っすね。刀と持主の気持ちが交わっちゃうとそうなるって聞いたことあるっすよ。供養してもらわなかったんすね。持主探してるんすよ、今でも」
「詳しいんだ?」
「っ、親父、オレっちのこと刀の鑑定士にしたかったみたいっすから…」
 銀灰は照れ臭そうに空いた手で髪を掻いた。弟のことをもっと訊こうと思ったが頭の中も視界も白く霞んでいく。意識まで血液とともに吸い取られていくみたいだった。
「姉ちゃん!」
 弟が叫び。首筋に刺さっていた牙が抜ける。顔を上げた桃花褐は瞠目し、女を凝視して固唾を呑んだ。
「嬢ちゃん…」
「退いて」
 男の肩を突き撥ねる。桃花褐はすぐに極彩の上から退いた。そしてすぐ傍にいる少年を捉えたが、女が2人の間に身を挟む。また襲いかかりはしないかと桃花褐を睨んだ。
「…悪り」
「手の傷はどうなの」
「治った」
 血の汚れの中にはまだ傷が残っていたが時雨塗りの短刀の刃とは合わないほどに小さくなっている。銀灰は桃花褐に不信の眼差しを向けていた。
「調子はどう」
「悪くねェ」
「それは良かった」
 汚れていないほうの手で弟の肩に触れる。戻っていて。しかし彼は嫌がった。
「姉ちゃんは座って休んでて」
 彼はそう言って片付けを始める。手伝おうとした桃花褐を極彩は居間に留めた。
「桃花褐さんはここにいて。一応、客人だから」
「でもよ…いや。本当に、悪かった」
「銀灰くんに襲いかかったこと以外は別に。わたしでよかった」
「弟さんにも謝るよ」 
 雑巾と水を汲んだ亜鉛鍍鉄板あえんとてっぱん桶を持って弟が戻ってくる。姉と不審な客の距離感を気にしながら床の血を拭いていく。
「悪かったな」
「目を離すなって言ったのそっちっすよ。なのにアンタが手、出すなんて」
「すまなかった。本当に申し訳なく思う」
 銀灰は客人を見ることもなく言った。怒気を含んだ弟のその態度は珍しかった。


 夜中に喉が渇き水を飲みに行く途中に庭で人影をみた。縁側の大窓を開くと彼はやって来た。
「群青殿?」
 常夜灯の淡い光を借りて姿が見えた。歩き方も直り、腕を吊ってもいなかった。白い顔が暗い中に浮いていた。
「起こしてしまいましたか」
 彼は苦々しく微笑む。しかし穏やかな感じがあった。家へ上げようと思ったが寝付いたばかりの弟が居間の隣で眠っているためそのまま縁側に立っていた。
「どうしたの」
「時間が空いたので、様子を見に来ました」
「様子?」
 長い睫毛に捉えられる。彼は安らかな空気を纏っていたが極彩は顔を背けた。訊ねたことを後悔する。
「貴女に会えるとは思ってもいなかったので、嬉しいです」
「群青殿のことは菖蒲殿から聞いてる」
「恥ずかしいな。どんなことを言われているやら」
 互いに無言のまま眸子ぼうしを交わらせていた。
「また暫くここを離れます。短い間でしたが貴女と過ごせてよかった。貴女は窮屈な日々を送ったと思います。それでも」
「そう。行ってらっしゃい」
 居間に戻ろうとするが彼は助けを乞うような切羽詰った声で極彩の名を口にした。
「何?」
「触れ、ても…いいですか…」
「いいと思って訊いているの?」
 群青の目が泳いだ。眉が歪み、小さく無礼を謝る。
「夫の身体だから、分かった。指先だけ」
 遠くにいる野良猫をじゃらすように指を夜に預ける。遠慮しながら冷たい手が女の指を包んだ。
「淡藤殿と仲が良いとか?」
「…以前、お話した下の同胞きょうだいのことは覚えていますか」
 指に指を絡めながら群青は答えた。
「覚えてる」
「確証を持ってからお伝えしたかったのですが…彼は、弟かも知れなくて…」
 冷たい指に握られ、包まれ、低かった熱が灯っていく。
「…淡藤殿が…」
「確証はまだありません」
 群青の手が不意に力を持って極彩を引いた。縁側から落ちそうになり、彼の華奢な身体に凭れ掛かった。慣れ親しんだ匂いに香子蘭ばにらと薄荷の香りが薄らと残っている。
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