彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

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「群青殿っ!」
「最後にします。最後にしますから…」
 離れようとしてもその力は強かった。悲痛な色を帯びて柔和な彼に似合わず、抵抗する女を腕の中に収め、駄々を捏ねる子供を思わせながら「最後にします」と繰り返す。
「お慕いしております。ずっと、この先も」
「ずっと?本当に言ってるの?人の気持ちなんて移ろうでしょ。甘い言葉に酔ってるだけ。信じられるわけない」
 あのひともそうだったでしょ。口にすると腕の力はさらに強まり、息苦しくなった。
「そうですね。次会った時の気持ちなんて、分からない…」
 でも俺は、貴女が。
「二公子に対する不義だと思わないの。放して」
 二公子を出しても放すことはなかった。鼓動が聞こえた。布越しの体温が高くなっていく。
 激しい抱擁は長かった。布団の中へ戻っても腕の肉感が忘れられなかった。
『一言だけください。さようならって言ってください』 



 やりましたね。淡藤は笑顔の似合わない口元を緩めた。出入り禁止になった迷惑な客の異変を報告すると、打たれた薬品を調べるため血の染みた手巾や衣類を回収するらしかった。
「ですが調べていただきたいのは違法賭博、脱税、営業法違反です。脱税と営業法違反はこちらでどうにかします。違法賭博と思われるどんな小さなきかっけでもいいので、まずはそれから」
 気の毒げに淡藤は言った。小姓は先に飯を食っていた。報告を終えると淡藤も食事をはじめた。梅紫蘇の味を付けた豚丼に芽花野菜の塩だれ炒め、そして春菊の胡麻和えを添えた。兄かも知れない者と同じく育ちの良さは所作のひとつひとつから窺えた。彼は雑談をして表情が緩まった。何となく反応が知りたくなり、悪戯のような心地で群青の話を振る。小姓の荒々しい食事が止む。淡藤の表情は枯れた。好意的な態度には思わなかった。
「今よりさらに忙しくなるようですね。それだけは聞いております」
 小姓と目が合った。彼は焦ったような顔でその話はやめろと言わんばかりに首を振った。
「何の話でしたっけ」
 話題を変える。意外にも気を張っていたらしい男児は騒がしい食事を再開した。
「明日は私が出られませんので、補佐を向かわせます」
「休み?」
 普段ならば訊ねなかっただろう。ただ話題の振り方を失敗したことが尾を引いていたのかも知れない。淡藤はいくらか惑ってから口を開いた。
せがれが熱を出しまして」
 すぐ横の小姓を見てしまった。男児はその視線に驚いたらしかった。群青が弟と見做したということは群青より若いはずだ。
「倅…」
「私事で申し訳ございません」
「いいえ…お大事に」
 淡藤は礼を言った。衝撃を隠せないまま彼等を見送った。居間で弟と過ごす時間まで影響し、群青の夢が何度も彼の声と言葉で繰り返される。上の空であることを弟は指摘し、心配した。昨晩のことで銀灰は桃花褐と姉の関係に気を揉んでいる。弟は不審な客人を姉に付き纏う危ない変質者だと認識を改めたらしかった。桃花褐を帰すその瞬間まで敵意を剥き出しにし、桃花褐の寝る布団とのすぐ傍で深夜帯まで気を張っていた。
「親父の時にも頻繁に入り浸ってたんす。外面良くて、人畜無害そうな人」
 悄然として銀灰はぼそぼそ喋った。
「親父もすぐ人のコト信用しちゃうからさ。オレっちがしっかりしなきゃと思ってたのにやっぱりオレっちもバカだったんすね。結局騙されちゃってさ」
 弟は刃を掴んだ手を一瞥した。
「…それはそうと、手は、もう痛くないんすか」
 銀灰の前に掌を晒す。
「痛くないよ、全然。あの人はちょっと具合が悪くて、正気じゃなかっただけ。銀灰くんを騙したわけじゃない」
 複雑そうに大きな吊り目が伏せられる。
「桜ちんの友達だから、あんま悪く言いたくないっすけど、あんなの見せられたらさ…」
「銀灰くんを唆したことと、銀灰くんのことを襲おうとしたことは怒ってるけど、いつもわたしのこと気に掛けて、助けてくれる素敵な友達だから安心して。自分の手を刺してまで正気でいようとしてくれたんだから」
 細いが筋肉のある肩を弱く叩く。腑に落ちない様子はまだあったが、それでも浅く首肯する。
「姉ちゃんがそう言うなら、信じられるよう頑張るっすよ」
 落ち込んでいるのかと思い、吊り目を追えば彼は予想に反して快活に笑った。
「銀灰くんの思うようにしたっていいんだよ。心配もするし気にするけど、ひとつふたつ違ったって、全部違ったって、銀灰くんの気持ちは伝わってるから。その軸ひとつあれば。とても曖昧だけれど…」
 彼はよく八重歯が見え隠れする小さな口をぽかんと開けた。
「ありがと、姉ちゃん」
 まだどこか割り切れていなそうだったが極彩はそのことに満足した。






杜若かきつばた殿

 お勤めお疲れ様でございます。今日は昨晩記したとおりのことを組へ報告しました。証拠になりそうな物品が押収されたので日ならず結果が聞けると思います。進展がありましたらまた。…

 ご友人が快方に向かっているようで何よりです。杜若殿もお忙しいようなのでくれぐれもお体に気を付け、健康にお過ごしくださいませ。…

 ひとつお願いがございまして城に一時帰るとのことですが、もし時間が許しましたら橙の様子を教えていただきたく。我儘を承知で申し上げますが、杜若殿が現在保護しているという瑠璃様は信用なりません。できましたら可能な限り橙には近付けさせないでいただけると幸いです。何卒よろしくお願い申し上げます。…

 杜若殿の近況の便りから日常生活に支障はないほど回復していたことは存じていましたが葵殿が新たな任務に赴かれるとは初めて知りました。ますますのご清栄を祈るばかりです。いずれ挨拶ができることを楽しみにしております。

追伸。
 数日前に杜若殿は私の弟を畦道のたんぽぽと表現していましたがそのとおりです。彼の眩しい笑顔や私を慮る言葉が日々の癒しです。…
ところで同時に杜若殿は恋心は意外性、錯覚、洗脳というようなことをおおせになっていましたが、私の中であの後一考してみました。好意を伝えれば伝えるほど好意を返してくれるといったようなこともおおせになっていましたね。ですが洗脳され、錯覚していくのは好意を伝えている側の者のような気がしてなりません。恋心なんてものは最初から存在せず、人々は常に錯覚の中で幸福を見出し、繁栄し、多くは洗脳から醒めることなく伴侶と歩むのかと思うと杜若殿のいうとおり虚しい思いです。そして恋心と名付けられた勘違いによって好意を伝え続けるこのある種の病人を救う術はあるのでしょうか。それとも幸福とはこの錯覚の中にしかないのでしょうか。そんなことをふと考えてしまいます。とはいえ入り浸りすぎて色街に毒されたというわけではありませんので心配なさらず。長々と綴ってしまいましたが夜中の興奮と思い、ご放念くださいませ。  …桔梗』
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