彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

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「帰るよ、銀灰くん」
「へっ?はいっす」
 姉の勢いに呑まれ彼は弾むように立った。花畑に囲われた道の先に牛車や馬車の停留場がある。
「ダメです、疲れました」
 悲鳴を上げながら菖蒲は息を切らし、石畳に座ってしまう。極彩は弟と中年男に背を向け煉瓦の壁の裏を警戒した。
「どうしたんすか…?」
 銀灰はまた腰を下ろし、隣の男に横目をくれる。
「まぁ、簡潔にまとめると上司に首を振ったんですよ」
 銀灰は訳が分かっていないようだった。
「明日からの扶持を考えないと。田舎で珈琲店を開きたかったんですけれどもね。地域住民の憩いの場なんかにして」
 菖蒲は花畑を視界に入れているにしては悲観的な色を帯びたまま夢を語る。
「いやぁ、能天気な場所ですね、ここは!一面の花畑ですよ、しかもご立派な!左を向いても右を向いても花か硝子細工ですよ!まったく能天気で陰鬱になりますね」
 あ~と彼は喚き天を仰いだ。
「日柄もいいですね、青い空、白い雲、可憐な小鳥たち。ああ蝶よボクの運命を…いいや、彼等の運命を幸福へ導きたまへ…」
「相当、自棄やけになっていますね」
 極彩は壁から目を離さずに言った。銀灰はきょろきょろと2人を見遣る。
「ボクは仕事のために人生を投げ出すヤツが大嫌いなんですよ。横面を張り倒したいくらいです、ええ。特にそれを他人に押し付ける人なんかは往復でぱんぱんとイきたいところですね」
 青空を凝視しながら彼はくしゃみをする。花粉症なんですよね、と彼は鼻を啜った。
「本当に仕事ですか」
 娼館の女を想いながら切なげに求めていた声音は仕事ではないだろう。酔った時と熱に浮かされた時なのだから本音に近いと極彩は判断した。菖蒲は後頭部を項に付け、逆さまに極彩を見上げた。
「何か心当たりが?」
「いいえ。もともとよく知らない人ですから」
 銀灰もゆっくりと極彩のほうへ首を曲げた。素直な眉は会話内容にいくらか不安を抱いているようだった。
「お似合いの2人でしたから、幸せになりますよ」
「ボクはそうは思いませんね」
 取り繕うが撃墜され、極彩は菖蒲を睨んだ。しかし彼は白を切るように肩を竦めた。銀灰は数秒、隣の男の横顔を見ていたが花畑へ戻る。
「少なくとも、貴方方あなたがたがそうしたんですよ」
 壁の脇の階段から青年が降りてきた。黒い髪に針金のような眼鏡と、上体には襯衣に反射で格子模様が炙り出される黒の胴着という準礼服の中でも身軽な風采の若い男だった。銀灰があっと声を上げた。
「翡翠さん…」
 鋭利な印象のある青年は極彩を冷たく捉えたがすぐに他の2人へ側めた。
「人の結婚式にずかずか乗り込んできてどういうつもりなんですか。招待状も持たず?花嫁乃至ないし花婿奪還でも画策していたんですか。人生一度の大きな祭事を邪魔されて、あの娘の気持ちはどうなるんでしょうね。辱めですよ、こんなのは」
 雅やかな仕草で翡翠は3人へ歩んだ。
「今更流行りませんね、そんな独り善がりな演出は。あの娘の一生に刻まれたことでしょう。人は悲しみばかり思い出に残るものですからね。フられた腹いせですか。偽参列者サクラまで雇って?正直言って、無粋です」
 翡翠は挑戦的な眼差しを向け、極彩の奥に居る銀灰へ向かう。
「他に意中の女があるクセに、あの娘を弄ぶような真似をして…野暮です」
「ボカぁ偽参列者サクラじゃありません。まったく嫌になるな!どいつもこいつも城勤務ボクに意思を持たすことを厭いますね」
 極彩が踏み出す前に菖蒲に制され、彼が翡翠の前に出た。
「誰です」
「彼の母のカレシですよ。彼女は…ボクの息子の嫁です」
「ほぉ」
 翡翠は極彩を見た。
「なるほど。すぐに情人オトコを見つけたというわけですか」
 硝子の奥の冷たい瞳が軽蔑を含んで眇められる。
「姉ちゃん?」
 銀灰は肝を潰し、もう誰に意識を傾けていいのか分からないようだった。彼が姉を呼んだ途端、翡翠の冷淡な双眸が燃え銀灰を射殺さんばかりに視線が真横に移った。
「姉だと?」
「叔父の遺言に従ったんですよ。つまりボクの息子の義弟というわけです。素晴らしいな。ねぇ?元・河始季せんしき
 菖蒲は2人の前に立ち、翡翠の視界を塞いだ。
「菖蒲殿?」
「ボクはね、貴方の叔父御から式の相談を持ちかけられた程度には私情ワタクシゴトで貴方を見守る責任としがらみがあるんですよ」
 花畑の傍にいた銀灰が極彩の腕を引き菖蒲から離した。眼鏡の青年が中年男を力任せに突き飛ばし、少年へ迫る。
「賤しい手で彼女に触るな!」
 青年は怒鳴り、銀灰を殴る。少年はよろめいたが転がるように受け身をとって拳の入った頬を拭った。
「あの娘に求婚しておきながら、やはり本心は別の女か…肉親に淫欲を抱いたら、もう姉弟きょうだいにはなれないんですよ」
「何言ってるんですかこの人」
 菖蒲が冷ややかに吐き捨て、拳に熱く息を吹きかける。極彩は尻餅をついたままの弟に寄り添い翡翠を見上げた。
「翡翠さん…どうして叔父上を苦しめたんですか」
 銀灰の前ではしたくない話だったが、すぐにでも確かめねばならなかった。
「暗愚な三公子にこの複雑な国が支えられると思いますか?」
「ちょっと!ボクのカワイイ子たちをいじめないでください」
 菖蒲は翡翠の肩を掴むと横面を殴った。しかし眼鏡の青年は軽々と躱した。そして脇腹を蹴られ、石畳に叩き付けられる。銀灰が菖蒲の元へ駆けようとしたため極彩は引き留めた。
「ボク、喧嘩弱いんですよ。参ったな。銀灰さんの分をひとつお見舞いしたかったのですが」
 菖蒲は打った腰を摩っていたがけろりとして立った。媚びたような笑みで細まる涼しげな目が極彩とぶつかる。何か訴えているようだったがその意図が読めなかった。翡翠はまったく中年男を歯牙にもかけず怒りに満ち満ち、燃え滾る眸子を銀灰へ注ぐ。極彩は青年がこれ以上弟に危害を加えないか油断ができず、神経を研ぎ澄ませる。
「自分で尻拭うっす」
 銀灰は姉の手をすり抜け背の高い青年を見上げる。
「だめ、銀灰くん。怪我したらどうするの」
菖蒲しょうぶさんにまで恥かかせたんすよ…怪我したらごめんっす。でもちゃんと自分のことは自分でやるっす。家事も任せきりにしない」
 刃向う弟も愛らしかった。彼を抑圧したくはない。納得はできなかったが止めるため咄嗟に握っていた弟の袖を放す。翡翠は複雑そうにそのやり取りを眺めていた。
「人には守るべき一線ってものがあるんですよ。君の抱く感情はふさわしいところへ向いていませんね。あの時も言いましたが賤しいんですよ。箸の正しい持ち方ひとつ碌にできない男にあの娘を食わしていけるような扶持を期待できないんですよ。夫が嘲笑われれば嫁いだ女も後ろ指を差されるわけです。親無し児で若い娘をもらうならそれ相応の気を遣うべきでした。世間でどんな風に評価されるのか。利き手・礼儀、作法、姿勢、教養、基礎知識。すべてに於いてあの娘を任せるに値しない。そして確信が今、真実に変わりました。君はあの娘を好いてなどいない。代わりですね、所詮は。君は人畜無害で無邪気を装いながら内心は破廉恥極まりない犬猫同然の賤しい卑劣漢なんですよ。血の繋がらない姉の肌は心地良かったですか。あの娘はかぐわしい姉の代わりになりましたか」
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