彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

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 虚勢を張るのも気力と体力が要るのだった。彼女は拷問官を睨み続ける。そこへまた新たな官吏がやって来る。蘇芳だった。それは偶然であったのか、はたまた……
「夏虫殿、やりすぎではありませんか」
 小肥りの温和げな顔が険しくなっていた。この中年官吏は三公子を可愛がっていた。ゆえにこの二公子支持が圧倒的な城では肩身が狭いはずだ。粛清の憂き目にすら遭うかもしれない。
「これはこれは蘇芳殿。やりすぎでしょうか?正規の手順は踏んでいるのですがね。しかし昼間だというのに、この暗い地下牢に行灯のような蘇芳殿がおいでくださるとは助かります」
「おお!とんだ嫌味をおっしゃります!正規の手順を踏めば何をしても良いと考えるのは実に今時の、仕様書どおりで融通の利かぬ指示待ちに徹した若者ですな。もう少しお若いなりに柔らかく機転を利かしていただきたいものです」
 この柔和な男が無理をしているのは極彩にも分かった。怯えている。真ん丸顔に汗が浮かび、引き攣っている。
「責任を預けられる上司なら、そうしますでしょう。信頼に足るお上であるなら」
 夏虫も、目上であるはずのこの官吏の動揺を悟り、完全に侮っていた。
「長幼の序に甘えきっている上司を前にすれば、仕様書に頼り、思考放棄し、責任から逃れたくなるのも仕方のないことです。どうかこの愚身にご指導ご鞭撻をお願いしますよ、蘇芳殿。いかにして効率よく血税を食み、官吏という立場にしがみついていられるかについて……」
 若い拷問官は口の端を吊り上げ、親子ほども歳の違う上官から受刑者へ身体を向けた。
「二公子が懲罰の仕上がりをお目にかかりたいとのことですから、このまま牢に繋がれてください」
「しかし、夏虫殿」
 極彩は食い下がる蘇芳を見上げた。ただでさえ気の弱そうな人物である。立場的にも少数派閥である。二公子の命をこなしている夏虫に容喙ようかいするのは賢明ではない。
「いいのです、蘇芳殿。真っ当に、己の咎と向き合うのみです。お戻りください」
 だが蘇芳は躊躇をみせた。彼まで二公子の目の上の瘤扱いされるわけにはいかなかった。
「いいのです、蘇芳殿。いいのです、いいのです……これがわたしと夏虫殿の、特殊な逢瀬なのです。誤解なさらないでくださいまし。わたしは好きでこうされているのです」
 しかし無理のある弁明だった。夏虫も狡猾な笑みを浮かべていた。
「ありがとうございました。感謝します」
 下官に侮られている中年官吏は、不甲斐なさそうに踵を返した。極彩は項垂れた。すまないことをした。顔の立て方も知らない。辱めてしまったような心地がした。しかし彼は二公子支持でないというだけで貴重な人材なのである。愚かであっても悪人ではなかった。哀しみの善人だった。
「泣きつけばよろしかった」
「誰にです」
 彼女は顔を合わせようとはしなかった。
「恍けるんですね。私に泣きつく選択がございましたか」
 鞭が宙を舞った。鈍い音がした。肉が打たれ、骨が軋む。熱湯をかけられたようだった。痛みに身を縮める。噛み締めた奥歯が音をたてる。
「けれど姫様、貴方が私に泣きついてくれたなら、考えないこともありませんよ」
「お断りします。上官の口の利き方もしらない子供に泣きつけだなんて、そんな屈辱は……」
「これが趣味なら、期待に応えないとなりませんね!」
 そして鞭の雨が降り注ぐのだった。彼女は耐え続けた。全身が痛熱に覆われていた。やがて大きな一撃が首に当たった。喉に響き、息ができなくなった。汗が蒸れる不快感で目が覚めては、火照りを錯覚し、また眠るように意識が途絶える。


 冷たい感触の心地良さに、拘束されていたような痛みが微かに和らぎ、四肢が緩んだ。緊張がわずかに解ける。
 頬に添えられた滑らかさへ、自ら身を寄せる。
「随分かわいいことするじゃない」
 おぞましい声だった。極彩は一瞬で目を覚ます。そこは牢だった。石壁から吊るされた寝台に寝かされていた。この寝床を吊るす鎖が唸るように鳴った。二公子だ。二公子の手袋に撫でられていた。
「弱っている彩もかわいいな。あはは、素敵な首輪もついてるし……ああ」
 彼女は自身に首輪がついていることを、このときに知った。それと同時に二公子は、首輪の下側から指を引っ掛けた。そこには青紫の、直接皮膚に刻まれた首輪があった。だがつけられた本人はまったく気付かなかった。
「芸術だな、彩。とてもいい」
「気は済みましたか、二公子」
「嫌だな。それじゃオレが私情で刑に処したみたいじゃないか」
 極彩は身を起こした。鈍い痛みがあちこちに走るのだった。遅れた揖礼をこなす。
「菖蒲殿はどうしました」
「隣の部屋。どうしたの、彩。あんな疲れたおじさんが好くなっちゃったの?」
 彼女は二公子の軽口には答えなかった。
「例の子供についてですが……」
「君に育ててほしかったんだよ。君が育てるべきだ。君も少しは、人の情というものを知れるだろうね?」
「わたしはこれからお務めがあると、淡藤殿から聞きました」
 二公子は意地悪く、しかし楽しげに微笑む。
「育てながら働くのさ。城下の女はみんなやってる。補助金を出しているのにねぇ?旦那に捨てられるのが怖いのさ。主に金銭的にね。働き者でいいことだよ」
 極彩は、目を伏せた。
「あっはっは、彩。怒りのあまり、興奮のあまり、勢いあまった縊り殺しそう、くらい言ってくれなきゃ。ガキを甚振るのは楽しいから、仕方ないね」
「わたしには紅がおります。子供を育てる余裕はありません」
「あれは愛玩用でしょう?彩、子供と犬猫を一緒に考えちゃダメだよ。彩、愛玩動物よりも国益になるのは人間なんだよ?いい、国利になることを、シてほしいね」
 麗らかな眼差しは本気だった。紅を人間だとはまったく思っていないのだった。
「それでは、こんなしがない女を拷問にかけている暇はございませんね」
「害悪な売国奴をとっちめるのは有益だよ、彩。卑屈になっちゃいけない。君はオレを手を下すだけの価値がある巨悪だからね。教育し、啓蒙しなきゃ。正しく素直に、国力となるように」
 首輪に引っ掛かっている指によって、彼女は二公子のほうへ顔を突き出さなければならなくなった。退くことは赦されない。
「君が子供を立派に育てられるかどうか、とても興味があるんだよ。群青は失敗したみたいだけどね?君が子供を殺しちゃうところが見たいな。それは事故かな?故意かな。衝動のままに?」
「群青殿の言っている子供というのは何故、身罷みまかったのですか」
「知らないよ。殺されたのさ。胸を一突きされてね」
 二公子が恍けているとは思われなかった。それは直感であった。もし知っていたのなら、嬉々として事細かく口にしているだろう。
「国利にならないからですか。だから平然としておられるのですか」
「土人形の腹から産まれた子供が、国益になるとは思えないな。薬害実験にもなりはしないだろうね。ねぇ、彩。オレは子供が欲しいわけじゃないよ。国の利益がほしいだ。持続可能な国の力が。引退、隠居した老人たちを死ぬまで働かせたっていいけれど。色街付近の浮浪者を鞭打って使ってもね。でも、国が民を敬って、労ってやらなきゃ、国民アイツら、働かないでしょう?納税してくれないでしょう?投票もしてくれないでしょう?国単位で考えてないんだよ、自分たちの帰属意識ってものを。自分たちの暮らし、自分たちの生活のことしか考えてない。だからいざ戦となったときに、簡単に明け渡すだろうね。国が何をしなくても、本能と欲望と興味本位で、子供生んで育て、働き、税を納め、票を投じて、戦ってくれるの?」
 訊ねる口調のたび、二公子は首を引っ張った。
「群青殿は既婚者ですよ。それを誘惑するような真似をして……官吏です。民草の正しさを問う前に官吏の在り方を糾すべきではありませんか。それも、病んでしまった官吏を慮るべきで……」
「誘惑?誘惑!誘惑だって?」
 二公子の麗らかな双眸は爛々と輝きを増し、愉快げに声を荒げた。
「女の肉体をした人形を渡したではありませんか」
「人形より本物の女を抱きたいね。それでも人形を選んだわけだ。それに、結婚したのは群青じゃない。群青だけどね。でも群青じゃないのさ。娼館大好き青年実業家の鼠くんだよ。君が結婚詐欺に遭ったときみたいに」
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