彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

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「本当に、食べちゃおうかな?鍋にして、群青に食わせようか。力をつけさせてあげないと。毛皮もちゃんと、加工してね」
 だがその持ち方は家畜に対するものではなく、愛玩動物にするもののようである。二公子は極彩に目を遣った。彼女が外にいることにも、抱えられていることにも、気にしている様子はない。
「どう?うさぎ肉、食べたくない?
 麗しい双眸が眇められる。口元には意地の悪い笑みを浮かべていた。
「ああ……ああ……」
 この場を面倒にする人物が、泡沫の眠りから目を覚ましてしまった。
「返してください!返してください!嫌だ!ああ!」
 彼は気が違っていた。二公子のほうへ這えば、天晴組の隠密みたいなのが刃物を突きつけて制した。しかし相手は狂人。怯みはしなかった。彼は皮膚が切れることも厭わず、芋虫の如く二公子へと這う。
「嫌だ、嫌だ。天藍様……!ご慈悲を、どうか……!ご慈悲を……!」
「だめだよ、群青。人きりの襤褸雑巾が子供なんて作っちゃいけないよ。なんで作ろうと思ったの?君は利己的だな。自分の欲望のためだけに、子供の気持ちを考えていないだなんて。自我が目覚める前に殺してあげるのが救いだよ。優しさなんだ。母親は児童虐待大好き極悪人、父親が気の狂った殺人大好き襤褸雑巾だなんて可哀想だよ。君だって何人も子供の前でその親斬り殺してきたじゃない。どうして君はその立場にならないと思っているの?子供を作ったときに生まれるのは命だけじゃないんだよ、群青。業も宿命も欲望も一緒に生んでしまうんだよ。それを生んだ側の都合で折り合いをつけさせるんだからねぇ!”よい躾”とは世間様にとって都合の良い躾でしかないんだよ、群青。利己的な君は親にはなれない。ただただ子供に胤を捻じ込んだだけの男にしかね」
 極彩は群青の這う様を側から見ていた。その時の彼の驚愕、落胆、失望。そのぶら下がったような半開きの口が閉じられていく。
 二公子は満足そうだった。そして捨て時の襤褸雑巾へ優雅に歩み寄って屈んだ。白い手袋を唇で留めて絹のような素手を引き抜くと、雑巾の頬を勢いよく張った。乾いた音が早朝の空へ響き渡る。そのはずみで開いた口に、露わになった手を突っ込んだ。
「あのさぁ、群青。君はオレの何?本当、くだらないんだよな。親になると、みんなつまらなくなる。どうして?君は親になったつもりでしかないけど。君はオレのために死ぬって誓ってくれたじゃない。それが女と子供ができた途端にこの有様は、恥ずかしいよ。君は恥ずかしいんだよ。それを自害して清算しようって?それこそ恥ずかしいんだよ。それともオレに詫びるための自害じゃない?こんなことになったのが嫌だから逃げようって?破廉恥な人だなぁ。これだから無宗教信者は信用ならないよ。河流れして、もっと恥ずかしい生き物に生まれ変わり、もっと恥ずかしいことになって死になさいよ。ここで自害して、誰が死体処理、死体処理手続き、検死、死亡確認届を出すの?君は積極的死体放棄人だよ。自害ってのはそういうものでしょうが!人間は死んでから数時間は、自分の死骸の始末をできるように動けるべきだと思うね!そうしたらオレももう少し、民草の自殺というやつに寛容になってやろうじゃないか。寛容な風潮にしてあげるというものさ。手前等が無宗教だと信じて疑ってない奴等は気楽でいいね!とても!」
 口腔に容赦なく突き入れられた指に、芋虫が嘔吐えづく。
「何か咬ませておいて。ああ、これがいいや」
 二公子は絹の手巾を隠密装束に渡す。
「このうさぎも……食べないでね。群青に捌かせる。食べさせてあげたいから、それまでは死なさないで。監視でも何でもつけて」
 天晴組の組員に持ち上げられ、うさぎは長い踵で宙を蹴っていた。己が身に待ち受ける展開を知るよしもない。
「じゃ、戻るか。寝よ、寝よ。おやすみ、彩ちゃん」
 そこに翡翠という人物は存在しなかった。残された天晴組がたじろぎ、その者の扱いについて伺う有様だった。
「その人は放っておいていいよ。その人は気違いなんだよ。国が金をやって養ってあげるべき生物なんだ。ときには自分を河教信者だといい、ときには女医と自称し。あるときには彫刻師を名乗って、気紛れで性風俗経営者を気取るんだからね。大切な青人草の1人だからね。人口の1人というわけだ。人口が多ければ?脅威でいられる。蝶の翅で辻風が起こるように、気違い1人を置いておくのも悪くないでしょう。この国は豊かだからね!弟をみてよ!ああ、オレに弟は1人でしょう?篠笛の名手の……オレは片輪に優しいんだよ。いい国は!いい国とは、おさが寛容を示してやることなんだよ。不寛容で在り続けることは蒼生そうせいの仕事さ。どこへ行こうが、君が自力で戻ってくればいいのさ。気違いは無罪、がこの国の在り方だからね。そのほうが”自浄作用”が湧くというものでしょう?君が自分で戻ってくるのならオレは、別に君の大切なモノを害せずに済むわけなんだし」
 二公子は愉快げだった。極彩を一瞥して天晴組と帰っていく。残ったのは彼女とそれを支える腕、そして隠密装束と、拘束された群青であった。
 群青は大粒の涙を流し、悲嘆し、唸っていた。何が「青紫の君」なのだろう。その様を目にすれば、長年の憧憬も一息に冷め、軽侮と嘲弄さらには羞恥まで覚えるものだ。
 二公子と入れ違いに夏虫がやってきた。直属の上官に下卑た嗤いと嘲りに満ちた眼差しをくれてから、極彩のほうへやって来た。
「姫様……困りましたね」
「この人は関係ありません。気が違っているのです」
「そのようで」
 けれども夏虫が来たのには他に理由があった。醜態を晒し、そのことに自覚もない上司を回収しにきたのだった。だがそれを翡翠はどう受け取ったのか。彼は極彩をしっかりと押さえ、殺気立つ。
「どうどう、どうどう。でも、姫様をちゃんと返すことですよ。二公子は翡翠殿を随分と気に入っているんですからね。恩を仇で返しちゃいけませんや」
 そして夏虫はもう極彩のほうを振り向きはしなかった。
「翡翠さん、下ろしてください」
 しかし言ってきくような男ではなかった。放っておかれたのをいいことに、彼はまた歩き出した。
「すべて嘘だったのですか」
 けれども極彩は、翡翠の語ったことすべてが虚偽だとは思わなかった。気が狂っている点については否定しきることができなかったけれども。
 彼は問いには答えなかった。そしてまだ刑の最中にある罪人を城の敷地の外へと連れ出してしまった。その姿は目立つのだった。抱えらえているのは病人や受刑者を思わせる身形の裸足の女で、抱えているのは幽霊のような虚ろな男だ。

 弁柄通りは昔からの住人が多く、新しい住人の流入が少なく、比較的治安の良い土地であったが、ここには今、不審者が悪怯れることもなく闊歩していた。極彩は進んでいく道の先を凝らしていた。この男に声は届かない。今のところは彼女も知る道を辿っていたが、一体どこまで行くつもりなのだろう。彼の住まいらしき家のある方角とは違っていたし、牛車もこの時間は通っていないだろう。
 だがここで思わぬ救いの手が伸びた。歳の割りに苦労を知るも、嫋やかさの残った手が……
「御主人……?」
 以前、求婚され、辱めて帰した少年だ。彼は茫然と立ち尽くしている。まだ早朝である。
「桜……」
 彼もまた、極彩を抱える男については意識がいかなかった。しかしこの者は気の狂った襤褸雑巾ではなかった。すぐに相手の女がどういう状況にあるのか、引いて見ることができた。
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