幕が下りるにはまだ早い ~死神商人を伴侶にするためのストラテジー~

鯛田乃際鞠

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2章:謀と未練

2-5:奥で瞬くもの

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 アズールの一番古い記憶は、ローレリア王国の片田舎。子供の群れの中。
 教会が運営する孤児院には、様々な理由で家族と離された子供たちが集まっていた。
 誰もが漠然と不安を抱え、持て余しては他の子供にぶつける。お世辞にも良い環境ではなかった。

 その辛さを忘れるために、アズールは勉強に打ち込んだ。
 年上の子供に「お前もいらない子だ」と謗られても、神父に頬を張られても、頑張っている内は何もかも忘れられた。


「近々お前は、オンディール職人伯の養子になるんだ」


 その内、アズールの知能を見込んだ職人貴族から、養子にしたいという話が舞い込んできた。
 大量の寄付金が得られると神父たちが大喜びする中、アズールは不安でいっぱいだった。
 ここより酷い場所だったらどうしよう。逃げ出せたとしても孤児院に戻る事はできず、運が良くても裏社会行きだろう。

 対面の日、アズールはずっと俯いていた。
 貴族らしい紳士服の足元が見える。足先まで清潔さと品格を気を遣っていて、神父と会話している声はとても落ち着いている。
 その後ろには、自分と同年代であろう少年が隠れていた。俯いたが、彼がそっと首を傾げたせいで目が合ってしまう。
 
 光がそのまま溶けたような金髪に、笑顔で細まった麦色の瞳。
 そばかすが散った肌は少し焼けていて、やんちゃな雰囲気がありつつも、紳士と同じ品の良さを感じる。

 少年はニッとアズールに笑いかけて来た。
 心から好意的な感情が見える。目を奪われてしまう。

 職人伯と神父の会話がまとまったその瞬間、少年はアズールに駆け寄って来て、手を取った。


「俺、バルトって言うんだ! 今日からよろしくな」


 あまりにも、バルトは眩しかった。
 アズールの心はからりと晴れ渡り、俯くのを辞めて、ぎこちなくもバルトへ笑顔を返した。

 この思い出は、30年以上経った今も擦り切れる事のない、アズールの最初の宝だった。


 * * *


 セレスによって骨抜きにされた次の日は、酷い倦怠感と腰痛の回復のため、潰れてしまった。
 
(予定は狂ったが、行動開始だ)

 黒い封筒を見つけてから2日後の真夜中。
 商人時代を思い出しながら、紳士服に袖を通した。
 黒を基調とし、差し色には青と金。清潔さと浮世離れを両立させた雰囲気を演出する。
 更に暗闇に紛れるための黒いローブを羽織り、準備は万端だ。
 
 ――自室から出たら、上手くやり切るだけ。

 アズールが牢獄から出たという情報は方々に漏れてしまうかもしれないが、セレスがこの件に関わる事は防げるはずだ。
 幸いにも王国騎士団は数日かけての訓練のため帰ってこない。

(後日市民にバレれば、牢獄にも戻りやすいな)

 民から「何故極悪人を釈放したんだ」と追及されれば、流石に女王も動かざるをえないだろう。
 部屋から出て、玄関まで一直線に向かえば――。


「アズール様、おでかけですか?」


 クリステがランプを持って後ろからやって来る。
 見つかる事は想定内。ここからの説得が、正念場だ。


「あぁ丁度良いところに。ちょっと殴らせてもらっていいかな?」

「えぇっ⁉」


 クリステは素で驚いてしまっていた。慌てて声を抑えようとして、わたわたとしている。


「それは、どういう事ですか?」


 意図を読み取ろうと水晶の目を細め、アズールを見つめる。
 雰囲気と、感情の方向性だけだが、何かを視たクリステは、笑みを引っ込めた。


「私はこれから、過去の過ちを清算しに行く」

「……更に罪を重ねるために?」

「結果的にはそうなるかもだけど……そうでもしないと、皆にとって更に良くない事が起きる」

 
 断片的に白状して、本当に隠したい事実は伝えない。
 詳細こそわからないだろうが、彼女には伝えたい事以上のものが視えてしまう。
 
 水晶の瞳がきらりと、ランタンの光を反射した。
 

「……成程、アズール様はやはりお優しいですね」

「引き留めないのかい?」

「アズール様にとって必要な事と、わたくしは判断しました。
 ……セレス様はわかりませんが」


 そうと決まればと、クリステは玄関に置いてある花瓶を1つ持って来る。
 丁度握りやすい形をして、景気よく割れそうなものだ。
 

「わたくしはアズール様の襲撃に合い、任務を続行できなかった……という事実を作りたいのですよね?」

「察しが良くて助かるけどさ」
 

 惨状の演出がしやすいものをと、的確に最適解を選んで来る。
 アズールがクリステを襲撃した事実を作れば、屋敷内でも戦闘の訓練を受けていないクリステは被害者となり、責任は問われない。
 クリステは、主の伴侶を傷つける事を拒んだ。言い様はいくらでもある。
 
 ――責任は全て、アズールへ向かう。

 今更罪が1つ2つ増えたとして構いやしない。
 穏便に、なるべく迷惑を抑えて死刑台へ向かう前の清算を行うために考えた結果だ。


「結局どっちの味方なんだい君は」

「勿論アズール様の味方です」


 アズールには恩義がある。皮肉交じりで軽妙な会話が楽しく、一緒にいると心地よい。
 ひた隠しにしようとしている暖かな情も、涙が出そうになる程素敵だ。
 絶対に言う予定は無いが、クリステはアズールを父か兄のように思っていた。

 ――だからこそ。

「アズール様が、幸せに生きる未来を願っています」


 死んでほしくない。だが、アズールを向かわせなければ、何も始まらない。
 彼の本当の意図を知るためには、これしかないのだ。


「……セレス寄りなのはわかったよ」


 クリステの答えに、アズールは失望したかのような表情をわざとらしく作った。
 痛む良心を抑えつけ、小さな手から花瓶を受け取る。
 

「さぁひと思いにどうぞ!」


 クリステは震えているが、気丈に振舞っている。


「……すまない」

 ――そして、ありがとう。
 
 ガシャンと、大きな音が真夜中の玄関に響き渡った。
 硝子の欠片が月光に煌めき、その中に血の粒が混じる。

(わたくし、少しだけ深く視てしまいました……申し訳ありません。アズール様)

 柔い心の奥、光はいくつか存在した。
 兄との、鮮烈な雷を思わせる宝の記憶。旧友である女王との、安らぐ篝火思い出。
 
 ――そして、今視界の端にちらつく月光のように煌めく、セレスから愛情を与えられた名残。
 
 クリステの目は、どんなにがんばっても、思い出の中身まで覗く事はできない。思い出に纏わる感情だけを視認する。
 アズールの心の中はとても美しかった。
 深い影を落とす心に、大切な誰かの未来への祈りが星のように瞬く。

 アズールの深い情、その一端を視てしまった。
 
(……どうか、ご無事で)
 
 クリステは倒れ込んだまま、屋敷を飛び出していくアズールの背を見送った。
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