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第九話「王都」
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ルーナは迷っていた。
(正直お父さんのお墓参りはしたいんだけど……王宮には嫌な思い出が一杯あるし。どうしようかなあ)
父親は勇者として王宮の地下霊廟に眠っていた。なので墓参りとなれば当然王宮へと行かねばならない。
それ以外には特に王都へ行く用事もないルーナは、ソレイユへの返事をどうするか迷っていたのだ。
ソレイユがルーナに王都へ一緒に行かないかと誘った理由は墓参りの事もあるが、一番の目的はルーナの浄化能力についての調査である。
しかし必ずしも成果が得られるとは限らないので、一緒に行くかの判断はルーナに委されていた。
(それに二十日以上も留守にして浄化が遅れてしまうのも心配だなあ)
瘴気を浄化して喜ぶ被災地の人々の顔を思い浮かべたルーナは、「やっぱり無理っ!」と声に出し、今回の王都行きは断る事に決めた。
そんなわけでソレイユはいま一人で王都に来ている。やつれた顔に無精髭のその姿は実にむさ苦しい。いやむしろ中年男らしいとも言えようか。
五日の間、王立図書館に籠って謎の浄化と恩寵についての文献を調べ続けたのだが、それらしい記述のあるものは見つからなかった。その徒労感が一気に出たのであろう。
(はぁ、もう領地に帰ろうかなあ……)
などと弱音を吐いてみせたが、むろん帰るつもりは毛頭ない。とりあえず王都にある別邸へと戻り、少し休んだ後に身形を整えて、今度は大聖堂へと向かうつもりでいる。
大聖堂はここアンドラル王国のみならず、大陸の多くの国で広く信仰されている神の聖域だ。その様な信仰の場が各国に古くから存在する。
従って魔法以外の能力や恩寵に関する文献が残っている事が期待された。
「これはこれはソレイユ卿、此度はどの様なご用件でお越し頂いたのでしょうかな?」
聖職者の中でも身分の高い司教自らの出迎えは、王国軍北方司令官の肩書きをもつソレイユに相応しい応対である。
それに様々な権限を有する司教に今回の調査の目的を伝えられる事は、話が早くて都合もいい。
「なるほど瘴気の浄化ですか。確かに魔法でない能力というのは、神のご意志を感じますな。分かりました、そういう事ならご協力いたしましょう」
司教が愛想良く許可してくれた事にソレイユはホッとする。むろん貴重な文献を閲覧させて貰うのであるから、そこは抜かりなく多額の献金を用意してある。
ちなみに雑談の中でそれとなく伝説の恩寵について司教に訊ねてみたが、彼にもそれが事実かどうかは分からなかった。
大聖堂の最奥に厳重な結界で保護された書庫には、古い文献が大切に保管されていた。
その膨大な数に頭がくらくらする思いだが、ともかくその日からソレイユは文献探しに没頭する事となる。
彼の努力は四日目にしてようやく報われた。初めて『恩寵』についての具体的な事例と研究に関する文献を見つけたのだ。
しかしながら努力が報われた割にはソレイユの顔は暗い。それもそのはずで、せっかく見つけた文献には、彼の期待とは真逆な内容が記されていたのである。
(伝説は作り話じゃなかったか──)
その文献には『恩寵とは神の御心により根本的な犠牲を払わされた者が、その代償として与えられる異能』と記されていた。
(伝説とは違う事実を期待していたんだが、裏付けを取る結果になっちまった)
確認された恩寵の事例は数百年前にまで遡り、魔法原理の発展に比例してその数も減っている。
おそらく恩寵には魔法に酷似したものが多い事から、恩寵と認識されず魔法として誤解されたものが多かったせいだろう。
また恩寵は神により決められた異能ではなく、与えられた者の強い望みが異能として顕現するとも書いてあった。
(もしルーナの浄化能力が恩寵だとしたら、彼女自身が瘴気の浄化を強く望んでいたと言う訳か……だが、おそらく意識しての事ではないだろうな)
初めて異能が確認された時のルーナの精神状態は、きわめて危ういものだった。
父親の気持ちを知る為に父親と同じ様な正しい事をするのだという強迫観念が、たまたま強い望みとなり浄化というかたちで異能が顕現された事になる。
(しかしまだ神の御心とやらが、本当に勇者殿の事だとは限るまい……それがはっきりするまでは、ルーナの能力が恩寵だと決める訳にはいかん)
心の中ではルーナの能力はほぼ恩寵で間違いないと思っていたソレイユであったが、素直に認めたくはない。
父親の死と引き替えに得た異能をルーナが使っていたと知れば、彼女はその事実に悲鳴をあげるかもしれないのだ。
(この先ずっとルーナは父親の死を想いながら鍬を振り続けるなんて、考えただけでも残酷だ)
知ってしまえば今までの様にはもう無邪気に浄化能力を使えまい。彼女に待ち受ける心の苦しみを考えた時、浄化作業の中止とて有りうる決断となろう。
(だが中止の決断をルーナが素直に受け入れるだろうか?)
苦しみながらも被災地の為に能力を使い続けるルーナを思った時、ソレイユの心配は頂点へと達する。
思えばこの時、ソレイユは明らかに冷静ではなかった。頭の中はルーナへの心配で満たされて、どうか恩寵がルーナの父親の死の代償などでは無いようにと、ひたすらに願い続けている。
まるでその文献にルーナの運命を託してしまったかの様に──
ところでソレイユが一番懸念していた勇者と同じ突然死についての可能性だが、幸いにしてそういう不審な死を迎えた者についての記述は一切無かった。
どうやら恩寵は人の寿命に影響を与えるものではないらしい。
もしルーナの能力が恩寵であったとしても、そういう不幸な目にあう事はないのだとソレイユは心から安堵したようだ。
(あっ、あった!)
あと僅かなページを残すだけになった頃、ようやくその神の御心についての記述を見つけた。
『神の御心には世の理を越えた奇跡も数多あり──』
その神の御心という奇跡の類例が並べられている中には、『人からの勇者への転成』という文字が無情にも記されている。
(くそっ……これで決まったな)
睨み付けるようにその文字を見つめ続けるソレイユは、ゆっくりと瞼を閉じた。
その瞼の裏側にはルーナの姿が映っている事は言うまでもない。
「可哀想に……」
ぽつりと呟いたその一言が、厳粛な空気を漂わせる書庫にと響く。
やがて長く息を吐き出したソレイユは、再び文献へと目をやった。
最後まで余すところなく読みきって、ルーナの異能に対する不安要素が残ってはいないかを確かめるためだ。
ところがその目的を一瞬で忘れ去らせる様な一文が、ソレイユの目に飛び込んできたのである。
まさかと思い何度もそこに書かれた文字の綴りを確認するが、読み間違いではないようだ。
ソレイユはゴクリと生唾を飲み込んだ。
(人からの魔人への転成だと!?)
つまりこの一文は勇者と同様に魔人も元はただの人間で、神の御心により生まれた存在だという事を示している。
魔人災害が神の意志によるものである事は今更ではあるが、その魔人が元は人間であるという事実は衝撃であった。
(ウソだろ……)
これは余りにも惨い話だ。突然に人間が己の意思とは無関係に魔人となって人々を虐殺し、破壊の限りを尽くして大地を汚す。
その人間が人間であった時に愛した者も愛した場所も、何もかもをだ。
(あの時、俺が戦った魔人に人の心が残っていたようには思えない……だが)
人間を弄ぶかの様なこんな真似を、神とてしていいはずはないとソレイユは強い憤りを感じた。生まれて初めて神に憎しみを覚えたほどに。
しかし──人のままの勇者が自ら神の御心を証明できるのと違い、人非ざる者となった魔人にはその証明はできまい。
そう考えたソレイユであったが、それを証明する方法がある事に直ぐに気がつく。
魔人への転成によって根本的犠牲を払った者が居るならば、神の御心の代償として恩寵が与えられている者も居るはずだ。それが証明になるのではないだろうか?
そしてその根本的犠牲とは魔人災害での犠牲者の事ではなく、勇者と同様に魔人の近親者であると思われる。
(いや、無理矢理すぎるか……)
そもそも恩寵を与えられたその近親者の目の前で、魔人が転成しなければ成立しない仮説だ。
でなければ人非ざる魔人を自分の親しき者と結びつけて考えるなど、有り得る話ではない。仮に目の前で魔人となったならば、その場で近親者は殺されてしまうだろう。
訳が分からんと頭を振ったソレイユは、せめて魔人転成に関する状況証拠でも残っていればと思いかけ、そこで思考が停止した。
いやそうではない、茫然自失したと言った方が正しいかもしれない。
「状況証拠──」
そう呟いたソレイユの顔からは、急速に血の気が引いてゆくのがわかった。
(え、ちょっと待て!? まさかあの時のって……)
そのまま硬直してしまったソレイユの顔色が、蝋のような白へと変わっている。
(冗談じゃないぞ……)
ソレイユの姿はまるで、広い大聖堂の書庫に置かれた蝋人形のようにも見えた。
(正直お父さんのお墓参りはしたいんだけど……王宮には嫌な思い出が一杯あるし。どうしようかなあ)
父親は勇者として王宮の地下霊廟に眠っていた。なので墓参りとなれば当然王宮へと行かねばならない。
それ以外には特に王都へ行く用事もないルーナは、ソレイユへの返事をどうするか迷っていたのだ。
ソレイユがルーナに王都へ一緒に行かないかと誘った理由は墓参りの事もあるが、一番の目的はルーナの浄化能力についての調査である。
しかし必ずしも成果が得られるとは限らないので、一緒に行くかの判断はルーナに委されていた。
(それに二十日以上も留守にして浄化が遅れてしまうのも心配だなあ)
瘴気を浄化して喜ぶ被災地の人々の顔を思い浮かべたルーナは、「やっぱり無理っ!」と声に出し、今回の王都行きは断る事に決めた。
そんなわけでソレイユはいま一人で王都に来ている。やつれた顔に無精髭のその姿は実にむさ苦しい。いやむしろ中年男らしいとも言えようか。
五日の間、王立図書館に籠って謎の浄化と恩寵についての文献を調べ続けたのだが、それらしい記述のあるものは見つからなかった。その徒労感が一気に出たのであろう。
(はぁ、もう領地に帰ろうかなあ……)
などと弱音を吐いてみせたが、むろん帰るつもりは毛頭ない。とりあえず王都にある別邸へと戻り、少し休んだ後に身形を整えて、今度は大聖堂へと向かうつもりでいる。
大聖堂はここアンドラル王国のみならず、大陸の多くの国で広く信仰されている神の聖域だ。その様な信仰の場が各国に古くから存在する。
従って魔法以外の能力や恩寵に関する文献が残っている事が期待された。
「これはこれはソレイユ卿、此度はどの様なご用件でお越し頂いたのでしょうかな?」
聖職者の中でも身分の高い司教自らの出迎えは、王国軍北方司令官の肩書きをもつソレイユに相応しい応対である。
それに様々な権限を有する司教に今回の調査の目的を伝えられる事は、話が早くて都合もいい。
「なるほど瘴気の浄化ですか。確かに魔法でない能力というのは、神のご意志を感じますな。分かりました、そういう事ならご協力いたしましょう」
司教が愛想良く許可してくれた事にソレイユはホッとする。むろん貴重な文献を閲覧させて貰うのであるから、そこは抜かりなく多額の献金を用意してある。
ちなみに雑談の中でそれとなく伝説の恩寵について司教に訊ねてみたが、彼にもそれが事実かどうかは分からなかった。
大聖堂の最奥に厳重な結界で保護された書庫には、古い文献が大切に保管されていた。
その膨大な数に頭がくらくらする思いだが、ともかくその日からソレイユは文献探しに没頭する事となる。
彼の努力は四日目にしてようやく報われた。初めて『恩寵』についての具体的な事例と研究に関する文献を見つけたのだ。
しかしながら努力が報われた割にはソレイユの顔は暗い。それもそのはずで、せっかく見つけた文献には、彼の期待とは真逆な内容が記されていたのである。
(伝説は作り話じゃなかったか──)
その文献には『恩寵とは神の御心により根本的な犠牲を払わされた者が、その代償として与えられる異能』と記されていた。
(伝説とは違う事実を期待していたんだが、裏付けを取る結果になっちまった)
確認された恩寵の事例は数百年前にまで遡り、魔法原理の発展に比例してその数も減っている。
おそらく恩寵には魔法に酷似したものが多い事から、恩寵と認識されず魔法として誤解されたものが多かったせいだろう。
また恩寵は神により決められた異能ではなく、与えられた者の強い望みが異能として顕現するとも書いてあった。
(もしルーナの浄化能力が恩寵だとしたら、彼女自身が瘴気の浄化を強く望んでいたと言う訳か……だが、おそらく意識しての事ではないだろうな)
初めて異能が確認された時のルーナの精神状態は、きわめて危ういものだった。
父親の気持ちを知る為に父親と同じ様な正しい事をするのだという強迫観念が、たまたま強い望みとなり浄化というかたちで異能が顕現された事になる。
(しかしまだ神の御心とやらが、本当に勇者殿の事だとは限るまい……それがはっきりするまでは、ルーナの能力が恩寵だと決める訳にはいかん)
心の中ではルーナの能力はほぼ恩寵で間違いないと思っていたソレイユであったが、素直に認めたくはない。
父親の死と引き替えに得た異能をルーナが使っていたと知れば、彼女はその事実に悲鳴をあげるかもしれないのだ。
(この先ずっとルーナは父親の死を想いながら鍬を振り続けるなんて、考えただけでも残酷だ)
知ってしまえば今までの様にはもう無邪気に浄化能力を使えまい。彼女に待ち受ける心の苦しみを考えた時、浄化作業の中止とて有りうる決断となろう。
(だが中止の決断をルーナが素直に受け入れるだろうか?)
苦しみながらも被災地の為に能力を使い続けるルーナを思った時、ソレイユの心配は頂点へと達する。
思えばこの時、ソレイユは明らかに冷静ではなかった。頭の中はルーナへの心配で満たされて、どうか恩寵がルーナの父親の死の代償などでは無いようにと、ひたすらに願い続けている。
まるでその文献にルーナの運命を託してしまったかの様に──
ところでソレイユが一番懸念していた勇者と同じ突然死についての可能性だが、幸いにしてそういう不審な死を迎えた者についての記述は一切無かった。
どうやら恩寵は人の寿命に影響を与えるものではないらしい。
もしルーナの能力が恩寵であったとしても、そういう不幸な目にあう事はないのだとソレイユは心から安堵したようだ。
(あっ、あった!)
あと僅かなページを残すだけになった頃、ようやくその神の御心についての記述を見つけた。
『神の御心には世の理を越えた奇跡も数多あり──』
その神の御心という奇跡の類例が並べられている中には、『人からの勇者への転成』という文字が無情にも記されている。
(くそっ……これで決まったな)
睨み付けるようにその文字を見つめ続けるソレイユは、ゆっくりと瞼を閉じた。
その瞼の裏側にはルーナの姿が映っている事は言うまでもない。
「可哀想に……」
ぽつりと呟いたその一言が、厳粛な空気を漂わせる書庫にと響く。
やがて長く息を吐き出したソレイユは、再び文献へと目をやった。
最後まで余すところなく読みきって、ルーナの異能に対する不安要素が残ってはいないかを確かめるためだ。
ところがその目的を一瞬で忘れ去らせる様な一文が、ソレイユの目に飛び込んできたのである。
まさかと思い何度もそこに書かれた文字の綴りを確認するが、読み間違いではないようだ。
ソレイユはゴクリと生唾を飲み込んだ。
(人からの魔人への転成だと!?)
つまりこの一文は勇者と同様に魔人も元はただの人間で、神の御心により生まれた存在だという事を示している。
魔人災害が神の意志によるものである事は今更ではあるが、その魔人が元は人間であるという事実は衝撃であった。
(ウソだろ……)
これは余りにも惨い話だ。突然に人間が己の意思とは無関係に魔人となって人々を虐殺し、破壊の限りを尽くして大地を汚す。
その人間が人間であった時に愛した者も愛した場所も、何もかもをだ。
(あの時、俺が戦った魔人に人の心が残っていたようには思えない……だが)
人間を弄ぶかの様なこんな真似を、神とてしていいはずはないとソレイユは強い憤りを感じた。生まれて初めて神に憎しみを覚えたほどに。
しかし──人のままの勇者が自ら神の御心を証明できるのと違い、人非ざる者となった魔人にはその証明はできまい。
そう考えたソレイユであったが、それを証明する方法がある事に直ぐに気がつく。
魔人への転成によって根本的犠牲を払った者が居るならば、神の御心の代償として恩寵が与えられている者も居るはずだ。それが証明になるのではないだろうか?
そしてその根本的犠牲とは魔人災害での犠牲者の事ではなく、勇者と同様に魔人の近親者であると思われる。
(いや、無理矢理すぎるか……)
そもそも恩寵を与えられたその近親者の目の前で、魔人が転成しなければ成立しない仮説だ。
でなければ人非ざる魔人を自分の親しき者と結びつけて考えるなど、有り得る話ではない。仮に目の前で魔人となったならば、その場で近親者は殺されてしまうだろう。
訳が分からんと頭を振ったソレイユは、せめて魔人転成に関する状況証拠でも残っていればと思いかけ、そこで思考が停止した。
いやそうではない、茫然自失したと言った方が正しいかもしれない。
「状況証拠──」
そう呟いたソレイユの顔からは、急速に血の気が引いてゆくのがわかった。
(え、ちょっと待て!? まさかあの時のって……)
そのまま硬直してしまったソレイユの顔色が、蝋のような白へと変わっている。
(冗談じゃないぞ……)
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