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2,コンタクト
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2、コンタクト
カーテンから、光が射し込む。そのまぶしさに半目を開きつつあったが、耳元で鳴るアラームで完全に目を覚ました。時計は六時半を指している。
今日は、土曜日。しかし、受験生には平日も休日もない。今日も予備校で午前中の講座が一コマ、午後は自習する予定だ。
顔を洗いに、一階へ降りる。階段を降りて左が、家の玄関となっている。靴を履く父の背中があった。
「おはよう、父さん」
「おはよう、翔。随分早起きだな」
「父さんこそ」
父は靴ベラをS字フックにかけて、よいしょ、と立ち上がる。
「…仕事?」
「いや。今日は教え子の講演会なんだ。初舞台だからぜひ見に来てくれないかと声をかけてもらってね。少し、遠いけれど昼過ぎには戻るよ」
「そっか」
鏡の前で、多少白髪の混じった頭を気にする。本人にとっては、染めるか染めないかの瀬戸際らしい。
「そうそう。母さんは昨日、帰りが遅かったから、まだ寝かしといてやれよ」
「うん」
「あと、朝飯用意したからちゃんと食べろよ?」
「分かってるって」
こどもじゃないんだから、と俺が呟くと父は笑った。
「いつもの通り、お弁当は台所にあるから、ちゃんと予備校にもっていけよ」
ガチャリ、と玄関のドアが開かれる。
「行ってらっしゃい、父さん」
父はわざわざ振り返って、俺に手を振ってから出かけて行った。
父は、非常勤で大学の講師をしている。勤め先は鳴倫館大学ではないが、そこに張るぐらいの名門私立らしい。あまり、仕事について教えてもらったことはない。ただ、昔からとても難しい学問を研究しているのだけは知っていた。
母は、外務省に務めている。外交官、ということだけは知っている。国外出張が多く、家を空けがちだ。俺が高三になって以来、さらに多忙を極め、お互い顔を合わせない日々が続いている。小さいころは、父が在宅の仕事をしていたが、学会や講義などがあると1日家を空けることもあった。だから、学校から早く帰っても誰もいないことが度々あり、一人の生活が寂しく、憂鬱だった。でも、難解な学問を究め発表する父や、多言語を操り国と国との懸け橋になろうとしている母の姿を見ると自然と憧れといった思いが強まるのだった。それに多忙だからと言って、愛情を注いでもらわなかったわけではない。休みの日は絶対に、俺のために使ってくれた。自分が、社会人になる年齢に近づき始めた今、その点ではとても感謝している。受験についても協力的で、俺の目指す職業や夢にとても肯定的だった。
さて、予備校に行く準備をしよう。顔を洗い終わって、朝食を用意する。父が用意する朝食は常に栄養バランスが整っている。今日は洋風だったが、サンドイッチのハムとレタスの分量が同じくらいだったり、生野菜サラダがあると思ったらスープにウインナーが入っていたり…。受験の全力サポートをする、と意気込んだ父の顔が思い浮かぶ。
コーヒーを温めている間に、郵便受けの新聞を取りに行く。しかし、まだ新聞は入っていなかった。
手ぶらで家の中へ戻ると、テレビの音が聞こえてきた。母が起きたのだろうか。
「おはよう、母さん」
母はフランス出張から帰ったばかりだった。時差ぼけなのか、疲れなのか、何とか起きているといった様子だった。
「大丈夫?まだ、寝てればいいのに」
「あなたを見送ったらまた寝るわ」
湧かしたお湯のあまりでもう一杯コーヒーを淹れて、母の目の前に置いた。
「ありがとう、翔」
「いいよ、これぐらい。それより、久しぶりのパリはどうだった?」
そう、俺は母から出張先の国のことを聞くのが好きなのだ。母は、フランス語が流暢であることから、フランス出張が多い。
「そうね…今回の出張はスケジュールがタイトだったから、楽しむ余裕はなかったわ」
ふあぁ、と欠伸をする母は俺に朝ご飯を食べるよう促した。
「瞬華ちゃんと蓮斗君は元気?」
「勿論、変わりないよ」
齧ったサンドイッチのパンのからしマヨネーズの辛味が鼻につん、とくる。
顔をしかめた俺を見て、母は笑った。
「お父さん、最近はサンドイッチに凝ってるみたい。しばらくは続くと思うわよ。出張先に送ってきたメールにもそう書いてあった」
「写真添付アリ?」
「ええ」
常に大学生と関わっているからだろうか。父は、年齢の割にSNSを使う方だと思う。最近離れてきたようで、料理や風景の写真を投稿するのを日課にしている。
「あ。あがったわ」
母がSNSのページを俺に見せてくる。
『受験勉強を頑張る息子に幸あれ!父親特製朝食&弁当』というタイトルで俺が今食べているサンドイッチや、台所にある弁当の写真が投稿されていた。
「息子としてどう思う?」
「ちょっと…恥ずかしいかな」
「そうよねぇ」
と言いつつ、母は誰よりも早く いいね を押す。
「今日は講演会だって、教え子さんの」
「そうみたいね、ゼミで一番で成績のいい教え子だったとか…」
母は、マグカップに残ったコーヒーを一気に飲み干した。立ち上がってカップをシンクの方へ置く。
「ゼミって…父さん、教授だったこともあったの?」
「言ってなかったかしら。まあ、貴方が生まれる前の話よ」
「ふうん」
そろそろ、ちゃんと研究分野について聞いてみたい。難しいのは知っている。だが、もう理解できると思う。
「さすがに、試験日の三日前ともなると、ピリピリしてくる?」
「まあね」
母は海外の大学に進学したそうだ。だから、日本の入試制度について一ミリも知らなかった。ましてや、当時とはまた制度が変わっていたため、理解するのにだいぶ苦労した。
「約束したんだ、三人で合格するって…だから、最後まで頑張るよ」
「ええ。母さんも応援する」
母は私もなんか食べようかな、と冷蔵庫を漁りはじめた。ああでもないこうでもない、とおかずを出し入れする姿に癒されながらも俺は、早く予備校に行こうとサンドイッチを食べるスピードを速めるのだった。
俺は母に見送られ、最寄り駅へ歩いて行く。休日の静けさは、やけに張り詰めていた。寒さのせいだろうか。それとも、刻々と微々たる時間が過ぎて近づく受験日への緊張感だろうか。
「あ、メッセージだ」
『ごめん!ちょっと風邪気味なんだ。三日後の試験のこともあるから、大事をとって今日はお休みします…』
瞬華からのメッセージだった。彼女とは、行きの電車で合流してそのまま予備校に行っていて、遅れる場合や行けない場合は必ず連絡を入れる約束になっていた。
「マジか…電話してみるか」
すぐに彼女の番号をクリックし、電話をかける。彼女はすぐに出てくれた。
『もしもし、翔?』
電話口でも明らかに風邪をひいているのが分かるくらい、声が枯れているのが分かった。
『瞬華、大丈夫か?風邪って…』
『ごめんね、でも別にものすごく高熱が出てるとかじゃないから、明日には行けるよ!試験当日に行けなかったら意味がないからね…』
語尾が掠れて咳をしているため、俺は早く電話を切り上げることにした。
『分かった、蓮斗にも伝えておくから。お大事にな』
『ありがとう、予備校頑張ってね!』
勉強を根詰めすぎていたのだろうか。俺は蓮斗に瞬華が来ないことをメッセージで送る。
(昨日は、元気だったのに…心配だな)
一次試験は、追試験がある。もし当日に行けなくても医師からの診断書と正当な理由があれば受験は可能だ。
瞬華が明日には回復することを願いつつ、俺は道を急いだ。
いつものように改札を抜け、プラットホームへ。
ラッシュもなく、人気の少ないホームで電車を待つ。休日は電車の本数が少ない。
電車の到着まで時間があったので、英語の単語帳をながめていた。
何度も見た、同じページ。何度も間違えた英単語。付箋だらけの単語帳のページの端はいつの間にかボロボロになっていた。
でも、千切れてしまわないようにしっかり補修している。
視線の先から走ってきた電車がゆっくりスピードを落として、ホームへとたどり着いた。
ドアが開き、社内へ乗り込む。すると、偶然にも同じ車両に乗っていた加茂田先生と目が合った。
「おはよう、榛野君」
「加茂田先生…おはようございます!」
「随分早いねえ。まだ七時半だよ?」
「講座が始まるまで自習室に行きたかったんで…あれ?先生今日は、仕事じゃないんですか?」
いつものスーツ姿とは違い、ラフな格好の先生は笑って答える。
「今日は、大学へ行くんだ。都内在住の受験生は明日が一次試験受験日だからね。会場設営の手伝いさ」
俺の住む県と東京都は県営鉄道で行き来ができるため、加茂田先生は予備校へ行くにも大学に行くにもアクセスが良くて便利だと言っていた。
「そうか…もう受験日なんですね…」
先生の言う通り、一次試験の日程は東京都と他県とで違うのだ。交通網の整備が理由と言われている。勿論、情報漏洩を防ぐため、問題は別々である。
「ちなみに、明日は試験監督なのさ」
「そうなんですか!」
「入試センターも人手不足らしくてね。臨時バイトってやつさ」
大学は入試シーズンが始まると長期の休みに入る。入試センターは、学生でも試験監督が務まれば採用してもらえるらしい。
「四月まで大学も、講義がないからな…バイト三昧だな、当分は」
「先生は、海外留学とか旅行とかはしないんですか?」
「それも考えたけど、折角だから予備校で君達みたいに頑張る受験生をできるだけ応援したいんだ」
先生は、常に受験生の味方だ。学生チューターという立場なりに予備校生の模試の結果が良くても悪くても、しっかり努力する人間なら評価をしてくれる。そのせいか、周りの塾生からの信頼は本当に厚い。
「そうそう、榛野君の家は新聞をとっていたりするかな?とっているなら、読んだ方がいいよ。時事問題を参考に問題が作られることもあるんだ。直前、見返す参考書に迷ったら、新聞はお勧めだよ」
「そうなんですか…確かに、新聞の社説とかって相当文章力ある人が書いてますもんね」
「最近は、こうやってスマホでも見れるけど、電子機器は電源の切り忘れとかが怖いからな…」
先生はネットニュース派のようだ。そして、様々なジャンルのニュースをチェックしている。
「先生は、日本文学専攻でしたよね。理系の話にも興味があったりするんですか?」
「そうだね…理系学部の友人とも話す機会が多いから、たまに読むよ」
確かに、この先生の交友関係はとても広い。わざわざ、俺達を脳科学研究室へ案内してくれた時も、ラボメンバーと親しげに話しているのを見た。
「あ、そうそう。聞こうと思っていたことがあるんだ…」
「君は、『Time Traveler』を知っているかい?」
(え……)
「最近、SNSとかネットニュースで話題になってるから、現役高校生としての意見を聞いてみたくてね」
(あの時の会話に気づいていて、聞いて…?)
「あ、もしかして、SNS見ないようにしてる?通知とかうるさいし、受験生にとってはしつこいに限るよね」
「ま、まあ、もともと通知オフなんで…」
ナチュラルに、そのワードが口から出たため、俺はとても驚いた。急に饒舌になった先生は少し早口で語り始める。
「いやあ、塾の生徒にさぁ、『先生って実はTime Travelerですか?』なんて聞かれちゃってさ…全く
人聞きの悪いこと言うよね、ホント」
(否定…している?)
「でも、ありもしないことをネットに書き込んでこうやってまだ状況判断力に欠ける若年層を振り回すのって、俺好きじゃないからな…」
「先生は、嫌いなんですか?」
ふっ、と笑みをこぼす先生。
「俺?ああ、まあね。今までは、そんなに気にしてなかったけど、急に生徒たちの間でめちゃくちゃ話題になってたから、調べてみて…まあ、大した確証もないことをペラペラ語っちゃってさ…あ、ごめん。嫌味っぽくて」
「いや、大丈夫です」
少なくとも、先生はTime Travelerについて、否定的だ。あと、先日瞬華が『行事をもう一度やり直したい』と言っていることも先生の言った『若年層を振り回す』というのに合致している。
しかし相変わらず、的を得た発言が多く、俺はますます混乱した。
(なぜだ…先生の言葉の意図がつかめない…)
話しているうちに、電車は予備校の最寄り駅に入った。ゆっくり進む電車とは逆に早くついて止まってくれと願う自分がいる。電車が止まる直前に先生は、言った。
「でもね、一つだけ言えるのはさ、『一度消えれば、元に戻るモノはない』ってことだよ」
「……」
「時間だって、命だって…友情だって、消えてしまえば取り戻すのは困難でしょ?」
「はは、そうですね…」
(か、乾いた笑いしか出ない…)
ドアが開いた。俺は逃げるように、電車から降りる。
「勉強頑張ってね」
「ありがとうございます」
振り返ると、先生はいつもの笑顔だった。俺も、自然と口角が上がる。
電車は首都東京に向かっていく。代わるように差し込む、陽の光に照らされつつも、俺は加速する車窓の内側にある先生の笑顔をずっと見続けたのだった。
駅前の改札口には、すでに蓮斗が待っていた。
「翔、おはよう!なあ、瞬華ちゃんが風邪ってマジ?」
「ああ、ちょっとビックリしたけど」
スマートフォンをしまって俺は蓮斗と一緒に歩き出す。
「ちょっと心配だな…」
「瞬華ちゃんは、ずっと元気な印象が強いからな…急に休むと驚くよね」
そうだ俺もメッセージ送っておこう、と蓮斗はスマホのチャット画面を開いた。
駅の交差点を渡って並木道を歩く。車の通りは少なく、普段は人ごみと化すいつもの道もとても静かだった。
「あ、今日は学生チューターのほとんどがいないんだ」
蓮斗は、予備校のホームページのチューター掲示板を見ている。
「加茂田先生もいないなんて、珍しいね。いつもいるのに」
加茂田先生。ついさっきの会話が鮮明によみがえる。
「……」
「ん?翔、どうしたの」
「加茂田先生に電車の中で会ったんだ」
「え!何で?」
「入試センターのバイト?で会場設営に行くらしい」
「へー、じゃあ他の先生もそうなのかな」
ほら、とスマホの画面を見せてくる。そこには、いつもいる学生チューターの欄のほとんどに欠席という表示が出ていた。
「直前に学生さんがいないのはなんか寂しいなーでも…こんな朝早くから行くんだ、入試のバイトって」
「大変だよな」
普段、予備校の夕方のシフトに入る加茂田先生だ。あまり朝方のイメージはない。
先ほど、電車で感じた悪寒のような―加茂田先生のとげのある発言に対するぞくぞくする感じがまだ消えない。
(蓮斗には…言ってみるか)
もやもやした悩みは、変に思い詰めるより、相談した方がいい。蓮斗なら、解決策がなくても。ポジティブにとらえる人間なので相談する価値はある。
「なあ、蓮斗」
「ん?」
蓮斗は、スマホから俺の方へ視線を移す。しかし、その時だった。
「何?ってうわっ!」
蓮斗が後ろから走ってきた人にぶつかってしまった。おそらく、追い抜こうとしたところ、蓮斗の鞄をうまくよけられなかったのだろう。衝撃で、彼の鞄が落ちてしまった。しかし、ぶつかった本人は小声ですみません、と蓮斗に言って去って行ってしまった。
「…んだよ、あれ、感じ悪いな…蓮斗、大丈夫か」
「俺は、平気。鞄も無事だし」
鞄を拾って、ついてしまった砂利を払う。
せめて鞄を拾うとか、止まって挨拶するとか…と思ったが、蓮斗が大丈夫という手前、何も言わなかった。
(…ん、あれは……)
俺達の数歩先のあたりに紙切れが落ちていた。
「あれ?何だろう、この紙」
「ん?」
蓮斗はその紙切れを拾う。
「あの人が落としていったんだよね…多分」
「ああ」
「まあ、行っちゃったし…一応中身見てみよう」
個人情報だったら危ないから俺達で処分するか届けるかしよう、と蓮斗は紙を開いた。
「ん…これは…かなり行書体の文字だな…でもどこかで見たことがあるような」
「何だろう…『河』?っていう漢字はわかるけど」
片仮名と漢字交じりの文を蓮斗と俺で、解読を試みる。
「『河、ナカレ…』…?うーん…」
一つ一つの文字がつながっているようで、読みにくい。俺も蓮斗も書道はやったことがないので、この手の字体は苦手である。
「どうする?」
蓮斗は内容に見当がつかないようだ。しかし、俺は何となく見覚えがあった。
「うーん、とりあえず俺が持っておくか」
「まあ、取りに来るようなものでもなさそうだしな…翔がいいなら、持っていてもいいと思う」
俺は制服のポケットからスマホを出し、スマホケースの物入れに紙をしまった。
蓮斗は、左腕の腕時計を見る。
「あ、もう結構いい時間だ。行こう、翔」
「おう」
そろそろ予備校が開く時間らしい。周りを見渡すと、制服を着た人々が俺達と同じ方向に歩いていく。ほとんどが予備校生だろう。また歩き始めた蓮人とともに、俺は道を進んでいく。
(…うーん、何だっけな……)
『河』、『ナカレ』…どこかで見たことがある、そのワードが何なのか思い出そうとするも思い出せず、その紙はいつか捨てることにした。
いつも通り、講座が始まった。内容は昨日の続きだった。直前に失点を防ぐ文学史講座というネーミングにつられて、取った講座である。俺は今まで、何度も問題を解くことで、定着した古典の時代背景を、本講座でさらに理解することができたのだった。
朝の教室に、講師の声が響き渡る。
「そして…教科書でもユーモアある話として取り上げられることも多い、この作品は、平安時代貴族の社会を描いた随筆と前回、説明が途中で終わってしまったもの……それら三つを合わせて…三代随筆という……それでは、前回の説明をもう一度…」
(…前回の続きか、ノートのページは…と)
「この作品の冒頭は、特に、忘れられがちだ。知っている人は…それでいいが、実は知らなかった人のために、説明しておこう」
(何だっけかな…この、随筆は…鴨長明の……)
「ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず……最も、冒頭が入試に出ることはない。しかし、この冒頭こそ意味を成す。作者と時代背景を想像しながら覚えよう」
(ああ、そうだ。こういう冒頭だったな)
頭の片隅にはあったが、作者と内容が一致していなかった。自分の弱いポイントだと、思い、ノートにメモを残す。
その後も授業は続いた。講師は近世の説話集や、随筆・歴史書にも触れた。日本史ともつながっていることから、感慨深いと思いつつも、余韻に浸る余裕はあまりない。
文学史も、出題範囲だ。
(まあ、古典と日本史同時に覚えてラッキーだな…後で一問一答を見直そう…)
蓮斗は世界史受験。だから、日本史の知識には疎い。逆に世界史に疎い俺は彼と一緒に情報共有することがあった。お互いの教養のため、あるいは国際史の理解のために。俺は、一つの科目を集中してやるより、複数の分野と関連付けて学ぶのが好きなタイプだ。蓮斗も、そうらしい。
講座後、俺達はいつものように情報共有をしに行こうとした。
「ラウンジ行こうぜ、蓮斗」
「うん、ちょっと待って…」
蓮斗は何か探しているのか、鞄の中を漁っている。
「探し物か?」
「あ、うん。スマホが見当たらなくてさ」
「スマホ?」
「教室に来るまでは持ってたんだけどな…おかしいな…」
「俺のスマホから着信かけてみようか」
「うん、頼む」
OK、と俺は自分のスマホから電話をかけてみる。周囲に着信音が鳴ることはなかった。
「鳴らないな…」
「やっば…」
スマホには、ネットで願書提出した時の履歴が残っている。だから、個人情報が流出すればかなり危ない。
「どうしよう…すぐ開けるようにパスワード認証はずしてたんだった…最悪だ」
「落ち着けよ、何か方法があるはず」
焦りの表情を見せる蓮斗。俺は、発信以外でスマホを探す方法を考えた。
「位置情報とかは入ってたか?」
「入ってる。でも、探せるかな…」
「俺と同じ携帯会社だったよな?」
「うん」
「端末名分かるか?」
「うん、えっとね…KTM―8914」
同じ会社で、端末の名称が分かれば、俺のスマホから携帯会社の紛失物センターに連絡を入れることで、探せるかもしれない。位置情報がついていていれば、なおさら探しやすい。俺は、早速携帯会社に連絡を入れるとしばらくして
自動で、俺のスマホに端末検索のURLを添付したメールが送られてきた。そのページにとぶと、端末の位置検索の画面が現れた。蓮斗の端末名を入れてみる。
「ん…?」
「どうした、翔?もしかして見つからないとか…」
「いや、見つかったは見つかったけど…端末名、これで合ってるよな?」
「うん…」
俺は確かに、検索バーに『KTM―8914』を入力した。しかし、その位置を示すアイコンは、俺達のいるこの予備校の近辺を示していた。
「…あれ……このマーク、動いてない?」
「そうだな…」
ページの更新を何度もかけながら、俺と蓮斗はそのマークの動きを追った。何度目かの更新時、俺達はそのマークの向かう方向に気づき、驚いた。
「まさか…ここに向かっている…?」
不信感を覚え、もう一度アクセスを試みるも、マークの位置はさらに予備校に近づくばかりだった。
二人で顔を見合わせる。
「どうする」
「うーん…もしかして…受付に届いてたり…?あ、でも移動中だから、だれかが届けようとしているってこと?」
「…んな馬鹿な!あ…」
信じがたかった。しかし、俺は、予備校に着くまでの道中の出来事を思い出した。
「あのぶつかってきた人が…?」
「えぇ!まさか…あ!」
蓮斗はぶつかった時、スマホを手に持っていた。そのことに気づいたのか、彼は自分の過失にがっくりと肩を落とした。
「うわ…突然のことで気づかなかった…マジで馬鹿だ…」
「いや、待てよ…他の人が届けたって可能性は…」
「確かに…」
スマホを確認してみると、蓮人のスマホはほぼ予備校と同じ位置にあった。
「とりあえず、受付だ。一階に行こう」
俺と蓮斗は鞄をつかんで、階段を駆け下りた。
受付は一階のロビーにある。行ってみると、講座と講座の間のため、生徒の出入りが多く、ごった返していた。
「受付には来ている人はいなそうだな…もう行っちゃったかな」
「聞いてみよう」
そもそも、予備校に届けられたかもわからないのでは、とも思った。しかし、可能性の高いところからあたるしかない。
俺達は他の生徒をかき分け、受付まで何とかたどり着く。
「あの、すみません!」
「さっき…スマホを届けた人、いませんでしたか?」
受付の職員は、突然そう尋ねた俺達に驚いたが、ええ、いましたよ と言って一台のスマホを取り出す。
「…俺のスマホだ!」
「マジか!」
早速蓮斗は画面や、その中の機能を確認する。
「何時頃届けられました?」
「ついさっきですよ…ああ、でもなんだか不愛想な方で…これだけ置いて持ち主が取りに来たら届けてくれと」
俺と蓮斗は再び顔を見合わせる。
「あの人かな…」
「分からない…あ、蓮斗、個人情報とかは大丈夫そうか?」
「見た感じ大丈夫そうだよ。電話帳もアプリも無事。受験票とかもね」
なぜ、予備校に届けられたのか謎が残るが、とりあえずスマホが取り戻せたので受付にお礼を言って、俺達は同じフロアにあるラウンジに向かった。
「はい、黒缶」
「サンキューな」
蓮斗が自販機で買ったコーヒーをテーブルにおいてくれる。
「ありがとな、スマホ探してくれて。ちゃんと戻ってきたからよかったよ」
「おう」
俺は、缶コーヒーを飲みながら考えを巡らせていた。
「しかし、今日はいろいろなことがあるなぁ。特に俺だけど…」
はは、と苦笑いをする蓮斗。朝から人にぶつかられたり、スマホを紛失したりと忙しい。
(…何で蓮斗はスマホがなくなったことに気づかなかったのか…?直前まで持っていたのに…そんなにボーっとした奴じゃねえけど…)
「…翔、大丈夫?」
「え、ああ。ちょっと考え事だよ」
(……最近なんか疑心暗鬼だな…いけない、いけない)
「本当に良かったな、スマホ」
「本当だよ!一次試験の三日前に受験票なくすなんて洒落にならないからね」
「お前ももう少し気をつけろよ」
「そうだね、はは。ごめんごめん…」
結果笑い話で終わった。その後はいつも通り、二人で時折会話をはさみながら勉強していた。一次試験が迫る中、根詰めないように工夫をする。午後からはまた一人で頑張らなければ。
………………………………………………………………………………………………………………………
「…………ほうほう」
青年は、数台のパソコン画面を同時に操り、世界に情報発信をする。
「おい、『TT』。依頼だぞ」
彼は、椅子のキャスターを使って机に突っ伏して眠るフードをかぶった人物にどつく。
「…ん?」
「依頼。何とかしろ」
「冷やかしは御免だよ」
「この文面が冷やかしに見えるかよ」
既にスマホに転送した依頼の文面を眼前に押し付ける。
「なあ、『代理人』、依頼主って…」
「ああ、多分『ヤツ』だ」
「そうだねえ…思ったより早くないかい」
「お前が時空を弄りすぎだろ。自業自得だ」
間髪入れずに会話を続け、ブルーライトに照らされながらタイピングを止めない。
「…まあ、ちょうど俺も色々やってきたところだ。これはビジネスだ。『TT』、あんたには期待してる」
「今のところ『ヤツ』からしたら、君の印象最悪だよ。だって君が」
「べらべら喋ってねえで、仕事しやがれ。俺はあくまで『代理人』だ。お前さんの〈領域〉には直接手は下さない」
「そうだねえ……ふふっ面白そうだから、俺もメッセージ送ろうかな」
フードをとってノートPCを開き、同期された情報をもとにメッセージフォームを立ち上げる。
「連名にしちゃおうかな…えぇと…『MADO・GA』さん、『REN』さん、『SG×RUN』さん、あ…!この人は実名だ~」
「実名で来るとはな。驚いたぞ」
「加茂田澄明」
『TT』と『代理人』はそれぞれ、不敵な笑みを浮かべるのだった。
カーテンから、光が射し込む。そのまぶしさに半目を開きつつあったが、耳元で鳴るアラームで完全に目を覚ました。時計は六時半を指している。
今日は、土曜日。しかし、受験生には平日も休日もない。今日も予備校で午前中の講座が一コマ、午後は自習する予定だ。
顔を洗いに、一階へ降りる。階段を降りて左が、家の玄関となっている。靴を履く父の背中があった。
「おはよう、父さん」
「おはよう、翔。随分早起きだな」
「父さんこそ」
父は靴ベラをS字フックにかけて、よいしょ、と立ち上がる。
「…仕事?」
「いや。今日は教え子の講演会なんだ。初舞台だからぜひ見に来てくれないかと声をかけてもらってね。少し、遠いけれど昼過ぎには戻るよ」
「そっか」
鏡の前で、多少白髪の混じった頭を気にする。本人にとっては、染めるか染めないかの瀬戸際らしい。
「そうそう。母さんは昨日、帰りが遅かったから、まだ寝かしといてやれよ」
「うん」
「あと、朝飯用意したからちゃんと食べろよ?」
「分かってるって」
こどもじゃないんだから、と俺が呟くと父は笑った。
「いつもの通り、お弁当は台所にあるから、ちゃんと予備校にもっていけよ」
ガチャリ、と玄関のドアが開かれる。
「行ってらっしゃい、父さん」
父はわざわざ振り返って、俺に手を振ってから出かけて行った。
父は、非常勤で大学の講師をしている。勤め先は鳴倫館大学ではないが、そこに張るぐらいの名門私立らしい。あまり、仕事について教えてもらったことはない。ただ、昔からとても難しい学問を研究しているのだけは知っていた。
母は、外務省に務めている。外交官、ということだけは知っている。国外出張が多く、家を空けがちだ。俺が高三になって以来、さらに多忙を極め、お互い顔を合わせない日々が続いている。小さいころは、父が在宅の仕事をしていたが、学会や講義などがあると1日家を空けることもあった。だから、学校から早く帰っても誰もいないことが度々あり、一人の生活が寂しく、憂鬱だった。でも、難解な学問を究め発表する父や、多言語を操り国と国との懸け橋になろうとしている母の姿を見ると自然と憧れといった思いが強まるのだった。それに多忙だからと言って、愛情を注いでもらわなかったわけではない。休みの日は絶対に、俺のために使ってくれた。自分が、社会人になる年齢に近づき始めた今、その点ではとても感謝している。受験についても協力的で、俺の目指す職業や夢にとても肯定的だった。
さて、予備校に行く準備をしよう。顔を洗い終わって、朝食を用意する。父が用意する朝食は常に栄養バランスが整っている。今日は洋風だったが、サンドイッチのハムとレタスの分量が同じくらいだったり、生野菜サラダがあると思ったらスープにウインナーが入っていたり…。受験の全力サポートをする、と意気込んだ父の顔が思い浮かぶ。
コーヒーを温めている間に、郵便受けの新聞を取りに行く。しかし、まだ新聞は入っていなかった。
手ぶらで家の中へ戻ると、テレビの音が聞こえてきた。母が起きたのだろうか。
「おはよう、母さん」
母はフランス出張から帰ったばかりだった。時差ぼけなのか、疲れなのか、何とか起きているといった様子だった。
「大丈夫?まだ、寝てればいいのに」
「あなたを見送ったらまた寝るわ」
湧かしたお湯のあまりでもう一杯コーヒーを淹れて、母の目の前に置いた。
「ありがとう、翔」
「いいよ、これぐらい。それより、久しぶりのパリはどうだった?」
そう、俺は母から出張先の国のことを聞くのが好きなのだ。母は、フランス語が流暢であることから、フランス出張が多い。
「そうね…今回の出張はスケジュールがタイトだったから、楽しむ余裕はなかったわ」
ふあぁ、と欠伸をする母は俺に朝ご飯を食べるよう促した。
「瞬華ちゃんと蓮斗君は元気?」
「勿論、変わりないよ」
齧ったサンドイッチのパンのからしマヨネーズの辛味が鼻につん、とくる。
顔をしかめた俺を見て、母は笑った。
「お父さん、最近はサンドイッチに凝ってるみたい。しばらくは続くと思うわよ。出張先に送ってきたメールにもそう書いてあった」
「写真添付アリ?」
「ええ」
常に大学生と関わっているからだろうか。父は、年齢の割にSNSを使う方だと思う。最近離れてきたようで、料理や風景の写真を投稿するのを日課にしている。
「あ。あがったわ」
母がSNSのページを俺に見せてくる。
『受験勉強を頑張る息子に幸あれ!父親特製朝食&弁当』というタイトルで俺が今食べているサンドイッチや、台所にある弁当の写真が投稿されていた。
「息子としてどう思う?」
「ちょっと…恥ずかしいかな」
「そうよねぇ」
と言いつつ、母は誰よりも早く いいね を押す。
「今日は講演会だって、教え子さんの」
「そうみたいね、ゼミで一番で成績のいい教え子だったとか…」
母は、マグカップに残ったコーヒーを一気に飲み干した。立ち上がってカップをシンクの方へ置く。
「ゼミって…父さん、教授だったこともあったの?」
「言ってなかったかしら。まあ、貴方が生まれる前の話よ」
「ふうん」
そろそろ、ちゃんと研究分野について聞いてみたい。難しいのは知っている。だが、もう理解できると思う。
「さすがに、試験日の三日前ともなると、ピリピリしてくる?」
「まあね」
母は海外の大学に進学したそうだ。だから、日本の入試制度について一ミリも知らなかった。ましてや、当時とはまた制度が変わっていたため、理解するのにだいぶ苦労した。
「約束したんだ、三人で合格するって…だから、最後まで頑張るよ」
「ええ。母さんも応援する」
母は私もなんか食べようかな、と冷蔵庫を漁りはじめた。ああでもないこうでもない、とおかずを出し入れする姿に癒されながらも俺は、早く予備校に行こうとサンドイッチを食べるスピードを速めるのだった。
俺は母に見送られ、最寄り駅へ歩いて行く。休日の静けさは、やけに張り詰めていた。寒さのせいだろうか。それとも、刻々と微々たる時間が過ぎて近づく受験日への緊張感だろうか。
「あ、メッセージだ」
『ごめん!ちょっと風邪気味なんだ。三日後の試験のこともあるから、大事をとって今日はお休みします…』
瞬華からのメッセージだった。彼女とは、行きの電車で合流してそのまま予備校に行っていて、遅れる場合や行けない場合は必ず連絡を入れる約束になっていた。
「マジか…電話してみるか」
すぐに彼女の番号をクリックし、電話をかける。彼女はすぐに出てくれた。
『もしもし、翔?』
電話口でも明らかに風邪をひいているのが分かるくらい、声が枯れているのが分かった。
『瞬華、大丈夫か?風邪って…』
『ごめんね、でも別にものすごく高熱が出てるとかじゃないから、明日には行けるよ!試験当日に行けなかったら意味がないからね…』
語尾が掠れて咳をしているため、俺は早く電話を切り上げることにした。
『分かった、蓮斗にも伝えておくから。お大事にな』
『ありがとう、予備校頑張ってね!』
勉強を根詰めすぎていたのだろうか。俺は蓮斗に瞬華が来ないことをメッセージで送る。
(昨日は、元気だったのに…心配だな)
一次試験は、追試験がある。もし当日に行けなくても医師からの診断書と正当な理由があれば受験は可能だ。
瞬華が明日には回復することを願いつつ、俺は道を急いだ。
いつものように改札を抜け、プラットホームへ。
ラッシュもなく、人気の少ないホームで電車を待つ。休日は電車の本数が少ない。
電車の到着まで時間があったので、英語の単語帳をながめていた。
何度も見た、同じページ。何度も間違えた英単語。付箋だらけの単語帳のページの端はいつの間にかボロボロになっていた。
でも、千切れてしまわないようにしっかり補修している。
視線の先から走ってきた電車がゆっくりスピードを落として、ホームへとたどり着いた。
ドアが開き、社内へ乗り込む。すると、偶然にも同じ車両に乗っていた加茂田先生と目が合った。
「おはよう、榛野君」
「加茂田先生…おはようございます!」
「随分早いねえ。まだ七時半だよ?」
「講座が始まるまで自習室に行きたかったんで…あれ?先生今日は、仕事じゃないんですか?」
いつものスーツ姿とは違い、ラフな格好の先生は笑って答える。
「今日は、大学へ行くんだ。都内在住の受験生は明日が一次試験受験日だからね。会場設営の手伝いさ」
俺の住む県と東京都は県営鉄道で行き来ができるため、加茂田先生は予備校へ行くにも大学に行くにもアクセスが良くて便利だと言っていた。
「そうか…もう受験日なんですね…」
先生の言う通り、一次試験の日程は東京都と他県とで違うのだ。交通網の整備が理由と言われている。勿論、情報漏洩を防ぐため、問題は別々である。
「ちなみに、明日は試験監督なのさ」
「そうなんですか!」
「入試センターも人手不足らしくてね。臨時バイトってやつさ」
大学は入試シーズンが始まると長期の休みに入る。入試センターは、学生でも試験監督が務まれば採用してもらえるらしい。
「四月まで大学も、講義がないからな…バイト三昧だな、当分は」
「先生は、海外留学とか旅行とかはしないんですか?」
「それも考えたけど、折角だから予備校で君達みたいに頑張る受験生をできるだけ応援したいんだ」
先生は、常に受験生の味方だ。学生チューターという立場なりに予備校生の模試の結果が良くても悪くても、しっかり努力する人間なら評価をしてくれる。そのせいか、周りの塾生からの信頼は本当に厚い。
「そうそう、榛野君の家は新聞をとっていたりするかな?とっているなら、読んだ方がいいよ。時事問題を参考に問題が作られることもあるんだ。直前、見返す参考書に迷ったら、新聞はお勧めだよ」
「そうなんですか…確かに、新聞の社説とかって相当文章力ある人が書いてますもんね」
「最近は、こうやってスマホでも見れるけど、電子機器は電源の切り忘れとかが怖いからな…」
先生はネットニュース派のようだ。そして、様々なジャンルのニュースをチェックしている。
「先生は、日本文学専攻でしたよね。理系の話にも興味があったりするんですか?」
「そうだね…理系学部の友人とも話す機会が多いから、たまに読むよ」
確かに、この先生の交友関係はとても広い。わざわざ、俺達を脳科学研究室へ案内してくれた時も、ラボメンバーと親しげに話しているのを見た。
「あ、そうそう。聞こうと思っていたことがあるんだ…」
「君は、『Time Traveler』を知っているかい?」
(え……)
「最近、SNSとかネットニュースで話題になってるから、現役高校生としての意見を聞いてみたくてね」
(あの時の会話に気づいていて、聞いて…?)
「あ、もしかして、SNS見ないようにしてる?通知とかうるさいし、受験生にとってはしつこいに限るよね」
「ま、まあ、もともと通知オフなんで…」
ナチュラルに、そのワードが口から出たため、俺はとても驚いた。急に饒舌になった先生は少し早口で語り始める。
「いやあ、塾の生徒にさぁ、『先生って実はTime Travelerですか?』なんて聞かれちゃってさ…全く
人聞きの悪いこと言うよね、ホント」
(否定…している?)
「でも、ありもしないことをネットに書き込んでこうやってまだ状況判断力に欠ける若年層を振り回すのって、俺好きじゃないからな…」
「先生は、嫌いなんですか?」
ふっ、と笑みをこぼす先生。
「俺?ああ、まあね。今までは、そんなに気にしてなかったけど、急に生徒たちの間でめちゃくちゃ話題になってたから、調べてみて…まあ、大した確証もないことをペラペラ語っちゃってさ…あ、ごめん。嫌味っぽくて」
「いや、大丈夫です」
少なくとも、先生はTime Travelerについて、否定的だ。あと、先日瞬華が『行事をもう一度やり直したい』と言っていることも先生の言った『若年層を振り回す』というのに合致している。
しかし相変わらず、的を得た発言が多く、俺はますます混乱した。
(なぜだ…先生の言葉の意図がつかめない…)
話しているうちに、電車は予備校の最寄り駅に入った。ゆっくり進む電車とは逆に早くついて止まってくれと願う自分がいる。電車が止まる直前に先生は、言った。
「でもね、一つだけ言えるのはさ、『一度消えれば、元に戻るモノはない』ってことだよ」
「……」
「時間だって、命だって…友情だって、消えてしまえば取り戻すのは困難でしょ?」
「はは、そうですね…」
(か、乾いた笑いしか出ない…)
ドアが開いた。俺は逃げるように、電車から降りる。
「勉強頑張ってね」
「ありがとうございます」
振り返ると、先生はいつもの笑顔だった。俺も、自然と口角が上がる。
電車は首都東京に向かっていく。代わるように差し込む、陽の光に照らされつつも、俺は加速する車窓の内側にある先生の笑顔をずっと見続けたのだった。
駅前の改札口には、すでに蓮斗が待っていた。
「翔、おはよう!なあ、瞬華ちゃんが風邪ってマジ?」
「ああ、ちょっとビックリしたけど」
スマートフォンをしまって俺は蓮斗と一緒に歩き出す。
「ちょっと心配だな…」
「瞬華ちゃんは、ずっと元気な印象が強いからな…急に休むと驚くよね」
そうだ俺もメッセージ送っておこう、と蓮斗はスマホのチャット画面を開いた。
駅の交差点を渡って並木道を歩く。車の通りは少なく、普段は人ごみと化すいつもの道もとても静かだった。
「あ、今日は学生チューターのほとんどがいないんだ」
蓮斗は、予備校のホームページのチューター掲示板を見ている。
「加茂田先生もいないなんて、珍しいね。いつもいるのに」
加茂田先生。ついさっきの会話が鮮明によみがえる。
「……」
「ん?翔、どうしたの」
「加茂田先生に電車の中で会ったんだ」
「え!何で?」
「入試センターのバイト?で会場設営に行くらしい」
「へー、じゃあ他の先生もそうなのかな」
ほら、とスマホの画面を見せてくる。そこには、いつもいる学生チューターの欄のほとんどに欠席という表示が出ていた。
「直前に学生さんがいないのはなんか寂しいなーでも…こんな朝早くから行くんだ、入試のバイトって」
「大変だよな」
普段、予備校の夕方のシフトに入る加茂田先生だ。あまり朝方のイメージはない。
先ほど、電車で感じた悪寒のような―加茂田先生のとげのある発言に対するぞくぞくする感じがまだ消えない。
(蓮斗には…言ってみるか)
もやもやした悩みは、変に思い詰めるより、相談した方がいい。蓮斗なら、解決策がなくても。ポジティブにとらえる人間なので相談する価値はある。
「なあ、蓮斗」
「ん?」
蓮斗は、スマホから俺の方へ視線を移す。しかし、その時だった。
「何?ってうわっ!」
蓮斗が後ろから走ってきた人にぶつかってしまった。おそらく、追い抜こうとしたところ、蓮斗の鞄をうまくよけられなかったのだろう。衝撃で、彼の鞄が落ちてしまった。しかし、ぶつかった本人は小声ですみません、と蓮斗に言って去って行ってしまった。
「…んだよ、あれ、感じ悪いな…蓮斗、大丈夫か」
「俺は、平気。鞄も無事だし」
鞄を拾って、ついてしまった砂利を払う。
せめて鞄を拾うとか、止まって挨拶するとか…と思ったが、蓮斗が大丈夫という手前、何も言わなかった。
(…ん、あれは……)
俺達の数歩先のあたりに紙切れが落ちていた。
「あれ?何だろう、この紙」
「ん?」
蓮斗はその紙切れを拾う。
「あの人が落としていったんだよね…多分」
「ああ」
「まあ、行っちゃったし…一応中身見てみよう」
個人情報だったら危ないから俺達で処分するか届けるかしよう、と蓮斗は紙を開いた。
「ん…これは…かなり行書体の文字だな…でもどこかで見たことがあるような」
「何だろう…『河』?っていう漢字はわかるけど」
片仮名と漢字交じりの文を蓮斗と俺で、解読を試みる。
「『河、ナカレ…』…?うーん…」
一つ一つの文字がつながっているようで、読みにくい。俺も蓮斗も書道はやったことがないので、この手の字体は苦手である。
「どうする?」
蓮斗は内容に見当がつかないようだ。しかし、俺は何となく見覚えがあった。
「うーん、とりあえず俺が持っておくか」
「まあ、取りに来るようなものでもなさそうだしな…翔がいいなら、持っていてもいいと思う」
俺は制服のポケットからスマホを出し、スマホケースの物入れに紙をしまった。
蓮斗は、左腕の腕時計を見る。
「あ、もう結構いい時間だ。行こう、翔」
「おう」
そろそろ予備校が開く時間らしい。周りを見渡すと、制服を着た人々が俺達と同じ方向に歩いていく。ほとんどが予備校生だろう。また歩き始めた蓮人とともに、俺は道を進んでいく。
(…うーん、何だっけな……)
『河』、『ナカレ』…どこかで見たことがある、そのワードが何なのか思い出そうとするも思い出せず、その紙はいつか捨てることにした。
いつも通り、講座が始まった。内容は昨日の続きだった。直前に失点を防ぐ文学史講座というネーミングにつられて、取った講座である。俺は今まで、何度も問題を解くことで、定着した古典の時代背景を、本講座でさらに理解することができたのだった。
朝の教室に、講師の声が響き渡る。
「そして…教科書でもユーモアある話として取り上げられることも多い、この作品は、平安時代貴族の社会を描いた随筆と前回、説明が途中で終わってしまったもの……それら三つを合わせて…三代随筆という……それでは、前回の説明をもう一度…」
(…前回の続きか、ノートのページは…と)
「この作品の冒頭は、特に、忘れられがちだ。知っている人は…それでいいが、実は知らなかった人のために、説明しておこう」
(何だっけかな…この、随筆は…鴨長明の……)
「ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず……最も、冒頭が入試に出ることはない。しかし、この冒頭こそ意味を成す。作者と時代背景を想像しながら覚えよう」
(ああ、そうだ。こういう冒頭だったな)
頭の片隅にはあったが、作者と内容が一致していなかった。自分の弱いポイントだと、思い、ノートにメモを残す。
その後も授業は続いた。講師は近世の説話集や、随筆・歴史書にも触れた。日本史ともつながっていることから、感慨深いと思いつつも、余韻に浸る余裕はあまりない。
文学史も、出題範囲だ。
(まあ、古典と日本史同時に覚えてラッキーだな…後で一問一答を見直そう…)
蓮斗は世界史受験。だから、日本史の知識には疎い。逆に世界史に疎い俺は彼と一緒に情報共有することがあった。お互いの教養のため、あるいは国際史の理解のために。俺は、一つの科目を集中してやるより、複数の分野と関連付けて学ぶのが好きなタイプだ。蓮斗も、そうらしい。
講座後、俺達はいつものように情報共有をしに行こうとした。
「ラウンジ行こうぜ、蓮斗」
「うん、ちょっと待って…」
蓮斗は何か探しているのか、鞄の中を漁っている。
「探し物か?」
「あ、うん。スマホが見当たらなくてさ」
「スマホ?」
「教室に来るまでは持ってたんだけどな…おかしいな…」
「俺のスマホから着信かけてみようか」
「うん、頼む」
OK、と俺は自分のスマホから電話をかけてみる。周囲に着信音が鳴ることはなかった。
「鳴らないな…」
「やっば…」
スマホには、ネットで願書提出した時の履歴が残っている。だから、個人情報が流出すればかなり危ない。
「どうしよう…すぐ開けるようにパスワード認証はずしてたんだった…最悪だ」
「落ち着けよ、何か方法があるはず」
焦りの表情を見せる蓮斗。俺は、発信以外でスマホを探す方法を考えた。
「位置情報とかは入ってたか?」
「入ってる。でも、探せるかな…」
「俺と同じ携帯会社だったよな?」
「うん」
「端末名分かるか?」
「うん、えっとね…KTM―8914」
同じ会社で、端末の名称が分かれば、俺のスマホから携帯会社の紛失物センターに連絡を入れることで、探せるかもしれない。位置情報がついていていれば、なおさら探しやすい。俺は、早速携帯会社に連絡を入れるとしばらくして
自動で、俺のスマホに端末検索のURLを添付したメールが送られてきた。そのページにとぶと、端末の位置検索の画面が現れた。蓮斗の端末名を入れてみる。
「ん…?」
「どうした、翔?もしかして見つからないとか…」
「いや、見つかったは見つかったけど…端末名、これで合ってるよな?」
「うん…」
俺は確かに、検索バーに『KTM―8914』を入力した。しかし、その位置を示すアイコンは、俺達のいるこの予備校の近辺を示していた。
「…あれ……このマーク、動いてない?」
「そうだな…」
ページの更新を何度もかけながら、俺と蓮斗はそのマークの動きを追った。何度目かの更新時、俺達はそのマークの向かう方向に気づき、驚いた。
「まさか…ここに向かっている…?」
不信感を覚え、もう一度アクセスを試みるも、マークの位置はさらに予備校に近づくばかりだった。
二人で顔を見合わせる。
「どうする」
「うーん…もしかして…受付に届いてたり…?あ、でも移動中だから、だれかが届けようとしているってこと?」
「…んな馬鹿な!あ…」
信じがたかった。しかし、俺は、予備校に着くまでの道中の出来事を思い出した。
「あのぶつかってきた人が…?」
「えぇ!まさか…あ!」
蓮斗はぶつかった時、スマホを手に持っていた。そのことに気づいたのか、彼は自分の過失にがっくりと肩を落とした。
「うわ…突然のことで気づかなかった…マジで馬鹿だ…」
「いや、待てよ…他の人が届けたって可能性は…」
「確かに…」
スマホを確認してみると、蓮人のスマホはほぼ予備校と同じ位置にあった。
「とりあえず、受付だ。一階に行こう」
俺と蓮斗は鞄をつかんで、階段を駆け下りた。
受付は一階のロビーにある。行ってみると、講座と講座の間のため、生徒の出入りが多く、ごった返していた。
「受付には来ている人はいなそうだな…もう行っちゃったかな」
「聞いてみよう」
そもそも、予備校に届けられたかもわからないのでは、とも思った。しかし、可能性の高いところからあたるしかない。
俺達は他の生徒をかき分け、受付まで何とかたどり着く。
「あの、すみません!」
「さっき…スマホを届けた人、いませんでしたか?」
受付の職員は、突然そう尋ねた俺達に驚いたが、ええ、いましたよ と言って一台のスマホを取り出す。
「…俺のスマホだ!」
「マジか!」
早速蓮斗は画面や、その中の機能を確認する。
「何時頃届けられました?」
「ついさっきですよ…ああ、でもなんだか不愛想な方で…これだけ置いて持ち主が取りに来たら届けてくれと」
俺と蓮斗は再び顔を見合わせる。
「あの人かな…」
「分からない…あ、蓮斗、個人情報とかは大丈夫そうか?」
「見た感じ大丈夫そうだよ。電話帳もアプリも無事。受験票とかもね」
なぜ、予備校に届けられたのか謎が残るが、とりあえずスマホが取り戻せたので受付にお礼を言って、俺達は同じフロアにあるラウンジに向かった。
「はい、黒缶」
「サンキューな」
蓮斗が自販機で買ったコーヒーをテーブルにおいてくれる。
「ありがとな、スマホ探してくれて。ちゃんと戻ってきたからよかったよ」
「おう」
俺は、缶コーヒーを飲みながら考えを巡らせていた。
「しかし、今日はいろいろなことがあるなぁ。特に俺だけど…」
はは、と苦笑いをする蓮斗。朝から人にぶつかられたり、スマホを紛失したりと忙しい。
(…何で蓮斗はスマホがなくなったことに気づかなかったのか…?直前まで持っていたのに…そんなにボーっとした奴じゃねえけど…)
「…翔、大丈夫?」
「え、ああ。ちょっと考え事だよ」
(……最近なんか疑心暗鬼だな…いけない、いけない)
「本当に良かったな、スマホ」
「本当だよ!一次試験の三日前に受験票なくすなんて洒落にならないからね」
「お前ももう少し気をつけろよ」
「そうだね、はは。ごめんごめん…」
結果笑い話で終わった。その後はいつも通り、二人で時折会話をはさみながら勉強していた。一次試験が迫る中、根詰めないように工夫をする。午後からはまた一人で頑張らなければ。
………………………………………………………………………………………………………………………
「…………ほうほう」
青年は、数台のパソコン画面を同時に操り、世界に情報発信をする。
「おい、『TT』。依頼だぞ」
彼は、椅子のキャスターを使って机に突っ伏して眠るフードをかぶった人物にどつく。
「…ん?」
「依頼。何とかしろ」
「冷やかしは御免だよ」
「この文面が冷やかしに見えるかよ」
既にスマホに転送した依頼の文面を眼前に押し付ける。
「なあ、『代理人』、依頼主って…」
「ああ、多分『ヤツ』だ」
「そうだねえ…思ったより早くないかい」
「お前が時空を弄りすぎだろ。自業自得だ」
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