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第四章 三つの世界の謎

真相

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 目の前を、いくつもの景色が通り過ぎていく。様々に色を変える季節の中で、まだそこここに幼さを残した少年が、ぼんやりと立ち尽くしている。
 あれは、元の世界の自分だ。
 リオは、それぞれの場面での自分を、まるで映画の登場人物を見ているように、外側から眺めている。
 人は、絶体絶命の時、走馬灯のように、人生を振り返るという。とうとう、自分は死んでしまったのだ。獣の鋭い牙は、無残に少年の生をかみ砕いた。救いなのは、痛みを全く感じなかった事だ。恐怖も極限まで達すると、却って人間は開き直るのかもしれない。もう後はなるようにしかならない。京も殺されてしまったのなら、きっとまた天国で会えるはずだ。
 それなのに。
「君は死んでなんかないよ。いい加減さっさと起きたらどう」
 誰かが、ぴたぴたと頬をたたく。目を開けると、そこには沙蘭がいて星を巻き散らしたようなきれいな目で、こちらを見ていた。
「京ちゃんは、どこ!」
 リオは、飛び起きる。
「危ないよ。落ちたら面倒だから、気をつけて」
 沙蘭は慌てた様子で、リオの腕をひいた。ごうと空気を切る音に、その時やっと気がつく。視線を下げると、薄い綿菓子みたいな雲と、隙間から覗くはるか遠い地面が飛び込んできた。
「わわっ」
 思わず、傍らの細い肩にしがみつく。沙蘭はくすくす笑いながら、リオの背中に片手を回した。獣の匂いが鼻をつき、少年は固い背びれを凝視する。紅龍は、沙蘭とリオを乗せ、雲の上を猛スピードで飛んでいた。
「ここ……どこ……」
 震えながらリオは尋ねた。
「ドラゴンシティの上空だよ。僕たちの町だ。ほら、見て。山や、川や、海や、建物や、ここにあるもの全部、僕が作ったんだ。最初は、この龍と、そして僕以外何もない、寂しい、死んだ町だったよ。だけど、何年もかけて、こんなににぎやかな町にした。君を楽しませるために」
 促され、リオは恐る恐る下を覗き込んだ。
 山に囲まれた川沿いの土地に、ぼつぼつと家らしきものがたたずんでいる。
「収容所以外にも、人っているんだ」
 リオは呟く。
「そう。入れ物が出来たら、人が増えちゃった。ネーム付きのメンバー以外は、皆自然発生に生まれたものなんだ」
 そう言うと、沙蘭は恭しくリオの手をとり、その甲にちゅっとキスをした。
「好きだよ。リオ。愛してる。君のためにこの町を作ったんだ。ずっとこの町で、二人で幸せに暮らしたくて」
「沙蘭……」
「ねえ、全然覚えてない? 僕たち、同じ学校の親友同士だったんだよ。一年の時には同じクラスだった。二年目で別れてしまったけど」
 沙蘭が右手を上げると、その方角に、丸く切り取られたような空間が出現した。
 その中に、教室の椅子に座って、何やら話し合っている、制服姿の二人が現れる。リオはあまり変化はないが、沙蘭は少しだけ今より幼い。やがて、沙蘭は俯いて教室を去り、リオ一人が、取り残された。
「この日、告白したんだ。そしてはっきり振られたよ。友達以上には思えないって。でも僕は諦められなかった。気付いたら、ここにいて、そしてある日、君を浚う事に成功した。最初は嫌がってたけど、そのうち、元の世界に戻る事を諦めた君は、僕の花嫁になる事を嫌々ながら決意してね。それからは、夢みたいな日々だったよ。二人だけの世界で、僕たちは何度もセックスをした。だけど、幸せは長く続かなかった。一星が、僕を追って、やって来てしまったから」

 場面は、教室から、公園へと変わる。
 大きな木の幹に沙蘭の身体を押しつけて、一星は強引にその唇を奪っている。

「一星は、僕の幼なじみだ」
 沙蘭は言った。
「昔っからお節介で、いつもまとわりついてくる嫌な奴……。ドラゴンシティでも、性格は全然変わってなかった。僕たちの間に割り込んでくるだけじゃなくって、元の世界にもろとも、引き戻そうとした……そのうちストレスで、君は病気になっちゃってね。そしたら、この町に、太陽が上らなくなっちゃった。君のために作った町だから、君が落ち込むと、一緒に元気を失くしてしまう……だから、医者を連れてきたんだ。僕の掛かりつけ医の、キムを、ね」

 画面は、また変わり、次はどうやら、病院の診察室だった。
 白衣を着たキムが、患者の胸に聴診器を当てている。患者は若い女性で、ハンサムなキムを前に、頬を赤らめていた。

「キムは、君を回復させるには、同年代の友人が必要だと言った。そして、その役目を、僕に負わせようとしたんだ。冗談じゃないって、断ったよ。僕が欲しいのは友情なんかじゃない。愛情だったんだから」

 リオはまっすぐに沙蘭を見つめた。綺麗な目が、きらきらと瞬いている。そんな……にわかには信じられない。
 この、誇り高い美貌の少年が、まさか、自分を愛していたなんて。

「光は、一学年上だけど、クラブが一緒だとかで、君はずいぶん懐いていた。彼がシティに来てから、君の調子は上向いた。だけどね、その変わり、微妙に僕への態度が変わってしまった。夜になれば、素直に抱かれてくれるけど、でも、光やキムや一星たちといる時みたいなリラックスした表情は全然見せてくれなくて、僕にはそれがやるせなかった。キムは、記憶が邪魔してると僕に言った。確かに、あたり前だよね。君を閉じ込めて返さない男に、君が怯えないわけがないんだ」

 沙蘭は、リオの前髪をわけ、愛しげに撫でる。

「僕は、君の記憶を改竄する事にした。君を閉じ込めてるのは、僕じゃなくて、赤夜叉という闇の男。僕も、赤夜叉に囚われた哀れな囚人の一人。赤夜叉のキャラクターを考えたのはキムだ。名前は紅龍の赤と僕の髪の色から適当につけた。でも、僕は、ちょっとだけ、その計画にアレンジを加えたんだ。リオだけじゃなく、シティにいる、全ての者の記憶をすり替えた……。結果、そもそものシナリオを思いついたキムですら、僕がシティの創造主だって事、すっかり忘れてしまったよ。結果は上々。君は一層元気になったし、僕の事を、憧れの先輩みたいな目で見てくれるようになった。そんな関係性がちょっとだけ新鮮でね、僕はしばらく君を抱かなかった。そしたら、ある日ね……」
 沙蘭は声を顰めた。
「見てしまったんだ。君が、光とキムに抱かれてるのを」

「光と……先生に……?」
 リオは両目を見開いた。
「そう。診療室のベッドの上で、光は君の頭を膝に乗せ、逃げないように、両腕を押さえ込んでいた。君は裸に剥かれて性器をキムに与えながら、可愛らしい声で泣いていたよ。僕は、ドアの隙間から、一部始終をずっと見ていた。最初は泣いて嫌がっていた君が、キムの巧みな口淫に、腰を振って喘ぎ始めた時、僕の股間は、今までになく固く、そして熱くなったよ。光が、両手を開放し、愛らしい乳首を弄り始めても、君はくったり脱力したまま、もう逃げようとはしなかった。二人の男に攻められながら、君は、身体を痙攣させ、白い精を、たっぷりとほとばしらせて果てた。僕はたまらなくなって、その日初めて、一星の誘いに乗ったんだ」
「一星の?」
「そう。彼と寝たよ。君の喘ぎ声と泣き顔を思い出しながら」
 反芻するかのように、沙蘭は視線を上に上げた。そしてにっと笑って続ける。
「一星は、僕を欲しがってた。だけど、僕が欲しいのはリオ、君だ。そしてね、どうやら、僕は、君が、男に苛められているのを見るのが、とても好きらしい」
「沙蘭……」
「という事で、また記憶のリセットだ。僕は、性の収容所を造り上げた。愛らしくて素直な君は、どのシチュエーションでも周囲の男たちを魅了したよ。君が日々調教されていく様を横目に見ながら、僕も、あらゆる男に抱かれた。ある意味、至福の時だったよ。だけど、やっぱり平和は長く続かなかった。新しい障害が現れたんだ」
 沙蘭は、眉を顰め、苛ついた調子で右手を上げた。丸い画面が、黒一面に塗りつぶされる。そしてその黒雲の向こう側から、見慣れた男の姿が浮かび上がってきた。
 石造りの壁に、上半身裸の男が、両手を左右に広げて重そうな鎖に繋がれている。気を失っているのか、がっくりと俯いたままぴくともしない。だけど、均整のとれた逞しい身体と、長すぎる足、そしてさらりとした黒髪で、顔が見えなくても、個人を特定するのは容易だった。
「京ちゃん!」
 リオは叫び、腰を浮かせた。
「そう。こいつだよ。こいつがいつだって、僕の前にたちはだかって、邪魔するんだ」
 沙蘭は吐き捨て、リオの肩を引き寄せた。
「京はある日突然現れて、あっと言う間に君をてなづけてしまった。間の抜けた顔してる癖に侮れなくて、一度は、君をもう少しで開放してしまうところだったんだよ。だから、僕は、君を一度紅龍の生贄に捧げ、京の心に拭いがたいトラウマを残してやった。効果てきめん。以来奴は従順な犬になって、真面目に業務をこなすようになったよ。性の施設の監督官として、ね」
「京ちゃんが……」
 リオの記憶にある京は、既に牙を抜かれた状態だったが、昔は、もっと激しかったのだろうか。
「彼を助けたい?」
 沙蘭は首を傾げ、リオは画面を凝視しながら、ぶんぶんと頷く。
「そうしてあげてもいいよ。でも、その変わり、わかってるよね。君は僕に身も心も捧げるんだ。僕の……赤夜叉の花嫁になってくれる? そしたら、京を許してあげる」
「なる。沙蘭の花嫁に、俺、なるよ」
 リオは叫んだ。
「だから、絶対に京ちゃんを傷つけないで」
「わかったよ。約束する」
 沙蘭が右手を上げると、丸い空間は、視界から消えた。紅龍は、速度を落し、ゆっくりと下降を始めている。
「リオ、絶対に裏切らないでね。僕を裏切ったら、君にだって容赦はしない。京と二人で、紅龍の餌になってもらうよ。わかってるよね」
 脅しのように続けられる台詞に、大きく頷く。今まで、ずっと京に守られてきたのだ。今度はリオが京を守る番だった。
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