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第四章 三つの世界の謎
赤夜叉
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「赤夜叉って……京ちゃん、何言ってんの?」
「言葉通りだよ。この町の創造主、赤夜叉は一星じゃなくて、沙蘭だったんだ」
「そんな……」
リオの両目は訝しげに揺れ、京は、鋭い目で、頭上を睨む。
月から滴る血の滴は、空間を、瞬く間に赤く染めていた。その邪悪な球体の上にとぐろを巻く、紅色の巨体と、美しい少年。
禍々しい景色なのに、まるで一対の絵のようで、ついついリオは見とれてしまう。沙蘭も気付いているのだろう。ぴたりとリオに視線を合わせ、妖艶な流し目を送ってくる。
「人をもてあそぶのは面白いか。沙蘭」
絡み合う視線を断ち切るように、京は言った。沙蘭はちらりと男を見るだけで答えない。
「楽しいんだろうなあ。何もかもがお前の思いのままだ。人の心も、運命すらも」
「京ちゃん……」
まだ信じられなくて、リオは京の袖を引いた。その手をそっと握りしめ、
「なあ、もういいだろう。俺たちを開放してくれよ……。今までに十分楽しんだはずだ。このまま行かせてくれ。さもないと……」
男は語気を強める。沙蘭は、氷のように冷たい笑みを浮かべて、紅龍の背の上にすっくと立ち上がった。
「さもないと?」
鈴を転がしたような美声が、嘲るように鸚鵡返す。とてつもなく遠くにいるのに、それはまるで、心に直接響くかのように鮮明で、リオははっと息を飲んだ。沙蘭の髪が、風もないのに、逆立っている。きらきらと瞬く瞳の中に、紅龍と同じ、悪の気配を感じ取り、ここにきてやっと、リオは京の言う事が、真実なのだと思い知った。
「俺たちだって、馬鹿じゃない。それなりに考えがある」
京は、沙蘭をまっすぐに見た。
「面白い事言うね。強行突破でもするつもりなの? 僕がそんな事、許すと思う。指をぱちんと一度はじくだけで、この世界を失くす事だってできるんだよ」
「なら、そうしてみろよ」
京は怯まず続けた。
「この町が消えるなら、それでいい。籠の中で飼い殺しにされるくらいなら、いっそ死んでしまったほうが、よほどいい……だけど、そうはならないんだろ? リオがここに、生きてるもんなあ?」
「どういう事?」
リオは京を見上げて尋ねる。
「この子は、一度、あの赤い化け物に俺の目の前で食われてる。なのに、別な世界で生きていた。俺と一星が連れ戻さなかったら、多分、今もそのままあっちの世界にいただろう。てことは、だ。あいつを、殊更恐れる必要はないってわけだ」
京は、紅龍に向かって顎をしゃくってみせた。
「ここでの死は、本当の死じゃない。そうなんだろ? 沙蘭。お前は、記憶を操作できるし、魔法使いみたいに、ビルを立てたり、街を作ったりできる……。だけど、人だけは消せない。なぜなら、ここは、お前の夢の中だからだ。俺達は、夢の中に囚われていたんだ」
京は、リオに重ねた手のひらに力を込める。
「どうだ。図星だろ? 反論あるなら、言ってみろよ」
そして、鋭い視線で、龍の上に立つ美しい少年を睨み付けた。
「……一星に聞いたんだね。おしゃべりな奴。大嫌い」
沙蘭は形のいい眉根をよせて、吐き捨てた。
「今では、キムも光まで事実を知ってる……。わかったろ? もう全部終わったんだよ」
「あんたって、賢いようで、実は、馬鹿だよね」
沙蘭は言った。
「分かってる? 僕は、記憶を操作できるんだよ? 時間を巻き戻すことだって。今まで何度もそうやってきた。もう一度それをしたら、済むことじゃない」
「だけど、シティの秘密がばれたのは初めてだろ。俺たちの記憶が、最初から全部戻った事も」
京は言った。
「沙蘭。もうやめよう。ここが退きどきだ。お前の力は、弱まってんだよ」
「うるさい。うるさい!」
沙蘭は語気を強めて、京の言葉を遮る。
「凡人のくせに、僕のやり方に文句つけないでくれる? 一星も嫌いだけど、あんたの事も大嫌いだ。うざいよ。どこかに消えて。動く気がないなら、僕がやるよ」
そして、沙蘭は、シャム猫のように優雅に龍の背にもたれかかり、ぱちんと指と指を打ち鳴らした。
いきなり、多数の足音がリオと京の回りを取り囲み、見えない手が、あっと言う間に、二人の間を引き裂いていく。
「京ちゃん!」
叫んで、両手を伸ばしたが、京の身体は、ずぶずぶと、月の血で出来た赤い沼地へと吸い込まれていく。誰かが、京の身体を上から押さえつけている。そして、京の身体は沼へと消えた。ぶくぶくと、無数の泡が、赤い水面に沸き上がる。
「沙蘭、京ちゃんを返して!」
天を仰ぎ、リオは叫んだ。
「そんなに必死にならなくたって、殺しちゃいないよ」
龍の背中に肘をつき、しらけた調子で、沙蘭は言う。
「嘘」
「嘘じゃない」
「じゃあ、証拠を見せて」
リオは詰め寄る。
「君が、素直にいい子にしてたらね。要求を聞いてあげてもいい。でも、さっきのあいつみたいに、生意気な態度だったら、無理だね」
沙蘭は言った。
「いい子になる。施設に戻るよ……だから、お願い、京ちゃんを助けて」
リオは拳で涙を拭った。さっきまで、この手を京は握ってくれていたのに。微かに残るぬくもりに、胸が痛くなる。
「……ずっと僕の側にいてくれる? 僕が赤夜叉だってわかっても、僕から逃げたり、怖がったりしない?」
どこか心細げに、沙蘭は尋ねる。リオはぶんぶんと頷いた。
「わかった。じゃあ、京のいるところまで連れてってあげる。そこで待ってて」
そう言うと、沙蘭はにっこり笑い、再び龍の背の上で立ち上がった。
そして何事か、獣に囁く。そして、思い切り、龍の背中を片足で蹴った。
龍は、上を向き、何やら意味不明な雄叫びを上げる。黄色い目が、まっすぐにリオを見下ろした。
血液をすっかり失った月が、てっべんからひび割れ始めている。ごう、とすさまじい音がして、紅龍は、沙蘭を乗せたまま、宙を舞い、そして、リオに向かって突進してきた。
「ああっ……!」
恐怖のあまり、直前まで、目を閉じる事すら出来なかった。
遠い天上で、月がぱっくりと割れていく。
そして、鋭い牙が、もうすぐそこに迫っている。
背びれの向こう側で、沙蘭が、天使のような微笑みを見せていた。どうして、彼を信じたりしたのだろう。このまま、きっと食われてしまうのだ。
そして、リオは意識を失った。
「言葉通りだよ。この町の創造主、赤夜叉は一星じゃなくて、沙蘭だったんだ」
「そんな……」
リオの両目は訝しげに揺れ、京は、鋭い目で、頭上を睨む。
月から滴る血の滴は、空間を、瞬く間に赤く染めていた。その邪悪な球体の上にとぐろを巻く、紅色の巨体と、美しい少年。
禍々しい景色なのに、まるで一対の絵のようで、ついついリオは見とれてしまう。沙蘭も気付いているのだろう。ぴたりとリオに視線を合わせ、妖艶な流し目を送ってくる。
「人をもてあそぶのは面白いか。沙蘭」
絡み合う視線を断ち切るように、京は言った。沙蘭はちらりと男を見るだけで答えない。
「楽しいんだろうなあ。何もかもがお前の思いのままだ。人の心も、運命すらも」
「京ちゃん……」
まだ信じられなくて、リオは京の袖を引いた。その手をそっと握りしめ、
「なあ、もういいだろう。俺たちを開放してくれよ……。今までに十分楽しんだはずだ。このまま行かせてくれ。さもないと……」
男は語気を強める。沙蘭は、氷のように冷たい笑みを浮かべて、紅龍の背の上にすっくと立ち上がった。
「さもないと?」
鈴を転がしたような美声が、嘲るように鸚鵡返す。とてつもなく遠くにいるのに、それはまるで、心に直接響くかのように鮮明で、リオははっと息を飲んだ。沙蘭の髪が、風もないのに、逆立っている。きらきらと瞬く瞳の中に、紅龍と同じ、悪の気配を感じ取り、ここにきてやっと、リオは京の言う事が、真実なのだと思い知った。
「俺たちだって、馬鹿じゃない。それなりに考えがある」
京は、沙蘭をまっすぐに見た。
「面白い事言うね。強行突破でもするつもりなの? 僕がそんな事、許すと思う。指をぱちんと一度はじくだけで、この世界を失くす事だってできるんだよ」
「なら、そうしてみろよ」
京は怯まず続けた。
「この町が消えるなら、それでいい。籠の中で飼い殺しにされるくらいなら、いっそ死んでしまったほうが、よほどいい……だけど、そうはならないんだろ? リオがここに、生きてるもんなあ?」
「どういう事?」
リオは京を見上げて尋ねる。
「この子は、一度、あの赤い化け物に俺の目の前で食われてる。なのに、別な世界で生きていた。俺と一星が連れ戻さなかったら、多分、今もそのままあっちの世界にいただろう。てことは、だ。あいつを、殊更恐れる必要はないってわけだ」
京は、紅龍に向かって顎をしゃくってみせた。
「ここでの死は、本当の死じゃない。そうなんだろ? 沙蘭。お前は、記憶を操作できるし、魔法使いみたいに、ビルを立てたり、街を作ったりできる……。だけど、人だけは消せない。なぜなら、ここは、お前の夢の中だからだ。俺達は、夢の中に囚われていたんだ」
京は、リオに重ねた手のひらに力を込める。
「どうだ。図星だろ? 反論あるなら、言ってみろよ」
そして、鋭い視線で、龍の上に立つ美しい少年を睨み付けた。
「……一星に聞いたんだね。おしゃべりな奴。大嫌い」
沙蘭は形のいい眉根をよせて、吐き捨てた。
「今では、キムも光まで事実を知ってる……。わかったろ? もう全部終わったんだよ」
「あんたって、賢いようで、実は、馬鹿だよね」
沙蘭は言った。
「分かってる? 僕は、記憶を操作できるんだよ? 時間を巻き戻すことだって。今まで何度もそうやってきた。もう一度それをしたら、済むことじゃない」
「だけど、シティの秘密がばれたのは初めてだろ。俺たちの記憶が、最初から全部戻った事も」
京は言った。
「沙蘭。もうやめよう。ここが退きどきだ。お前の力は、弱まってんだよ」
「うるさい。うるさい!」
沙蘭は語気を強めて、京の言葉を遮る。
「凡人のくせに、僕のやり方に文句つけないでくれる? 一星も嫌いだけど、あんたの事も大嫌いだ。うざいよ。どこかに消えて。動く気がないなら、僕がやるよ」
そして、沙蘭は、シャム猫のように優雅に龍の背にもたれかかり、ぱちんと指と指を打ち鳴らした。
いきなり、多数の足音がリオと京の回りを取り囲み、見えない手が、あっと言う間に、二人の間を引き裂いていく。
「京ちゃん!」
叫んで、両手を伸ばしたが、京の身体は、ずぶずぶと、月の血で出来た赤い沼地へと吸い込まれていく。誰かが、京の身体を上から押さえつけている。そして、京の身体は沼へと消えた。ぶくぶくと、無数の泡が、赤い水面に沸き上がる。
「沙蘭、京ちゃんを返して!」
天を仰ぎ、リオは叫んだ。
「そんなに必死にならなくたって、殺しちゃいないよ」
龍の背中に肘をつき、しらけた調子で、沙蘭は言う。
「嘘」
「嘘じゃない」
「じゃあ、証拠を見せて」
リオは詰め寄る。
「君が、素直にいい子にしてたらね。要求を聞いてあげてもいい。でも、さっきのあいつみたいに、生意気な態度だったら、無理だね」
沙蘭は言った。
「いい子になる。施設に戻るよ……だから、お願い、京ちゃんを助けて」
リオは拳で涙を拭った。さっきまで、この手を京は握ってくれていたのに。微かに残るぬくもりに、胸が痛くなる。
「……ずっと僕の側にいてくれる? 僕が赤夜叉だってわかっても、僕から逃げたり、怖がったりしない?」
どこか心細げに、沙蘭は尋ねる。リオはぶんぶんと頷いた。
「わかった。じゃあ、京のいるところまで連れてってあげる。そこで待ってて」
そう言うと、沙蘭はにっこり笑い、再び龍の背の上で立ち上がった。
そして何事か、獣に囁く。そして、思い切り、龍の背中を片足で蹴った。
龍は、上を向き、何やら意味不明な雄叫びを上げる。黄色い目が、まっすぐにリオを見下ろした。
血液をすっかり失った月が、てっべんからひび割れ始めている。ごう、とすさまじい音がして、紅龍は、沙蘭を乗せたまま、宙を舞い、そして、リオに向かって突進してきた。
「ああっ……!」
恐怖のあまり、直前まで、目を閉じる事すら出来なかった。
遠い天上で、月がぱっくりと割れていく。
そして、鋭い牙が、もうすぐそこに迫っている。
背びれの向こう側で、沙蘭が、天使のような微笑みを見せていた。どうして、彼を信じたりしたのだろう。このまま、きっと食われてしまうのだ。
そして、リオは意識を失った。
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