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第4章 愛を、誓う
3.真実の、物語
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2人が出逢ったのは、幼少のころだった。
出逢ったそのとき、その瞬間から2人は互いに恋に落ちた。
少年は、少女が運命の相手なのだと告げられて歓喜した。
この愛しく想う少女が、自分の運命の相手であるならば、この少女と自分が結ばれるのであれば。
自分はこの少女のために、なんでもしよう。
なんにでもなろう。
幼いながらも少年は心に誓った。
けれど周囲は、あまりいい顔をしなかった。
少年と少女が親しくなることを、快く思わなかった。
そして少女もまた、思い悩んでいた。
このまま一緒にいていいのだろうか、と。
少年は王族の子供だった。
いずれは、王の座を継ぎ、妃を迎える。
少女は貴族の子供だった。
いずれは、心に決めた男のもとへ嫁ぐ。
本来であれば。
2人の身分には、いささかも問題はなかった。
王族と貴族の婚姻であれば、日常的に行われている。
問題は、少女の体質にあった。
生まれながらに身体の弱かった少女は病弱で、医師からも、成人するまで生きるのは難しいと言われていた。
それ故に、少女は悩んでいた。
少年と結ばれる運命に、本当に従ってもいいのだろうか、と。
病弱なこの身体は、成人までもつかわからない。
少年と結ばれるよりも先に、命が尽きてしまうかもしれないと思うと、少女は少年と永遠の約束を交わすことができずにいた。
それでも、少女が少年と過ごす時間は喜びに満ちていた。
日々のほとんどを屋敷の中で過ごし、変わり栄えのしない日常の中で、少年と過ごす時間は輝いていた。
自らの身体のことを忘れてしまえるほど。
永遠を望んでしまうほど、それは特別な時間だった。
そうして、2人が出逢って間もなく、それは起こった。
少女が体調を崩し、数日の間寝込んだのだ。
熱に浮かされながら、少女は少年の名を呼んでいたという。
少年は考えた。
熱に苦しむ少女のために、自分にできることはないか、と。
見舞いに花を届けても、少女の病は治らない。
もっと根本的な部分で、少女の病が治り、末永く共にいるためにできること。
そして少年は、ひとつの答えに辿り着いた。
森の奥深くに住む、追放された魔術師。
見合う対価と引き換えに、どんな願いも、あらゆる望みを叶えるという男を少年は頼った。
男は、少年に言った。
「お前は、その望みのためになにを差し出す?」
少年は答えた。
「自分が差し出せるもののすべてを。この願いに見合うだけの対価を、自分から取ってください」
そうして男は、少年の願いを聞き入れた。
少年の願いはこうだ。
「少女の病が治り、これからは健康で幸せに暮らせること。そしてその傍らには自分がいて、死ぬまで共にいられること」
そして、その願いの通りになった。
月日が流れ、少年は青年へと成長した。
少女は美しい女性へと成長し、少年が願った通り、健康で幸せな日々を過ごしていた。
もちろん、その傍らには少年だった彼がいた。
2人は結婚し、王となり王妃となった。
反対する者は誰もいなかった。
2人の生活は、幸せに満ちていた。
けれど王は、幸せな日々の中、不安を抱えていた。
王は、この幸福な生活を手にするために、なにを対価として支払っていたのか、わからなかった。
なにかを失ったという感覚がない恐怖。
いつか、とてつもない不幸が訪れるのではないかと、人知れず脅えていた。
そうして、そのときはきた。
王妃が身ごもり、子を宿したことで、王が差し出した対価が明らかとなった。
それを知ったとき、王妃は嘆き悲しんだ。
王の望みだったとはいえ、王妃の運命は大きく変わった。
健康な身体となり、王の隣で幸せに生きている。
それは、王妃が辿るはずではなかった運命。
その運命の対価として差し出されたものは、我が子の、運命の相手の生きる時間だった。
王子が生まれたとき、王家専属魔術師は言った。
「王子は、身体的になんの問題もなく、健やかに成長するでしょう。けれど王子は、人を愛する心を持つことができないかもしれません。王子に愛を教えてくれるはずの運命の相手が、その運命を捻じ曲げられて、3日と生きられないでしょうから」
王は、ようやく理解した。
人の運命を捻じ曲げることが、どういうことなのか。
かつて、自らの望みを叶えてくれた魔術師が、なぜ追放されてしまったのか。
なんでも叶えてしまうからだ。
彼ならば、禁じられた術、生者を犠牲に死者を生き返らせる術さえも、それを望む者が現れたのであれば叶えてしまうだろう。
その後の世界が、あるべき均衡を取り戻すために崩壊してしまうとわかっていても。
王妃は悲しみの末、自ら命を絶とうとした。
王妃が命を絶ったところで、王子の運命の相手の死は揺るがない。
なにもかもが手遅れだった。
少年だった王が願い、その願いを追放された魔術師が叶えたことですべてのあるべき運命が変わってしまった。
王妃は嘆き、そして誓った。
与えられた自らの時間を、生のすべてを、子供を愛するために使おうと。
誓い通りに、王妃は子供を愛した。
王も、あふれんばかりの愛情を注いだ。
王子は、王と王妃に愛され、健やかに成長していったが、愛という感情だけが、王子に芽生えることはなかった。
どんなに知識を得ても、喜びや悲しみ、怒り、哀れみを覚えても、愛だけが王子の心には芽生えなかった。
「愛している」と抱きしめられるたび、王子の心を虚無感が襲った。
愛とはなんだ。
両親が自分に向ける、愛というものを、自分は返すことができない。
「愛している」と口にしてみても、心は空虚で、父や母のように優しくあたたかな表情はつくれない。
それが虚しくあり、悲しくあり、苛立たしかった。
幼い友人と共謀し、愛を知ろうとした。
結果、償いきれない過ちを犯し、自分は一生愛を知ることはないのだと理解した。
友人のためにも、知らずにいるべきだと。
そうして日々が過ぎ、愛のない自分の心を受け入れ、それが日常となったころ、魔術師が奇跡を運んで来た。
魔術師が持って来た、水晶の欠片。
そこに映された1人の赤子に、王子の目は釘付けになった。
初めて宿る、あふれんばかりの感情。
愛しさ。
これが、愛なのだと王子は理解した。
その赤子こそが、運命の相手だった。
3日と生きられないだろうと言われた赤子は、母親の強い愛によって、捻じ曲げられた運命から逃れることができた。
赤子の母親は古い魔術に精通し、今ではほとんど使われていない加護の魔術を赤子に施していた。
16の加護と呼ばれるその術は、施された対象をいかなる危険からも守護するが、危険の大きさに伴って施した本人へ同等の反動が返る。
死の危険からは死を以て加護する。
守護の範囲に際限がない代わりに、1人の人間が施せる人数は1人きり。
その特性故に、使用するものは少なく、徐々にその姿を消していった16の加護を、母親は施していた。
まさに奇跡。
母親の愛がもたらした奇跡だった。
その奇跡に、誰もが喜びの声をあげた。
ただ1人を除いて。
この奇跡を、誰しもが歓喜する中で、王子だけがただ1人、己の愚かさを悔いた。
かつて、愛を知りたいと幼い友人を巻き込み、禁術に手をだし、そして術を行使した彼は魔力と愛を失った。
未熟な子供が禁術を使ったところで成功するはずもなく、案の定、術師としての未来を奪い取る結果となってしまった。
友人の魔力も、人を愛する心も奪い取っていながら、とうに諦めていたはずの愛を知り幸せを掴むなど、自分には許されないと、王子は己を責めた。
己を責め、運命の相手とは結ばれない、1人で生きていくと決め、王子は最初の1度、水晶に映る彼女を見て以来、再びその姿を目にしようとはしなかった。
5年が経ち、10年が経ち、王子はただの1度も、己の運命の相手の姿を再び目にすることはなかった。
けれど、転機はきた。
王が、戦場で死んだ。
それから王妃は、心を失ってしまったかのように、いつも遠くを見つめ、以前のように笑うことはなくなった。
涙も、流さなかった。
ただただ、死んだように生きるだけの王妃に、誰もが心を痛めた。
来る日も来る日も、王妃を労わり、声をかける者は後を絶たなかったが、誰の言葉にも、王妃は頷き1つ、返事の1つ、反応を示すことはなかった。
そんな王妃が、唯一、穏やかに笑う瞬間があった。
王子の運命の相手が、生きているとわかったときから、王妃は彼女を連れ戻すための血を捧げるのは自分だと、口にしていた。
王子の運命の相手は、加護の力によって、この世界から遠く離れた別の世界へ渡っていた。
この世界にいては、対価という名目のもと、均衡を取り戻すために、世界が彼女を殺してしまうから。
この世界から彼女が消えたことで、この世界で彼女が生きるはずだった時間は失われた。
死するはずだった者が生き、生きるはずだった者が世界から消えた。
そうしてこの世界は、均衡を取り戻した。
けれど彼女は。
彼女が渡った世界の方は、均衡が崩れはじめていた。
本来であれば存在するはずのない者が存在している。
その異質な存在を、世界は消そうとした。
けれど、彼女の加護の力は強く、世界は彼女に手を出すことができなかった。
16の加護がある限り、彼女が世界に消されることはない。
彼女は、加護の力でかろうじて存在できている状態だった。
加護がなくなれば、彼女は死ぬ。
16の加護の効力は、その名が示す通り、16年しか効力が続かない。
彼女が16になれば、加護の力は消え、世界は容赦なく彼女を殺す。
これは、1つの賭けだった。
16の加護の効力が切れるとき、こちらの世界で死すべきだった王妃の命と引き換えに、生きるべきだった彼女を連れ戻す。
結果は変わらないかもしれないけれど、せめてこの世界の両親と同じ墓に入れてやりたいと、そう願っていた。
けれど王子は最後まで反対していた。
王妃でなくともいいだろう、と。
王子自らが、己の血を捧げるべきだ、と。
友のためにも、自分1人だけが幸福を手にするのは間違っていると。
王子は、最後まで抵抗したが、結局、王妃が望んだ通りにことは進んでいった。
王妃がその血を捧げ、この世界に彼女は戻って来た。
賭けにも勝ち、世界は彼女を消そうとはしなかった。
その事実が、王子を苦しめた。
いや、この時点では王子は王となっていた。
周囲に流されるままに王となり、母を犠牲に目の前に置かれた幸福。
己のために愛を失った友がいながら、手を伸ばせば届く場所に愛しい子がいる。
触れたい、抱きしめたい、声を聞きたい、その目に自分を映してほしい。
友が2度と得ることのなくなった感情を、自分が得ていることに嫌悪した。
けれど、それを救ったのも友だった。
友が言った。
「キミは、僕の分まで幸せになって。そして、彼女をキミ以上に幸せにしてあげて。そうじゃないと、僕はキミを許さないよ。あの日の禁術は、成功したんだって、僕は思っているんだから」
王は。
「私は、誓った。誰よりも、幸せにしてやると」
真っ直ぐに私を見つめてくるキリルに。
どうしよう……。
言葉が見つからない。
「わかっていると思うが、世界を渡った運命の相手はあなたのことだ。父が願ったばかりに、あなたの運命を狂わせてしまった。こちらの世界にいることが、あなたの幸福だと、私が誰よりも幸せにしてやると思っていたが、違っていた」
悲し気に、キリルが視線を逸らす。
「あなたにとっては、生まれ育ったあちら側があなたの世界なのだな。だから」
立ち上がったキリルは背を向け、歩き出す。
「ゆっくり、考えるといい。私はいつでも、あなたをあなたの世界へ帰してやる」
言い残し、キリルは部屋を出て行った。
部屋に残されたのは、トーリャと私。
「スヴェトラーナ様」
ぽつり、トーリャが言う。
「僕はね、キミの居場所はここだって、ここであってほしいって思ってる。だから、話させたんだ。僕ってひどい男だよね。この話を聞いて、キミが困るってわかっていながら、こうしたんだもん」
自虐的に、トーリャが笑う。
「キミはキリルを選んでくれるよね。気持ちの整理に少し時間がかかるだけで、キミはこの世界で生きることを受け入れる」
「……そんなこと、言われても」
困る。
「急に、そんなこと言われても、信じられないよ……」
ウソ。
本当は、心のどこかでわかっている。
この話が、真実だって。
「うん。そうだよね」
トーリャは言う。
「ゆっくり考えて、少しずつ受け入れていくといいよ。時間はたくさんあるから」
そう言って、トーリャは部屋を出て行った。
1人で、考える時間をくれたってこと?
1人になったところで、頭の中がグチャグチャなのは変わりないけど。
考えなきゃ。
頭の中がグチャグチャで、どうすればいいのかわからないけど、考えなきゃ。
私は、どうするべき?
どうすればいい?
どうしたい?
最初は、帰りたかった。
突然知らない場所に連れて来られて、不安で。
キリルも、なにを考えているのかわからなくて。
でも、優しかった。
少し不器用なだけで、キリルは優しい人だ。
帰りたくないわけじゃないけど、キリルの傍にいたいって少なからず思っている。
元々は、この世界で生まれるはずだったなら、私はここにいるべき?
でも、お父さんとお母さんは?
心配してる?
世界の均衡を取り戻すことで、私に関わっていた人たちにどれだけの変化が与えられるのか、わからない。
私は、最初から存在していなかった。
そんな世界になっていたら、少し寂しいけど、そうであってほしい。
もう2度と戻らない私を探し続けるなんて、悲しいもん。
そんなことを1人で考えても、どうなっているかなんてわからないけど。
1人で、考えても……。
そうか。
わからないなら、聞けばいい。
私は、部屋をあとにした。
出逢ったそのとき、その瞬間から2人は互いに恋に落ちた。
少年は、少女が運命の相手なのだと告げられて歓喜した。
この愛しく想う少女が、自分の運命の相手であるならば、この少女と自分が結ばれるのであれば。
自分はこの少女のために、なんでもしよう。
なんにでもなろう。
幼いながらも少年は心に誓った。
けれど周囲は、あまりいい顔をしなかった。
少年と少女が親しくなることを、快く思わなかった。
そして少女もまた、思い悩んでいた。
このまま一緒にいていいのだろうか、と。
少年は王族の子供だった。
いずれは、王の座を継ぎ、妃を迎える。
少女は貴族の子供だった。
いずれは、心に決めた男のもとへ嫁ぐ。
本来であれば。
2人の身分には、いささかも問題はなかった。
王族と貴族の婚姻であれば、日常的に行われている。
問題は、少女の体質にあった。
生まれながらに身体の弱かった少女は病弱で、医師からも、成人するまで生きるのは難しいと言われていた。
それ故に、少女は悩んでいた。
少年と結ばれる運命に、本当に従ってもいいのだろうか、と。
病弱なこの身体は、成人までもつかわからない。
少年と結ばれるよりも先に、命が尽きてしまうかもしれないと思うと、少女は少年と永遠の約束を交わすことができずにいた。
それでも、少女が少年と過ごす時間は喜びに満ちていた。
日々のほとんどを屋敷の中で過ごし、変わり栄えのしない日常の中で、少年と過ごす時間は輝いていた。
自らの身体のことを忘れてしまえるほど。
永遠を望んでしまうほど、それは特別な時間だった。
そうして、2人が出逢って間もなく、それは起こった。
少女が体調を崩し、数日の間寝込んだのだ。
熱に浮かされながら、少女は少年の名を呼んでいたという。
少年は考えた。
熱に苦しむ少女のために、自分にできることはないか、と。
見舞いに花を届けても、少女の病は治らない。
もっと根本的な部分で、少女の病が治り、末永く共にいるためにできること。
そして少年は、ひとつの答えに辿り着いた。
森の奥深くに住む、追放された魔術師。
見合う対価と引き換えに、どんな願いも、あらゆる望みを叶えるという男を少年は頼った。
男は、少年に言った。
「お前は、その望みのためになにを差し出す?」
少年は答えた。
「自分が差し出せるもののすべてを。この願いに見合うだけの対価を、自分から取ってください」
そうして男は、少年の願いを聞き入れた。
少年の願いはこうだ。
「少女の病が治り、これからは健康で幸せに暮らせること。そしてその傍らには自分がいて、死ぬまで共にいられること」
そして、その願いの通りになった。
月日が流れ、少年は青年へと成長した。
少女は美しい女性へと成長し、少年が願った通り、健康で幸せな日々を過ごしていた。
もちろん、その傍らには少年だった彼がいた。
2人は結婚し、王となり王妃となった。
反対する者は誰もいなかった。
2人の生活は、幸せに満ちていた。
けれど王は、幸せな日々の中、不安を抱えていた。
王は、この幸福な生活を手にするために、なにを対価として支払っていたのか、わからなかった。
なにかを失ったという感覚がない恐怖。
いつか、とてつもない不幸が訪れるのではないかと、人知れず脅えていた。
そうして、そのときはきた。
王妃が身ごもり、子を宿したことで、王が差し出した対価が明らかとなった。
それを知ったとき、王妃は嘆き悲しんだ。
王の望みだったとはいえ、王妃の運命は大きく変わった。
健康な身体となり、王の隣で幸せに生きている。
それは、王妃が辿るはずではなかった運命。
その運命の対価として差し出されたものは、我が子の、運命の相手の生きる時間だった。
王子が生まれたとき、王家専属魔術師は言った。
「王子は、身体的になんの問題もなく、健やかに成長するでしょう。けれど王子は、人を愛する心を持つことができないかもしれません。王子に愛を教えてくれるはずの運命の相手が、その運命を捻じ曲げられて、3日と生きられないでしょうから」
王は、ようやく理解した。
人の運命を捻じ曲げることが、どういうことなのか。
かつて、自らの望みを叶えてくれた魔術師が、なぜ追放されてしまったのか。
なんでも叶えてしまうからだ。
彼ならば、禁じられた術、生者を犠牲に死者を生き返らせる術さえも、それを望む者が現れたのであれば叶えてしまうだろう。
その後の世界が、あるべき均衡を取り戻すために崩壊してしまうとわかっていても。
王妃は悲しみの末、自ら命を絶とうとした。
王妃が命を絶ったところで、王子の運命の相手の死は揺るがない。
なにもかもが手遅れだった。
少年だった王が願い、その願いを追放された魔術師が叶えたことですべてのあるべき運命が変わってしまった。
王妃は嘆き、そして誓った。
与えられた自らの時間を、生のすべてを、子供を愛するために使おうと。
誓い通りに、王妃は子供を愛した。
王も、あふれんばかりの愛情を注いだ。
王子は、王と王妃に愛され、健やかに成長していったが、愛という感情だけが、王子に芽生えることはなかった。
どんなに知識を得ても、喜びや悲しみ、怒り、哀れみを覚えても、愛だけが王子の心には芽生えなかった。
「愛している」と抱きしめられるたび、王子の心を虚無感が襲った。
愛とはなんだ。
両親が自分に向ける、愛というものを、自分は返すことができない。
「愛している」と口にしてみても、心は空虚で、父や母のように優しくあたたかな表情はつくれない。
それが虚しくあり、悲しくあり、苛立たしかった。
幼い友人と共謀し、愛を知ろうとした。
結果、償いきれない過ちを犯し、自分は一生愛を知ることはないのだと理解した。
友人のためにも、知らずにいるべきだと。
そうして日々が過ぎ、愛のない自分の心を受け入れ、それが日常となったころ、魔術師が奇跡を運んで来た。
魔術師が持って来た、水晶の欠片。
そこに映された1人の赤子に、王子の目は釘付けになった。
初めて宿る、あふれんばかりの感情。
愛しさ。
これが、愛なのだと王子は理解した。
その赤子こそが、運命の相手だった。
3日と生きられないだろうと言われた赤子は、母親の強い愛によって、捻じ曲げられた運命から逃れることができた。
赤子の母親は古い魔術に精通し、今ではほとんど使われていない加護の魔術を赤子に施していた。
16の加護と呼ばれるその術は、施された対象をいかなる危険からも守護するが、危険の大きさに伴って施した本人へ同等の反動が返る。
死の危険からは死を以て加護する。
守護の範囲に際限がない代わりに、1人の人間が施せる人数は1人きり。
その特性故に、使用するものは少なく、徐々にその姿を消していった16の加護を、母親は施していた。
まさに奇跡。
母親の愛がもたらした奇跡だった。
その奇跡に、誰もが喜びの声をあげた。
ただ1人を除いて。
この奇跡を、誰しもが歓喜する中で、王子だけがただ1人、己の愚かさを悔いた。
かつて、愛を知りたいと幼い友人を巻き込み、禁術に手をだし、そして術を行使した彼は魔力と愛を失った。
未熟な子供が禁術を使ったところで成功するはずもなく、案の定、術師としての未来を奪い取る結果となってしまった。
友人の魔力も、人を愛する心も奪い取っていながら、とうに諦めていたはずの愛を知り幸せを掴むなど、自分には許されないと、王子は己を責めた。
己を責め、運命の相手とは結ばれない、1人で生きていくと決め、王子は最初の1度、水晶に映る彼女を見て以来、再びその姿を目にしようとはしなかった。
5年が経ち、10年が経ち、王子はただの1度も、己の運命の相手の姿を再び目にすることはなかった。
けれど、転機はきた。
王が、戦場で死んだ。
それから王妃は、心を失ってしまったかのように、いつも遠くを見つめ、以前のように笑うことはなくなった。
涙も、流さなかった。
ただただ、死んだように生きるだけの王妃に、誰もが心を痛めた。
来る日も来る日も、王妃を労わり、声をかける者は後を絶たなかったが、誰の言葉にも、王妃は頷き1つ、返事の1つ、反応を示すことはなかった。
そんな王妃が、唯一、穏やかに笑う瞬間があった。
王子の運命の相手が、生きているとわかったときから、王妃は彼女を連れ戻すための血を捧げるのは自分だと、口にしていた。
王子の運命の相手は、加護の力によって、この世界から遠く離れた別の世界へ渡っていた。
この世界にいては、対価という名目のもと、均衡を取り戻すために、世界が彼女を殺してしまうから。
この世界から彼女が消えたことで、この世界で彼女が生きるはずだった時間は失われた。
死するはずだった者が生き、生きるはずだった者が世界から消えた。
そうしてこの世界は、均衡を取り戻した。
けれど彼女は。
彼女が渡った世界の方は、均衡が崩れはじめていた。
本来であれば存在するはずのない者が存在している。
その異質な存在を、世界は消そうとした。
けれど、彼女の加護の力は強く、世界は彼女に手を出すことができなかった。
16の加護がある限り、彼女が世界に消されることはない。
彼女は、加護の力でかろうじて存在できている状態だった。
加護がなくなれば、彼女は死ぬ。
16の加護の効力は、その名が示す通り、16年しか効力が続かない。
彼女が16になれば、加護の力は消え、世界は容赦なく彼女を殺す。
これは、1つの賭けだった。
16の加護の効力が切れるとき、こちらの世界で死すべきだった王妃の命と引き換えに、生きるべきだった彼女を連れ戻す。
結果は変わらないかもしれないけれど、せめてこの世界の両親と同じ墓に入れてやりたいと、そう願っていた。
けれど王子は最後まで反対していた。
王妃でなくともいいだろう、と。
王子自らが、己の血を捧げるべきだ、と。
友のためにも、自分1人だけが幸福を手にするのは間違っていると。
王子は、最後まで抵抗したが、結局、王妃が望んだ通りにことは進んでいった。
王妃がその血を捧げ、この世界に彼女は戻って来た。
賭けにも勝ち、世界は彼女を消そうとはしなかった。
その事実が、王子を苦しめた。
いや、この時点では王子は王となっていた。
周囲に流されるままに王となり、母を犠牲に目の前に置かれた幸福。
己のために愛を失った友がいながら、手を伸ばせば届く場所に愛しい子がいる。
触れたい、抱きしめたい、声を聞きたい、その目に自分を映してほしい。
友が2度と得ることのなくなった感情を、自分が得ていることに嫌悪した。
けれど、それを救ったのも友だった。
友が言った。
「キミは、僕の分まで幸せになって。そして、彼女をキミ以上に幸せにしてあげて。そうじゃないと、僕はキミを許さないよ。あの日の禁術は、成功したんだって、僕は思っているんだから」
王は。
「私は、誓った。誰よりも、幸せにしてやると」
真っ直ぐに私を見つめてくるキリルに。
どうしよう……。
言葉が見つからない。
「わかっていると思うが、世界を渡った運命の相手はあなたのことだ。父が願ったばかりに、あなたの運命を狂わせてしまった。こちらの世界にいることが、あなたの幸福だと、私が誰よりも幸せにしてやると思っていたが、違っていた」
悲し気に、キリルが視線を逸らす。
「あなたにとっては、生まれ育ったあちら側があなたの世界なのだな。だから」
立ち上がったキリルは背を向け、歩き出す。
「ゆっくり、考えるといい。私はいつでも、あなたをあなたの世界へ帰してやる」
言い残し、キリルは部屋を出て行った。
部屋に残されたのは、トーリャと私。
「スヴェトラーナ様」
ぽつり、トーリャが言う。
「僕はね、キミの居場所はここだって、ここであってほしいって思ってる。だから、話させたんだ。僕ってひどい男だよね。この話を聞いて、キミが困るってわかっていながら、こうしたんだもん」
自虐的に、トーリャが笑う。
「キミはキリルを選んでくれるよね。気持ちの整理に少し時間がかかるだけで、キミはこの世界で生きることを受け入れる」
「……そんなこと、言われても」
困る。
「急に、そんなこと言われても、信じられないよ……」
ウソ。
本当は、心のどこかでわかっている。
この話が、真実だって。
「うん。そうだよね」
トーリャは言う。
「ゆっくり考えて、少しずつ受け入れていくといいよ。時間はたくさんあるから」
そう言って、トーリャは部屋を出て行った。
1人で、考える時間をくれたってこと?
1人になったところで、頭の中がグチャグチャなのは変わりないけど。
考えなきゃ。
頭の中がグチャグチャで、どうすればいいのかわからないけど、考えなきゃ。
私は、どうするべき?
どうすればいい?
どうしたい?
最初は、帰りたかった。
突然知らない場所に連れて来られて、不安で。
キリルも、なにを考えているのかわからなくて。
でも、優しかった。
少し不器用なだけで、キリルは優しい人だ。
帰りたくないわけじゃないけど、キリルの傍にいたいって少なからず思っている。
元々は、この世界で生まれるはずだったなら、私はここにいるべき?
でも、お父さんとお母さんは?
心配してる?
世界の均衡を取り戻すことで、私に関わっていた人たちにどれだけの変化が与えられるのか、わからない。
私は、最初から存在していなかった。
そんな世界になっていたら、少し寂しいけど、そうであってほしい。
もう2度と戻らない私を探し続けるなんて、悲しいもん。
そんなことを1人で考えても、どうなっているかなんてわからないけど。
1人で、考えても……。
そうか。
わからないなら、聞けばいい。
私は、部屋をあとにした。
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リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
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