桜1/2

平野水面

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出たとこ勝負

僕は伝説の中で

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 初恋は実らないと、よく言ったものだ。
 まだ失恋から完全には立ち直れてない。
 けれど告白から時間が経過して平常心とは行かないまでも、感情をコントロールできるようにはなっていた。
「そろそろ帰ろうか?」
 恵さんに促されベランダから教室へ。
 机の上に置いてある鞄を掴んで、恵さんと廊下を歩いた。
 もう六時という時間帯もあってか、校内で見かける生徒の姿は少ない。
 吹奏楽部から繰り返し聞こえていた『上を向いて歩こう』は、全体練習を終えたのか各パートに別れて練習しているようだ。
 もう涙は出ないものの、上を向いて歩けるほど僕のメンタルは強くはなく、沈んだ気持ちに引っ張られるままに地面を見つめながら歩いた。
 中央階段から三階から一階へ下りている途中で立ち止まった恵さんから「ねえ、ちょっといい」と呼び止められた。
 僕は振り向き、二段高い所で微笑む恵さんを見上げる。
「至恩にお願いがあるの」
「お願いとは?」
「できるだけ麗と過ごす時間を大切にしてあげて」
 僕は小首を傾げてから「なぜ」と訊ねた。
「至恩の記憶と多重人格が治れば、私と亜希ちゃんとおばさんは事故前の至恩と再会できるわ。でも麗には今の至恩しか存在しない。君が消えてしまったら何も残らないの。だから麗とたくさんの思い出を作ってほしいの」
 恵さんは不器用な笑顔をしていた。
 精一杯強がっているように見える。
 残念ながら今の僕にはそれを断る気概は無い。
 情けないことに麗さんから優しく慰められたいと願っているからだ。
 僕は黙って三度頷いて答えた。
「ありがとう。実は麗を玄関で待たせているの。早く行ってあげなきゃね」
 恵さんは僕の右手首を掴んでぐいぐいと引っ張って前を歩く。
 僕から恵さんの表情を窺い知ることはできないけれど容易に想像はできた。 
 歩く速度はどんどん速くなって行く。
 階段を降りてすぐ隣には玄関がある。
 出入口のすぐ外で麗さんの後ろ姿があった。
 靴を履き替えるため一旦恵さんと別れた。
 靴を履いてから麗さんの背後から「部活お疲れさま」と声をかける。
 麗さんが振り向いた直後は一瞬驚いた表情をしていたけど、僕を見るなり表情が綻んだ。
「おう、お疲れ至恩」
 僕と麗さんが挨拶をしている間に恵さんは僕らの前を足早に横切って行った。
 恵さんは一度立ち止まり、振り向きもせずに大きな声で言った。
「急用があったのを忘れてたわ。もう帰るね。さようなら」
 恵さんは走り去ってしまった。
 残された僕と麗さんはお互いに見つめ合ったまま呆気にとられた。
「おい至恩、恵と何かあったな?」
 僕らのやり取りを話して良いものかと悩んだけれど、僕たち文芸部の間に隠し事をあっては妙な誤解を招くかもしれないし、何より傷ついた心を癒してほしい。
 僕は麗さんにベランダでのやり取りを包み隠さず話した。

    *    *

「そんなことが。なら私は恵の好意に甘えさせてもらう。ということで至恩は遠回りになるけど、か弱い私が何かあるかもしれないからバス亭まで送ってくれ」
 麗さんは「シシシ」と笑って有無も言わさずに恋人繋ぎをして歩きだした。
 グラウンドと校舎の間の一本道を通って南側の正門へ。
 いつもなら左折して帰るけれど、今日は遠回りをするために右折。
 麗さんと最寄のバス停まで歩いた。
 恵さんの公認とはいえ、フラれたばかりの僕は節操もなく麗さんと下校デートをしている。
 少しばかりの後悔と罪悪感で複雑な心境になった。
 けれど麗さんの屈託のない笑顔と竹を割ったような性格が、失恋直後の僕の心を癒してくれているのも事実。
 僕は麗さんの優しさにどっぷりと甘えていた。
 会話の中心は陸上部であった出来事。
 練習中の白井先生の親父ギャグが寒くて熱中症対策になるという冗談を言ったり、鈴村が「師匠」と言って絡んできてウザイとか、冗談を言い合っていた。
 バス停に着くまでの時間があっという間だった。
 
 公園前バス停。
 歩道のすぐ隣には地元で有名な大きな公園がある。
 平日の夕方もあって人は少なく静かであった。
 次のバスが来るまで時間まで数十分待ち。
 ここは大都市と違って頻繁にバスが来るわけではない。
 僕の住む地方都市はマイカー通勤する人が多い車社会であった。

「バスが来るまで居るよ」
「サンキュー至恩」
 僕と麗さんは黄昏色に染まる街なみを眺めながら会話をした。
「至恩は知らないと思うが、この公園前のバス停はな、春は凄く綺麗桜が咲くんだぜ」
 麗さんは右手の人指を上に向けた。
 僕は指差す方を見上げる。
 公園の敷地から飛び出した桜の枝が雁木造りのように歩道を上を覆っていた。
 桜の緑葉は夕焼け色に染まって綺麗だった。
 そこに突然掌サイズの何かが僕の視界をふさいだ。
 それは麗さんのスマホだった。
 スマホには引きで撮られたバス停の桜の画像が映っていた。
「凄く綺麗だ」
「な、そう思うだろ? 我ながら良い写真が撮れたと思う」
 気がつくと空に掲げたスマホの画像を見る麗さんの顔が僕の顔の真横にあった。
 顔をもう少し寄せれば、頬にキスが出来そうな距離。
 車や人通りの多い往来で顔を寄せ合う僕らは、端から見たらバカップルに映るだろうか。
 僕の視線に気づきた麗さんは、日焼けした顔、耳、首の至る所まで真っ赤になった。
 麗さんは慌てて離れる。
 僕らはしばらく沈黙が続いた。
 そこはかとなく気恥ずかしい雰囲気。
 場を繋いでくれたのは街の喧騒だった。
 何かこの気恥ずかしさを誤魔化せる会話はないかと見上げると、雁木のような緑葉の枝。
 僕はとある事を思い出し、思わず呟いてしまった。
「そう言えば春、僕は恵さんと花見に行ったな」
「ああ、それの話は恵かれ何度も聞かされてうんざりだぜ。まさか至恩からも聞く羽目になるとはな」
 麗さんは不機嫌になる。
 こんな形で気恥ずかしさを誤魔化すのは不本意だ。
 気まずい雰囲気なってしまう。
 恋愛経験のない僕でもこれは悪手だとすぐに気づいた。
「なんか……ごめん」
「別に気にすんなよ。あ、悪いという気持ちがあるならよ、来年は私と花見デートしようぜこの公園で。なんなら私が弁当とか作るし。そうしよう、是非そうしよう」
 麗さんは勝ち気な笑顔を見せた。
 けれど僕にとっては辛いものだった。
「その約束を守れる自信はないから。僕はもう消えて無くなるかもしれない。僕は本来はあるべき所へ戻るから」
 麗さんは少し間をあけてから答えた。
「私は奇跡を信じるぜ」
「え、いや、だって僕は偽物コピーだし」
「ここまでの高校生活を振り返ってみろよ至恩。お前は何度も奇跡を起こしてきた。いじめとリレーの困難をはね除けてきた。今回の多重人格の件もきっと奇跡を起こしてくれると私は信じているぜ」
「いや、それは――」
「頼む、私から希望を奪わないでくれ。それが叶わない約束だとしても。嘘でも構わない。来年は一緒に花見デートに行くって約束してくれよ」
 こんなにも悲しげに微笑む人を初めて見た。
 いや、初めてではなくこれで二度目。
 校舎の中央階段で恵さんが見せたあの悲しげな笑顔に似ていた。
 でも僕は守れない約束はできない。
「僕は多分消える。だからその約束は――」
「私は信じんない。最後の最後まで諦めない。頼むから『行く』って言ってくれ」
 これは断れそうもないと思った。
 だから僕は。
「分かった約束するよ。でも確約はできないから。僕が消えるっていう覚悟はしていほしい」
 これで納得してくれと思った。
 麗さんは再び勝ち気に「シシシ」と笑った。
 なぜそんな風に笑えるのだろうと不思議に思っていると。
「約束してくれた至恩に報いなきゃな。私も至恩に約束する」
「何を?」
「私は至恩を消させはしない」
 僕は慌てて首を横に振って反論した。
「いや、それは無理――」
「それが出来るんだぜ私は。オリンピックの百メートル走で必ずメダルを獲る。そして私は伝説になる。その伝説の中には、私を陸上の道へ戻してくれた恩人として月島至恩の名前が残る。私の名前と共にな。お前は……お前は私の伝説の中で、永遠に栄光の道を走り続けるんだ。絶対に至恩は消えないから。消させはしない」   
 麗さんは勝ち気な笑顔のまま泣いていた。
 僕は感情的になって麗さんを優しく抱き締めた。
 失恋ばかりの男が、節操もなく他の女の子を抱き締めている。
 恵さんへの罪悪感は感じつつも、今の麗さんを抱き締めてたいという感情が勝った。
「ありがとう。できることなら僕と麗さんの両方の約束が果たせたら良いなと思ってる。僕は少し欲張りかな?」
「欲張りな至恩が好き。大好き」
 抱き合っている間にバス停にバスが止まり扉が開く。
 降りる数人の乗客から視線を感じたけれど、抱き合う僕らは動じることなく、二人だけの世界に浸っていた。
「もう少しこのままで居ようか?」
「至恩の欲張り」
「欲張り僕は嫌い?」
「大好き」
 やがてバスの扉は閉じて走り出して行った。
 夕日は傾いて雁木のような緑葉の枝よりも下り、街の地平線の僅か上にあった。
 何ものにも遮られない美しい金色こんじきの夕日。
 あの輝きはいつか麗さんが手にするメダルの色であってほしいと願った。
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