君は煙のように消えない

七星恋

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1章

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 喫煙所を出たその足で自室へ向かう。学校からは歩いて5分。六畳一間、ユニットバス、インターネットは各自契約で家賃三万のボロアパートだ。この前の台風で瓦が落ちて来ていて女の子を招待するには少し、というかかなり心許ない。それでも住めば都と言うやつで、自分はわりと気に入っている。
 鉄でできた脆弱な階段をギシギシならしながら昇る。段は全部で十三。昔テレビで、十三階段のアパートにはこの世のものではないものが出る、と言った怪談話を聴いたが、今のところそうゆうものとは遭遇していない。階段を上りきり、右向け右で正面に来るのが僕の城だ。ここではもう外からは干渉されない、治外法権成立だと言いたいところだが、お隣さんと僕を隔てる壁はコンドーム並みに薄いため、僕は静かに暮らしている。
 部屋につく。靴を脱ぎ、靴下を剥ぎ、ジャケットを取り上げる。楽な服装に着替えて完全にオフモード、そのまま地べたに引かれたマットレスに沈む。元々は山川先生に聴きに行った課題の続きをしようと計画していたのだが、どうもやる気が起こらない。今日一日でいろいろ考えすぎたのだ。一度整理しないと脳の記録が追い付かない。環境と言う先生が黒板に訳のわからない言葉の羅列を書きなぐる。僕は必死で板書をとるが置いてきぼりを食らっている。もう少し優しくあってほしい。
 今日は、というより今日の午後以降はいろいろありすぎた。山川先生と話した。僕が泣いた。泣き止んだ。先生がコーヒーをいれた。二人で笑った。紗綾と話した。僕が勇気づけた。紗綾が泣いた。泣きながら笑った。一人で煙草を吸った。泣き出しそうになった。
 そして今、僕は何故だか泣いている。天井の薄く黄ばんだ白を眺めながら、涙を溢れさせている。無慈悲な重力に逆らえないそれは、僕の頬を伝い、耳を横切る。鬱陶しいが拭く気も起きない。いや、またそんな自分を哀れむナルキシズムが発動しているのかもしれない。そう思うと気恥ずかしくなって、やっと僕は自分の服の袖を顔の上半身に擦り付けた。
 結局僕は何がしたいのだろうか。別れて二週間が経った。山川先生の言うとおりだ。やっぱり僕は明日を見ていない。あの時死んだ、彼女と別れなかった僕の亡霊を追っている。見つめるべきは今であり、過去は起こった事実という認識でとどめておくべきであり、生きる以上どうあがいても明日はやってくる。
 紗綾に僕が言った言葉も間違いではないはずだ。過去を愛してしまうのはしかたない。でも、恋してしまえばそこから逃れられない。その過去は特別なものではない。他に受容すべき、過去、今、未来、そして他者との関わりがある。
 そこまで分かるのに、言葉にできるのに、僕は未だ僕の進む道がわからない。見えない。どうしようもない僕が憎たらしい。この期に及んでまだ彼女を想う僕を消し去りたい。
 一通り泣いたら気持ちは少し落ち着いた。脳の整理はできていない。ジャケットを羽織り、ベランダに出る。ポケットから煙草とライターを取り出す。風避けに使う左手が暖かい。深呼吸をするように煙を肺に入れ、外に出す。肌寒い夜に吸う煙草はどこまでがその煙で、どこからが飽和して水滴が可視化された呼気なのかわからない。そんな曖昧さが嫌いではない。冷たい夜風にさらされて、涙の通った道筋がはっきり確認できた。別れを切り出したときの彼女の涙を思い出す。曖昧で混沌とした煙を口から吐き出す。普段よりいっそう白い煙がふわふわとよろめきながら風にさらされ闇の隙間に消えていく。二週間経っても君は煙のように消えない。
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