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2章
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自分史上最も長かった九十分の終わりを告げる鐘がなる。教室という空間の中で概念化された「前」で話す教授の話を遮り、周りの学生たちは鞄に筆記具をつめたり、立ち上がったり、歩きだしたり、何か詰めていたものが取れたように話し出したり、とにかくその場に喧騒が溢れた。講義が終った今、彼彼女らにとっての「前」は黒板やスライドが置かれているところではなく、各々が向く方向だ。
その喧騒の中、一人僕は方向感覚を失っていた。未だに目の前はぼんやりしている。声をかけられた。右か左か、はたまた後ろか。左肩を揺すられた。そちらを向く。ボケたピントが少しずつ発話者の輪郭を捉える。それが紗綾だと認識する。
「ねえ。大丈夫?」
「あ、うん。大丈夫。」
「本当に?授業中ずっとボーっとしてたけど。」
そういえばコンビニを出てそのまんま、紗綾は授業中も僕の隣にいた。それすらも忘れるほど、僕は気をどこかに置いてきていたらしい。
「ちょっとコーヒー飲みたいんだけど。付き合ってよ。」
そう言って紗綾は強引に僕を連れ出した。教室内の騒ぎがフェードアウトしていく。
学内には有名なアメリカ発のコーヒーチェーン店がある。単色のロゴがプリントされたカップに期間限定の甘いドリンク、それを片手にコジャレた店内で勉強と言う名の談笑。これにつられない大学生はまあいない。皆、なけなしの金を財布から取り出し、銀の受け皿に乗せては商品を受け取り、あー金がないとはしゃぐのだ。
そう言う学生生活が苦手な僕は別に格好をつけるわけでもなく普通のブレンドコーヒーの一番小さいサイズを頼む。紗綾も似たようなものでカフェラテを頼んでいた。
ほぼ同じタイミングで商品を受け取った僕らは適当な場所に陣取る。ガラス張りの店内の隅。小さな机を挟み対面した僕らは、外から見れば以外とカップルに見えなくないのかもしれない。
「さっきの人、」
「え。」
急に紗綾が切り出すものだから、僕は紙のカップに口をつける寸前のところで驚く。
「元カノでしょ。あのコンビニ出たところですれ違った人。」
なんでわかったのと紗綾に問いかけた。彼女に元カノの写真を見せた覚えはない。
「わかるよ。あの反応見れば私でも。そのあと何を言っても反応が上の空って感じだったし。」
本当に心に大きな衝撃を与えられたとき、人は平然を装えないらしい。それにしてもそこまでひどかったとは。
「にしてもさあ、あまりにもショック受けすぎじゃないかな。いくら向こうに気付かれなかったからって。」
「いや、別にそのせいじゃないんだ。」
自分は彼女にシカトされた事で心を痛めたわけではない。
「彼女の顔がね、あまりにも悲壮に満ちていたから。」
紗綾の顔つきが変わった。少しこの答えは以外だったらしい。僕は一口コーヒーを口に含んだ。彼女もカップに口をつけた。
「たぶん、まだちゃんと話してなかったよね。僕が彼女にふられた理由。」
何かを決断したわけではなく、ただ話の流れでそうなったわけだが、僕は少し重たい話をした。コーヒーを、カフェラテを飲みながら。冷める前に、手短に。
彼女が鬱ぎみであることがわかったのは付き合って三ヶ月ほどした時の事だった。それまでは普通にデートをし、美味しいご飯を食べ、たまに体を重ねた。
ある日から少し表情が暗くなり始めた。大学の課題、バイト先での人間関係、学外で行っているボランティア活動の影響。とにかく色々あったらしい。彼女は人より少し多くの事を考える性格だった。僕ならどうでもいいと放っておくことも、彼女にとってはいつも無視できない存在だったらしい。そんな彼女を僕は嫌いじゃなかった。自分にはない魅力を持つ彼女の深みにもっとはまった。辛いなら僕を頼ればいい。頼られる事に僕は僕の生きる意味を見いだした。
彼女に元気になってもらうため、僕は色々なことを試みた。美味しいご飯の作り方を研究した。デートも彼女が喜びそうなところを選んだ。ベッドの上で愛し合うときも、とにかく彼女の事を考えた。その甲斐あってか、そう言う時の彼女はいつも楽しそうだった。
しかし、鬱の波と言うものは大概第二波、三波がやってくるようで、躁状態と言うのはそんなに長く続かない。そして楽しい時間の密度が濃ければ濃いほどに、次の波は高く、大きくなる。
そんな一年を過ごした彼女に僕はこう言われた。
「あなたといると、助けられてばかりいる私が惨めになる。」
そんなことはない。僕もいつも君に助けられている。
「私はあなたの荷物だ。」
違う、大切な恋人だ。
「そう思ってしまうから、あなたといると疲れてしまう。」
あんなに僕といると落ち着くっていってくれたじゃないか。
「あなたは確かに優しい。でも、その優しさが今私を苦しめている。」
そう言われると返す言葉はない。いつの間にか、数ある彼女の鬱要因に「僕」が入っていたようだ。
そこまで言うと彼女は泣き出した。涙をこれ以上見たくなかった僕は別れを切り出した。
いつの間にか二人のコーヒーは半分以上減っていて、かなり温度を失っていた。
「大変だったんだね。」
紗綾が言った。
「彼女がね。僕にとっては、少なくとも楽しく過ごした一年だったよ。」
「そんなに自分を責めないで。」
そう言った後、紗綾が核心をついてくる。どうしてさっきあんなに落ち込んでいたの?
その喧騒の中、一人僕は方向感覚を失っていた。未だに目の前はぼんやりしている。声をかけられた。右か左か、はたまた後ろか。左肩を揺すられた。そちらを向く。ボケたピントが少しずつ発話者の輪郭を捉える。それが紗綾だと認識する。
「ねえ。大丈夫?」
「あ、うん。大丈夫。」
「本当に?授業中ずっとボーっとしてたけど。」
そういえばコンビニを出てそのまんま、紗綾は授業中も僕の隣にいた。それすらも忘れるほど、僕は気をどこかに置いてきていたらしい。
「ちょっとコーヒー飲みたいんだけど。付き合ってよ。」
そう言って紗綾は強引に僕を連れ出した。教室内の騒ぎがフェードアウトしていく。
学内には有名なアメリカ発のコーヒーチェーン店がある。単色のロゴがプリントされたカップに期間限定の甘いドリンク、それを片手にコジャレた店内で勉強と言う名の談笑。これにつられない大学生はまあいない。皆、なけなしの金を財布から取り出し、銀の受け皿に乗せては商品を受け取り、あー金がないとはしゃぐのだ。
そう言う学生生活が苦手な僕は別に格好をつけるわけでもなく普通のブレンドコーヒーの一番小さいサイズを頼む。紗綾も似たようなものでカフェラテを頼んでいた。
ほぼ同じタイミングで商品を受け取った僕らは適当な場所に陣取る。ガラス張りの店内の隅。小さな机を挟み対面した僕らは、外から見れば以外とカップルに見えなくないのかもしれない。
「さっきの人、」
「え。」
急に紗綾が切り出すものだから、僕は紙のカップに口をつける寸前のところで驚く。
「元カノでしょ。あのコンビニ出たところですれ違った人。」
なんでわかったのと紗綾に問いかけた。彼女に元カノの写真を見せた覚えはない。
「わかるよ。あの反応見れば私でも。そのあと何を言っても反応が上の空って感じだったし。」
本当に心に大きな衝撃を与えられたとき、人は平然を装えないらしい。それにしてもそこまでひどかったとは。
「にしてもさあ、あまりにもショック受けすぎじゃないかな。いくら向こうに気付かれなかったからって。」
「いや、別にそのせいじゃないんだ。」
自分は彼女にシカトされた事で心を痛めたわけではない。
「彼女の顔がね、あまりにも悲壮に満ちていたから。」
紗綾の顔つきが変わった。少しこの答えは以外だったらしい。僕は一口コーヒーを口に含んだ。彼女もカップに口をつけた。
「たぶん、まだちゃんと話してなかったよね。僕が彼女にふられた理由。」
何かを決断したわけではなく、ただ話の流れでそうなったわけだが、僕は少し重たい話をした。コーヒーを、カフェラテを飲みながら。冷める前に、手短に。
彼女が鬱ぎみであることがわかったのは付き合って三ヶ月ほどした時の事だった。それまでは普通にデートをし、美味しいご飯を食べ、たまに体を重ねた。
ある日から少し表情が暗くなり始めた。大学の課題、バイト先での人間関係、学外で行っているボランティア活動の影響。とにかく色々あったらしい。彼女は人より少し多くの事を考える性格だった。僕ならどうでもいいと放っておくことも、彼女にとってはいつも無視できない存在だったらしい。そんな彼女を僕は嫌いじゃなかった。自分にはない魅力を持つ彼女の深みにもっとはまった。辛いなら僕を頼ればいい。頼られる事に僕は僕の生きる意味を見いだした。
彼女に元気になってもらうため、僕は色々なことを試みた。美味しいご飯の作り方を研究した。デートも彼女が喜びそうなところを選んだ。ベッドの上で愛し合うときも、とにかく彼女の事を考えた。その甲斐あってか、そう言う時の彼女はいつも楽しそうだった。
しかし、鬱の波と言うものは大概第二波、三波がやってくるようで、躁状態と言うのはそんなに長く続かない。そして楽しい時間の密度が濃ければ濃いほどに、次の波は高く、大きくなる。
そんな一年を過ごした彼女に僕はこう言われた。
「あなたといると、助けられてばかりいる私が惨めになる。」
そんなことはない。僕もいつも君に助けられている。
「私はあなたの荷物だ。」
違う、大切な恋人だ。
「そう思ってしまうから、あなたといると疲れてしまう。」
あんなに僕といると落ち着くっていってくれたじゃないか。
「あなたは確かに優しい。でも、その優しさが今私を苦しめている。」
そう言われると返す言葉はない。いつの間にか、数ある彼女の鬱要因に「僕」が入っていたようだ。
そこまで言うと彼女は泣き出した。涙をこれ以上見たくなかった僕は別れを切り出した。
いつの間にか二人のコーヒーは半分以上減っていて、かなり温度を失っていた。
「大変だったんだね。」
紗綾が言った。
「彼女がね。僕にとっては、少なくとも楽しく過ごした一年だったよ。」
「そんなに自分を責めないで。」
そう言った後、紗綾が核心をついてくる。どうしてさっきあんなに落ち込んでいたの?
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