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2章
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「止め方を知らん、ねえ。」
気がつくとまた山川先生のオフィスに来ていた。今回は特に用事があった訳ではない。なんとなく暇なので顔を出してみた。遊びに来ましたと言うと先生は「こんなところに遊びに来るな。夢の国行け」と悪態を吐きながら、にやついていた。
「なかなか良いことを言うじゃないか。」
今朝の廉との話を一通り聴いた先生はコーヒーを飲みながら感心している。
「確かにええんちゃうか、紗綾。可愛らしい顔してるし、色気もあるがな。胸はないけど。」
「仮にもそれが教授の言葉ですか?」
「山川先生やなくて、山川さん一個人の意見や。」
何を得意気になっているのかさっぱりだが、この人のモラルをドブに捨ててきたような物言いは嫌いじゃない。
「んで、肝心なお前の意見はどうやねん。」
そう聞かれると返答に困った。確かに紗綾は魅力的な女性だと思う。綺麗で、優しくて、頭が良い。状況に応じた身の振り方を心得ている。
ただ、やはり元カノの存在が大きすぎる。一年連れ添い、本気で将来を考えた彼女の影は簡単には消えない。紗綾の言動が彼女と被る。紗綾との違いが、より彼女を色濃くする。彼女の影は僕だけでなく、紗綾や他の女性にも付いている。
迷いに迷った僕は辛うじて「素敵な女性だとは思います。」と答えた。抽象的やなあと先生は笑った。
まあでもな、と先生が口を開いた。
「実際止め時ってのは難しいもんよ。」
「先生でもですか?」
「おうよ。」
熱いコーヒーをズズっとすする。二周ほど首を回し脱力した先生がすっと僕の目を見つめる。
「例えば俺ももう今年で五十五歳や。本来ならあと十年で定年退職。実際のところその辺のサラリーマンよりようけ金もろてるから、早めに退職しても問題はないよ。」
でもな、と先生が続ける。
「やっぱり人間欲が出る。まだ金がほしい。ここまで努力して得たポストを手放したくない。特に日本みたいな年功序列の世界じゃ、闘う牙をなくしてもキャリアという鬣だけでライオン達は生きていける。」
年功序列というある種実力主義とは正反対にあるような社会を弱肉強食である野生の世界に例えるアイロニーがなんとも山川先生らしい。
「かくゆう自分もなんだかんだで手放したくない事が多い。将来への不安とかそんなんではなく、現状への窮乏と言うべきか。もっと良い今が欲しいってゆう気持ちがおっさんになってもやっぱりあるねん。こうゆう現状があるから日本は若手が育ちにくい。ようわかってるけど手前の気持ちに折り合いつけるのは何歳になっても難しいもんや。」
そう言った先生の目にはどこか哀愁が漂っていた。現代社会への憂いと、その社会悪である自分を許したいという気持ちが同居した瞳はやっぱり僕の深淵を覗くように、じっとこちらを見ている。
「だからなあ、別にお前も無理することはない。確かに欲張ってたくさんの物を背負うのは大変や。だから多くの人は大人になる過程で不要な物を落としていく。それは愛やったりもするし、自分の幸せやったりもする。でもなあずっと重いもん背負ってる人間には勝手に筋肉もついてくるもんや。やから、そういう生き方もありなんちゃうか。」
「僕、このまんま行くとすごい健脚なりそうですね。」
「お前に太い足は似合わんな。」
そういって先生は声高らかに笑った。
「あとなあ、こういう言葉もある。終らせてる勇気があるなら、続きを選ぶ恐怖にも勝てる。」
「誰の言葉ですか?」
「BUMP OF CHICKEN。」
意外過ぎてコーヒーを吹いた。娘が教えてくれた、と優しく笑う先生の顔は牙を失くしたライオンというより、どこにでもいる優しい父親だった。
気がつくとまた山川先生のオフィスに来ていた。今回は特に用事があった訳ではない。なんとなく暇なので顔を出してみた。遊びに来ましたと言うと先生は「こんなところに遊びに来るな。夢の国行け」と悪態を吐きながら、にやついていた。
「なかなか良いことを言うじゃないか。」
今朝の廉との話を一通り聴いた先生はコーヒーを飲みながら感心している。
「確かにええんちゃうか、紗綾。可愛らしい顔してるし、色気もあるがな。胸はないけど。」
「仮にもそれが教授の言葉ですか?」
「山川先生やなくて、山川さん一個人の意見や。」
何を得意気になっているのかさっぱりだが、この人のモラルをドブに捨ててきたような物言いは嫌いじゃない。
「んで、肝心なお前の意見はどうやねん。」
そう聞かれると返答に困った。確かに紗綾は魅力的な女性だと思う。綺麗で、優しくて、頭が良い。状況に応じた身の振り方を心得ている。
ただ、やはり元カノの存在が大きすぎる。一年連れ添い、本気で将来を考えた彼女の影は簡単には消えない。紗綾の言動が彼女と被る。紗綾との違いが、より彼女を色濃くする。彼女の影は僕だけでなく、紗綾や他の女性にも付いている。
迷いに迷った僕は辛うじて「素敵な女性だとは思います。」と答えた。抽象的やなあと先生は笑った。
まあでもな、と先生が口を開いた。
「実際止め時ってのは難しいもんよ。」
「先生でもですか?」
「おうよ。」
熱いコーヒーをズズっとすする。二周ほど首を回し脱力した先生がすっと僕の目を見つめる。
「例えば俺ももう今年で五十五歳や。本来ならあと十年で定年退職。実際のところその辺のサラリーマンよりようけ金もろてるから、早めに退職しても問題はないよ。」
でもな、と先生が続ける。
「やっぱり人間欲が出る。まだ金がほしい。ここまで努力して得たポストを手放したくない。特に日本みたいな年功序列の世界じゃ、闘う牙をなくしてもキャリアという鬣だけでライオン達は生きていける。」
年功序列というある種実力主義とは正反対にあるような社会を弱肉強食である野生の世界に例えるアイロニーがなんとも山川先生らしい。
「かくゆう自分もなんだかんだで手放したくない事が多い。将来への不安とかそんなんではなく、現状への窮乏と言うべきか。もっと良い今が欲しいってゆう気持ちがおっさんになってもやっぱりあるねん。こうゆう現状があるから日本は若手が育ちにくい。ようわかってるけど手前の気持ちに折り合いつけるのは何歳になっても難しいもんや。」
そう言った先生の目にはどこか哀愁が漂っていた。現代社会への憂いと、その社会悪である自分を許したいという気持ちが同居した瞳はやっぱり僕の深淵を覗くように、じっとこちらを見ている。
「だからなあ、別にお前も無理することはない。確かに欲張ってたくさんの物を背負うのは大変や。だから多くの人は大人になる過程で不要な物を落としていく。それは愛やったりもするし、自分の幸せやったりもする。でもなあずっと重いもん背負ってる人間には勝手に筋肉もついてくるもんや。やから、そういう生き方もありなんちゃうか。」
「僕、このまんま行くとすごい健脚なりそうですね。」
「お前に太い足は似合わんな。」
そういって先生は声高らかに笑った。
「あとなあ、こういう言葉もある。終らせてる勇気があるなら、続きを選ぶ恐怖にも勝てる。」
「誰の言葉ですか?」
「BUMP OF CHICKEN。」
意外過ぎてコーヒーを吹いた。娘が教えてくれた、と優しく笑う先生の顔は牙を失くしたライオンというより、どこにでもいる優しい父親だった。
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