パリとかローマのカフェで映画を語りながら本を読む虚構の住人

七星恋

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[インセプション]夢ならば覚めないでとはよく言ったもの

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 夢の世界を自由自在にコントロールできたなら。そんな馬鹿げた空想を誰しもしたことがあるだろう。筋骨隆々な男になって周りの人間をあっと言わせたい。突然賢くなってあの名門大学に入りたい。私は女スパイになってやる。大好きなあの子とあんな事やこんな事を…。
 では誰かの夢の中に入れたら、と想像したことはありますか?その夢の中で彼、彼女の大事にしまっている情報を抜け出せたら。さらには強烈な、でもシンプルなアイデアを埋めこみ、それで相手の行動を変えることができたなら。
 『インセプション』という映画は簡単に言えばそんな映画です。一般的な人々の考えの上位互換とも言えるようなアイデアに緻密な構成やルールで肉付けし、美しい映像や音楽を持って大衆に見せつけるのがクリストファー・ノーランという監督なのです。
 本作のあらすじをざっくり説明しますと、主人公(レオナルド・ディカプリオ)は依頼を受けとある男(渡辺謙)から情報を抜き出そうとします。しかしこれに失敗。依頼主に殺されるかもしれない上、とある事情で故郷であるアメリカにも帰ることができないため、ブエノスアイレスへの高跳びを決心するのですが、ここでこの渡辺謙が彼に交渉を呼び掛けます。それは「競合している会社の社長の息子にアイデアを埋め込み(インセプション)彼にその会社を潰させろ。そうすれば君を本国に返してやろう」というものでした。国に残した二人の子どもに会うためにディカプリオはチームを結成。御曹司への接触を図るのです。
 役名等を覚えるのが苦手な上、ストーリーがかなり複雑なため(ネタバレ防止という意味もありますが)説明がかなり大雑把にはなりましたが、まあ要約すればこんなところです。
 感想としましては、まずクリストファー・ノーランの構成の練りように驚愕したというのが一点です。兎に角話が複雑です。この作品の中には幾つかのルールが存在し、これがストリーの展開に沿って暗示的に(時には明示的に)予め説明した上で御曹司へのインセプションに移るのですが、それがあってもややこしい。決してその暗示的な説明が分かりにくいわけではありません。本筋のストーリーが阻害されないように、それでも分かりやすく提示されるわけなのですが、それでもこの作品を難解にしているのがノーランお得意の時間軸を使った手法です。
 インセプションを決行しようとするシーンでは夢を三段階で見させます。つまり夢の中の夢の中の夢まで主人公グループと御曹司が潜るわけです。そして夢を見ている時僕らの脳内は十分の一倍のスピードで物事を処理していると言うのが本作のキー設定です。あえて変な例えを出しましょう。もしあのリンゴの木の下でニュートンが眠っていたとしましょう。リンゴが落ちる数秒の間に、彼は幾分ぶんの経験を夢の中で体感しています。映画の話に当てはめるなら現実世界で一秒経つごとに夢の世界では十秒、その夢の世界では百秒、さらにその夢の世界では千秒経つわけですね。この現実世界との時間経過の乖離は夢の階層が進めば進むほど、また経つ時間が長ければ長いほど大きくなります。これに加え本作ではそれぞれの階層の描写が何度も入れ替わって挿入されます。ただでさえややこしい物語をさらにややこしくする。ノーランは馬鹿に親でも殺されたのでしょうか。
 時間軸を活用した手法というのは彼が好む技法のようで、『メメント』という作品に当時高校卒業したての僕は大きな衝撃を受けた上、かなり苦しめられました。ただそんな難解な作品だからこそ僕らは片時も目を離さずストーリーに飲まれていく。難解さと言うのは人々に苦悩を植え付ける。植え付けられた苦悩を取り除くために僕らはストーリーの事細かな描写に処方箋を求める。気づいたときにはノーランの手中に…。
 もうひとつ本作において重要なのが主人公の妻の存在です。既に亡くなっている妻の存在を夢の中に縛り付ける主人公。これが後々ストーリーに大きく影響してきます。というより「インセプション」する事よりも、この妻との関係こそ物語の本筋と言っても過言ではないかもしれません。
 これもまたネタバレを避けるために多くは語れないのですが、主人公は妻がまだ存命していた頃、二人が共有する夢の中で二人だけの世界を作っていました。「二人で歳を取ろう。」そう言って二人は夢の世界にのめり込みます。そうは言っても夢は夢、いつかは現実に戻る時がやって来ます。しかし妻はそれを拒むのでした。
 その後何とかして二人は(二人の)夢から覚めるのですが、そのために彼の用いた行動がきっかけで妻は絶命します。この事に罪悪感を感じた主人公は自らの夢の中に(さらに言えば潜在意識の中に)彼女を住まわせてしまうのです。
 実は僕の祖父は自分が高校三年の時に亡くなりました。近所に住んでおりずっと可愛がってくれ、よく喫茶店に連れていってくれていた祖父なのですが、自分が中学一年の頃喉頭ガンに犯されました。手術により一命はとりとめましたが、声帯を摘出してしまったが故に完全に声を失いました。それからは祖父とのコミュニケーションは筆談になったのですが、彼の書く字があまりにも汚くて読めないわけなんですね。こちらは優しく(なんとも横暴な感じで、今思えば自分に対して腹立たしいですが)読めないから書き直してと諭すのですが、うまく伝えられない事に憤りを感じ癇癪を起こす祖父。そんな事が続くものだからこちらも頭に来るわけです。それで祖父との関わりは少しずつ希薄になり、約五年後祖父は亡くなりました。まともにコミュニケーションも取っていないせいで、お通やの際は全くと言っていい程現実味がありませんでした。そんな日の晩の事でした。夢に祖父が出てきたのです。しかもその祖父が喋るのです。何年も聴いていない声で。僕の記憶に埋もれ思い出したくても思い出せなかったその声がはっきりと夢の中の僕の鼓膜に届いたのです。何を話したのかは覚えていません。所詮は夢なのでそんなものです。翌日の葬儀の際、昨日までは存在しなかった感情がはっきりと現れました。別にお涙頂戴の美談なんかではありません。ただ、夢に出てきた祖父が、その声がある意味で僕の現実を作ってくれたとと言うことを理解して頂きたいのです。
 夢ならば覚めないでとはよく言ったものですが、夢を見るからこそ僕らは現実と向き合えるのではないでしょうか。現実というやつは確かに過酷で、本当に血も涙もないやつなように感じます。夢ならどれ程よかったかと思うこともあります。その現実の苦悩を拭い去るために僕らは今日も現実と格闘する。夢ならば覚めないでと思うほど幸せな今日が明日も来てほしいから僕らは頑張れる。こんな事が何もかも操れる夢の中でしか起こらなくて、しかも二度と醒めることがないのなら、興もへったくれもないでしょう。僕らは今いるこの地点の実存を確認するために夢を見るに過ぎないのかもしれません、というそれっぽい言葉を残して僕は夢の世界に行ってきます。おやすみなさい。
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