過ぎ去りし幼き日々

keino

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「――よいしょっと……うわぁ、ここも拓けたわね」

 重い荷物を担ぎ直し、駅から降り立つ。
 ここは帰ってくるたびに道は鋪装され、新しい家が増えている。
 ほとんど1年振りの帰省。正月以来だ。正月ですら帰省はせいぜい二日。
 看護学院に受かってからは家を出て寮に入り、忙しい毎日を送っていた。
 学院を出ても地元には帰らず、そのまま東京で就職した。

 毎年、正月ついでに開かれていた同窓会はおろか、地元での成人式ですら参加出来ずに見合い写真兼の振袖写真を撮っただけ。
 この帰省は妹の結婚式に出席するためだった。準備も手伝いたいし、今まで取れなかった休暇をまとめて取るつもりもあった。

「舞は少しは大人になったかな……」

 立冬もとうに過ぎた晩秋の吉日、妹の舞は大地主の跡取り息子と結婚する。
 姉の私が言うことではないが、妹はかなりの器量よしで気立てもいい。
 実は結構な数の見合い話が持ちかけられていたそうだ。

 妹の気持ちを知っていた親は、それらを都度断っていたらしい。もちろん地主の息子もまんざらではない様子なのを確認して。
 当の本人は露知らず、普段は保母をしているが、休みの日には必ず地主の息子のところへ手伝いに行っていた。

 大地主の長男の健太も少しも気取ったところがなく、雇った農夫に混じって自分もよく体を動かした。
 かなりの土地を人に貸しているので、自ら農業をしなくてもいいのに、本人は帳簿に向かっているよりも、土に向かう方が好きなのだと言う。
 とても似合いの二人だと思う。

「舞は昔っから……健ちゃんのこと、好きだったもんなぁー」

 うちはここに、私が小学生の頃引っ越してきた。
 ここに昔から住む人々は皆田んぼで食っていた。
 うちは田んぼ持ちではないけれど、父と母が教員資格を持っており、皆に信頼と尊敬があったためにこの結婚に繋がったのだと思う。
 大地主の跡取り息子との結婚など、いくら娘が器量よしでもそれに見合う家柄でなければ出来ない。
 この辺ではまだまだそんな時代だった。
 私は大荷物を抱えて様変わりした旧農道をゆっくりと歩いた。

「良かったね、舞。
 ふふ、自慢の妹だもの」

 戸を開けるとただいまも言わないうちに、家の奥からお帰りー、とバタバタとした足音が近付いてきた。

「こらー、お嫁様がはしたないぞー」

 私は笑って舞を叱ってやった。

「だってお姉ちゃん! 嬉しいんだもん!」

 いつまでたっても私の後ろをついて歩く、あの夏の日のままの舞。
 とても天真爛漫で素直で可愛くて……舞がお嫁にいく年頃になっても、私はついお姉ちゃんぶりたいのだ。八つも年下だといつまででも可愛くて仕方がない。

「お母さーん、貰ってきたよー」

 舞と二人で荷物を抱え奥の座敷へと入っていく。
 母は何か縫い物をしていた。あれも花嫁衣装の一つなんだろう。

「菜摘お帰り。髪伸びたわねぇ」

 母と同じように、後ろで一結びした髪を見て笑う。

「舞の結婚決まったの聞いてから切ってないよ」

「成人式の写真のあと、またばっさり切った菜摘見て母さん泣いたわー」

 5年も前のことを言い出さないで欲しい。
 だいたい私は短い方が楽で好きなのだ。
 頑張って担いできた重たい土産そっちのけでお茶にして、近況報告に花が咲いた。
 主に私の東京での生活と、舞の惚気まがいの報告と。

 六時もとっくに過ぎた頃、母がにわかに慌て出した。

「いけない、もうこんな時間じゃない!」

 久し振りの家族4人全員での夕食のあと、やっと私の貰ってきた荷物を思い出したらしい。
 母は私を労うと慌てて荷物をひろげ始めた。

「さすが東京の老舗は物の出来が違うわねー。伝えた通りバッチリね!」

 丁寧に箱から一つ一つ取り出しては眺めて誉める。
 それは、舞の花嫁衣裳で使う小道具たちだった。
 母の嫁入り道具のかんざしは綺麗に磨き直されて、私たち二人の結婚のために分けられる。他の小道具も使える物は分ける。
 そうして分けて足りなくなったところを、東京の老舗呉服店に頼んであって、それを私が受け取ってきた。

「菜摘! これ、大原さんのところへ持っていって」
「えー、舞が行けばいいじゃない」
「嫁入り前の娘が、暮れてから男性のもとへ行かないの」

 私も一応嫁入り前の娘なのだが。

「明日でいいじゃない。まだ日はあるんだし」
「こういうものは早めがいいの」

 同じ店で頼んであった雪駄と、東京土産を持たすと私をせっついた。

「お姉ちゃん、健太さんのところ行くの? いいなぁー」
「私だって舞に譲ってあげたいわよ、お使いー」

 いーっとすると、お母さんから舞へお叱りが飛ぶ。

「はしたないこと言うんじゃないの。
 菜摘も早く行きなさい」
「はぁ~い」

 二人同時に間延びした返事をして、にひひっと笑いあった。

 いつからだろう――。
 舞が健ちゃんのことを健太君ではなく、健太さんと呼び始めたのは。
 私がこっちにいる間は健太君だった気がする。
 私は昔ながらの日本家屋の戸を開け、声を張り上げた。

「ごめんくださーい。森山ですー」

 都心に程近いこの辺は、土地高騰の波に乗り、結構な家が土地を売ったと聞いた。
 うちも、引っ越してきた当初から相当のボロ家で、私が看護学院に行く資金も必要だったこともあり、広い庭の使っていなかった荒地部分を売って私の学資と家の建て替え代にした。
 健ちゃん家は全く売らなかったという。しっかりした日本家屋で今も昔も変わらなかった。

「あらー菜摘さん! お久しぶりぃ、おばあちゃーん菜摘さんよー!」
「あ! いいんです、取り急ぎこれを届けに来ただけで……遅いですからまた後日、ご挨拶に伺います」
「あらぁーいいのよ、気を使わなくてー。
 健太ー! 菜摘さんを送ってきなー!」
「えっ! いいです近いですし!」
「この辺も人が増えて物騒になってきたのよー? そりゃ菜摘さんがいるところに比べりゃ田舎だけどもー。
 女の子の一人歩きは危ないし、大事なお義姉さんになるんだものー。さ、健太」

 奥から出てきたのは健ちゃんだった。
 中学までで止まっていた私の知っていた健ちゃんは、そこには居なかった。
 凛々しい眉にきりっと引き結んだ唇。愛敬たっぷりだった少年は、今や立派な青年になっていた。

「ん、送ってく」
「あ……ありがと」

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