悪役令嬢扱いで国外追放?なら辺境で自由に生きます

タマ マコト

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第7話 契約と数字が土になる

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 辺境の朝は、静かすぎて怖い。
 王都の朝が香水と鐘の音なら、ここは――風のうなりと、雪の軋みだけ。
 窓の外の白さは、目を閉じても残像みたいにまぶたの裏に貼りつく。

 セラフィナは、砦の一室に机を作っていた。
 作っていた、というより、崩れかけの卓を引きずり出して、ぐらつく脚に木片を噛ませて“机にしている”。
 上に広げたのは帳簿。
 薄い紙束。
 なのに、鉛みたいに重い。

「……これ、全部の数字ですか?」

 アイリスが覗き込み、思わず眉を寄せた。
 暖炉の火が揺れて、紙の上の文字が影になったり、浮かび上がったりする。

「そう、全部の数字よ」

 セラフィナは淡々と言う。
 淡々と言うしかない。
 数字は、嘘をつかない。
 そして――数字は容赦しない。

 ページをめくる。
 収入:ほぼゼロ。
 支出:砦の維持費、薪、最低限の兵糧……と書かれているが、実際には物資が届いていない。
 王都からの補給が止まっている。
 税が取れるほどの村もなく、人口も少ない。
 つまり。

「……財政、崩壊してる」

 セラフィナが呟くと、アイリスが「やっぱり」と息を落とした。
 “崩壊”という言葉は派手なのに、現実の崩壊は静かだ。
 帳簿の紙は静かにめくられ、火は静かに燃えている。
 それでも崩壊は進む。
 毎日、少しずつ。

「お嬢様、これ……どうするんですか」

「どうするも何も」

 セラフィナは、ペンを握り直した。
 握り直すことで、心の位置も握り直す。

「生きるためには、ここを回すしかない」

 “回す”という言葉が、王都で使う意味と違う。
 王都の財政は「回す」というより「回っている」。
 ここは違う。
 回さないと止まる。
 止まったら、死ぬ。

 アイリスが、ふっと笑った。

「王都の夜会では、ドレスの裾が何センチとか、宝石が何カラットとかで盛り上がってたのに」

「ここでは塩一袋が命の重さね」

 セラフィナはページの端を押さえながら言った。
 塩。
 鉄釘。
 布。
 油。
 王都では雑貨。
 ここでは、生死の境界線。

 砦の補修には釘がいる。
 釘がなければ、梁が落ちる。
 梁が落ちれば、冬を越せない。
 冬を越せなければ、終わり。

 セラフィナは帳簿を閉じた。
 目を閉じると、数字が残像になって浮かぶ。
 怖い。
 でも怖いから、考える。
 考えなければ、死ぬ。

「交易路」

 セラフィナはぽつりと言った。

「交易、ですか?」

「王都への道は遠い。でも、ここは国境に近い。周辺の村と物資を回せば、最低限は確保できる」

 アイリスが首を傾げる。

「でも、お金が……」

「お金はない。だから交換」

 交換。
 セラフィナの頭の中で、王都で学んだ契約の文言が、辺境の土の匂いに混ざっていく。
 契約は紙の上だけのものじゃない。
 生きるために、人と人を繋ぐ網(つな)だ。

 カイルが扉にもたれて立っていた。
 いつからそこにいたのか分からない。
 彼は静かすぎて、気配が雪みたいに溶ける。

「周辺村、いくつある」

 カイルが言う。

「帳簿には三つ。でも住民数は不明」

「不明ってのが一番まずい」

"分かってる"

 セラフィナは言い返しかけて、飲み込んだ。
 彼の言うことは正しい。
 正しさが、ここでは武器になる。

「行く」

 セラフィナは立ち上がった。
 椅子が軋む。

「今日?」

 アイリスが目を丸くする。

「今日。待てば待つほど物資は減る」

「危ない」

 カイルが短く言った。

「だからあなたも来る」

 セラフィナが即答すると、カイルの目が一瞬だけ細くなる。
 “当然”という顔。
 それが少し腹立たしくて、少し安心する。

「俺は護衛じゃない」

「護衛じゃなくてもいい。同行者として必要」

 セラフィナは言い切った。
 言い切ると、自分が領主になった気がする。
 王都で与えられた肩書きじゃない。
 この土地で、自分が自分に与える役割。

 アイリスが慌てて外套を掴む。

「私も行きます」

「だめ。あなたは砦を守って」

「えっ」

 アイリスの声が裏返る。

「お嬢様一人で行かせろって言うんですか!」

「一人じゃない。カイルがいる」

「カイルさんがいるなら、なおさら私も――」

「アイリス」

 セラフィナは少しだけ声を柔らかくした。

「砦には火が必要。水が必要。もし私が帰れなかったら、あなたが生き延びるために動かなきゃいけない」

 アイリスの唇が震える。
 反論したいのに、反論できない。
 その顔が、胸に刺さる。

「……分かりました。でも」

 アイリスは涙を飲み込み、拳を握った。

「絶対、帰ってきてください」

「帰る」

 セラフィナは頷いた。
 約束は、口に出して初めて網になる。

 村へ向かう道は、雪に覆われていた。
 足跡のない白。
 風は鋭いが、昨日ほど暴れていない。
 空は透明で、遠くの山が刃みたいに尖っている。

「歩き方、まだ下手だ」

 カイルが横で言う。
 冷たく聞こえるのに、ただの事実だ。

「……ご指摘、ありがとう。」

「嫌味じゃない。足を取られると死ぬ」

「ここでは、何でも死ぬに繋がるのね」

「繋がる」

 カイルは短く答えた。
 無駄がない。
 その無駄のなさが、少し羨ましい。
 セラフィナはずっと“無駄”をまとって生きてきた。
 微笑み、言い回し、遠回しな謝罪、社交の回り道。
 ここではそれらが重りになる。

 最初の村は、砦から半日ほどの距離にあった。
 家は低く、屋根に雪が積もっている。
 煙突から薄い煙が上がり、犬が吠える。
 人の気配はあるのに、歓迎の気配はない。

"領主だ"

 セラフィナは自分に言い聞かせた。
 胸の奥の氷の箱を、少しだけ開ける。
 開けすぎると凍える。
 開けなければ言葉が出ない。

 村の中心の家に入ると、年老いた男が待っていた。
 村長だろう。
 目は鋭く、手は節くれ立っている。
 生きるために、何かを削ってきた手だ。

「王都から来た女が領主だって?」

 男はぶっきらぼうに言った。
 敬語もない。
 それが普通だ。

「私はセラフィナ。砦の領主として来ました」

「領主ねえ」

 男は鼻で笑う。

「前の領主は物資を寄越さなかった。税だけ取り立てて消えた。今さら何の用だ」

 セラフィナは言葉を噛み砕いた。
 怒りたくなる。
 でもここで怒れば、交渉は終わる。

「税は取りません」

 セラフィナは言った。
 自分でも驚くほど、即座に。

 村長の眉が動く。

「……嘘だろ」

「嘘ではありません。代わりに交換をしたい」

「交換?」

 村長が身を乗り出す。
 興味。
 それは交渉の入口だ。

 セラフィナは持参した小さな帳面を開いた。
 計算した数字。
 必要な物資。
 砦が提供できる労働力――現時点ではほぼ自分たちしかいないが、少なくとも“仕事”はできる。

「砦の周辺は荒れています。倒木の処理、道の整備、見張り。これらをこちらで引き受けます。代わりに、塩と乾燥穀物を少し分けてください」

 村長が笑った。

「労働力? あんたら何人だ」

「今は三人。でも増やす」

「どうやって」

 セラフィナは、目を逸らさなかった。

「ここが生きられる場所だと示せば、人は来ます。行き場のない人は、どこにでもいる」

 カイルが、後ろで小さく息を吐く。
 鼻で笑ったのかと思った。
 でも違う。
 “面白い”と思った気配だった。

 村長はしばらく黙り、セラフィナの顔を見た。
 その視線は、値踏みだ。
 王都の値踏みは宝石の鑑定みたいに上品だった。
 ここの値踏みは、獣の目だ。
 噛めるか、食えるか、役に立つか。

「……塩は貴重だ」

「分かっています」

「穀物もだ」

「分かっています」

「分かってるなら、何を差し出す」

 セラフィナは、喉の奥が熱くなる。
 差し出す。
 王都で散々差し出してきた。
 笑顔、沈黙、謝罪、役目。
 でもここで差し出すのは、自分の肉体と時間だ。

「砦の道を整備します。交易路が整えば、この村の荷も動きやすくなる。盗賊も減らせる」

「盗賊?」

 村長の顔色が変わる。

「最近、いるのか」

「噂はまだない。でも、物が少ない場所ほど奪い合いが起きる。備えたい」

 村長は唸り、指で机を叩いた。
 そして言った。

「……少しだけだ。塩は少し、穀物も少し。それ以上は無理」

「十分です」

 セラフィナは頷いた。
 最初から全部は取れない。
 最初は“関係”を作ることが目的だ。

「ただし条件がある」

 村長が言う。

「道を整備するなら、今月中だ。口だけじゃ信用しない」

「やります」

「なら、取引成立だ」

 村長が手を差し出す。
 セラフィナはその手を握った。
 硬い。
 温かい。
 生きてきた手だ。

 砦への帰り道、セラフィナは息を吐いた。
 白い息が風に散る。
 胸の奥が熱い。
 勝った、というより――繋いだ、という感覚。

「……今の、上手かった」

 カイルがぽつりと言った。
 褒め言葉なのに、表情は変わらない。

「上手いとかじゃない。必要だった」

「必要なことを言えるのは強い」

 その言葉に、セラフィナは一瞬だけ足を止めた。
 強い。
 王都で言われた“強い”は「だから大丈夫だろう」という放置の言葉だった。
 カイルの“強い”は違う。
 生きるために必要な、重さのある強さ。

 砦に戻ると、アイリスが駆け寄ってきた。

「お嬢様! ご無事で……」

 声が震えて、涙が滲む。
 それが嬉しい。
 嬉しいから、セラフィナは胸が苦しい。

「取引できた」

 セラフィナが言うと、アイリスは目を丸くした。

「本当ですか!?」

「塩と穀物、少しだけ。でも、最初の一歩」

「……お嬢様、顔色が悪いです」

 アイリスが、じっと見つめる。
 その視線は王都の値踏みとは違う。
 心配だけでできている視線。

「平気よ」

「平気じゃないです。唇、色ない」

 セラフィナは首を振った。

「今は倒れられない」

 言い切った瞬間、自分の胸が少し痛む。
 また“役目”を背負いそうになる。
 でもこれは、王都の役目と違う。
 ここでは自分が選んで背負う。

 そのとき、カイルが黙って湯を差し出した。
 湯気が上がり、草の匂いがする。
 どこかで拾った薬草を煮出したのだろう。

「飲め」

 それだけ。
 優しい言葉も、慰めもない。
 でも、必要な行為としての温かさがある。

 セラフィナは湯を受け取った。
 指先に熱が伝わり、じわりと凍えた血が戻る。

「……ありがとう」

 言うと、カイルは頷きもしない。
 ただ、火の具合を確認し、薪を足す。
 その距離感が、妙に心地いい。
 押し付けない。
 求めない。
 ただ、必要なものを必要な形で差し出す。

 セラフィナは湯を口に含む。
 苦い。
 でも苦さが、現実の味だ。

 帳簿の数字が、少しずつ“土”になっていく感覚がした。
 紙の上の計算が、実際の塩袋の重さになる。
 契約の文言が、村長の手の硬さになる。
 言葉が、道になる。

 セラフィナは湯を飲み干し、静かに息を吸った。

 ――ここでなら。
 正しさが誰かを傷つけるだけじゃなく、
 誰かを生かす形になるかもしれない。

 火がぱちりと鳴り、
 その音が、未来の小さな芽みたいに聞こえた。
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