悪役令嬢扱いで国外追放?なら辺境で自由に生きます

タマ マコト

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第11話 噂が王都へ届く

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 王都の朝は、相変わらず香水と鐘の音で始まる。
 大聖堂の鐘は澄んでいて、街路樹の葉を震わせ、窓硝子をきれいに鳴らす。
 人々はそれを「平和の音」と呼ぶ。
 でもその平和は、いつだって誰かの犠牲の上に座っている。

 王宮の回廊を歩く侍女たちは、朝から忙しなくすれ違いながら、忙しなさの合間に“噂”を落としていく。
 噂は香水みたいに広がる。
 目に見えないのに、呼吸のたびに肺へ入り込み、いつの間にか肌に染みつく。

「聞いた? 北の交易品が、最近やけに増えてるって」

「北? あの辺境の? なんで今さら」

「追放されたあの令嬢が……やってるんだって」

「え、セラフィナ様? まさか」

 まさか。
 その言葉が、王宮の空気をひとつざわつかせた。

 昼前。
 国庫を管理する役人が、執務室へと走った。
 走る役人は珍しい。走るという行為は「取り乱し」に繋がるから、王都では誰も走りたがらない。
 でも彼は走った。
 走らないと間に合わない種類の“情報”だったから。

 王太子の執務室。
 高い窓から差し込む光は相変わらず美しく、机の上の書類を白く照らしている。
 アレクシス・ヴェルディオールは、羽根ペンを置き、役人を見上げた。

「どうした」

 声は優しい。
 いつも通りの優しさ。
 その優しさが、誰かを救ってきたのか、傷つけてきたのか。
 彼自身はまだ、答えを持っていない。

「失礼いたします、殿下。交易税の報告です」

 役人が差し出した紙束は、厚くはない。
 しかし、重そうだった。
 紙の重さではなく、“意味”の重さで。

「北方からの流通が増加しております。従来の倍……いえ、地区によっては三倍。特に、塩と蜜蝋、乾燥穀物……それから木工品」

「北方?」

 アレクシスの眉がわずかに動く。
 北方辺境。
 あの、追放した土地。
 あの、追放した女の行き先。

「はい。流通経路の記載に、砦を拠点とした市があると……」

 役人はそこで言い淀んだ。
 言葉を選んだのではなく、口に出すのが怖かった顔だ。

「……セラフィナ・アルヴェイン嬢の名が、商人たちの口に上っております」

 空気が一瞬止まった。
 窓の外の鐘の音が遠くで鳴った気がする。
 けれどそれは平和の音ではなく、胸の奥を掴む音だった。

 アレクシスは、紙束に手を伸ばした。
 指が少しだけ震える。
 自分の震えを、彼は誰にも見せたくなくて、すぐに拳を握った。

「……彼女が?」

 役人が頷く。

「はい。商人の間では『追放令嬢が北で成功している』と。市場を整え、交易路を整備し、盗賊を退け……北方の流通が安定したと」

 盗賊を退け。
 その言葉が、アレクシスの喉にひっかかった。
 剣も握ったことがない彼女が?
 いいや、剣の話じゃない。
 彼女は“決断”を握ったのだ。
 そして生き残ったのだ。

 アレクシスの胸の奥に、何かが沈む。
 沈んで、冷たくなる。
 自分は彼女を、どこへ捨てた?
 あの北の、冷たい世界へ。

「……彼女は強い」

 アレクシスは、ぼそりと呟いた。
 それは今まで何度も、自分に言い聞かせてきた言葉だった。

 セラフィナは強い。
 強いから大丈夫。
 強いから、泣かない。
 強いから、耐えられる。

 その言葉で、自分の罪悪感を薄めてきた。
 “強さ”を理由にして、見ないふりをしてきた。

 でも――今、役人の報告書の上で、“強さ”は別の意味を持って目に刺さる。
 強いから成功した?
 強いから生き残った?
 違う。
 強いからじゃない。
 強くならざるを得なかったのだ。
 自分たちがそうさせたのだ。

 強さは、捨てていい理由じゃない。
 その当たり前のことが、今になってやっと、彼の胸に落ちた。

「殿下?」

 役人が様子を伺う。

「……もういい。下がれ」

「はっ」

 役人が去ると、部屋の空気が妙に広く感じた。
 広いのに、息が詰まる。
 王太子の執務室はいつも整っている。
 整っているから、心の乱れが余計に浮き彫りになる。

 扉が控えめに叩かれた。

「殿下、ミレイユ様がお越しです」

「……通して」

 ミレイユ・アルヴェインは、春の花みたいに部屋へ入ってきた。
 柔らかな色のドレス、薄い香水、涙が似合う瞳。
 彼女は今日も可憐で、今日も守ってあげたくなる。

「殿下、今日もお忙しいんですね」

 明るく言って、すぐに不安げに笑う。
 その笑い方は、相手の心を撫でる。
 撫でて、逃げ道を作る。

 アレクシスは、昔ならその逃げ道に甘えた。
 愛の言葉で包んで、責任の言葉を遠ざけた。
 それで済んでしまった。
 でも今日は、喉の奥が妙に硬い。

「……ミレイユ」

 呼びかけると、ミレイユは嬉しそうに目を輝かせた。

「はい」

 その「はい」は、いつも通りに甘い。
 甘いのに、今日は胸が痛い。

「北方の噂を聞いたか」

 ミレイユのまつ毛が、ぴくりと揺れた。
 一瞬だけ表情が崩れ、その崩れをすぐに笑顔で隠す。

「……ええ、少し。商人の方が、面白がって話していました」

 面白がって。
 その言葉が、また胸を掴む。
 誰かの人生は、王都では“話の種”だ。

「追放された令嬢が成功している、って。……すごいですね」

 ミレイユは笑う。
 笑うけれど、目が笑っていない。
 そこにあるのは不安だ。
 自分の座っている場所が揺れる不安。

 アレクシスは、机の上の報告書に視線を落としたまま言った。

「……彼女は、生き延びた」

 ミレイユの声が少しだけ細くなる。

「殿下、セラフィナお姉さまは……強い方ですから」

 またその言葉。
 強い。
 強いから大丈夫。
 ミレイユも同じ言葉で、自分自身を守っている。

 アレクシスは、ゆっくり顔を上げた。

「強さは、捨てていい理由じゃない」

 ミレイユが瞬きをした。
 その言葉は、彼女の想定外だった。

「……殿下?」

 アレクシスは言葉を探す。
 でも見つからない。
 見つからないのは、今まで探してこなかったからだ。
 責任の言葉を。

 彼はずっと、愛の言葉で逃げてきた。
 「君は大切だ」
 「君を傷つけたくない」
 「皆が誤解しているだけだ」
 そう言えば、その場は丸く収まった。
 丸く収めたツケが、今、胸の奥で形になっている。

「……僕は、何をしたんだろうな」

 アレクシスの呟きは、ほとんど独白だった。
 ミレイユは慌てたように一歩近づく。

「殿下、そんな……殿下は悪くありません。だって、お姉さまが――」

 そこまで言って、ミレイユは言葉を飲み込んだ。
 言ってしまえば、また“悪役”が必要になる。
 彼女はそれを無意識に理解している。
 理解しているから、言えない。
 言えないから、涙が出る。

「……殿下、私は……」

 ミレイユが縋るように手を伸ばす。
 指先が震えている。
 彼女だって怖いのだ。
 自分が愛されている世界が崩れるのが。

「私は、殿下のそばにいたいだけなんです」

 その言葉は真実かもしれない。
 でも真実であっても、免罪符にはならない。
 そばにいたい、という願いが、誰かを押しのけて成立していたなら。

 アレクシスは、その手を握ろうとして――止めた。
 止めた自分に、彼自身が驚いた。
 握れば、今まで通りに戻れる。
 愛の言葉で逃げられる。
 でも今は、戻れない。

 喉の奥に、責任の言葉が詰まっている。
 言わなければならない言葉が、重すぎて出ない。

「……ミレイユ」

 呼ぶ。
 それだけで、胸が痛い。

「はい……」

 ミレイユは必死に笑おうとする。
 笑おうとして、笑えない。
 その顔が、セラフィナの顔に重なって見えた。
 笑えなくて悪役にされた顔。
 笑えなくて、置き去りにされた顔。

 アレクシスは、初めて思った。
 自分は、セラフィナの“笑えなさ”を理解しようとしたことがあっただろうか。
 彼女が笑えなかった理由を、聞いたことがあっただろうか。

 ――ない。

 彼はただ、怖がっていた。
 正しさを突きつけられることを。
 責任を求められることを。
 婚約者として守るべきものを、守らなければならないことを。

 そして逃げた。
 優しさという名の逃げ道へ。

「殿下……?」

 ミレイユが不安げに呼ぶ。
 その声が、今は遠い。

 アレクシスは、報告書の端を指で押さえた。
 そこには確かに、北方の交易品の名が並び、
 そして“セラフィナ・アルヴェイン”の名が書かれている。

 紙の上の文字が、刃みたいに胸を切った。
 彼女は生きている。
 生きて、前へ進んでいる。
 自分が捨てた場所で。
 自分が捨てた彼女が。

「……会いに行きたい」

 アレクシスの口から、思わず言葉が漏れた。
 漏れた瞬間、部屋の空気が凍る。

 ミレイユの瞳が大きく揺れた。

「殿下……だめ……」

 その声は、懇願だった。
 縋る声。
 守られる物語から落ちたくない声。

「殿下、私は……私はここにいるのに……」

 アレクシスは答えられない。
 答えた瞬間、また逃げることになるから。
 愛の言葉で、この場を丸くすることになるから。

 責任の言葉が、喉で詰まる。
 出そうとすると痛い。
 痛いのは、今まで使ってこなかった筋肉だからだ。

 アレクシスはただ、静かに言った。

「……僕は、間違えたのかもしれない」

 ミレイユの顔が真っ白になる。
 その白さが、王都の雪みたいに見えた。
 きれいで、冷たい。

 窓の外で鐘が鳴る。
 平和の音。
 でもアレクシスの胸の中では、その音が違う意味で鳴っていた。

 ――追放令嬢が北で成功している。

 噂は香水のように広がる。
 そして香水は、隠したい真実まで浮かび上がらせる。

 アレクシスは、初めて自分の手が汚れていたことに気づいた。
 優しさで隠してきた汚れが、今になって臭いを放っている。

 彼は息を吸う。
 吸った空気は甘い香水の匂いだった。
 なのに喉の奥が苦い。

 その苦さの正体を、彼はまだ言葉にできない。
 ただ、確かに感じてしまった。

 強さは、捨てていい理由じゃない。
 強さは、見捨てた罪を消してくれない。

 そして王都のどこかで、
 セラフィナの“生きている噂”が、今日も誰かの呼吸に混ざっていく。
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