王宮から逃げた私、隣国で最強魔導士に一途に愛される

タマ マコト

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第13話 襲撃の夜

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 その夜、王都ルミナリアの空は、やけに澄んでいた。

 雲ひとつない。
 薄い藍色に染まった天蓋の上で、魔力灯よりも控えめな星が瞬いている。
 街の通りには、ところどころで魔道具の灯りが柔らかく揺れていた。

 にもかかわらず――
 空気は、どこか張り詰めていた。

 隣国グランツの使節団の滞在は、すでに予定の日数を越えている。
 “追加協議”“資料確認”“魔力乱流の分析”――名目は色々と並べられているが、
 要するに、“引き渡し要求を諦めていない”ということだった。

 王宮の中は、終日ざわついているらしい。
 騎士団の巡回は増やされ、街の警戒レベルも上がっていた。

 ……そんな緊張感が、塔の上からでもうっすら伝わってきていた。

「ねえ、外出るタイミングとしては、正直、最悪なんじゃない?」

「でも、その“最悪なときほど甘いものが必要になる”って、ゼフィール先輩も言ってました!」

「絶対言ってないわよね?」

「言ってませんね」

 夜の街角。
 軽いコートの下に動きやすい服を着たノエルと、
 マントのフードを目深にかぶったリリアが、並んで歩いていた。

 ミーナは一歩後ろ――今日は“あえて目立たない”色のワンピースに身を包み、
 完全に“ただの付き添いの友人”を装っている。

「ほんとに大丈夫かな……」

 リリアは、視線を落としながら小さく呟いた。

「なんか、王宮も街もピリピリしてるし、私が外に出てていいのかって……」

「大丈夫です。今日は王都の内側からは出ませんし、時間もそんなに遅くしません」

 ノエルは、いつもより少しだけ真面目な口調で答える。

「それに、“完全に閉じ込める”のって、逆に危ないんですよ」

「危ない?」

「はい。“リリアちゃんがここにいるんだよ~”って看板掲げてるみたいなもんですもん。
 いつも通りとは言わなくても、“普通の生活もしてますよ”って見せたほうが、
 かえって狙いづらいんです」

 その理屈は、どこか説得力があった。

「それに、ゼフィール先輩、言ってましたよね」

 ノエルが、リリアを横目で見る。

「“リリアを部屋に閉じ込めたくない”って」

「……言ってた」

 あの、少し恥ずかしそうな顔が脳裏に浮かぶ。

『ここから一歩も出すなって言い出したら、
 それは“王宮と同じことしてる”って話になる』

 そう言って、彼は苦々しそうに笑った。

「だから、今日は“短時間お出かけ”の許可が出たんです。
 目的地は――」

 ノエルが、嬉しそうに指をさす。

「カフェ・ルクス!」

 石畳の角を曲がった先に、小さなカフェがあった。

 昼間と違って、夜のカフェは落ち着いた灯りに包まれている。
 窓越しに見える客の数は多くないが、その分ゆったりとした時間が流れていた。

 扉の上の看板には、小さなカップと光の輪の絵。
 魔力でほのかに縁取られている。

「前に話してた、“夜のケーキセット”出してくれる店です」

「そんな具体的な目的があったのね……」

 リリアは、少しだけ笑った。

 不安と怖さは、完全には消えない。
 けれど、こうして“普通の会話”をしていると、
 胸のモヤモヤが少し薄くなる気がした。

「とにかく、今日は“甘いもの補給しながら、難しいことは一回置いとく日”です」

 ノエルはドアノブに手をかける。

 その瞬間だった。

 ――ざわっ。

 空気が、揺れた。

 風向きが変わったわけでも、温度が下がったわけでもない。
 それでも、リリアの肌は瞬間的に粟立った。

「今の……」

 かすかな震えを含んだ声が、隣から聞こえた。

 ミーナも、すぐに周囲を警戒するように目を走らせている。

「魔力の揺れ?」

「……はい」

 リリアは、胸の奥に意識を向けた。

 自分の中の魔力とは別の、“外の魔力の波”が、街のどこかでざわりと乱れている。
 それは、落雷の前に感じる帯電の気配に似ていた。

 ただの魔術実験や工房の失敗の範囲を、どこか超えている。

 ノエルも眉をひそめた。

「……嫌な揺れ方」

「ノエルさん?」

「ちょっと待ってください」

 彼女は目を閉じ、集中するように指先で空中に小さな印を結ぶ。

 耳にはめていた魔導具が、かすかに光った。

「――やっぱり」

 ノエルが目を開ける。

「王都南側エリアで、強い魔力反応。
 警備隊の結界が一部、無理やり突破されかけてる」

「結界が……? 事故じゃなくて?」

「事故の揺れじゃないです。これは、“意図して揺らしてる”魔力」

 ノエルの顔から、完全に笑みが消えた。

「王宮のほうでも、警報鳴ってるはず……」

     ◇

 同じ頃、魔導士の塔の上階。

 研究室の窓が、勝手に開いた。

「……おい」

 机に広げた魔術式にペンを走らせていたゼフィールが、顔を上げる。

 窓の外から吹き込んだ風の中に、異物が混じっていた。

 魔力の匂い。
 それも、“街の中の自然な揮発”ではない。

 もっと刺々しくて、荒々しい。
 誰かが、何かを壊すために練り上げた力の匂い。

 額の奥が、ぴりりと痛む。

「嫌な感じだな」

 ゼフィールは席を立った。

 指先で簡易通信の魔法陣を描き、塔の基部にいる見張りに声を送る。

「ゼフィールだ。王都南エリアの魔力反応、確認してるか」

『……はい。現在、警備隊が向かっておりますが、
 一部で結界の破損、爆裂系魔術の使用が確認されています』

「爆裂系……」

『騎士団にも連絡済みです。王宮からも――』

「……」

 ゼフィールは、少しだけ嫌な予感がした。

「ノエルとリリアは?」

『えっと……先ほど塔を出られたとの報告が。
 行き先は、中心街のカフェ方面――』

 通信をそこで切った。

 中心街は、南エリアとは少し離れている。
 それでも、“街で暴れてるやつ”が、何を狙っているか次第では――。

「……嫌な組み合わせ」

 ゼフィールは、ローブをひっつかむと、魔導士の杖を片手に窓枠に足をかけた。

 銀色の魔力が、指先に集まる。

「塔の防御結界、三段階目まで自動で上げといて。
 俺はちょっと、行ってくる」

 言い捨てて、夜の空へ飛び出した。

     ◇

「ノエルさん、今の警報音……」

「王宮からの“注意報”ですね。
 このままカフェに入るか、一回塔に戻るか――」

 ノエルが判断を迷った、その瞬間。

 遠くで、爆発音がした。

 ドン、と鈍い衝撃が空気を揺らす。
 遅れて、ガラスの割れる音。
 人の悲鳴。

「……まずい」

 ノエルの目が鋭くなる。

「方向、南東。さっきの反応の近くですね」

「ここから、どれくらい?」

「走れば、五分もかからない」

 ノエルは即座に決断した。

「塔に戻る!」

「でも――」

「今から街中を走って塔に戻るのと、
 あのエリアを通り抜けずに帰るルート、どっちが安全かって言われたら前者です」

 言いながら、ノエルはリリアの手を掴んだ。

「ミーナさん、右側の路地見て!」

「はい!」

 三人は、通りから一本裏道に入り込む。

 夜の石畳が、足音を跳ね返す。

 魔力灯の少ない細い路地。
 息が白くなるほどではないが、夜気は少し冷たい。

 それでも、背筋には汗が滲む。

(怖い)

 リリアの胸の中で、恐怖が渦を巻く。

 爆発音。悲鳴。
 それらは、王宮で起きた“あの夜”の記憶を、否応なく引きずり出してくる。

(いやだ……)

 ここで立ち止まってうずくまりたい。
 どこかに隠れて、何も見ないふりをしたい。

 でも、その選択肢はもう、選べない。

(だって、私――)

 “生きたい”と言った。
 “ここにいたい”と言った。

 それを守りたいと言ってくれる人がいる場所で、
 自分だけ“怖いから”と目を背けるのは、違う気がした。

「ノエルさん……」

「走りながらでいいです。なに?」

「魔力……何かあったら、私も、少しは――」

「使わせません」

 はっきりした声が返ってきた。

「今はまだ、“怖くない使い方”の練習中。
 本番でいきなりフルコース出したら、お腹壊します」

「例えが唐突」

「でも分かりやすいでしょ」

 ノエルの言葉は、あくまで現実的だった。

「今日の最優先は、“リリアちゃんを無事に塔に帰すこと”。
 戦うのは、あたしたちの仕事」

「……あたしたち?」

「もちろん、ゼフィール先輩も含めて!」

 そのとき。

「――見つけた」

 背中に、ぞわりと冷たいものが走った。

 三人は、一斉に足を止める。

 路地の先――暗がりから、誰かが歩み出てきた。

 黒いマント。
 顔の下半分を覆う布。
 そして、胸元には何も紋章をつけていない。

 ただ、その立ち方。
 体にまとわりつく魔力の質。

 “王都の空気”とは明らかに違う何か。

「誰?」

 ノエルが、即座にリリアを背中にかばうように立つ。

 男は、その動きを見て、クツ、と笑った。

「心配するな。お前たちに用はない」

 その言い方が、すでに嘘臭かった。

「用があるのは、一人だけだ」

 男の視線が、ノエルの肩越しにリリアを捉える。

 背中に刺さるような、冷たい視線。

 リリアは、反射的に、ノエルのマントを握りしめた。

「……誰に言われて来たかは聞きませんけど」

 ノエルの声が低くなる。

「ここ、ルミナリアの王都なんですけど。
 勝手に人の街で騒ぎ起こして、ただで済むと思わないでくださいね?」

「ただでは済まないのは、お前たちのほうだろう」

 男が指を鳴らした。

 闇の中から、複数の影がにじみ出るように現れる。

 同じマント。同じ布。
 同じ、“紋章を見せない”装い。

 彼らの胸元には、本来あるべき国章も、家紋もなかった。

 だが――
 肩のあたりに小さく刻まれた縫い目が、リリアの目に飛び込んでくる。

 あの刺繍の仕方。
 あの細い糸。

(――グランツの、軍服……)

 紋章だけを外し、上から黒布で隠してある。
 完全な“私兵部隊”。

「グランツの連中、ね」

 ノエルもそれに気づいたらしい。

「公式な護衛じゃない。宰相直属か、王太子派か……」

「どちらでも構わない」

 男は、ノエルの言葉を一蹴した。

「我々の任務はひとつだけだ」

 冷たく、淡々と告げる。

「リリア・エルネストを回収すること」

 “回収”。

 人を指す言葉ではない。
 荷物か、武器か、実験体か――。

 リリアの胃の奥が、冷たくなる。

「……正式な交渉は、王宮で進んでるはずだけど」

 ノエルが、皮肉を混ぜて言った。

「待てなかったんですか? 宰相殿は」

「我々は命令に従うだけだ」

 男の目が、さらに冷たく光る。

「リリア・エルネスト」

 名前を、あくまで“対象の番号”を呼ぶみたいな調子で口にする。

「大人しく来れば、痛い目に遭わずに済む」

「…………」

「抵抗するなら、運搬中に多少損傷しても、責任は問われない」

 その言葉は、リリアの神経を冷たい刃物でなぞるみたいだった。

「お前の価値は、その体にしかない」

 分かりやすい軽蔑。
 それでいて、道具を見る目。

「王太子の婚約者という肩書が剥がれた今、
 国にとって必要なのは、お前の魔力だけだ」

 王宮で、幾度となく感じさせられてきた“視線”が、今、言葉になって突き刺さる。

 鎖の重み。
 檻の冷たさ。
 封印の痕跡。

 全部が、一瞬で蘇った。

(ああ)

 胸の奥で、何かが音を立ててひび割れる。

(やっぱり、そうだったんだ)

 “魔力の弱い婚約者”。
 “役に立たない令嬢”。

 その裏にあった本音。

『本当に欲しいのは、“扱いやすい魔力”だけ』

 それを、今、この男はあっさりと口にしている。

「……っ」

 リリアは、無意識に一歩前に出かけて――
 ノエルの腕に止められた。

「リリアちゃん、下がって」

 ノエルの声は、珍しく、怒りを押し殺している。

「その喋り方、すっごいイラッとしますね」

「どう取られようと構わん」

 男は肩をすくめる。

「我々の対象は物言わぬ魔道具だ。
 感情がどうとか、心がどうとか――そういうのは、王族や貴族の遊びだ」

 その瞬間、リリアの中で何かが切れかけた。

(物言わぬ、魔道具)

 頭の中で、その言葉がこだまを打つ。

 今まで、なんとか守ってきた“自分を責めるほうへ逃げる癖”が、
 音を立てて壊れていく。

(私の体を勝手にいじって。封印して。
 勝手に“危険だ”“弱い”ってラベル貼って――)

『国家機密に関わる人物が貴国に逃げ込んでいる』

『精神的に不安定で、暴走の危険がある』

 オズワルドとレオンハルトの言葉が重なる。

(それで今度は、“物言わぬ魔道具”として回収?)

「……ふざけないで」

 低い声が、自分の口から漏れた。

 ノエルが一瞬驚いた顔をしたが、
 リリアは冷静に、それを置き去りにする。

 胸の奥で、“封印された場所”が熱を帯び始めていた。

 心臓のあたり。
 ゼフィールとノエルが指先で示してくれた、“削られていたライン”。

 そこから、じわじわと圧力がこみ上げてくる。

(怒っていいって、ゼフィールさんが言った)

 “自分を責めるな”と。

(じゃあ――)

 リリアは右手を握りしめた。

 指の間から、かすかな光が漏れる。

 魔力が、反応している。
 怒りに呼応するように。

「……ノエルさん」

「はい」

「怖い。でも――」

 喉の奥が焼けるみたいだった。

「今、“何もできないまま連れていかれる”のだけは、絶対に嫌」

 その言葉に、ノエルの顔が少しだけ柔らかくなる。

「……いい顔してます」

「顔?」

「“生きたい人の顔”」

 ノエルは、短く頷いた。

「分かりました。
 じゃあ、“自分を守るため”にだけ、使ってください」

「それって――」

「“守りたいというわがまま”です」

 ゼフィールがよく言う言葉の借り物。
 でも、その意味は本物だ。

 男が、舌打ちをした。

「時間切れだ。連れていけ」

 合図とともに、背後の私兵たちが一斉に動く。

 魔力の気配。
 短剣のきらめき。
 短い詠唱。

 ノエルは即座に前に出た。

「ミーナさん、リリアちゃんを後ろへ!」

「はいっ!」

 小さな風の魔術が、路地の埃を巻き上げる。
 ノエルが杖を振ると、目に見えない壁が前方に生まれた。

 私兵たちの飛び道具や魔弾が、その壁にぶつかり、火花を散らす。

「……っ、なかなか、やる」

 男が小さく目を細める。

「王立魔導院の連中か」

「そうですよ。最強魔導士の後輩ナメないでください」

 ノエルは軽口を飛ばしながらも、顔は真剣だった。

 防御に意識を割きながら、リリアのほうに片手を伸ばす。

「リリアちゃん、さっき練習した、光球。覚えてます?」

「う、うん」

「私が合図したら、足元に向かって撃って。“相手を傷つけるため”じゃなく、“逃げるため”に」

 ノエルの声は、冷静だった。

 リリアは、深く息を吸い込む。

(怖いけど……)

 胸の奥から、そっと魔力をすくい上げる。
 “怖くない使い方”の練習でやった、“光を前に、右に”のイメージ。

 けれど。

「……っ!」

 心臓あたりの熱が、急に跳ね上がった。

 まるで、誰かが内側から封印を押し破ろうとしているみたいに。
 魔力が、勝手に膨らんでいく。

(違う、こんな出し方したくない――)

 必死に抑え込もうとした瞬間。

「抑えるな」

 低い詠唱が、路地に響いた。

 リリアの背筋に、冷たいものが走る。

 さっきまで距離を取っていた男が、
 いつの間にか、呪文用の魔法陣を足元に展開していた。

 薄暗い路地の石畳の上に、黒い線が浮かび上がる。
 その中心から、ねじれるような魔力が立ち上る。

「……その体の中に、まだ封印が残っているはずだ」

 男の目が、ギラリと光る。

「“開錠術式・第七階層”」

 聞いたことのない術式名。

 だが、その響きだけで分かった。

(封印を――)

「こじ開ける気だな」

 別の声が、上から降ってきた。

 ほとんど同時に、銀色の光が路地を切り裂くように走る。

 ドン、と空気が弾けた。

「っ……!?」

 男の足元の魔法陣が、一部吹き飛ばされる。
 焦げた線が、石畳に残った。

「遅くなった」

 路地の上方、建物と建物の間の屋根の端。
 そこに、ゼフィールが立っていた。

 ローブの裾を風になびかせ、杖を肩に乗せるように持ちながら。

 灰色の瞳は、完全に“戦闘モード”だ。

「先輩!」

 ノエルの声に、ゼフィールが片手を挙げた。

「ノエル、生きてるな」

「当然です!」

「リリアは?」

「ここにいます!」

 ミーナの背中から半歩だけ顔を出すリリアに、ゼフィールの視線が向いた。

 一瞬だけ、その瞳が柔らかくなる。

「よし、生きてる」

 それだけ確認すると、すぐに私兵たちのほうへ視線を戻した。

「グランツの私兵か。
 紋章隠しても、魔力の癖でバレバレなんだよな」

 男が舌打ちする。

「……最強魔導士、ゼフィール・ルミナリア」

「知ってるなら話が早い」

 ゼフィールは、杖を軽く振った。

 銀色の魔力が、その先端に集まる。

「王都で勝手に騒ぎ起こして、俺の客に手出そうとしたやつら――」

 彼の声が、急に冷たくなった。

「まとめて、仕事の邪魔だ」

 一閃。

 銀の光が、路地を走り抜けた。

 空気が震える。
 私兵たちの前に、不可視の壁が生まれたかのように、
 彼らの動きが一斉に止まる。

「なっ……」

 複数の魔術の詠唱が、途中でかき消された。

 ゼフィールの銀色の魔力が、
 彼らの足元から伸びる魔力線を絡め取っている。

「魔術回路を、“一時停止”させた」

 ゼフィールは、淡々と言う。

「素人には解きにくいタイプの制御だから、しばらく大人しくしてろ」

 男が、歯噛みする。

「……噂どおり、厄介な男だ」

「褒め言葉として受け取っとく」

 ゼフィールが、杖を軽く捻ると、
 私兵たちは動けないまま、膝をつかされた。

「さあて」

 彼は、ようやくリリアたちのいるほうへと跳び降りる。

 床に着地した瞬間、路地の影がふっと揺れた。

「リリア、大丈夫か」

「……うん。ちょっと、怖いけど」

 素直に答える。

 ゼフィールは、短く息を吐いた。

「よく、逃げなかったな」

「逃げようとは……思ったけど」

 胸の奥が熱い。
 怒りと恐怖と、よく分からない感情が渦巻いている。

「でも、“何もできないまま連れていかれるのは嫌だ”って思って」

 ゼフィールの表情が、少しだけ柔らかくなる。

「そうか」

 そのときだった。

「――まだ終わっていない」

 冷たい声。

 銀色の魔力の網に捕らわれたはずの男が、
 低く呪文を続けていた。

「っ……!? ゼフィールさん!」

 ノエルが叫ぶ。

 ゼフィールの網は、通常の魔術回路を“止める”ためのものだ。
 だが、男は、別のルートから術式を発動させていた。

 自分自身の肉体ではなく――
 “外部に仕込まれた何か”を起動させる形で。

「開け」

 男の瞳が、ぞっとするほど冷たく光る。

「封じられた力の扉を――今、この場で」

 リリアの胸の奥が、焼けるように熱くなった。

「……っ……!」

 心臓のあたりから、きしむような音がする。

 ゼフィールの目が見開かれた。

「やべ――」

 言い終わる前に、
 リリアの体の中で何かが“外側から殴られた”感覚が走った。

 今まで、ゼフィールやノエルが慎重に触っていた封印のライン。
 何度も削られ、塞がれ、それでもしつこく残っていた継ぎ目。

 そこに、乱暴な鍵がねじ込まれる。

(いや――)

 リリアは本能的に、両手で胸の前を押さえた。

 止めたい。
 閉じ込めたい。
 もう、勝手に触られたくない。

 でも、その願いとは逆に。

 封印のラインが、バラバラと崩れ落ちていく感覚。

 何年もかけて積み上げられた“ダム”が、
 外側から一気に爆破されたみたいに。

「リリア!」

 遠くで、誰かが叫んでいる。

 ゼフィールか。ノエルか。ミーナか。
 それとも、全部か。

 分からない。

 分かるのは――

 胸の奥から、膨大な光が押し寄せてきていることだけ。

 今まで、“弱い”“不安定”“危険”とラベルを貼られていた力。
 その実態は、“封じ込められ続けていた圧縮された魔力”。

 それが今、一気に――

 ――解放される。

 世界が、白く染まった。

 路地の石畳も、建物の壁も、夜空も。
 私兵たちの黒いマントも、銀の魔力も。

 全部、眩い光に飲み込まれる。

 視界が灼ける。
 鼓膜が、何かを聞き取る前に沈黙する。
 空気が震え、地面が唸り、
 魔力が、咆哮した。

 その場にいる全員が、
 ただその光の圧に、圧倒されることしかできなかった。
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腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

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