王宮から逃げた私、隣国で最強魔導士に一途に愛される

タマ マコト

文字の大きさ
14 / 20

第14話 古代の継承者

しおりを挟む


 世界が、ゆっくり色を取り戻していく。

 最初に感じたのは、痛みだった。

 焼けるような、刺すような、引きはがされるような――
 いくつもの質の違う痛みが、全身をばらばらに引っ張っている。

(……まだ、落ちてない)

 リリアは、かろうじてそう理解した。

 目を開けているのか閉じているのかすら分からない。
 視界は白と黒がぐちゃぐちゃに混ざったみたいに歪んでいる。

 でも、自分の中だけは、やけに鮮明だった。

 胸の奥――心臓のあたりで、何かが暴れている。

 さっきこじ開けられた封印のライン。
 そこから噴き出した圧縮された魔力が、今もなお暴風みたいに内側を荒らしている。

 抑えようとしても、指先から勝手に光が漏れる。
 髪の一本一本まで、魔力の熱で逆立ってしまいそうな感覚。

(止まらない……)

 怖い。
 止めたい。
 でも、どうしたらいいか分からない。

「――リリア!」

 外側から、声が飛んできた。

 その声だけが、唯一の“現実”の証みたいに、彼女の意識を繋ぎとめる。

「聞こえてるなら、こっち向け!」

 ゼフィールの声だ。

 混乱の中で、彼の声だけが妙にはっきり聞こえる。

「……ゼフィ……ール、さん……」

 喉から出た自分の声が、ひどく遠かった。

「今、お前の魔力、外に漏れっぱなしだ。
 このままだと街が吹っ飛ぶ」

「……っ……ご、ごめん……なさ……」

「謝ってる暇あったら、俺の声に合わせろ!」

 怒鳴り声。
 でも、その怒鳴り声が懐かしいくらい、頼りになる。

「胸の奥、暴れてるやつ分かるか」

「うん……っ」

「そいつ、全部一気に止めようとするな。
 “全部”は無理だ。
 まずは、“今この瞬間に外に出てる分だけ”を、俺のほうに流せ」

「……ゼフィールさん、の……」

「そう。俺のほうに」

 何かが、彼のほうから流れ込んできた。

 冷たい銀色の魔力。
 さっきまで自分の体を内側から焼いていた熱とは、真逆の温度。

 それは、“押さえつける”というより、“形を与える”魔力だった。

 暴れ狂う炎に、形のある炉を用意するみたいに。
 バラバラに散ろうとする光に、器の輪郭を示すみたいに。

「流れを見ろ、リリア。
 お前の中で、魔力がどの方向に走ってるか、感じろ」

 ゼフィールの声が、直接頭の中に響いてくる。

 銀の魔力と自分の魔力が、接触している場所。
 そこから、ゆっくりと外側へ向かうルートをたどっていく。

 胸、肩、腕、指先。
 背中、腰、足。

 全身に走る“川”の流れが、少しずつ見えてくる。

「今までずっと、“止める”ことだけ押しつけられてきたろ」

 ゼフィールの声が、すこし低くなる。

「でも、今必要なのは、“止める”じゃない。“流れを変える”だ」

「……ながれ、を……」

「そう。“行き先”を変えろ」

 銀の魔力が、自分の暴走しかけた魔力に寄り添う。
 無理やり押さえ込まず、ただ“こっちだ”と方向だけ示すように。

(ここから……ゼフィールさんのほうへ)

 リリアは、自分の胸の奥で、魔力に向かってそっと手を伸ばすようなイメージを描く。

 怒りと恐怖と、“爆発しそうな圧力”。
 その全部を、ひとつの太い流れにまとめて、銀の光が待っているほうへと誘導する。

 うまくいったとは言えない。
 あちこちで水漏れして、光のしぶきが飛び散る。

 それでも、ゼフィールの魔力が、そのたびに小さく“受け止めて”くれる。

「……っ、は……っ」

 息が荒い。
 頭ががんがんする。
 それでも、さっきの“制御不能な爆発”に飲み込まれていたときとは違って、
 今は、かろうじて“自分で踏ん張っている”感覚があった。

「そう、それでいい」

 ゼフィールの声が、少し柔らかくなる。

「漏れた分は俺が受ける。
 お前は、“自分の内側の流れ”だけ見ろ」

 時間の感覚がぐちゃぐちゃだった。

 数秒かもしれないし、数分かもしれない。
 もっと長い時間にすら感じる。

 やがて――

 胸の奥の暴風が、少しずつ収まっていくのを感じた。

 それでもまだ、心臓のあたりには熱が残っている。
 けれど、それは“破壊の予兆”ではなく、“燃え残った火”のように見えた。

(……生きてる)

 ふっと、意識がふわりと浮いた。

 重力から切り離されるみたいな感覚。

(あ)

 落ちる、というより、沈む。

 どこか深いところへ、ゆっくりと。

     ◇

 暗闇ではなかった。

 かといって、完全な光でもない。

 乳白色の霧が、あたり一面に漂っている。
 足元はあるようなないような。
 それでも、リリアは“立っている”感覚だけは、はっきり感じていた。

「……ここ、どこ」

 自分の声が、霧の中に溶けていく。

 返事はない。

 歩いてみようとすると、足元の霧がさらさらと避けていく。
 そのたびに、床のようなものが、うっすらと姿を見せては消えた。

 どれくらい進んだのか分からない。

 ふいに、空気が変わった。

 息が詰まるような圧。
 胸を押しつぶすような重さ。

 霧の向こうに、光が見えた。

 炎の色でも、魔力灯の色でもない。

 もっと古い、もっと原始的な光。
 大地の奥底から湧き上がるような、熱と輝きを伴う光。

 リリアは、吸い寄せられるようにそこへ歩み寄った。

 霧が、すっと晴れる。

 ――そこは、見知らぬ場所だった。

 石造りの広間。
 高い柱が林立し、天井には複雑な魔法陣が刻まれている。

 床には、大きな円形の術式。
 その中心に、ひとりの女性が立って――いや、“縛られて”いた。

 長い髪。
 白に近い銀の髪が、床まで流れている。
 瞳は深い紫。
 その色は、自分とよく似ていた。

 腕と足には、魔術用の鎖が巻き付けられている。
 自由を奪うためだけのものではなく、魔力の流れを強制的に変えるための器具だ。

 周囲には、複数の人影。

 王族のような衣を着た者。
 聖職者のようなローブを纏う者。
 そして、魔導師たち。

 彼らは一様に、“女性の瞳”ではなく、“足元の魔法陣”だけを見ていた。

 何かが胸の奥でチリ、と音を立てる。

(知ってる――)

 この空気。
 この視線。
 “人”ではなく、“力”だけを見る目。

 知らないはずなのに、骨の奥が覚えている。

 石の広間に、低い声が響いた。

『始めよ』

 誰かがそう告げる。

 魔法陣が光る。
 女性の髪が、ゆっくりと持ち上がる。

 足元の鎖が、きしりと音を立てる。

 彼女は、まっすぐ前を見ていた。

 怯えてはいない。
 諦めてもいない。

 ただ、その瞳には、深い怒りと――
 どこか冷めた侮蔑のようなものが宿っていた。

 そして、口を開いた。

『お前たちは』

 声が、直接耳ではなく、胸の内側に響いてくる。

『私の力しか見ていない』

 静かな、けれど鋭い声だった。

『私という“人間”を見ないまま、血と魔力だけを使おうとする。
 それを“神意”や“国のため”で飾り立てて、自分の醜さを誤魔化す』

 周囲の人間たちの表情がわずかに歪む。

 恥じたからではない。
 “従わない”ことへの苛立ち。

『だから、お前たちは』

 彼女の紫の瞳が、ゆっくりと広間を見渡す。

『私の力に飲まれて、滅ぶ』

 その瞬間、光が弾けた。

 さっき、自分の体からあふれ出したものと同じ質の光。
 膨大で、圧倒的で、どうしようもなく美しくて――
 同時に、破壊的な光。

 リリアは、思わず目を閉じた。

 まぶしさと、そこに込められた怒りの重さに耐えきれなくて。

 ――ふっと、手を握られる感覚がした。

 見知らぬはずの女性の手。
 なのに、その温度はどこか懐かしい。

『見ているか』

 彼女の声が、直に心に触れる。

『継承者』

 その呼びかけに、リリアは息をのんだ。

『私の瞳を受け継ぐ者』

「わ、たし……?」

 自分の声が震える。

『お前がどう生きるかは、お前が決めろ』

 女性は、淡々と言った。

『私のように縛られたまま滅びるか。
 それとも――鎖ごと、砕きに行くか』

 彼女の指先が、リリアの胸のあたりをそっと押した。

 そこに、熱が集まる。

 心臓の奥、さらにその奥。
 “封印されていた場所”に、別の火種が差し込まれる。

『ただひとつ、言っておく』

 女性の声が、少しだけ柔らかくなった気がした。

『お前の人生は――お前のものだ』

 霧が一気に濃くなる。

 光も、声も、温度も。
 すべてが混ざり合って、遠のいていく。

(……まって)

 言葉にならない声が、喉の奥で溶けた。

 次の瞬間。

 リリアの意識は、現実の世界へと引き戻された。

     ◇

「……っ!」

 まぶたが、重く開く。

 最初に飛び込んできたのは、見慣れた天井だった。

 石造りではない。
 王宮の豪奢な装飾でもない。

 木目の落ち着いた板張りの天井。
 ところどころに貼られた、怪しげな魔法紙。
 “うっかり寝転ぶと魔法の実験に巻き込まれかねない”危険な部屋の天井。

(……塔、だ)

 ゆっくりと視線を動かす。

 ベッドの上に寝かされている。
 柔らかな布団。
 薄い毛布。

 体のあちこちが、じんじんと重い。
 筋肉痛と、魔力を使いすぎたあとのだるさ。
 それが全身を包んでいた。

 枕元には、見慣れた顔が三つ。

 ひとり目――ローブ姿で椅子に座り、腕を組んで目を閉じているゼフィール。
 寝ているのか、考え込んでいるのか、微妙なところ。

 ふたり目――隣の椅子で書類を整えているリリアン宰相。
 いつもの冷静な顔だが、目の下に薄い影がある。

 みっつ目――窓際に立ち、街を見下ろしていたエリアス国王。
 こちらも、普段より少しだけ険しい表情だった。

「……」

 思わず、息を呑む。

 ゼフィールが、ぴくりと眉を動かした。

「起きた」

 彼が静かに言う。

 エリアスが振り向き、リリアンが書類から顔を上げる。

「リリア」

 エリアスの声は、いつもより柔らかかった。

「気分はどうだ?」

「……正直に言っていいなら」

「もちろん」

「全身、トラックに轢かれたみたいです」

「トラックって何?」

「たぶん、古代の幻の輸送用魔道具ですね」

「適当なこと言わないの」

 ゼフィールの小さな突っ込みに、
 リリアは、自分がまだちゃんと“ここにいる”ことを実感した。

 生きている。
 それだけで、胸の奥がじんわりと熱くなる。

「……ごめんなさい」

 癖で、すぐにその言葉が出かかった。

 けれど――ゼフィールの視線とぶつかった瞬間、
 彼に何度も言われた言葉を思い出す。

 “全部自分のせいだって顔、やめろ”。

 唇を噛んで、言葉を飲み込む。

 代わりに、そっと問う。

「私……何か、やらかしました?」

 エリアスとリリアンが、視線を交わした。

 ゼフィールが、眉間を押さえてため息をつく。

「“ちょっと派手に光っただけ”だ」

 嘘だろうが。

「王都の南エリアの結界、ほぼ全部反応してましたよ」

 リリアンの冷静な指摘。

「城の上から見ても、まるで第二の昼が来たかと思うほどの光量でした」

「それを“ちょっと”って言う人、信用しちゃいけない気がする」

「まあ、とりあえず」

 ゼフィールが椅子から腰を浮かす。

「街は無事だ。建物も、人も、致命的な被害は出てない。
 ノエルもミーナも、かすり傷程度」

「……ほんと?」

「ああ」

 ゼフィールが真剣に頷く。

「暴走しかけたお前の魔力、ギリギリのところで“上方”に抜いたからな。
 地面じゃなくて空を照らしてもらった」

「だから王宮からもよく見えたわけか」

 エリアスが小さく苦笑する。

「使節団も騒然としていたよ。“何事か”と聞きに来たくらいだ」

 グランツの使節団。

 その言葉で、路地の光景が一気に蘇る。

 黒いマント。
 冷たい視線。
 “回収”という言葉。

 喉の奥がきゅっと締まる。

「……私兵たちは?」

 リリアは、かろうじて声を出した。

「捕らえた者もいるが、“本命”は逃げた」

 リリアンが、淡々と答える。

「あの場で封印をこじ開けた術者。
 彼だけ、銀の制御網の外側にいた」

「わざと外にいたんだろうな。用心深い」

 ゼフィールが舌打ちする。

「ただ――」

 エリアスが、窓から離れ、ベッドのほうへ近づいてきた。

「そのおかげで、いくつか分かったこともある」

 その表情は、決意と躊躇いの間で揺れていた。

「リリア・エルネスト」

 彼は、王ではなく、ひとりの大人としての声で呼びかけた。

「今から話すことは、君にとって、あまりに重い真実だ」

「……」

「聞きたくないと言うなら、今はまだ伏せておくこともできる。
 だが、君はきっと――」

 エリアスは、一拍置いて続けた。

「知ったうえで、生きることを選ぶと、私は思う」

 心臓が、どくんと鳴る。

 ゼフィールも、リリアンも、何も言わない。
 ただ、静かにリリアの反応を待っている。

 リリアは、拳をぎゅっと握りしめた。

「……聞きます」

 喉の奥が震えている。
 それでも、しっかりとそう言った。

「逃げないって、決めたから」

 その一言に、ゼフィールの口元がわずかに緩む。

 エリアスは、短く頷いた。

「まず――君の今の魔力の状態と、
 ゼフィールが解析した“封印の痕跡”。
 そして、さきほど塔の地下書庫から引っ張り出してきた古文書」

 リリアンが、一冊の古い本を持ち上げる。

 厚い表紙。
 黄色く変色したページ。
 何百年も前に書かれた文字。

「そこに、“ひとつの一族”についての記述があった」

 一族。

 リリアは、ごくりと喉を鳴らした。

「かつて、この大陸に、ひとつの強大な魔導士一族がいた」

 エリアスの声が、静かに部屋に満ちる。

「王国がまだ“王国”になる前――
 この地域が、小さな部族と都市国家の集合体だった頃だ」

 リリアは、霧の中で見た石の広間を思い出した。

 王宮の前身のような場所。
 儀式に縛られた女性。
 柱。
 天井の魔法陣。

「彼らは、“古き約束”を守る一族と呼ばれていた」

 リリアンが、古文書から一節を読み上げる。

「“光と世界の境界を見守る者たち”」

「ざっくり言うと、
 “魔力と世界のバランスを調整する役割を負わされていた一族”だ」

 ゼフィールが補足する。

「大きな力を持つぶん、“その力をどう使うか”にも責任があった」

 エリアスは、続ける。

「だが――いつの時代も、“大きな力”を欲しがる者はいる」

 リリアの胸の奥が、ずきりと痛んだ。

「部族同士の争いが激しくなり、
 やがて“王”を名乗る者が現れた。
 “ひとつにまとめねば外敵に滅ぼされる”という名目で」

 歴史の教科書に載っていた話だ。
 王国成立の物語。

 けれど、その裏側はいつもきれいにぼかされていた。

「王となった者たちは、“力を持つ一族”を取り込もうとした。
 “共に国を作ろう”という名目で、礼を尽くして近づいた」

 リリアンの声が、少しだけ低くなる。

「だが、やがて関係は変質する。
 “共に”ではなく、“管理”へと」

 石の広間の女性の姿が、はっきりと頭の中に浮かんだ。

 鎖。
 魔法陣。
 視線。

「古文書には、こう記されている」

 リリアンが、文字を追う指先を止めた。

「“彼らは、彼女たちの血と力のみを求め、
 『婚姻』という名目でその一族を王宮に縛りつけた”」

 空気が重くなる。

「……婚姻」

 その単語は、リリアにとって、あまりにも身近すぎた。

「リリア・エルネスト」

 エリアスが、彼女の瞳をまっすぐ見た。

「君は――その古代の魔導士一族の末裔だ」

 時間が、一瞬止まった気がした。

「……え?」

 声が、掠れる。

「君の瞳の色。
 封印されていた魔力の質。
 その流れ方。
 さきほど君が暴走しかけたときに観測された“特異な魔力波長”。
 そのどれもが、古文書の記述と一致する」

 ゼフィールが、静かに言った。

「塔の術式で取った君の魔力波形と、
 古い聖堂に残っていた“古代の魔法陣の残滓”が、ほぼ同じクセを持ってた」

「そんな……」

 リリアは、枕をぎゅっと握りしめる。

「でも、エルネスト家は、ただの……」

「“ただの”名門公爵家、だな」

 ゼフィールが、少し皮肉気に笑う。

「だからこそ、隠しやすかったんだろ」

 リリアンが、淡々と続ける。

「王国にとって、“古代の強大な魔導士一族が生き残っている”という事実は、
 諸刃の剣だった」

「……どういうことですか」

「味方にできれば、これほど心強い存在はない。
 だが、“自分たちの思い通りにならなければ”――
 脅威にもなり得る」

 エリアスの目が、すこし険しくなる。

「だから、彼らは“保護”という名目で、
 その血筋を“婚約者”という形で王宮に囲い込んだ」

 リリアは、呆然と口を開いた。

 王宮に初めて呼ばれた日。
 “王太子の婚約者”に選ばれた日のこと。

 全部が、“光栄なこと”だと教えられてきた。

『公爵家の娘として、誇りを持ちなさい』

 母にそう言われた。

『君は国に必要とされている』

 レオンハルトに、そう微笑まれた。

 その裏側が――

「……私の血と、魔力」

 喉の奥が震える。

「それを、利用するために?」

 エリアスは、否定しなかった。

「古文書には、“初代国王が、その一族の娘と婚姻を結んだ”とある。
 だが、その実態は、“同盟”というより、“制御”だったのだろう」

 リリアンが、重ねるように言う。

「王族の血と混ぜることで、力を薄め、“扱いやすくする”。
 そうやって“便利な力”として、王宮の中に閉じ込め続ける」

 そして――

「現代のグランツ王国も、その構造を受け継いでいた」

 ゼフィールの声が、やけに冷たく響いた。

「リリア。
 お前が“王太子の婚約者”に選ばれた理由は、
 “エルネスト家の娘だから”だけじゃない」

 彼の灰色の瞳が、リリアの紫の瞳を射抜く。

「“古代の魔導士一族の血を色濃く継ぐ個体”だったからだ」

 喉の奥に、苦いものが込み上げてくる。

 今まで、“自分には価値がない”と言われ続けてきた。
 “魔力が弱い”“役に立たない”“不安定で危険”。

 そのすべてが――

「……逆だったってこと?」

 自分の声が、震えているのが分かる。

「私、“価値がない”からじゃなくて――
 “価値がありすぎたから”、封じられてたってこと?」

 胸の奥が、ぐちゃぐちゃになる。

 怒り。
 悲しさ。
 虚しさ。
 そして、ひどく冷めた諦め。

 全部が混ざって、喉を締め付けた。

「じゃあ、私の人生って――」

 言葉が、ぽろりと口から落ちる。

「最初から、私のものじゃなかったの?」

 幼い頃から、王宮に呼ばれ、
 魔力を測られ、調整され、“適切な婚約者”として育てられて。

 “王太子の隣に立つ器”になれるように、と。
 そう教えられて。

 笑い方も、歩き方も、言葉の選び方も。
 全部“王宮に合わせた自分”を上から塗られてきた。

 それを、“自分の努力だ”と信じたかった。
 “自分で選んだ道だ”と思いたかった。

 でも――

(最初から、“決められていた”)

 “あの一族の血を持つ娘だから”。
 “利用価値があるから”。

 だから、婚約者に選ばれた。
 だから、王宮に置かれた。
 だから、封印され、監視された。

 そこに、自分の意思はどこにあった?

 ベッドのシーツを握る手に、力が入る。

「……っ」

 涙が、じわりと滲んだ。

 怒りの涙か、悔しさの涙か、悲しみの涙か。
 自分でも区別がつかない。

「リリア」

 ゼフィールが、静かに名前を呼んだ。

 視界の端で、彼が椅子を立つ。

 次の瞬間、そっと、手を取られた。

 あの日、“怖くない魔力の使い方”を始めたときと同じ。
 あの日、“封印の痕跡”を見せつけられたあと、涙をこぼしたときと同じ。

 でも、彼の瞳は、今までで一番、真剣だった。

「最初から全部、奪われてたのは事実だと思う」

 ゼフィールは、誤魔化さない。

「生まれた瞬間から、“この血は国のもの”“この魔力は王宮のもの”って顔されて、
 人生を勝手にレールに乗せられてたんだろ」

「……」

「そのことについて、“理不尽だ”って思う権利は、お前にある」

 彼の声は、静かで、でも強い。

「“なんで私の人生を勝手に決めたの”って、
 何百回でも何千回でも怒っていい」

 胸の奥で、また何かがひび割れる。

 今度は、“自分を責めるため”じゃない。
 “外側に向けて叫ぶため”のひび割れ。

「でも」

 ゼフィールは、そこで言葉を切った。

 灰色の瞳が、まっすぐリリアを見つめる。

「“最初から”奪われてたからって、“最後まで”奪われっぱなしでいる必要はない」

 その言葉は、胸の奥のど真ん中に突き刺さった。

「今から取り返せばいい」

 はっきりと、彼は言った。

「遅くなんかない」

 “今から”。

 “取り返す”。

 リリアの心が、ぐらりと揺れる。

「……でも、私」

 声が、かすれる。

「今までずっと、“逃げること”しかしてこなかった。
 王宮からも、レオンハルトからも、“怖い場所”から逃げることしか」

「それの何が悪い」

 ゼフィールが、即答した。

「“逃げた”おかげで、今ここにいるんだろ」

「……」

「逃げなかったら、今ごろどこかの地下施設で、
 “古代の魔導士一族の血筋です”って札つけられて寝かされてたかもしれない」

 あまりにもリアルな想像に、背筋がぞっとする。

「“逃げるだけだった自分”なんて言うなよ」

 ゼフィールは、少し眉をひそめた。

「逃げるのだって、勇気いるんだ。
 全部諦めて、王宮の檻に戻るほうが、よっぽど楽だったはずだぞ」

 レオンハルトが差し出した、“言い訳付きの檻”。
 “国のためだから”“君を守るためだから”という甘い言葉で飾られた牢獄。

 そこに戻る選択肢も、確かにあった。

(それを、私は――蹴った)

 あの日、“夜明け前の選択”をした。
 “ここにいたら、心のほうが先に壊れる”と気づいて、逃げることを選んだ。

 あれは、決して“小さな逃避”なんかじゃなかった。

「逃げたから、今、“取り返す”ことを考えられる」

 ゼフィールの声が、少しだけ柔らかくなる。

「今までは、“逃げるため”に必死だった。
 余裕なんてなかった」

「……」

「でも、今は違うだろ」

 ゼフィールは、手を握る力を少しだけ強めた。

「ここにいていいって言った。
 エリアス陛下も、“真相が分かるまでは保護する”って言った。
 ノエルもミーナも、“迷惑かけてもいい”って顔してる」

 エリアスが、苦笑まじりに頷く。

「迷惑、かけられている自覚はあるよ。
 だが、それを理由に見捨てるほど、我々は冷たい国ではないつもりだ」

 リリアンも、淡々と続ける。

「この問題は、もはや“ひとりの令嬢の人生”を越えています。
 “力を持つ者をどう扱うか”――
 ルミナリアという国が、自分に突きつけられた問いでもある」

 リリアは、唇を噛んだ。

「……もし私が、“取り返したい”って言ったら」

 喉の奥で、言葉が震えている。

「何を?」

 ゼフィールが、あえて訊き返す。

 リリアは、ゆっくりと息を吸った。

「私の人生を」

 その答えは、あまりにもシンプルだった。

「王宮で、“あなたのため”って言われながら奪われ続けてきたもの。
 “古代の血を持つから”って言われて封じられてきたもの。
 全部ひっくるめて――」

 胸の奥が、熱くなる。

「“私のものだ”って、言い直したい」

 ゼフィールが、ほんの少し口元を緩める。

 エリアスの瞳の奥に、静かな光が宿る。
 リリアンの指先が、机の上で小さく動いた。

「そのときは」

 ゼフィールは、まっすぐに言った。

「俺は、お前のわがままに全力で付き合う」

 “守りたいというわがまま”。

 あの日、彼はそう言った。

「エリアス陛下も、立場上できることとできないことはあるだろうけど、
 それでも、“できる限り”は一緒に戦ってくれる」

「王としてではなく、一人の人間としても、
 君に貼られた鎖の一部くらいは、砕いてやりたいと思っているよ」

 エリアスが、穏やかに言う。

「私も」

 リリアンが、静かに付け加えた。

「封印術式の解析は、これまで避けてきた分野ですが――
 これを機に、徹底的に洗い直す価値はあります。
 “誰かを縛るため”ではなく、“誰かを解放するため”に」

 胸の奥に、小さな火が灯る。

 霧の中で出会った女性――
 “古代の一族”の誰か。

 彼女の怒りと、誇りと、最後の言葉。

『お前の人生は――お前のものだ』

 その声が、今も耳の奥で響いている。

(逃げるだけじゃ、嫌だ)

 リリアは、思った。

 逃げなきゃいけない場面も、きっとこれからもある。
 怖くて震える夜も、何度でも訪れる。

 それでも――

(奪われたまま、終わりたくない)

 王宮で縛られた自分。
 封印された魔力。
 “婚約者”という名目の鎖。

 その全部を、“仕方なかった”で流してしまうのは、あまりにも悔しい。

「……私」

 リリアは、ゆっくりと上体を起こそうとした。

 まだ体は重い。
 ゼフィールがすぐに支えてくれる。

「まだ、うまく立てないかもしれないけど」

 それでも、言葉だけは、しっかりと前に出す。

「逃げるだけだった自分から――
 取り返すために、立ち上がる自分になりたい」

 その宣言は、誰に向けてというより、
 自分自身に向けた誓いだった。

 ゼフィールが、安心したように笑う。

「いいね、それ」

 エリアスも、わずかに口元を緩める。

「では、ルミナリア王国は――
 “古代の継承者”の味方をするとしようか」

「継承者……」

 その言葉に、リリアは少しだけ肩をすくめる。

「なんか、すごく大きなもの背負わされてる気がするんですけど」

「大きいよ」

 ゼフィールが、あっさり言う。

「でも、“古代の一族”って肩書きより、“リリア本人”を前に出していけばいい」

 彼は、リリアの手を離さないまま、静かに告げた。

「“力の継承者”じゃなくて、“人生の継承者”としてな」

 胸の奥で、小さな火が、少しだけ炎を大きくした。

 逃げるだけではなく。
 奪われたものを取り返すために。

 リリアの物語は、ゆっくりと、新しい段階へと踏み出そうとしていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

元公爵令嬢は年下騎士たちに「用済みのおばさん」と捨てられる 〜今更戻ってこいと泣きつかれても献身的な美少年に溺愛されているのでもう遅いです〜

日々埋没。
ファンタジー
​「新しい従者を雇うことにした。おばさんはもう用済みだ。今すぐ消えてくれ」  ​かつて婚約破棄され、実家を追放された元公爵令嬢のレアーヌ。  その身分を隠し、年下の冒険者たちの身の回りを世話する『メイド』として献身的に尽くしてきた彼女に突きつけられたのは、あまりに非情な追放宣告だった。  ​レアーヌがこれまで教育し、支えてきた若い男たちは、新しく現れた他人の物を欲しがり子悪魔メイドに骨抜きにされ、彼女を「加齢臭のする汚いおばさん」と蔑み、笑いながら追い出したのだ。 ​ 地位も、居場所も、信じていた絆も……すべてを失い、絶望する彼女の前に現れたのは、一人の美少年だった。 ​「僕とパーティーを組んでくれませんか? 貴方が必要なんです」  ​新米ながら将来の可能性を感じさせる彼は、レアーヌを「おばさん」ではなく「一人の女性」として、甘く狂おしく溺愛し始める。  一方でレアーヌという『真の支柱』を失った元パーティーは、自分たちがどれほど愚かな選択をしたかを知る由もなかった。  ​やがて彼らが地獄の淵で「戻ってきてくれ」と泣きついてきても、もう遅い。  レアーヌの隣には、彼女を離さないと誓った執着愛の化身が微笑んでいるのだから。

中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています

浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】 ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!? 激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。 目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。 もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。 セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。 戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。 けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。 「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの? これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、 ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。 ※小説家になろうにも掲載中です。

王女様は聖女様?おてんば姫の大冒険~ペットのドラゴンが迷子なので冒険者になって探しに行きます!~

しましまにゃんこ
ファンタジー
アリシア王国の第3王女ティアラ姫には誰にも言えない秘密があった。 それは自分が全属性の魔力を持ち、最強のチート能力を持っていた「建国の賢者アリシア」の生まれ変わりであること! 8才の誕生日を境に前世の記憶を取り戻したものの、500年後に転生したことを知って慌てる。なぜなら死の直前、パートナーのドラゴンに必ず生まれ変わって会いにいくと約束したから。 どこにいてもきっとわかる!と豪語したものの、肝心のドラゴンの気配を感じることができない。全属性の魔力は受け継いだものの、かつての力に比べて圧倒的に弱くなっていたのだ! 「500年……長い。いや、でも、ドラゴンだし。きっと生きてる、よね?待ってて。約束通りきっと会いにいくから!」  かつての力を取り戻しつつ、チートな魔法で大活躍!愛する家族と優しい婚約者候補、可愛い獣人たちに囲まれた穏やかで平和な日々。 しかし、かつての母国が各国に向けて宣戦布告したことにより、少しずつ世界の平和が脅かされていく。 「今度こそ、私が世界を救って見せる!」 失われたドラゴンと世界の破滅を防ぐため、ティアラ姫の冒険の旅が今、始まる!   剣と魔法が織りなすファンタジーの世界で、アリシア王国第3王女として生まれ変わったかつての賢者が巻き起こす、愛と成長と冒険の物語です。 イケメン王子たちとの甘い恋の行方もお見逃しなく。 小説家になろう、カクヨムさま他サイトでも投稿しています。

【完結】国外追放の王女様と辺境開拓。王女様は落ちぶれた国王様から国を買うそうです。異世界転移したらキモデブ!?激ヤセからハーレム生活!

花咲一樹
ファンタジー
【錬聖スキルで美少女達と辺境開拓国造り。地面を掘ったら凄い物が出てきたよ!国外追放された王女様は、落ちぶれた国王様゛から国を買うそうです】 《異世界転移.キモデブ.激ヤセ.モテモテハーレムからの辺境建国物語》  天野川冬馬は、階段から落ちて異世界の若者と魂の交換転移をしてしまった。冬馬が目覚めると、そこは異世界の学院。そしてキモデブの体になっていた。  キモデブことリオン(冬馬)は婚活の神様の天啓で三人の美少女が婚約者になった。  一方、キモデブの婚約者となった王女ルミアーナ。国王である兄から婚約破棄を言い渡されるが、それを断り国外追放となってしまう。  キモデブのリオン、国外追放王女のルミアーナ、義妹のシルフィ、無双少女のクスノハの四人に、神様から降ったクエストは辺境の森の開拓だった。  辺境の森でのんびりとスローライフと思いきや、ルミアーナには大きな野望があった。  辺境の森の小さな家から始まる秘密国家。  国王の悪政により借金まみれで、沈みかけている母国。  リオンとルミアーナは母国を救う事が出来るのか。 ※激しいバトルは有りませんので、ご注意下さい カクヨムにてフォローワー2500人越えの人気作    

処刑前夜に逃亡した悪役令嬢、五年後に氷の公爵様に捕まる〜冷徹旦那様が溺愛パパに豹変しましたが私の抱いている赤ちゃん実は人生2周目です〜

放浪人
恋愛
「処刑されるなんて真っ平ごめんです!」 無実の罪で投獄された悪役令嬢レティシア(中身は元社畜のアラサー日本人)は、処刑前夜、お腹の子供と共に脱獄し、辺境の田舎村へ逃亡した。 それから五年。薬師として穏やかに暮らしていた彼女のもとに、かつて自分を冷遇し、処刑を命じた夫――「氷の公爵」アレクセイが現れる。 殺される!と震えるレティシアだったが、再会した彼は地面に頭を擦り付け、まさかの溺愛キャラに豹変していて!? 「愛しているレティシア! 二度と離さない!」 「(顔が怖いです公爵様……!)」 不器用すぎて顔が怖い旦那様の暴走する溺愛。 そして、二人の息子であるシオン(1歳)は、実は前世で魔王を倒した「英雄」の生まれ変わりだった! 「パパとママは僕が守る(物理)」 最強の赤ちゃんが裏で暗躍し、聖女(自称)の陰謀も、帝国の侵略も、古代兵器も、ガラガラ一振りで粉砕していく。

虚弱体質?の脇役令嬢に転生したので、食事療法を始めました

たくわん
恋愛
「跡継ぎを産めない貴女とは結婚できない」婚約者である公爵嫡男アレクシスから、冷酷に告げられた婚約破棄。その場で新しい婚約者まで紹介される屈辱。病弱な侯爵令嬢セラフィーナは、社交界の哀れみと嘲笑の的となった。

巻き込まれて異世界召喚? よくわからないけど頑張ります。  〜JKヒロインにおばさん呼ばわりされたけど、28才はお姉さんです〜

トイダノリコ
ファンタジー
会社帰りにJKと一緒に異世界へ――!? 婚活のために「料理の基本」本を買った帰り道、28歳の篠原亜子は、通りすがりの女子高生・星野美咲とともに突然まぶしい光に包まれる。 気がつけばそこは、海と神殿の国〈アズーリア王国〉。 美咲は「聖乙女」として大歓迎される一方、亜子は「予定外に混ざった人」として放置されてしまう。 けれど世界意識(※神?)からのお詫びとして特殊能力を授かった。 食材や魔物の食用可否、毒の有無、調理法までわかるスキル――〈料理眼〉! 「よし、こうなったら食堂でも開いて生きていくしかない!」 港町の小さな店〈潮風亭〉を拠点に、亜子は料理修行と新生活をスタート。 気のいい夫婦、誠実な騎士、皮肉屋の魔法使い、王子様や留学生、眼帯の怪しい男……そして、彼女を慕う男爵令嬢など個性豊かな仲間たちに囲まれて、"聖乙女イベントの裏側”で、静かに、そしてたくましく人生を切り拓く異世界スローライフ開幕。 ――はい。静かに、ひっそり生きていこうと思っていたんです。私も.....(アコ談) *AIと一緒に書いています*

彼の巨大な体に覆われ、満たされ、貪られた——一晩中

桜井ベアトリクス
恋愛
妹を救出するため、一ヶ月かけて死の山脈を越え、影の沼地を泳ぎ、マンティコアとポーカー勝負までした私、ローズ。 やっと辿り着いた先で見たのは——フェイ王の膝の上で甘える妹の姿。 「助けなんていらないわよ?」 は? しかも運命の光が私と巨漢戦士マキシマスの間で光って、「お前は俺のものだ」宣言。 「片手だけなら……」そう妥協したのに、ワイン一杯で理性が飛んだ。 彼の心臓の音を聞いた瞬間、私から飛びついて、その夜、彼のベッドで戦士のものになった。

処理中です...