王宮から逃げた私、隣国で最強魔導士に一途に愛される

タマ マコト

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第15話 自分で選ぶって決めたから

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 グランツ王国は、信じられないほど綺麗な顔で嘘をついた。

 ――襲撃など知らない。
 ――私兵部隊? そのようなものを送る理由がない。
 ――むしろ、ルミナリア側が事実を歪め、自作自演をしているのではないか。

 王宮会議室に届けられた書状には、そういう意味の言葉が、丁寧な敬語と婉曲表現でぎっしり詰め込まれていた。

 紙の上の墨は、まだ新しい。
 封蝋には、双頭の獅子の紋章。

 それでも――そこに書いてあるのは、全部“切り捨てるための文章”だった。

「……予想はしていたが、まあ、見事なものだな」

 エリアスは、書状を読み終えると、静かに息を吐いた。

 ルミナリア王宮の小会議室。
 昼の光が斜めに差し込む中、テーブルを囲んでいるのは、ごく少数の人間だけだ。

 エリアス・ルミナリア国王。
 宰相リリアン・クロード。
 王立魔導院所属、最強魔導士ゼフィール・ルミナリア。
 そして――リリア・エルネスト。

 彼女だけは、皆の少し後ろ、壁際に椅子を置かせてもらって座っている。

 書状の文字が、遠目にも見えた。

「“残念です。貴国が、そのような卑劣な手段で我が国との信義を損なおうとしているとしたら――”」

 リリアンが、淡々と読み上げる。

「“両国の平和的関係は、深刻な危機に瀕することになるでしょう”」

「平和的関係、ね」

 ゼフィールが、椅子の背にもたれながらぼそっと呟いた。

「“逃亡者を回収するために私兵送って封印こじ開けようとした国”が、言うセリフかよ」

 いつもの眠そうな目が、今はあからさまに冷えている。

「彼らとしては、“証拠がない”と踏んでいるのでしょう」

 リリアンが眼鏡の位置を直す。

「私兵の装備からは、すべて紋章類が外されていましたし、
 呪文も“誰の系統か分かりにくい”崩し方をしていた。
 襲撃現場に残された痕跡だけでは、“グランツ王国の犯行”と断定するのは難しい」

「でも、魔力の癖とか……」

 リリアが、思わず口を挟む。

「ゼフィールさん、言ってましたよね。“グランツの魔術師の癖だ”って」

「俺が見れば分かる。でも、“他国の王を納得させる証拠”には弱い」

 ゼフィールは肩をすくめた。

「“最強魔導士がそう言ってるから”だけじゃ、
 グランツ側に“はいそうですかすみませんでした”って言わせるには足りない」

「むしろ、“最強魔導士にだまされているのでは?”と返されるのがオチでしょう」

 リリアンが淡々と言う。

「現時点で、状況証拠は十分でも、“動かぬ証拠”はない。
 そう判断しての強気な否定と、“自作自演”というカウンターなのでしょうね」

 リリアは、ひざの上で手をぎゅっと握った。

(自作自演……)

 あの夜、路地裏で、確かに命を狙われた。

 “回収”という言葉。
 “物言わぬ魔道具”という言い方。
 封印をこじ開けられかけた胸の痛み。
 体からあふれ出した光の感覚。

 それらを全部――“なかったこと”にされかけている。

「……グランツは、何がしたいんだろう」

 思わず漏れた小さな声。

「自分たちで襲撃しておいて、それを認めないどころか、
 こっちが悪いみたいに言って」

「何がしたいか、か」

 エリアスが、窓の外に目をやった。

 王都の上空には、薄い雲がたなびいている。
 遠くに、魔導士の塔が見えた。

「簡単だよ」

 彼は、苦い笑みを口元に浮かべる。

「“自分たちの欲しいものを、なるべく傷を負わずに手に入れたい”」

「……」

「リリア・エルネストという“資源”を取り戻したい。
 でも、“自分たちが襲撃した”と認めれば、
 国としての信用と体面に大きく傷がつく」

 リリアンが続ける。

「ですから、“一切関与していない”と主張しながら、
 “では、貴国のほうで適切に処理しておいてください”と――」

「“汚れ仕事”を押しつけてくる」

 ゼフィールが、灰色の瞳を細めた。

「このままいけば、最悪どうなると思ってる?」

 エリアスが、あえてリリアに問いかける。

 リリアは、唇を噛んだ。

「……ルミナリアが、“グランツの要求を断り続ける国”になって」

「うん」

「グランツは、“誠意ある対話を拒否された被害者”を演じて」

「そう」

「周りの国に、“ルミナリアは危険な国だ”“暴走する魔導士を匿っている”って、
 少しずつ印象を広めて……」

 喉がひりひりする。

「最悪、戦争、ですか」

 その言葉を口にした瞬間、会議室の空気がぴんと張り詰めた。

 エリアスは、否定しなかった。

「可能性としては、ゼロではない」

「ただし、“明日にでも軍が動く”というような状況ではありません」

 リリアンが冷静に付け加える。

「国同士の関係が完全に壊れるには、時間がかかります。
 グランツとしても、戦争は最終手段。
 彼らも国力に余裕があるわけではありませんから」

「でも、“切り札”としては持ってくるだろうな」

 ゼフィールが机を指でとんとん叩く。

「“リリア・エルネストを引き渡さないなら、
 それは我が国への敵対行為と見なす”ってやつ」

 リリアは、ひざの上で握りしめた拳に力を込めた。

 自分ひとりの存在が、
 国と国の関係をここまで揺らしている。

(私がここにいるせいで)

 また、その考えが頭をもたげる。

 ――迷惑かけてる。
 ――私がいなければ。
 ――私が消えれば。

 喉の奥まで上がってきたその言葉を、
 リリアは、必死に飲み込んだ。

(言わないって決めた)

 ゼフィールに何度も言われた。
 “全部自分のせいだって顔、やめろ”と。

 でも、だからといって、
 この状況が“軽い”わけではない。

 エリアスは、しばらく沈黙したあと、
 ゆっくりとリリアのほうを向いた。

「……リリア」

「はい」

「ひとつ、提案がある」

 その言い方は、
 “命令”でも“許可”でもなく、“提案”だった。

「君を、この国から逃がすこともできる」

 会議室の空気が、一瞬止まる。

 ゼフィールが、わずかに目を見開いた。
 リリアンが、静かに目を細める。

 リリアの心臓が、大きく跳ねた。

「……逃がす?」

「ルミナリアから、ずっと遠い場所へ」

 エリアスの声には、悲壮感はなかった。

 ただ、“選択肢のひとつ”を淡々と説明するように。

「第三国に匿うこともできる。
 名前を変え、身分を隠し、
 “古代の一族の末裔”という事実から離れた生活を送ることも、
 理論上は可能だ」

 頭の中に、
 見たことのない土地のイメージがちらりと浮かぶ。

 海の向こうの国。
 砂漠のオアシス。
 高い山々に囲まれた小さな街。

「そうすれば――」

 エリアスは、机の上で指を組んだ。

「少なくとも、“リリア・エルネストをめぐる争い”は、
 ひとまず鎮静化するかもしれない」

「……私ひとりが、いなくなれば」

「君にとっても、それが一番安全かもしれない」

 エリアスの目には、偽りはなかった。

「グランツから見ても、ルミナリアから見ても、
 “争いの火種そのもの”がどこかへ行ってしまえば――
 表向きは、“これ以上こじれる理由がない”ということになる」

 それが、“王”として出せる、最も現実的な解決策のひとつなのだろう。

 リリアは、胸の奥がじわじわと熱くなるのを感じた。

(逃げる)

 その言葉は、
 つい最近まで、自分にとって“唯一の選択肢”だったはずだ。

 王宮から。
 婚約から。
 “王太子妃としての私”から。

 あの夜、ミーナと一緒に選んだ道。
 “生きるための逃亡”。

(なのに)

 今、その選択肢をこうやって目の前に差し出されて――
 リリアの心は、ぐらぐらと揺れながら、
 なぜか“そこに飛びつけない自分”に気づいてしまった。

「……逃げろって、言ってるんですか?」

 かろうじて、そう尋ねる。

 エリアスは首を振った。

「言っていない」

 はっきりとした否定。

「これは、“王として”の提案であり、
 “ひとりの人間としての保身”でもある」

 自分でも、そこは隠さない、といった顔だ。

「君を遠くへ逃がせば、
 私自身は、“この国の王”として、
 “国を戦争から守るために最善を尽くした”と言い訳できる」

「……」

「君の身の安全も、ある程度は確保できる。
 “古代の一族の末裔”という鎖から、距離を取ることもできる」

 それは、確かに“悪くない提案”に思えた。

 でも――

「ただ」

 エリアスは、まっすぐリリアを見る。

「私は、“君にそれを押しつける権利はない”とも思っている」

 その言葉に、胸が少しだけ軽くなる。

「だから――決めるのは君だ」

 エリアスの視線は、王としてではなく、“一人の大人”のそれだった。

「ここに残るか。遠くへ行くか。
 どちらを選んでも、私は“間違いだ”とは言わない」

 リリアは、返事に詰まった。

 そのとき、横から割って入る声があった。

「……ひとつだけ」

 ゼフィールが、椅子に腰かけたまま、口を開く。

「今の話に、条件足していいですか」

 エリアスが、少し眉を上げた。

「ゼフィール?」

「どの選択をしてもいい。
 残っても、逃げても、途中で気が変わっても」

 ゼフィールは、ひじを膝に乗せ、両手を組んだ。

 眠たげだった灰色の瞳が、珍しく真っ直ぐリリアを見ている。

「ただ――」

 そこで、少しだけ声のトーンが変わった。

「他人に決めさせるな」

 静かだけど、強い言葉。

 会議室の空気が、少し震えた気がした。

「グランツが“逃亡犯だ”って決めたからとか。
 王宮が“婚約者だ”って決めたからとか。
 国が“争いの火種だ”って決めたからとか」

 ゼフィールの言葉は、リリアではなく、“この世界全体”に向けられているようでもあった。

「そういう“誰かの都合”で、
 お前の生き方を決められるのは、もう終わりにしろ」

 胸の奥で、何かがぎゅっと締め付けられる。

「“逃げる”って選択をするのは、アリだと思う」

 ゼフィールは、意外なことをあっさり言った。

「怖いもんは怖いし。
 全部抱え込んでここに残るのがいいってわけでもない」

「……」

「でも、“誰かがそうしろって言ったから逃げる”のと、
 “自分で考えて逃げる”のは、全然違う」

 その違いが、今なら分かる。

 王宮から逃げたとき――
 あれは、“自分で考えて逃げた”最初の選択だった。

 誰も“逃げろ”とは言ってくれなかった。
 ミーナ以外。
 むしろ、“留まれ”“従え”しか言われない場所から、
 自分で、自分の足で逃げ出した。

「だから――」

 ゼフィールは、少しだけ目を細める。

「逃げるにしても、残るにしても、“自分で選べ”」

 その一言が、胸に深く刻まれた。

     ◇

 その夜、塔の客間は、やけに静かだった。

 窓の外には、王都の夜景。
 魔力灯の光が遠くに点々と連なっている。

 リリアは、ベッドの端に座って、膝を抱えるようにしていた。

 部屋には、ミーナが淹れてくれたハーブティーの香りがまだ残っている。
 けれど、そのカップはすっかり冷めていた。

(逃げるか、残るか)

 頭の中で、その二択がぐるぐる回る。

 逃げれば――
 グランツも、ルミナリアも、少しは楽になるかもしれない。

 “火種”が消える。
 “古代の一族の末裔”がいなくなる。

 国と国の間に流れる、冷たい空気も、
 少しは柔らかくなるかもしれない。

(でも)

 自分は――どうなる?

 名前を変え、姿を変え、どこかで静かに生きる。

 魔力を隠して。
 “普通の人”として。

 そんな未来も、たしかにどこかには存在している。

 だけど――胸の奥が、どこかざわついた。

 王宮で過ごした日々を思い出す。

 深紅の絨毯。
 淡く光るシャンデリア。
 冷たい視線。
 息ができない空気。

 いつも誰かの言葉に合わせて笑って。
 誰かの都合に合わせて立ち位置を変えて。
 自分の感情は、最後にそっと胸の奥に押し込める。

(あそこに戻るのは、絶対に嫌だ)

 それだけは、はっきりしている。

 でも、“どこか別の国で、名前を変えて生きる”って、
 王宮の檻と、どれだけ違うんだろう。

 今度は、“古代の一族”として縛られる代わりに、
 “何者でもない誰か”として、自分を小さく隠し続ける。

(それって、本当に、自由?)

 ルミナリアでの生活が頭に浮かぶ。

 ゼフィールの塔。
 散らかった本と、意味不明な魔法陣。
 ノエルと歩いた街。
 ミーナが作ってくれたごはん。
 ゼフィールが淹れてくれた、ちょっと苦すぎるお茶。

 魔力を測定されて、“弱い”と笑われるんじゃなくて。
 “なんでこうなるのかな”って、一緒に首をひねってくれる人たち。

 “危険だから封じる”んじゃなくて、
 “怖くない使い方を覚えよう”って、根気よく教えてくれるゼフィール。

『ここでは、誰かに許可を取らなくても“生きたい”って言っていい』

 あの日カフェで言われた言葉。

(私、ここでやっと――)

 息を吸えるようになった。

 “ここにいたい”って言っていい場所を、見つけた。

 なのに、“国のため”“戦争を避けるため”という理由で、
 また、“自分をどこかへ追い出す選択”をするのか。

(違う)

 胸の奥で、何かがはっきりと首を振った。

 窓の外を見る。

 夜空は、深い青。
 星が少しだけ瞬いている。

 遠くで、巡回中の騎士の鎧の音がかすかに響いた。

(ゼフィールさんは、“どっちでもいい”って言ってくれた)

 逃げてもいい。
 残ってもいい。

 ただ、“他人に決めさせるな”。

(じゃあ、私は――どうしたいの)

 怖い。
 グランツと、真正面から向き合うなんて。
 レオンハルトやオズワルドの顔を見るだけで、まだ息が詰まりそうだ。

 でも、逃げてばかりでいいのか。

 古代の一族の女性の声が、ふと蘇る。

『お前がどう生きるかは、お前が決めろ』

 霧の中で見た瞳。
 鎖に縛られながら、まっすぐ前を見ていた人。

『私のように縛られたまま滅びるか。
 それとも――鎖ごと、砕きに行くか』

 手のひらが、じんわりと熱くなった気がした。

 リリアは、そっと自分の胸――封印のあったあたりに手を当てる。

 そこには、まだかすかな痛みが残っている。
 でも、その奥には、“自分の魔力”が静かに息づいていた。

(逃げるためだけに、この力を使うのは嫌だ)

 それは、わがままかもしれない。
 傲慢かもしれない。

 それでも。

「……自分で選ぶって、言ったんだよね」

 ゼフィールの顔が、頭の中に浮かぶ。

『今から取り返せばいい。遅くなんかない』

(取り返したい)

 王宮で奪われてきた時間も。
 “価値がない”と言われ続けてきた自分の尊厳も。
 “古代の一族”というラベルだけが先行してしまった、名前も。

 リリアという人間の人生を――。

「……逃げるだけの令嬢で、終わりたくない」

 小さな声が、部屋に落ちる。

 それは、誰にも聞かれていない告白。
 でも、自分自身にはちゃんと届いた。

     ◇

 夜が、ゆっくりと薄れていく。

 窓の外の空の色が、濃紺から群青へ、
 群青から、少しずつ淡い橙を含み始める。

 塔の屋上には、早くも朝の冷たい風が吹いていた。

 リリアは、マントを羽織って、そこに立っていた。

 息を吐くと、白くなる。
 指先が少し冷たい。

 でも、その冷たさが、頭をはっきりさせてくれる。

(怖い)

 それは、消えない。

 王太子の瞳。
 宰相の冷たい声。
 グランツの私兵の、あの言葉。

『お前の価値は、その体にしかない』

 思い出すだけで、胃のあたりがぎゅっと痛くなる。

 それでも――

(怖いままで、立っていたい)

 逃げたくなるたびに、
 胸の奥の小さな火を見つめる。

 あの日、ゼフィールに言った。

『ここに、いたいです』

 あの日、自分に問われた。

『生きたいか』

 そのたびに、“はい”と答えてきた自分を、
 裏切りたくなかった。

 塔の階段を登ってくる足音が聞こえた。

「……こんな時間に起きてるって、珍しいな」

 屋上の扉が軋んで開く。

 ゼフィールが、肩にローブを引っ掛けたまま顔を出した。

「ゼフィールさんこそ」

「俺はだいたいこんな時間まで起きてる」

「それはもう、“早起き”じゃなくて“夜更かし”って言うんですよ」

「言葉の違い大事?」

「わりと大事です」

 そんな軽口を交わしながらも、
 ゼフィールの灰色の瞳は、リリアの表情を注意深く見ている。

「決まったか」

 彼は、あっさりと訊いた。

 リリアは、空を見上げる。

 東の地平線に、朝焼けの色がにじんでいる。
 薄い雲が、オレンジと桃色に染まり始めていた。

「……まだ、怖いです」

 正直に言う。

「グランツと向き合うのも、
 王宮の人たちの前に立つのも、
 自分のこと話すのも」

「ああ」

「できることなら――どこか遠くに行って、
 全部なかったことにしたいって思う瞬間も、まだあります」

「人間だからな」

 ゼフィールは、あっさり答えた。

「怖いのは、当たり前だ」

 その当たり前を、ちゃんと言ってくれるのが、
 彼のいいところだ。

 リリアは、深く息を吸い込んだ。

 冷たい空気が肺に入っていく。
 胸の奥の熱と混ざり合う。

「それでも」

 吐き出す息と一緒に、言葉を出す。

「私は、ここに残ります」

 ゼフィールの表情が、少しだけ動いた。

 驚き――というより、
 “やっぱりな”に近い何か。

「ミーナとグランツから逃げて、ここに来て。
 ゼフィールさんやノエルさんに出会って。
 エリアス陛下やリリアン宰相と話して」

 胸の奥に、ひとつひとつ名前を浮かべながら言う。

「やっと、“自分の意志で”何かを選べる場所を見つけたのに」

 王宮とは違う空気。
 “誰かのために”じゃなく、“自分のために”魔法を覚えてもいい場所。

「ここで、“国の都合”でどこかに逃がされて、
 また“誰かの決めた人生”に乗るのは、嫌です」

 その言葉は、
 昨日までの自分には、きっと言えなかった。

 逃げることで精一杯だったとき。
 ただ生き延びるので手一杯だったとき。

 今は――胸の奥に、少しだけ余裕がある。

「もちろん、私ひとりが残ることで、
 ルミナリアに負担が増えるのは分かってます」

「だな」

 ゼフィールは、あっさり頷く。

「グランツが本気で圧かけてくるだろうし。
 国の中だって、“どうしてそこまでして守るんだ”って声も出る」

「それでも」

 リリアは、彼の言葉を遮るように言った。

「私、もう――」

 喉の奥で、一瞬言葉がつかえた。

 押し出すように、続ける。

「誰かの都合で動かない」

 その一言に、
 自分の全部を込める。

「“争いを避けるため”だから、とか。
 “国のため”だから、とか。
 “私のため”だから、とか」

 胸の奥に、今まで聞かされてきた“もっともらしい理由”が、いくつも浮かぶ。

「そういう言葉をつけられても、
 結局、“私の人生を私以外が決めること”には、もう従いたくない」

 ゼフィールの顔が、ほんの少し柔らかくなる。

「それで?」

「だから」

 リリアは、朝焼けを背景に、まっすぐ前を見た。

「自分の意志で、ここに残って、
 自分の意志で、これからのことを決めたいです」

 ゼフィールは、短く笑った。

「いいじゃん」

「……いい、ですか?」

「お前が決めたならな」

 彼は、屋上の縁にもたれかかりながら言う。

「俺の仕事は、“お前が決めたこと”を、できるだけ現実にしてやることだ」

 灰色の瞳が、朝の光を少しだけ映す。

「で?」

「で?」

「具体的に、何するつもりだ」

 リリアは、胸に手を当てたまま、答えた。

「エリアス陛下に、お願いしに行きます」

「何を?」

「……交渉の場に、私も出させてくださいって」

 ゼフィールの目が、一瞬だけ大きく開いた。

「グランツとの交渉に?」

「はい」

 自分で言いながら、膝が少し震えた。

 でも――
 その震えを、自分でちゃんと感じていた。

「逃げてばかりいた私が、
 “私のこと”を“私抜きで決められる場所”に、今度もいないままでいるのは嫌です」

 王宮で、
 レオンハルトとオズワルドに、“私の処遇”を勝手に決められたとき。

 リリアンとエリアスが、静かに話す中で、“私の今後”を決めようとしていたとき。

 あのときの、“置いていかれる感覚”は、もう二度と味わいたくなかった。

「もちろん、全部うまく話せる自信なんてないし、
 相手が何を仕掛けてくるかも分からないです」

「だろうな」

「でも、“いなかったこと”にはしたくないんです。
 “古代の一族の末裔”としてじゃなく、
 “リリア・エルネスト”として、そこに座っていたい」

 ゼフィールは、しばらく黙ってリリアを見ていた。

 朝焼けの光が、彼の横顔を縁取る。

 やがて、ふっと息を吐いて、笑う。

「いいね、それ」

「ほんとに?」

「面倒事増えるけどな」

「やっぱり……」

「でも、嫌いじゃない」

 ゼフィールは、立ち上がった。

「じゃ、王様起こしに行くか」

「今からですか?」

「朝焼け見ながら交渉の話するの、わりと風情あるだろ」

「王様に向かって言うセリフじゃない」

 二人のやりとりに、
 朝の風が、少しだけあたたかく感じられた。

     ◇

 王宮の執務室には、まだ柔らかい朝の光が差し込んでいた。

 エリアスは、いつもより少し早く机に向かっていた。
 夜の間に溜まった報告書に目を通していたところに――

「おはようございます、陛下」

 扉がノックされ、リリアンが顔を出す。

「早いな、宰相殿」

「陛下こそ。昨夜はあまり眠れていないでしょうに」

「眠れない原因の半分は君の書類だよ」

「残り半分はリリア・エルネスト嬢の件ですね」

「図星すぎる」

 軽い言葉の応酬。
 その直後だった。

「失礼しまーす」

 ゼフィールの、やる気のなさそうな声。

 その後ろから、リリアが、きゅっと背筋を伸ばして入ってきた。

「おはようございます、陛下」

 リリアは、深く頭を下げる。

 エリアスは、少し目を見張った。

「体調は?」

「まだ少し重いですけど、大丈夫です」

 リリアは、胸の前で手を組んだまま、まっすぐエリアスを見る。

 その瞳の色が、昨日までとどこか違って見えた。

(……光が、強くなっている)

 逃げるためだけに燃えていた火ではない。
 取り返すために灯った火。

「陛下」

 リリアは、息を整え、一歩前に出た。

「お願いがあります」

「聞こう」

 エリアスは、椅子から腰を浮かせかけたが、
 あえて座ったまま聞くことにした。

 立ち上がるのは、“王として命じるとき”でいい。
 今は――“ひとりの人の話を聞く”番だ。

「グランツとの次の交渉の場に」

 リリアは、ほんの少し唇を噛んでから、
 はっきりと言った。

「私も、出席させてください」

 室内の空気が、すっと変わる。

 リリアンが、目を細めた。
 ゼフィールは、壁にもたれながら、静かに腕を組む。

 エリアスは、しばらくリリアを見つめていた。

 逃げ出したいだけの瞳ではない。
 誰かの後ろに隠れていたいだけの瞳でもない。

 そこにあるのは――
 怖さを抱えたまま、それでも前を見ようとする光。

「理由を聞いても?」

 エリアスが穏やかに問う。

 リリアは、胸の前で握っていた手に、少し力を込めた。

「私のことを、私抜きで決めてほしくないからです」

 短く、でも真っ直ぐに。

「王宮で、レオンハルト殿下とオズワルド様に、“私の処遇”を勝手に決められたときのことを、今でもはっきり覚えています」

 あの、窒息しそうな部屋。
 冷たい言葉。
 “国が”“国が”と繰り返すレオンハルトの目。

「ルミナリアに来てから、
 エリアス陛下やリリアン宰相が、私のことをちゃんと“人として”見てくれているのは分かります」

「……」

「ゼフィールさんも、ノエルさんも、ミーナも、“私の意志”を尊重してくれます」

 胸の奥に、あたたかいものが広がる。

「だからこそ、今度は――
 “私の人生”を決める場に、
 私自身がいないままでいるのは、嫌なんです」

 喉が少し震えたが、声は折れなかった。

「“古代の一族の末裔”としてではなく、
 “リリア・エルネスト”として、そこに座りたい」

 エリアスは、しばらく沈黙した。

 その沈黙は、怒りや困惑ではなく、
 慎重に言葉を選んでいる時間だった。

 やがて、ゆっくりと椅子から立ち上がる。

「王としては」

 エリアスは、自分の胸に手を当てた。

「君を安全な場所に隠すのが、
 “最善”なのかもしれないと思っている」

「……はい」

「だが――」

 エリアスの瞳が、まっすぐリリアを捉える。

「ひとりの人間としては、
 “その願いを無視したくない”と思っている」

 リリアの肩から、少しだけ力が抜けた。

「交渉の場に出るということは、
 君自身も、矢面に立つということだ」

 エリアスの声には、警告も込められている。

「グランツは、君の弱みも、記憶も、過去も、
 すべてを利用しようとするだろう」

「……分かっています」

「それでも?」

「それでも」

 リリアは、一歩前に出た。

「逃げるだけだった私から――
 取り返すために立ち上がる私になりたいんです」

 ゼフィールが、横で小さく笑う。

 リリアンの口元にも、かすかな微笑みが浮かんだ。

 エリアスは、ゆっくりと頷いた。

「分かった」

 それは、“王として”の返事だった。

「次の交渉には、
 ルミナリア王国代表として――」

 一瞬だけ言葉を切り、
 少しだけ茶目っ気を含んだ笑みを浮かべる。

「そして、“自分の人生を取り返しに行く人”として、
 リリア・エルネストにも同席してもらおう」

 胸の奥で、小さな火が、確かに燃え上がった。

 もう、“逃げるだけの令嬢”じゃない。

 これからは、“自分で選ぶ”と決めたのだから。
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