続・無魔力の令嬢、婚約者に裏切られた瞬間、契約竜が激怒して王宮を吹き飛ばしたんですが……✩✩旅を選んだ娘とその竜の物語

タマ マコト

文字の大きさ
10 / 20

第10話 『国境の城塞と、竜を縛る鎖の提案』

しおりを挟む


 国境の城塞都市は、まるで大地から生えた鉄の花みたいだった。

 石と鉄で編まれた高い城壁が幾重にも重なり、その外側には深い堀と、魔力を帯びた杭がぐるりと打ち込まれている。
 遠目からでも、そこが「戦うために作られた街」だと分かる。

「うわぁ……」

 エリーナは、街道の先に広がるその光景を見て、思わず息を呑んだ。

 門の上には、竜避けの魔術紋がびっしりと刻まれている。
 空にも、薄く結界の膜が張られているのが見えた。

「さすが、国境の最前線って感じだね」

 隣でカイが、やや苦い笑みを浮かべる。

「竜にも魔物にも、“ここから先はただじゃ通さない”っていう意思表示だよ」

「アークヴァン、大丈夫かな」

『我は常に大丈夫だ』

 空高くを飛んでいたアークヴァンが、軽く旋回しながら答える。

『あれは“拒絶の結界”だが、今は主が“客人”として入るのだろう? ならば、我は少し離れていればよい』

「そう、だね」

 城門に近づくにつれ、兵士たちの視線が鋭くなる。

 白竜の姿に気づいた者たちが、慌てて笛を吹き、合図旗を振り始めた。

「おい、あれ見ろ!」

「白竜だ! 本当にいたのか!」

「落ち着け! 敵意は見せていない!」

 怒号とざわめき。
 魔導砲台が、わずかに角度を変えてこちらを狙う。

『主』

 アークヴァンが、声を潜めた。

『ここから先は、我は空の上で待つ。必要とあらば、すぐ降りるが』

「うん。あんまり近づいたら撃たれそうだもんね」

『撃たれても平気だ』

「平気かどうかじゃないの!」

 思わずツッコミを入れる。

 こういうところ、本当に竜と人間の感覚が違う。

「アークヴァンは、城塞の外の丘に降りてて。連絡は紋章で取れるから」

『分かった』

 白銀の巨体が、ゆるやかに高度を上げていく。

 兵士たちは、竜が遠ざかるのを確認してから、ようやく息を吐いたようだった。



 城門での通行審査は、普段の町とは比べものにならない厳しさだった。

 身分証の提示。
 荷物の確認。
 魔力の検査。

 エリーナが胸元の紋章を隠しきれないことは分かっていたので、カイはあらかじめ言葉を用意していた。

「リューン魔導院・研究員、カイ・レーン。竜魔法の観測と実地研究のため、“アストライア王国より亡命してきた竜の主”と同行中です」

 兵士たちがざわめく。

「やはり……本物か」

 彼らは躊躇いがちに、エリーナの胸元の紋章を見た。

 白銀の紋が、薄く光を帯びている。

「お、恐れ入りますが……城塞指揮官様にお目通りを願いたいのですが」

 兵士の一人が、緊張した声で言う。

「竜の主に関しては、我々の判断を超えます」

「分かりました」

 カイは、穏やかな笑みを崩さずに頷いた。

(ここまで来たら、隠しようがないしね)

 彼の目は、どこかで既に計算を始めているようだった。

 ほどなくして、門の上から豪奢な軍装の男が現れた。

 銀糸で縁取られた軍服。
 胸にはいくつもの勲章。
 背筋の伸びた姿勢と、勝手に周囲を従わせる雰囲気。

「リューン国境城塞司令官、アードルフ・リューンハルトだ」

 男は名乗りながら階段を降りてくる。

「君たちが──白竜の主か」

「……エリーナ・カルヴェルトです」

 エリーナは、一歩前に出て礼をした。

 王都で何度も教え込まれた、貴族式の礼。

 身体が勝手に動く。

「アストライア王国、カルヴェルト伯爵家の……元令嬢、でした」

「ふむ」

 アードルフはエリーナをまっすぐ見つめた。

 その視線には、好奇心と警戒と、ほんの少しの計算が混ざっている。

「よく来てくれた。国境の最前線に、竜の主の来訪とは──心強いことだ」

 言葉は歓迎。
 その裏に、“利用価値”を測る光が見える。

 エリーナの背中に、薄い寒気が走った。



 城塞都市の中は、外観以上に軍事的だった。

 街路は真っ直ぐで、どこからでも城壁に素早く向かえるように設計されている。
 家々の壁には、簡易的な防御陣が刻まれていた。

 子どもたちでさえ、木の剣を振るっている。
 誰もが「いつでも戦える」ように暮らしている街。

「すごいところだね……」

「うん」

 カイも、周囲を見ながら小さく頷く。

「ここは、リューン王国が他国に“本気だぞ”って見せつけるための顔みたいな街だからね」

 城塞の中心には、高い塔がいくつもそびえている。
 その中でもひときわ高い塔の上には、大きな魔導核が埋め込まれているのが見えた。

 淡く脈打つ光。
 魔力の結晶体。

「魔導核……?」

「うん。この城塞全体の結界と、砲台の制御の中心だよ」

 カイの言葉の端に、少しだけ緊張が乗る。

(嫌な予感)

 エリーナは、胸元の紋章がじわりと熱くなるのを感じた。



 その晩、エリーナは晩餐会に招かれた。

 いや、正確には「招かれた」というより、「半ば強制的に準備された」に近い。

「さ、こちらへ。お嬢様」

 城の侍女たちが、慣れた手つきで彼女を迎え入れる。

 軽く抵抗しようとすると、「将軍閣下のご命令ですので」と笑顔で押し切られる。

 脇の部屋に通されると、そこには見覚えのあるものが待っていた。

 鏡。
 整えられた化粧品。
 ハンガーにかけられた、絹とレースのドレス。

「……やだ」

 思わず、本音が漏れる。

 王都で何度も着せられた、あの「役割」の服。

 きれいに見えるように、貴族らしく見えるように、王太子の隣に立つ“装飾”として用意された服。

「お似合いになりますよ、きっと」

 侍女は、悪気なく微笑む。

 エリーナは、鏡の中の自分を見つめた。

 旅の間に少し日焼けして、頬の線が引き締まった自分の顔。

(戻りたくて旅に出たわけじゃない)

 でも今、こうして鏡の前に座らされていると──
 王都時代の自分が、がらがらと引き出されてくる。

「エリーナ様?」

「……大丈夫。着るよ」

 断ろうと思えば断れたのかもしれない。
 でも、「拒絶の理由」をここで説明する余裕はなかった。

 代わりに、自分の中で一つだけ線を引く。

(ドレスは着てもいい。でも、“前と同じ自分”には戻らない)

 侍女に髪を整えられながら、何度もそう繰り返す。



 晩餐会は、城塞の大広間で開かれた。

 長いテーブルに並ぶ料理。
 軍人たちと、その家族と思しき人々。
 壁にはリューン王国の紋章旗と、いくつもの武勲の証が飾られている。

 エリーナが入室すると、一瞬、空気が揺れた。

 見慣れないドレス姿の少女。
 胸元に薄く光る紋章。

 彼女が「誰なのか」を分かっている者は、息を呑む。

「竜の主、エリーナ・カルヴェルト嬢だ」

 アードルフが、手を広げて紹介した。

「遠くアストライアから、白竜と共に我が国へ来てくれた客人である」

 拍手が起こる。
 形式的で、どこか硬い拍手。

 エリーナは、微笑だけを浮かべて軽く頭を下げた。

(王都の夜会と、同じ)

 足元が急に冷たくなる。

 視線が注がれる感覚。
 何を言っても「王太子の婚約者」として解釈されていたあの頃。

(でも、もう違う)

 あの頃、彼女は王都から出ることすら許されなかった。
 今は、自分で足を選び、空を飛び、旅を続けている。

 それだけは、確かに違う。



 晩餐が終わりかけたころ。

 人々が少し酒に酔い、空気が柔らかくなったタイミングで、アードルフが動いた。

「エリーナ嬢」

「はい」

「少し、個人的に話をしてもよいかな」

 笑顔のまま、彼はエリーナを別室へと誘った。

 豪華ではあるが、兵棋や戦略図が広げられている部屋。
 将軍の個人執務室らしい。

 カイも当然一緒についていこうとしたが、「すまないが、これは竜魔法に関する繊細な話でね」とやんわりと止められた。

「……分かりました」

 カイは一度眉を寄せたが、引いた。

 その退き方が、「後で必ず確認する」という意思表示にも見えた。



 部屋に案内されると、アードルフは上機嫌にワインを注いだ。

「飲めるかね?」

「……少しだけなら」

 エリーナは、グラスを両手で受け取り、口をつけるふりだけをした。

 身体のどこかが、ぴんと張りつめている。

 アードルフは、窓の外の城塞を見やりながら口を開いた。

「ここは、リューン王国にとって最も重要な盾だ」

「……はい」

「他国との緊張は、決して消えない。竜も魔物も、隙あらばこの国境を破ろうとする」

 その言葉に偽りはなかった。

「我々は、ずっと足りないものを埋めるようにして戦力を整えてきた。
 魔導砲。結界。騎竜。優秀な魔導士たち」

 アードルフは、ゆっくりとエリーナを振り返る。

「だが、君と白竜が現れたことで、“本当に欲しかったピース”が見えた気がするのだ」

 その笑みは、礼儀正しくもどこか鋭い。

「竜の主。君の力は、ここにとってあまりに魅力的だ」

 エリーナの指先が、グラスの縁をきゅっと掴む。

 嫌な予感が、形になっていく。

「もちろん、いきなり“国に従え”と言うつもりはないよ」

 アードルフは、あくまで柔らかく笑った。

「君にも白竜にも、旅の目的があるのだろう。
 だからこそ、こちらから提案したい」

「……提案」

「そう」

 アードルフは、机の引き出しから小さな箱を取り出した。

 細工の施された銀の箱。
 その中には、淡い光を帯びた指輪が一つ、収まっている。

「これは、“安定の指輪”と呼ばれる魔導具だ」

 エリーナの呼吸が止まる。

「竜魔法のような強大な力を、人の器に合わせて整えるための補助具でね。
 君のように感情と魔力が直結するタイプには、特に有効だ」

「……どういう、仕組みなんですか」

 自分でも驚くほど静かな声で尋ねる。

「簡単な話だ」

 アードルフは、指輪の内側を指でなぞった。

「この指輪を通じて、君の魔力を城塞の“魔導核”とリンクする。
 魔導核は、膨大な魔力を安定させるための“器”だ。
 君の龍魔法の出力も、その器を通すことで、より安定して制御できるようになる」

「……魔導核と、繋げる」

「そう。君一人の器で抱え込むのではなく、城塞そのものの“器”を使うんだ」

 響きだけ聞けば、合理的な提案に聞こえる。

 でも。

(魔導核に繋げるってことは……)

 そこに、自分の魔力の“根”を差し込むことで、城塞の結界や砲台の出力にも影響を与えられる。
 逆に言えば、魔導核の状態に自分が左右される。

 なにより──

(“繋がったら、切るのが難しくなる”)

 アストライア王家のアレクシオンが使おうとしていた「禁術」の話が、頭をよぎった。

 竜を王家の血筋に縛り付ける術。
 竜と主を、特定の系譜に固定する鎖。

 目の前の指輪は、あれほど露骨ではない。
 しかし、本質はよく似ている。

「もちろん、これは一方的な拘束ではない」

 アードルフは、さらりと言う。

「君の許可なく、魔導核が君を縛ることはない。
 むしろ、君が“魔導核の加護”を受ける形だ」

 言葉の選び方が、巧妙だった。

 加護。
 安定。
 補助。

 どれも、耳に優しい言葉。

「君がここにいる間だけでもいい。
 国境の防衛に、君の力を貸してほしい」

 アードルフの目が、少しだけ細くなる。

「竜魔法の制御に不安があるのだろう? 先日の“傭兵団との騒ぎ”の噂も、耳に入っている」

「……」

 心臓が、どきりと鳴る。

「ならば、この指輪は君自身を守ることにもなる。
 “災厄竜の娘”などという不名誉な噂を、“国境の守護竜の主”に変えることもできる」

 そのフレーズは、あまりにも魅力的だった。

(“災厄”じゃなくて、“守護”……)

 一瞬だけ、自分の胸が揺れる。

 噂を塗り替える。
 力を正しく使う。
 そのための“安定の指輪”。

 理屈では、悪くない。

 でも──

「……指輪を外したら?」

 エリーナは、静かに尋ねた。

「魔導核とのリンクを、切りたいと思ったときは」

 アードルフの指先が、一瞬だけ止まる。

「……外すことは可能だ」

 すぐに、笑顔で答えが返ってくる。

「ただし、魔導核の出力調整には再調整が必要だし、一時的に城塞の結界に負荷がかかる。
 だから、“何度も付け外しするようなものではない”」

「──つまり」

 エリーナは、グラスを机に置いた。

「付けるなら、半永続的に“ここに魔力を預ける”覚悟をしろ、ってことですね」

 アードルフの笑顔が、ほんの少しだけ固くなる。

「言葉が過ぎるぞ、竜の主」

「ごめんなさい。性格があまり貴族向きじゃないもので」

 エリーナは、表情だけは柔らかく笑った。

 本当に分かりやすい。
 王都で、何度も見てきた顔だ。

 “丁重な言葉”と“鎖の提案”がセットになった顔。

「……一つだけ、はっきりさせておきたいことがあります」

「なんだね」

「この指輪を付けたら、わたしとアークヴァンは、リューン王国以外のために力を使ってもいいんですか?」

 アードルフは、少しだけ目を細める。

「それは──」

「例えば、干ばつの村があったら、そこに行って井戸を掘るために竜魔法を使うとか。
 竜狩りの傭兵団が別の国の街を襲ってたら、そこに飛んでいって守るとか」

 エリーナは、静かに続けた。

「魔導核と繋がったままでも、自由に飛べますか?」

 将軍の顔から、笑みがゆっくりと薄れていく。

 代わりに、冷たい貴族の顔が滲み出る。

「……君は、賢いな」

「賢くなったんだと思います」

 エリーナは、自嘲気味に笑った。

「王都で、“鎖をかけられそうになった”経験があるので」

 王太子アレクシオン。
 王家の禁術。
 竜を王家に固定しようとしたあの夜。

「わたしは──」

 息を吸い込む。

「誰かに縛られるために旅に出たわけじゃありません」

 声は震えていなかった。

 むしろ、驚くほど静かで、透き通っていた。

「“竜の主として”、誰のために力を使うのかは、わたしが選びたいんです」

 その言葉が落ちた瞬間、部屋の空気が凍った。

 アードルフの目が、真っ直ぐにエリーナを射抜く。

 その瞳には、もはや笑いはない。

「……君は、分かっているのか」

 低い声。

「ここがどれだけの血と資源を費やして、この国境を守っているのか」

「分かってるつもりです」

「ならば、なぜ“この国に力を貸す”ことを、そんなに嫌がる」

「嫌がってるわけじゃないです」

 エリーナは首を振った。

「力を貸すかどうかは、“わたしが決めていい”ことだからです」

 誰かに命令されて、鎖で繋がれて、仕方なく力を使うのではなく。

「わたしが、“ここを守りたい”“この人たちを守りたい”と思ったときに、その選択を自分でしたいんです」

「……理想論だな」

 アードルフの声には、軽蔑と、ほんの少しの羨望が混ざる。

「世界はそんなに甘くない。
 君がどれだけ綺麗事を並べようと、君の力はもう、“各国にとって危険因子”なんだ」

「それは、分かってます」

「ならば、自ら“秩序の鎖”に繋がれるのも、一つの賢い選択だ」

「“秩序の鎖”……」

 聞き慣れない言葉。
 でも、その本質は、“管理しやすい竜の主”を作るということだ。

「……ご提案、ありがとうございます」

 エリーナは、深く礼をした。

「でも、お断りします」

 きっぱりと。

「では──」

 アードルフは、グラスを机に置き、姿勢を正した。

「友好の証として、しばらくこの城塞に滞在してもらう。
 “竜の主”がこの城塞にいるということ自体が、他国への抑止力になるからな」

 それは、丁寧な言い回しをした「軟禁」だった。

「もちろん、待遇は最大限に配慮しよう。
 研究員殿にも、城の図書室や研究施設の使用を許可しよう」

(外の鍵は、あっちが持つってこと)

 エリーナの背筋に、ひやりとした汗が流れた。

「……検討させてください」

「いいだろう。答えは急がない」

 アードルフは、表情を崩さなかった。

 ただ、その瞳の奥で、「逃がす気はない」という意思が静かに燃えていた。



 部屋を出て廊下に出ると、カイが壁にもたれて待っていた。

「どうだった?」

「……鎖、だった」

 エリーナは、短く答えた。

 カイの目が鋭くなる。

「やっぱり」

「“安定の指輪”って名前の、魔導核リンク用の契約具。
 つけたら、ここに半分魂置いていくことになるやつ」

「“安定”って言葉、どこも好きだよね」

 カイは低く笑った。

「王家は、“繁栄のための禁術”。
 こっちは、“国境防衛のための安定具”」

「言葉は違うけど、本質は」

「似てるね」

 二人は、しばし黙って歩いた。

 廊下の窓からは、夜の城塞都市が見える。

 灯りのともった家々。
 巡回する兵士たち。
 遠くに見える魔導核の光。

「エリーナ」

「うん」

「ここに“滞在してほしい”って言われた?」

「うん。“友好の証として”だって」

「それ、だいたい“出るな”って意味だよ」

「分かってる」

 エリーナは、苦笑した。

「だから、逃げるなら早めがいいよね」

「……うん?」

 思わず足を止める。

「今、“逃げる”って言った?」

「うん」

 カイは、さらりと頷いた。

「他の選択肢もあるかもしれないけど、とりあえず“逃げるプラン”は考えといたほうがいいかなって」

「そういうの、もっと悩んでから言うものじゃないの?」

「悩んでるよ?」

「悩んだ上で“逃げる”なんだ」

「だって、君が“鎖は嫌だ”って顔してるから」

 カイの言葉は、妙にあっさりしていた。

 でも、その軽さに、エリーナの胸がじんわりと温かくなる。

「……ありがとう」

「まだ何もしてないよ」

「考えてくれるだけで、ちょっと楽になる」

 視線が合う。

 その一瞬に、心臓がまた忙しく打ち始めた。



 夜。

 城塞の塔の上。
 冷たい風が、石の床をなでていく。

 エリーナは、塔の縁に腰を下ろして、足をぶらぶらと揺らしていた。

 見下ろせば、城塞の街の灯りが、小さな星みたいに瞬いている。
 遠くの城壁の上には、見張りの兵士たちの影。

「……また、同じだ」

 ぽつり、と口から零れる。

 王都の夜会。
 貴族たちの笑い声。
 王太子の隣で、笑顔を貼り付けていた自分。

 あのときは、ただ「そこから出たい」と願っても、扉は開かなかった。

 今もまた、「ここにいろ」と言われる場所で、同じような提案を受けている。

『主』

 背後から、風に混じって低い声が聞こえた。

「アークヴァン」

 振り返れば、塔から少し離れた屋根に、白銀の竜が身を伏せていた。

 人間たちに見つからないギリギリの距離と角度。

『ここは、主に似合わぬ匂いだ』

「似合わない、って?」

『鎖と、鉄と、恐れの匂いだ』

 アークヴァンの黄金の瞳が、城塞を見下ろす。

『だが、前とは違う』

「……前?」

『王宮だ』

 短い言葉。

『前回は、“鎖をかけられそうになって、逃げられなかった”』

 あの夜。
 王太子に禁術を示され、アークヴァンの怒りが爆発し、王宮が崩れた夜。

『主は、抗おうとしたが、状況に押し潰された』

「…………」

 その記憶は、今も胸の奥に刺さっている。

『だが今回は、主が“自分で拒んだ”』

 アークヴァンは、ぐっと近づいてくる。

『断ったのだ、“安定の指輪”とやらを』

「……怖かったよ」

 エリーナは、笑いながら吐き出す。

「断ったら、“ここにいさせない”って言われるかもしれないって。
 “災厄竜の娘”って噂をもっと悪くされるかもしれないって」

『そうだろう』

「それでも、“嫌だ”って言っちゃった」

『それが違いだ』

 竜は、はっきりと言った。

『前は、“嫌だ”と言う前に爆発した。
 今回は、“嫌だ”と言ってから、そのあとを考えている』

「……それ、褒めてる?」

『褒めている』

 あまりにも真面目な声だったので、エリーナは吹き出しそうになる。

『主は、自分で自分を過小評価しがちだ。
 だが、“嫌だ”と言えることは、決して弱さではない』

「アークヴァン」

『うむ』

「ありがと」

『礼を言われるほどのことはしておらぬ』

「ううん」

 エリーナは、そっと竜の鼻先に手を伸ばした。

 冷たい鱗。
 それでも、内側には確かな熱。

「“前と同じだ”って思いかけてたから。
 “違う”って言ってもらえて、ちょっと救われた」

『主は、前と同じではない』

 アークヴァンは、静かに言った。

『あの頃の主は、“守りたいもの”が曖昧だった。
 今の主には、“守りたい顔”がある』

 カイのことを言っているのだと、すぐに分かってしまう自分が、なんだか悔しくて、でもちょっと嬉しい。

「……言わなくていいことまで観測されてる気がする」

『主の心の動きは、竜魔法の揺れにも影響するからな』

「それ、研究者としてのコメント?」

『竜としての観察だ』

 竜と人間のくすぐったいやりとりに、少しだけ心が落ち着いた、そのとき。

「ここにいたんだね」

 塔の階段から、足音がした。

 カイが、息を整えながら姿を見せる。

「勝手に上がってきてごめん。見張りの兵士には、“星の観測をするから”って言っといた」

「星の観測……」

「半分は本当」

 彼は、エリーナの隣に腰を下ろした。

 夜風が、三人の間を抜けていく。



「脱出プラン、聞く?」

 唐突に、カイが言った。

「……やっぱり考えてたんだ」

「うん。君の顔見て、“ここに長居したら死ぬな”って思ったから」

「そこまで?」

「精神的な意味でね」

 カイは、塔の縁から城壁のほうを見下ろす。

「この城塞、確かに強いけど、完璧じゃない」

「……どういうこと?」

「魔導核を中心に結界が張ってあるでしょ。
 だから、核から距離が離れれば離れるほど、“出力は弱くなる”」

 彼は、指で空中に簡単な図を描く。

「特に弱いのは、“外側の下部”。
 上空と正面は砲台と結界で固めてるけど、真下の岩壁にはそこまで魔力を割けない」

「つまり……」

「“城壁の一部ぶち破って飛び出す”なら、“下から外へ”がいちばん成功率高いってこと」

 さらりと言う内容が、割と物騒だ。

「アークヴァンなら、できる?」

『問題ない』

 竜は、あっさり答えた。

『この程度の城壁、爪の先で砕ける』

「頼もしい……」

 エリーナは、同時にぞわりとした。

 自分が今いる場所が、「竜にとっては壊せるもの」として見えていることに、妙な現実感がある。

「ただし」

 カイが続ける。

「脱出の瞬間、間違いなく“敵対行為”とみなされる。
 魔導砲も騎士団も、全力で追ってくるはず」

「だよね」

「だから──」

 彼は、真剣な目でエリーナを見た。

「これは、“ここを敵に回してもいいか”っていう選択でもある」

 リューン王国。
 その国境を守る城塞。

 ここで縁を切れば、この国に二度と簡単には戻れない。

 それは、今後の旅にも影響を及ぼす。

「もし君が、“それでもここに留まる”って選ぶなら、俺はここに残るよ」

 静かな声。

「魔導院の研究員として、“竜の主との交渉役”って立場でね。
 君の自由が少しでも確保できるように、ここで動くこともできる」

 その選択も、きっと重い。
 魔導院との関係も、城塞との政治も、全部背負うことになる。

「でも」

 カイは、少しだけ微笑んだ。

「君が『行く』って言うなら──」

 その先の言葉に、エリーナの心臓が早鐘を打つ。

「俺は何を失っても、ついてくよ」

 あまりにも、あっさりと。

 でも、冗談は一切含まれていない声で。

「魔導院の立場も、研究者としてのキャリアも、ここでの安全も。
 全部失うことになるかもしれないけど」

 彼の灰色の瞳には、迷いがなかった。

「“君と一緒に空を飛ぶ”って選択のほうが、今の俺にはずっと大事だから」

 胸が、ぎゅっと締め付けられる。

 さっきまで、災厄だの鎖だのと、重い言葉でいっぱいだった胸の中が、別の痛みで満たされる。

 じんと熱い。
 苦しいのに、嫌じゃない痛み。

(ああ、これ、多分──)

 恋に似た痛み。

 ようやく、その名前を心の中で認める。

「……ずるい」

 エリーナは、笑いながら言った。

「そういうこと、さらっと言うの、ほんとずるい」

「そう?」

「そうだよ」

 視界が滲む。
 さっきまで泣き疲れたと思っていたのに、まだ涙が出る。

「だって、そんなふうに言われたら──」

 喉が詰まる。

「行くって、言うしかないじゃん」

 震えた声で、それでもはっきりと告げる。

「わたし、行く」

 塔の外。
 夜空の向こうを見つめる。

「鎖をかけられたまま、“ここにいれば安全ですよ”って言われる場所に、これ以上いたくない」

「……うん」

「災厄って呼ばれてもいいから、自分で選びたい」

 その言葉に、アークヴァンが低く喉を鳴らした。

『よく言った、主』

 竜の黄金の瞳が、夜の中で光る。

『では、我は“主の選択”のために暴れよう』

「暴れすぎはダメだよ」

『必要な分だけだ』

 アークヴァンが、翼を大きく広げる。

『乗れ』

 塔の縁に身を寄せ、白い背中が近づいてくる。

 エリーナとカイは、互いに一度だけ目を合わせ、同時に頷いた。

「行こう」

 カイが手を差し出す。

 エリーナは、その手をぎゅっと握った。

 恋の痛みも、災厄の重さも、鎖の記憶も。
 全部抱えたまま。

 三人は、夜空へ飛び出す準備を始めた。



 城壁の下部。
 結界の薄い地点を、アークヴァンは正確に見抜いていた。

『ここだ』

 白い爪が、岩壁に突き立つ。

 竜魔法が爪先に集中し、石の構造を内側から砕く。

「アークヴァン、“必要な分だけ”だからね!」

『分かっておる』

 轟音。

 城壁の一部が、内側から弾け飛んだ。

 爆発ではない。
 「押し広げて壊す」力。

 その瞬間、城塞全体に警報の鐘が鳴り響く。

「侵入――いや、脱出!? 城壁が破られたぞ!」

「白竜だ! 白竜が壁を抜けた!」

「砲台準備! 魔導士、結界に魔力集中!」

 怒号が飛び交う。

 エリーナは、アークヴァンの背にしがみつきながら、振り返った。

 城塞の灯りが、ざわざわと揺れている。

(ごめん)

 小さく、心の中で謝る。

 でも、ここで謝るべき相手は、本当は別の場所にいるのかもしれない。

「エリーナ!」

 背後から、魔力の波が迫る気配。

 城の塔の上から、光の弾がいくつも放たれていた。

「魔導砲、来る!」

『任せろ』

 アークヴァンが、翼を鋭く傾ける。

 白銀の身体が、夜空を斜めに切り裂くように飛ぶ。

 光の弾が、さっきまでいた位置をかすめて爆ぜる。

「わぁ──!」

 熱風が頬を撫でた。

 耳の奥が、じんと痺れる。

「カイ、しっかり掴まって!」

「うん、分かってるけど、竜のスピードって人間基準じゃないよね!」

『落ちるなよ、人間』

「落ちる予定はないよ!」

 半ば叫ぶような声の中でも、互いの言葉ははっきりと聞こえた。

 アークヴァンは、城塞の魔導核からできるだけ遠ざかるように、斜め上へと飛ぶ。

 追撃の光が、何度も飛んでくる。

 エリーナは、胸元の紋章に手を当てた。

「“竜障・翼守”!」

 アークヴァンの翼の縁に、薄い光の盾が展開される。

 砲撃の一部が、それに弾かれて軌道を逸らす。

「防げてる!」

『主、うまいぞ』

「褒めてる余裕ある!?」

『ある』

 竜と主と人間の声が、夜空で交錯する。

 やがて、城塞都市の灯りが、少しずつ遠ざかっていった。

 追撃の光も、次第に届かなくなる。

『ここまで来れば、ひとまず大丈夫だ』

 アークヴァンが、速度を少し緩めた。

 エリーナは、ようやく肩の力を抜く。

 手の震えが、止まらない。
 でも、その震えには、恐怖だけじゃなくて、奇妙な高揚も混ざっていた。

「……逃げちゃったね」

「うん」

 カイが、隣で息を吐く。

「完全に、“国境の城塞”を敵に回した」

「ごめん」

「なんでエリーナが謝るの」

「だって、カイの立場とか、魔導院とか──」

「さっき言ったでしょ」

 カイは、エリーナの手をそっと握った。

「“君が『行く』って言うなら、俺は何を失ってもついていく”って」

「……うん」

「今、それが実行されただけ」

 笑いながら言うから、余計に胸が痛い。

 恋に似た痛みが、また胸の奥でじんわりと広がる。

『主』

 アークヴァンが、空を見上げながら言った。

『これで、完全に“追われる旅”になったな』

「……そうだね」

『だが、悪くない』

 竜の声は、どこか楽しそうだった。

『主の選んだ“自由”は、簡単な道ではない。
 だが、その分、空は広い』

「アークヴァン」

『なんだ』

「わたし、たぶん──」

 言葉を飲み込む。

 “恋してる”なんて、今ここで言えるほど、自分は強くない。

 代わりに、別の言葉を選ぶ。

「わたし、たぶん、自分で選んだことなら、どんなに怖くても、後悔しないと思う」

『そうだろうな』

 竜は、迷いなく頷いた。

『主は泣き虫だが、諦めが悪いからな』

「そこは変わらないんだ……」

「変わらなくていいところだと思うけどね」

 カイが笑う。

 三人の笑い声が、夜の風に溶けていく。

 国境の城塞。
 竜を縛る鎖の提案。
 それを拒んで飛び出した夜。

 この瞬間から、彼らの旅ははっきりと「追われる旅」へと変わった。
 同時に、エリーナの胸の中で、小さな恋の決意が、確かに芽吹き始めていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

慈愛と復讐の間

レクフル
ファンタジー
 とある国に二人の赤子が生まれた。  一人は慈愛の女神の生まれ変わりとされ、一人は復讐の女神の生まれ変わりとされた。  慈愛の女神の生まれ変わりがこの世に生を得た時、必ず復讐の女神の生まれ変わりは生を得る。この二人は対となっているが、決して相容れるものではない。  これは古より語り継がれている伝承であり、慈愛の女神の加護を得た者は絶大なる力を手にするのだと言う。  だが慈愛の女神の生まれ変わりとして生を亨けた娘が、別の赤子と取り換えられてしまった。 大切に育てられる筈の慈愛の女神の生まれ変わりの娘は、母親から虐げられながらも懸命に生きようとしていた。  そんな中、森で出会った迷い人の王子と娘は、互いにそれと知らずに想い合い、数奇な運命を歩んで行くこととなる。  そして、変わりに育てられた赤子は大切に育てられていたが、その暴虐ぶりは日をまして酷くなっていく。  慈愛に満ちた娘と復讐に駆られた娘に翻弄されながら、王子はあの日出会った想い人を探し続ける。  想い合う二人の運命は絡み合うことができるのか。その存在に気づくことができるのか……

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

主婦が役立たず? どう思うかは勝手だけど、こっちも勝手にやらせて貰うから

渡里あずま
ファンタジー
安藤舞は、専業主婦である。ちなみに現在、三十二歳だ。 朝、夫と幼稚園児の子供を見送り、さて掃除と洗濯をしようとしたところで――気づけば、石造りの知らない部屋で座り込んでいた。そして映画で見たような古めかしいコスプレをした、外国人集団に囲まれていた。 「我々が召喚したかったのは、そちらの世界での『学者』や『医者』だ。それを『主婦』だと!? そんなごく潰しが、聖女になどなれるものか! 役立たずなどいらんっ」 「いや、理不尽!」 初対面の見た目だけ美青年に暴言を吐かれ、舞はそのまま無一文で追い出されてしまう。腹を立てながらも、舞は何としても元の世界に戻ることを決意する。 「主婦が役立たず? どう思うかは勝手だけど、こっちも勝手にやらせて貰うから」 ※※※ 専業主婦の舞が、主婦力・大人力を駆使して元の世界に戻ろうとする話です(ざまぁあり) ※重複投稿作品※ 表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。

悪霊令嬢~死した聖女憎悪に染まりて呪いを成す~

女譜香あいす
ファンタジー
 数え切れない人々をその身に宿す奇跡の力で救ってきた少女、サヤ・パメラ・カグラバ。  聖女と称えられた彼女であったが陰謀の末に愛した者から婚約破棄を言い渡され、友人達からも裏切られ、最後には命を奪われてしまう。  だがそのとき感じた怒りと悲しみ、そして絶望によって彼女の心は黒く歪み、果てにサヤは悪霊として蘇った。  そして、そんな彼女と世を憎みながらもただ生きる事しかできていなかった一人の少女が巡り合う事で、世界に呪いが拡がり始める事となる。  これは誰よりも清らかだった乙女が、憎悪の化身となりすべての人間に復讐を果たす物語。 ※この作品は小説家になろうにも掲載しています。

幼女はリペア(修復魔法)で無双……しない

しろこねこ
ファンタジー
田舎の小さな村・セデル村に生まれた貧乏貴族のリナ5歳はある日魔法にめざめる。それは貧乏村にとって最強の魔法、リペア、修復の魔法だった。ちょっと説明がつかないでたらめチートな魔法でリナは覇王を目指……さない。だって平凡が1番だもん。騙され上手な父ヘンリーと脳筋な兄カイル、スーパー執事のゴフじいさんと乙女なおかんマール婆さんとの平和で凹凸な日々の話。

クゥクーの娘

章槻雅希
ファンタジー
コシュマール侯爵家3男のブリュイアンは夜会にて高らかに宣言した。 愛しいメプリを愛人の子と蔑み醜い嫉妬で苛め抜く、傲慢なフィエリテへの婚約破棄を。 しかし、彼も彼の腕にしがみつくメプリも気づいていない。周りの冷たい視線に。 フィエリテのクゥクー公爵家がどんな家なのか、彼は何も知らなかった。貴族の常識であるのに。 そして、この夜会が一体何の夜会なのかを。 何も知らない愚かな恋人とその母は、その報いを受けることになる。知らないことは罪なのだ。 本編全24話、予約投稿済み。 『小説家になろう』『pixiv』にも投稿。

親友面した女の巻き添えで死に、転生先は親友?が希望した乙女ゲーム世界!?転生してまでヒロイン(お前)の親友なんかやってられるかっ!!

音無砂月
ファンタジー
親友面してくる金持ちの令嬢マヤに巻き込まれて死んだミキ 生まれ変わった世界はマヤがはまっていた乙女ゲーム『王女アイルはヤンデレ男に溺愛される』の世界 ミキはそこで親友である王女の親友ポジション、レイファ・ミラノ公爵令嬢に転生 一緒に死んだマヤは王女アイルに転生 「また一緒だねミキちゃん♡」 ふざけるなーと絶叫したいミキだけど立ちはだかる身分の差 アイルに転生したマヤに振り回せながら自分の幸せを掴む為にレイファ。極力、乙女ゲームに関わりたくないが、なぜか攻略対象者たちはヒロインであるアイルではなくレイファに好意を寄せてくる。

モブで可哀相? いえ、幸せです!

みけの
ファンタジー
私のお姉さんは“恋愛ゲームのヒロイン”で、私はゲームの中で“モブ”だそうだ。 “あんたはモブで可哀相”。 お姉さんはそう、思ってくれているけど……私、可哀相なの?

処理中です...