続・無魔力の令嬢、婚約者に裏切られた瞬間、契約竜が激怒して王宮を吹き飛ばしたんですが……✩✩旅を選んだ娘とその竜の物語

タマ マコト

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第14話 『暴走と抱擁、選ぶのは誰か』

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 山の空気が、妙に重かった。

 いつもなら、風はもっと軽い。
 岩肌にぶつかって、からからと転がっていく感じなのに。

 この日は、違った。

 ぴり、と肌を刺すような気配。

 空気に、鉄と油の匂いが混じる。

「……いやな匂い」

 エリーナは足を止めて、風上のほうを見上げた。

 峰の向こう。
 まだ姿は見えない。

 けれど、胸の紋章がじり、と熱を帯びる。

『主』

 頭の中で、アークヴァンの声が低く響いた。

『来る』

「うん、分かる」

 風が告げる。
 竜の感覚が告げる。

 近づいているのは、魔物ではない。
 竜でもない。

 もっと、人間臭い、“狩る側”の匂い。

「……前にも、嗅いだ匂いだね」

 カイも、手にした杖を少し強く握りしめた。

「竜狩り、だ」



 斜面の向こうから、まず、甲冑のきしむ音が聞こえた。

 続いて、金属がぶつかる鈍い音。
 人間たちのざわめき。
 魔具のかすかな唸り。

 崖の上に、黒い影が次々と現れる。

 鎧。
 弓。
 魔導銃。
 竜専用の拘束具。

 前に襲ってきた竜狩りの傭兵団が、さらに人数と装備を増やして戻ってきていた。

「随分、手厚いお出迎えだね」

 カイが、乾いた声で呟く。

「前回、派手に追い払っちゃったからね……」

 エリーナは、自分の掌を見た。

 あのときは、まだ余裕があった。
 怖かったけど、“戦える”感覚はあった。

 今は──胸の奥に、別の重さがある。

 古竜王の視線。
 アークヴァンの悪夢。
 「世界を選ぶ者」という言葉。

 それら全部が、心のどこかに重石として残っていた。

(今ここで、また“選ばされる”のかな)

『主』

 アークヴァンの声が、少しだけ硬くなる。

『戦いを避けるという選択肢もある』

「逃げろってこと?」

『無闇に傷を増やす必要はない』

「でも──」

 視線を滑らせた先に、小さな煙が見えた。

 山の麓。
 林の切れ目。

 そこには、小さな集落があった。

 石を積んだだけの家。
 細い畑。
 子どもたちが走り回れるだけの、ささやかな広場。

 あの位置関係。
 この風向き。

(ここで派手に戦ったら、多分巻き込む)

 逆に、ここで逃げれば──
 竜狩りたちは、「竜の主を追え」と言われてあの集落の近くまで降りていくかもしれない。

(逃げても、戦っても、どこかには波がいく)

「……逃げ場、あんまりないね」

「ないね」

 カイが、苦笑した。

「前から来て、下には村、後ろは崖。
 戦場としては最低だ」

「辛辣」

「でも、“最低の場所”だからこそ、選ぶことがはっきりする」

 彼は、杖を構えた。

「俺は、“ここより下に被害を出したくない”ほうに賭ける」

「……うん」

 エリーナは、胸に手を当てる。

『アークヴァン』

『うむ』

「ここで止めよう。
 この山より下に、あいつら行かせたくない」

『了解した』

 竜の声が、鋭くなる。

『では、人間どもには、“ここが限界だ”と教えてやろう』

 山岳の空気が、わずかに震えた。



 竜狩りの傭兵団の先頭には、見覚えのある顔があった。

 前に襲ってきたときのリーダー格の男。
 頬に一本、斜めに走る傷。

「よォ、災厄竜の娘!」

 彼は、相変わらず下品な笑い方で叫んだ。

「こうまで分かりやすく匂い残してくれると、追いかけるのも楽で助かるぜ!」

「匂いって言い方ひどいな」

「事実でしょ?」

 カイのツッコミも、今日は少し乾いている。

 男は、後ろに並ぶ仲間に顎をしゃくった。

「見ろよ、前回と違って、今回はスポンサー付きだ!」

 その言葉に、エリーナは眉をひそめる。

「スポンサー……?」

 竜狩りたちの装備は、明らかにグレードアップしていた。

 分厚い魔導鎧。
 竜の鱗を模した反射盾。
 精巧な魔導銃。
 そして──

「……精神干渉型の魔具」

 カイの声が、低くなる。

 男の腰に下がった黒い箱。
 その表面には、見慣れない紋章が刻まれている。

「“竜の主の心を砕くため”のやつだね」

 男は、誇らしげに箱を叩いた。

「どっかの国の偉いさんがよ、“白竜を生け捕りにして、竜の主を降ろせ”ってさ。
 おかげで、こっちはいい装備と前金たっぷりよ」

 どこかの国。
 どこの国かは言わない。

 でも、背後に「国家」が絡んでいるという事実だけで、状況は一段階重くなる。

(国単位で、“竜を狩りたい”ってことだ)

「ごめん、スポンサーさん」

 エリーナは、騎士団相手にするみたいな調子で言った。

「わたし、その仕事、成功させる気ないから」

「こっちも、拒否権聞いてねえんだよなァ」

 男は、箱の蓋を開けた。

「やれ」

 短い号令。

 次の瞬間、黒い箱から、透明な波が広がった。



 音は、なかった。

 這うような気配だけが、空気を伝ってくる。

 耳では聞こえない。
 目でも見えない。

 でも、脳が、直接揺さぶられた。

「っ……!」

 エリーナの視界が、一瞬ぐにゃりと歪む。

 白いノイズが、視界の端を侵食していく。

(なに、これ)

『主』

 アークヴァンの声が、遠くなる。

 耳が詰まったみたいだ。

 頭の中に、ざらざらした砂を流し込まれたような感覚。

 過去の断片。
 未来の不安。
 誰かの叫び。

 それらが、全部一緒になって押し寄せてくる。

(や、だ)

 堪えようとするけど、思考が滑っていく。

 精神干渉。
 心を直接かき乱すための波。

「エリーナ!」

 カイの声が、どこかから聞こえた。

 それだけが、辛うじて現実の方向を示す。

『人間どもめ……!』

 アークヴァンの怒りが、烈火のように燃え上がる。

 その怒りが、リンクを通じてエリーナの胸にも流れ込んできた。

 燃える。
 焼ける。
 真白な怒り。

『主の心を弄ぶとは──』

 周囲の空気が、一瞬で熱を帯びる。

『許さぬ』

 アークヴァンの翼が、天を裂いた。

 白銀の鱗から、光が漏れる。
 胸の奥から、竜魔法の奔流が溢れ出す。

 エリーナは、精神干渉波のせいで膝をつきながら、その気配だけははっきりと分かった。

(まずい)

 前に見た怒りとは、質が違う。

 王宮を吹き飛ばしたあの夜の怒りが、「瞬間的な爆発」だとしたら。
 今目の前にあるのは、「蓄積された絶望ごと燃え上がる炎」だった。

 心の底に残っていた、「守れなかった」という感情。
 古竜王に、過去の破滅を突きつけられた記憶。

 それら全部が、「主をもう傷つけさせない」という決意に火をつける。

『もう誰も奪わせない』

 その叫びが、リンクを通じてエリーナにも突き刺さる。

 胸が、締め付けられた。

 アークヴァンの怒りと恐怖と、過去の絶望が、洪水みたいに流れ込んでくる。

「っ……あ、ああ……」

 息が苦しい。
 頭が割れそうだ。

 視界の端で、竜が吠えるのが見えた。

『――――ッ!!』

 音が、消えた。

 代わりに、白が満ちた。

 白い炎。

 それが、アークヴァンの口から溢れ出した。

 山肌が、抉れる。
 岩が、灰になる。
 竜狩りたちの前線が、一瞬で消し飛んだ。

 悲鳴を上げる暇もなく、ただ、光に飲み込まれる。

「な、なんだこの出力は──!」

「退避しろ、馬鹿ども!」

 後ろにいた傭兵たちが、恐慌状態に陥る。

 それでも、炎は止まらない。

 白炎は、敵だけを燃やす賢い炎ではなかった。
 そこにあるもの全部を、灰にしようとする。

 少し離れれば、小さな森が見える。
 その向こうには、さっき見た集落がある。

 このままでは──

 その未来が、あまりにも鮮明に見えてしまって、エリーナの心がさらに乱れた。

(やだ)

 声にならない声。

(やだ、そんなの)

 アークヴァンの怒りに共鳴しながら、別の方向に引きずられる。

 「守りたい」と「壊したくない」が、胸の中でぐちゃぐちゃに絡まる。

『主』

 誰かの声。

『主──!』

 誰の声か、分からない。

 アークヴァンか。
 カイか。
 自分自身か。

 全部が、遠い。



「エリーナ!」

 現実側の音が、必死に届こうとしていた。

 カイは、竜魔法の白炎の熱を避けながら、エリーナのもとに駆け寄る。

 彼女は、地面に片膝をつき、肩で息をしていた。

 目は開いている。
 でも、焦点が合っていない。

 胸の紋章が、異常なくらい明るく光っている。

「エリーナ、聞こえる!?」

「……」

 返事はない。

 代わりに、竜の咆哮が山々を揺らす。

 白炎が、空を食う。

(このままじゃ)

 アークヴァンの暴走が、竜狩りを焼き尽くす前に、エリーナの精神を焼き切る。

 どちらにとっても、破滅だ。

「エリーナ!」

 考えるより早く、身体が動いた。

 カイは、彼女を正面から抱きしめた。

 腕の中に、細い肩。
 冷えた指先。
 震える背中。

「エリーナ、戻ってこい!」

 耳元で叫ぶ。

 声が掠れるのも構わず、何度も繰り返す。

「戻ってこい、ここに! 今に!」

 彼女の頬が、自分の肩に当たる。

 呼吸が早い。
 心臓の鼓動が、やたらと速い。

「君がここにいてくれなきゃ──」

 喉の奥から、言葉が溢れた。

「俺は嫌だ」

 理屈も、立場も、矜持も、全部後回しになった。

「古竜王が見てようが、世界がどう揺れようが、そんなのどうでもいい」

 腕に力がこもる。

「俺は、“今ここにエリーナがいること”が、一番大事なんだよ!」

 その言葉は、多分、自分でも止められなかった本音だった。



 遠くから、声が聞こえた。

 何重にも重なっていたノイズの中で、その声だけが、妙に輪郭を持っていた。

 くぐもっているのに、はっきり分かる。

(……カイ)

 名前を思い出した瞬間、胸の奥で何かが跳ねた。

 白い世界の中で、一本だけ太いロープが垂れているイメージが浮かぶ。

 そこに、「今ここ」の感覚がぶら下がっている。

「君がここにいてくれなきゃ、俺は嫌だ」

 言葉が、胸の奥で反響した。

 竜の怒り。
 過去の絶望。
 古竜王の視線。
 「守れなかった」という記憶。

 それら全部が、自分の中で巨大な波になって荒れ狂っていた。

 でも、その波の手前に、小さな灯りがひとつ。

 カイの声。
 カイの体温。
 カイの、腕の力。

(……わたしは)

 誰のために、ここにいる?

 誰のために、竜の主でいる?

「……っ」

 唇が、震えた。

「やだ、そんな言い方……」

 震えながら、どうにか言葉を絞り出す。

「そんな、言い方されたら──」

 世界が、ぐらりと揺れた。

 白炎が、視界の向こうで暴れる。
 竜の咆哮が、骨の髄まで響く。

 その中で、エリーナは、胸の紋章に手を当てた。

「アークヴァン」

 かすれた声で、呼びかける。

『……主』

 返ってきた声は、炎の中から滲んでいた。

 怒りと恐怖と絶望が混ざって、何重にもなっている。

『邪魔をするな。
 こやつらを焼き尽くさねば──』

「分かるよ」

 エリーナは、目を閉じた。

「怖いよね。
 また、“守れなかった”って思いたくないよね」

 過去の焼け野原。
 墜ちていく翼。
 血に染まった大地。

 あの悪夢が、アークヴァンの中でまだ生々しく残っている。

「でも──」

 胸の奥で、カイの鼓動が、現実を叩く。

「今、わたしたちが選んだのは、“ここより下を守ること”だよ」

『……』

「“全部焼き払うこと”じゃない」

 声を震わせながら、言葉を押し出す。

「殺すためじゃない。
 守るために、力が欲しかったんだよね」

『主……』

「だったら、一緒に止めよう」

 エリーナは、カイの腕の中で姿勢を変えた。

 彼の抱擁から、少しだけ顔を上げる。

 そこから見える空の端に、白炎に包まれたアークヴァンの姿があった。

 まるで、自分自身を燃やしているみたいな、凄まじい光。

「一緒に、止めよう」

 もう一度、はっきりと言う。

「わたしだけじゃ無理だよ。
 アークヴァンだけでも、きっと止まりきれない」

 だから。

「ふたりで、止めよ」

 竜魔法のリンクが、きしむ。

 魂の鎖が、ぎりぎりと音を立てる。

(“世界”なんて知らない)

 今、この瞬間だけを見つめる。

 この山と。
 この集落と。
 この竜と。
 この青年と。

 目の前の全部を、守りたいから。

(お願い)

 祈るように念じる。

(わたしを見て、アークヴァン)

『…………』

 長い沈黙。

 白炎の中で、竜の瞳が、ゆっくりとこちらを向いた。

 黄金の目が、炎の白を貫いてエリーナを捉える。

『主』

 その声は、さっきより少しだけ、静かだった。

『共に、止めるか』

「うん」

『我が炎を、共に収束させるか』

「うん」

『ならば──』

 アークヴァンの翼が、ぐっと畳まれた。

 暴れ狂っていた炎が、少しずつ螺旋を描き始める。

 無差別に広がっていた白炎が、「向かうべき方向」を取り戻す。

 敵のいるほうへ。
 山肌のむき出しの岩へ。

 森と集落から、少しでも逸れるように。

「“竜障・輪縁”!」

 エリーナは、紋章から竜魔法を引き出した。

 今度は、防御の陣。

 山の斜面に、半円状の光の壁が展開される。

 白炎が、その壁に沿って滑り、いなし、削られていく。

 竜の力と、人の制御。

 ふたつの意志が、炎の形を変えていく。

 竜狩りたちの前線は、ほとんど消し飛んでいた。
 後ろにいた者たちの多くも、武器を放り出して逃げ散っていく。

「化け物だ……!」

「こんなもん、金もらっても相手したくねぇ!」

 恐慌状態。

 誰一人、前に出てこようとしない。

 炎は、やがて細い線になり、そして消えた。

 白い残光だけが、山肌にかすかな痕跡を残す。

 周囲の岩は抉れ、土は焦げている。

 遠くの森の端が、少しだけ焦げて煙を上げていた。

 けれど──

 集落は、無事だった。



 静寂。

 さっきまで世界を埋め尽くしていた咆哮も、炎の轟きもない。

 ただ、燃え残りの草がぱちぱちと音を立てている。

 エリーナは、ぐったりとカイの胸にもたれたまま、荒い息を吐いた。

「……は、あ……」

 全身が、だるい。

 心も、身体も、使い切った感じ。

「エリーナ」

 耳元で、カイの声がした。

「戻ってきた?」

「……うん」

 かすれた声で答える。

「ただいま、って言ったほうがいい?」

「それもいいね」

 彼が、小さく笑ったのが分かった。

 そこで、エリーナはようやく、自分がまだカイに抱きしめられていることを、ちゃんと認識した。

 両腕、がっつり回されてる。
 距離、近すぎる。
 心臓、うるさすぎる。

「……っ」

 顔に、じわじわと血が上がってくる。

「え、あの、カイさん……?」

「ん?」

「ちょっとその……そろそろ、離れていただけると……」

「あ、ごめん」

 カイは、はっとして腕をゆるめた。

 けれど、完全に離れはしない。
 まだ、片腕だけはエリーナの背中に残している。

「今のは、ほんとに緊急時だから」

 早口で言い訳する。

「過呼吸対策とか、意識の固定とか、そういう意味でこうしてただけで」

「うん、うん」

「別に、その、抱きしめたかったとか、そういうアレじゃ」

「うん、うん」

「……何その顔」

「どんな顔に見えてるの」

「なんか、“本当は離したくないけど建前として離れたことにしとくか”みたいな顔」

「観察鋭いな君」

 カイは、観念したように笑った。

「そうだね。本音言うと、今すぐ手を離すの、ちょっと怖い」

「……」

「さっきまで、ほんとに、“ここからいなくなるんじゃないか”って怖かったから」

 その言葉に、エリーナの胸の奥がきゅっとなる。

「だから、もう少しだけ……」

『人間』

 そこで、第三者の声が、空から降ってきた。

『人間同士の距離が、近すぎる』

 アークヴァンが、ゆっくりと降りてきた。

 白銀の竜の瞳が、じっとふたりを見下ろしている。

 その表情はいつも通り無表情なのに、なぜか「もやもや」が滲んで見えた。

「やき……」

『言うな』

 食い気味に遮られた。

 分かりやすい。

『主よ』

「なに、アークヴァン」

『我にも触れろ』

「…………」

 一瞬、時間が止まった。

「えっと、それは、どういう」

『主の心の安定には、我との接触も必要だ』

 ものすごくもっともらしい理屈をつけているが、要するに「自分にも構え」という話だ。

『さっきは、人間の胸にだけしがみついていたではないか』

「それ言われたら何も言えない……!」

 エリーナは、顔を覆った。

 さっきの過呼吸のとき、本能的に一番近い温度にしがみついただけだ。

 でも、竜から見れば、「人間ばっかりずるい」ということらしい。

「……分かった」

 エリーナは、小さくため息をついて立ち上がった。

 まだ足取りはおぼつかないけれど、アークヴァンの鼻先まで歩いていく。

「アークヴァン、こっち向いて」

『向いている』

「もうちょっと下」

『こうか』

 巨大な頭が、ぐっと下がる。

 目の前に、白銀の額。
 冷たい鱗。

 エリーナは、そっと両手を伸ばした。

 片方の手で、アークヴァンの額に触れる。
 もう片方の手は──まだ彼女の傍に立っているカイの袖を掴んでしまっていた。

「ちょ、エリーナ?」

「いや、なんか、バランス取らないと倒れそうで……」

『主』

 竜の声が、少しだけ柔らかくなる。

『それは、“我と人間の両方に触れている”ということか』

「そうだね」

 カイが、少し苦笑しながら言う。

「竜と、人と。
 どっちも“目の前”で、どっちも“触ってたい”ってことじゃない?」

「言い方が恥ずかしいんだけど!」

 エリーナは、耳まで真っ赤になった。

 それでも、両手を離さない。

 冷たい鱗と。
 あたたかい布と。
 ふたつの違う温度が、掌から胸へ伝わってくる。

『主よ』

 アークヴァンが、目を細めた。

『今、我は、先ほどの炎よりも穏やかな熱を感じている』

「実況しないで……!」

「でも、さっきよりずっといい“熱”だよね」

 カイの言葉に、エリーナは反論できなかった。

 竜の暴走。
 炎の暴力。
 世界を焼き尽くす怒り。

 その全部を、「守りたい」という気持ちと、「ここにいてほしい」というわがままで、なんとか繋ぎ止めた。

 選んだのは、世界じゃない。
 巨大な正義でも、大義でもない。

 目の前の竜と。
 目の前の人と。
 目の前の小さな集落と。

 その全部を、できる限り守るという、わがままな選択。

(世界を選ぶなんて、やっぱり無理だけど)

 エリーナは、両方の手の温度を確かめながら、そっと笑った。

(“誰の隣にいたいか”くらいなら、ちゃんと選べる)

 世界規模ではなく、腕の届く範囲で。

 暴走しかけた竜魔法と。
 抱きしめてくれた腕と。
 「触れろ」と拗ねてくる竜の額と。

 その全部を、今この瞬間、選び取っているという感覚が、胸の奥にじんわりと灯り続けていた。
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