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第15話 『“竜の主として”ではなく、“私として”』
しおりを挟む山の小さな村は、地図にもろくに載っていないような場所だった。
石を積んで作った家が十軒ほど。
段々畑。
細い水路。
牛とも山羊ともつかない、のんびりした家畜たち。
竜狩りとの戦いのあと、一行はしばらくここに滞在することになった。
アークヴァンの白炎がかすめたせいで、村の外れの林は少し焦げていた。
けれど、村人たちはそれを責めるどころか、
「竜の主さまが止めてくれなきゃ、村ごと消し炭だった」
と、むしろ拝まれる勢いだった。
「……いや、あの、その」
エリーナは、両手をぶんぶん振って否定する。
「竜の主さまとしては、なんとか頑張りましたけど、あわや全焼コースでしたし……」
「謙遜だわぁ」「若いのに大したもんだ」
村の老婆たちは、勝手に納得して頷く。
そうやってちやほやされれば、普通なら悪い気はしないはずなのに──胸のどこかに、重たい石がつっかえている。
(“竜の主”って肩書き、一旦はがして休憩、とかできないのかな……)
心のどこかで、そんな駄々っ子みたいな願いが顔を出す。
◆
それでも、日常は待ってくれない。
「おねーちゃん!」
「おねーちゃん、あそんで!」
村の子どもたちは、容赦なくエリーナの袖を引っ張ってきた。
彼らにとって、「王宮を吹き飛ばした竜の主」は、すでに半分「大きい遊び相手」である。
エリーナは、最初は戸惑いながらも、次第にその勢いに巻き込まれていった。
「ほら、ちょっとだけね?」
畑の端っこで、軽い幻影魔法を使って小さな光の竜を飛ばしてみせる。
指先から零れた白い光が、空の上でちいさなドラゴンの形を取る。
「わぁぁぁぁ!」
「とんだ、とんだ!」
「さわっていい!?」「のれないの!?」
「乗るのはちょっと……」
小さな手が、光の竜を追いかけて走り回る。
エリーナは、その様子を見て、少しだけ胸の奥が軽くなるのを感じた。
(こういう使い方のほうが、竜魔法も喜んでる気がするんだよね)
『実際、悪くはない』
少し離れたところで縮んだ姿のアークヴァンが、枝に腰を下ろして(正確には爪を引っかけて)子どもたちを眺めていた。
村人たちに丸見えになるのはまずいので、今は馬二頭ぶんくらいのコンパクトモードだ。
『戦場でしか翼を広げぬのは、息が詰まる』
「だよね」
「……でも、アークヴァンも、ちょっとは楽しんでる?」
『主の気分に、引きずられているだけだ』
素直じゃない。
それでも、竜の目はどこか柔らかかった。
◆
そんな平和な時間の中、不意に、爆弾が投下される。
「ねぇねぇ、おねーちゃん」
ちびっこ二号の女の子が、エリーナのスカートの裾を引っ張った。
「なに?」
「“竜の主さま”って、けっこんできるの?」
「ぶふっ」
盛大にむせた。
喉に空気と心臓が同時に詰まった気がした。
「ちょ、ちょちょ、ちょっと待ってね? 今なんて?」
「だから、“竜の主さまって結婚できるの?”」
子どもは真剣だ。
エリーナの後ろでは、偶然通りかかったカイが、手に持っていた水桶を危うく落としかけている。
「ぶっ……!」
耳まで真っ赤。
あんたもむせるのか!
「なんで、いきなりそんな質問?」
「だって、うちのおばーちゃんがね」
女の子は首をかしげながら続ける。
「“竜の主さまは竜と生きるから、人とは結婚しないもんだ”って言ってたの」
「……おばーちゃん……?」
余計な知識をどこから仕入れてくるのか。
「でも、もしけっこんできるならー」
女の子は、じっとエリーナとカイを見比べる。
「おにーちゃんとするの?」
「ぶはっ!」
今度はカイが完全に水を吹き出した。
「お、おまっ、子どもって容赦ないな……!」
「だって、いつもいっしょにいるからー」
「……」
エリーナの顔も、カイの顔も、同時に真っ赤になった。
そこへ、追い打ちのように声が降ってくる。
『竜の主は、竜と共に生きる』
アークヴァンだ。
子どもたちの質問が気になったのか、枝からひょいっと飛び降りる。
「アークヴァン!?」
『何がおかしい』
竜は、きょとんとした顔をしている(ように見える)。
『事実だろう』
「いや、その、タイミングというものがあってだな……」
「“竜と共に生きる”って、“竜とけっこんする”ってこと?」
女の子の目がきらきらしてきた。
『違う』
即答だった。
『主は、竜と契約を結び、寿命を預け合い、魂を繋ぎ、共に飛ぶ』
「それ、“けっこん”って言わない?」
『違う』
竜は、なぜかむっとした声を出す。
『主と我の関係は、“婚姻”などという人間の制度とは別だ』
「“べつ”なんだって」
女の子は、よく分かっていない顔で何度も頷いた。
「じゃあ、おねーちゃんは“竜ともいっしょで、おにーちゃんともけっこんする”の?」
「なにそのトリプルコンボみたいな解釈」
エリーナは、耳まで真っ赤になりながら頭を抱えた。
カイも、「けっこん」という単語が出るたびに、露骨に肩を跳ねさせている。
「ごめん、誰かこの話題を別方向に誘導してくれませんかね?」
『主』
アークヴァンが、ふと真面目な声を出した。
『竜の主が“結婚できるかどうか”は、竜の主が決めればよい』
「いや、そんな根源的な話を今この場でするのはやめようね!?」
『主の人生は、主のものだ』
竜は、本気で言っているようだった。
『竜と共に生きるとしても、“誰と日々を過ごすか”までは、我が決めることではない』
「アークヴァン、それ以上はほんとにマズい」
カイが、耳まで真っ赤にしながら止めに入る。
結局その場は、子どもたちを「じゃあかくれんぼでもしよっか」でごまかして散会となったが──
言葉の澱は、しっかり胸の奥に残った。
(“竜の主として”じゃなくて、“ひとりの人としての将来”)
遠い話だと思っていた。
でも、あの無邪気な一言で、現実として目の前にぽん、と置かれた気がした。
◆
その日の夜。
村の外れの空き地で、三人は小さな焚き火を囲んでいた。
空には星が散りばめられ、風は冷たい。
火の粉が、パチパチと夜空に弾けては消える。
昼間の騒動で疲れたのか、村は早くに寝静まっていた。
アークヴァンは、再び小さめの姿で、焚き火から少し離れたところに寝そべっている。
カイは、火に手をかざしながら、黙ってエリーナの横顔を見ていた。
彼女は、火の向こう側を見つめている。
何かを考えている顔。
「……考え事?」
カイが、火越しに声をかけた。
「ん?」
エリーナは、ぼんやりした状態から意識を引き戻した。
「あ、ごめん。なんか、ちょっとぼーっとしてた」
「顔に“考えすぎて疲れた”って書いてある」
「そんな露骨に」
自分の頬をぷにっと指で押さえる。
ちゃんと柔らかい。
夢じゃない。
「何考えてたの」
「……いろいろ」
「“竜の主は結婚できるか問題”とか?」
「それは、いろいろの中でもかなり上位だけど、今そこ突かれると死ぬ」
「冗談半分だけど、半分は本気で聞いてみたい気もする」
カイは、少しだけ目を伏せた。
「……エリーナ、“竜の主としてどう生きるか”って、やっぱり考えてる?」
「うん」
嘘はつけなかった。
「竜狩りと戦って、古竜王に会って、“世界を選ぶ者”とか言われて。
なんかもう、“竜の主”って肩書きがとんでもなく重く見えてきて」
火の向こうで、炎がゆらゆらと揺れる。
「“竜の主として、どう生きるべきか”っていう答えを出さなきゃいけない気がして」
「今すぐ?」
「そう。今すぐ」
肩が少しすくむ。
「“世界の未来のためにどうするか”とか、
“竜と人の関係をどう導くべきか”とか、
“古竜王にどういう結末を見せるか”とか」
「聞いてるだけで胃が痛いね」
「実際わたしの胃は絶賛キリキリ中だよ」
苦笑しながら、胸を押さえる。
「でも、考えても考えても、答え出ないんだよね」
「うん」
「竜の主として正しい答え、ってなんなのかなって」
静かな夜の中で、その言葉だけが重く落ちた。
◆
少しの沈黙のあと、カイが口を開いた。
「一個、聞いてもいい?」
「なに」
「エリーナは、“なんで旅に出たの”?」
「え?」
「王宮を吹き飛ばしたあと」
カイは、焚き火の明かりの中でエリーナを見る。
「“竜の主としての責任”とか、“世界をどうするか”とか、そういう話の前に。
エリーナ自身は、どうして旅を選んだの?」
エリーナは、少し戸惑った顔をした。
答えが出ないことを考えているときに、「最初の地点」を聞かれると、ちょっと意表を突かれる。
「……王宮にいたくなかったから」
ぽつり、と言葉が落ちた。
「鎖をかけられそうになって、“あ、ここにいたらわたし、自分じゃなくなるな”って思って」
王太子の婚約者として、
竜を王家に縛るための“器”として。
「なんかもう、耐えられなくなっちゃって」
だから。
「“ここから逃げたい”っていうのが、最初の理由」
「うん」
「でも、逃げるだけだったら、どこかの貴族の屋敷に隠れてるとか、
アークヴァンと山奥に引きこもるとか、いろいろあったと思うんだよね」
『確かに、山奥に引きこもる案はあった』
アークヴァンが口を挟む。
『我は今でも悪くないと思っている』
「それはそれで魅力的なんだけど」
エリーナは苦笑した。
「でも、わたし、それは選ばなかった」
「うん」
「“旅に出る”って選んだ」
干ばつの村。
竜骨の森。
城塞。
国境。
いろんな場所に行って、いろんな人に会って、いろんな面倒ごとに巻き込まれた。
「……多分、“世界を見てみたかったんだろうな”って思う」
「世界を?」
「王宮の外の」
エリーナは、空を見上げる。
「ずっと、ガラス越しにしか見たことなかったから」
王都の街並み。
遠くの山。
空を飛ぶ鳥。
それら全部が、「王太子の婚約者」という部屋の外にある世界だった。
「だから、旅を選んだのは、“竜の主としての責任”とかじゃなくて、
“エリーナ・カルヴェルトとしてのわがまま”なんだと思う」
あのときの自分には、そんなに高尚な動機はなかった。
「“誰かに選ばされた生き方”をし続けるのが嫌だったの」
婚約も。
王妃になる道も。
竜を鎖で繋ぐ役目も。
それら全部、「誰かに決められた未来」だった。
「だから、せめてここから先は、自分で選びたかった」
たとえ、その選択が間違っていたとしても。
誰かのせいじゃなく、自分のせいにしたかった。
「旅を選んだのは、“わたし”なんだよね」
焚き火の光が、エリーナの横顔に揺れる。
「だから今、“竜の主としてどう生きるか分からなくて苦しい”って思うのも、
結局、“わたしが選んだ旅の延長線上”なんだよなぁって」
ちょっと笑いながらも、その笑みはどこか寂しい。
「誰かに選ばされた運命のせいにするのは、簡単なんだけど」
でも、それをやってしまったら、
「この先の選択も、全部誰かのせいにしちゃいそうで、それは嫌で」
だからこそ、苦しい。
自分で選んだ道だからこそ、「責任」が重く見える。
竜の主として。
旅人として。
ひとりの人として。
全部を、自分で握りしめてしまったから。
◆
カイは、それを黙って聞いていた。
焚き火の音だけが、二人の間を埋めている。
やがて、彼は小さく息をついた。
「エリーナ」
「うん」
「俺、ひとつだけはっきり言えることある」
焚き火越しに、まっすぐ彼女を見る。
「俺は、“君が選ぶ道の隣にいたい”」
「……」
胸が、ぎゅっと痛くなった。
さっきまで、自分の選択の重さをひとりで抱えていた胸に、その言葉がすとんと落ちる。
「“竜の主として正しい道”とか、“世界にとって正しい選択”とか、
正直、俺にも分からない」
カイは、苦笑しながら続ける。
「でも、“エリーナが選んだ道の隣にいたいかどうか”って聞かれたら──」
迷いなく答えが出る。
「いたい」
短い言葉。
それなのに、やけに重い。
「干ばつの村に行くって選んだときも。
竜骨の森に足を踏み入れたときも。
城塞の鎖を断って飛び出したときも」
あのときも。
この前の暴走しかけた戦いのときも。
「“あー、死ぬかも”って思った瞬間は何度もあるけど」
「軽く言わないで」
「でも、そのたびに、“それでも一緒に行きたい”って思ってる自分がいたから。
多分、それが俺の答えなんだと思う」
研究者としての合理性とか、
魔導院の立場とか、
国の事情とか。
そんなものよりも先に出てきてしまう、「わがまま」のかたち。
「君がこれから、“竜の主として責任をどう背負うか”を考えるのは、きっと必要なことなんだと思う」
「うん」
「でも、その前に、“君がどこを歩きたいか”を考えてほしい」
その道が険しくても。
失敗しそうでも。
古竜王に笑われそうでも。
「“エリーナが歩きたい道”を、一緒に歩きたい」
はっきりと、それは告げられた。
焚き火の熱が、急に近くなった気がした。
顔が熱いのは、火のせいだけじゃない。
胸の奥が、ぎゅうっと膨らんで、言葉が出てこない。
「……カイ」
「うん」
「ずるい」
「え」
「そういうこと、さらっと言うのめちゃくちゃずるい」
「今さら?」
「今さらだよ……」
涙が、にじみそうになる。
けれど、今ここで泣くと、何かがこぼれ落ちてしまいそうで、必死に堪えた。
代わりに、喉の奥で小さく笑う。
「ありがとう」
それしか出てこなかった。
◆
『主』
そこで、少し離れたところから、アークヴァンの声がした。
竜は、焚き火の光に照らされて、じっと二人を見つめている。
『聞いていた』
「どこから」
『“結婚できるのか問題”から』
「そこから!?」
最初からだ。
『主』
アークヴァンは、ゆっくりと言葉を紡いだ。
『主は、“竜の主として”生きる前に、“主として”生きよ』
「……うん?」
少しだけ、意味を飲み込むのに時間がかかる。
『我にとっての“主”は、肩書きではない』
竜の目が、夜空の星を映す。
『“竜の主”という称号ではなく、“エリーナ”という存在そのものだ』
古竜王が言う「世界を選ぶ者」としての竜の主とは、見ている方向が違う。
『我が翼を貸す理由は、“竜の主だから”ではない。
“我の主がそう望むから”だ』
「……アークヴァン」
『主が旅に出ると選んだから、我も旅に出た。
主が山を越えると選んだから、我も山を越えた。
主が鎖を拒むと選んだから、我も鎖を噛み砕いた』
それだけの話だ。
『だから、“竜の主としてどう生きるべきか”を考える前に、
“エリーナとしてどう生きたいか”を見よ』
竜の声は、静かで、揺らぎがなかった。
『主が“エリーナ・カルヴェルト”として歩む道のほうが、我には重要だ』
それは、どこまでも直球の信頼だった。
『そして、その上で、“竜の主”であればよい』
「矛盾してない?」
『少し矛盾しているくらいが、丁度よい』
アークヴァンは、さらりと言う。
『世界の均衡を守る者が、全ての矛盾を消してしまえば、世界は窮屈になる』
「それ、誰の言葉?」
『今考えた』
「今なんだ……」
エリーナは、ぽつりと笑った。
竜と人。
竜の主とエリーナ。
世界規模の責任と、個人的なわがまま。
その全部を、「どちらか一方」にしようとするから苦しくなる。
『主』
アークヴァンがもう一度呼ぶ。
『お前は、“竜の主である前に、主であれ”』
「……わたしとして、生きろってこと?」
『そうだ』
竜の瞳が、焚き火の光を細く反射する。
『それができぬなら、“世界を選ぶ者”など、なおさら務まらぬ』
大げさでなく、真剣な声。
『自分一人の選択すらできぬ者が、世界の選択などできるはずがないだろう』
「……それはそう」
痛いところを突かれて、思わず吹き出した。
◆
焚き火の火は、小さくなってきていた。
木の枝が、赤くなって崩れ落ちる。
エリーナは、そっと自分の胸に手を当てた。
指先の下で、鼓動が打っている。
竜の紋章が、静かに熱を帯びている。
「……わたし」
言葉を探すように、ゆっくりと口を開く。
「わたしは、“竜の主として”生きる前に──」
息を吸う。
「“エリーナ・カルヴェルトとして”生きる」
宣言というには、小さな声。
でも、自分に向けた誓いとしては、十分だった。
「それでいて、竜の主でもある」
矛盾している。
整合性は取れていない。
世界の教科書に乗せるには、あまりにも不格好な生き方。
それでも。
「……それじゃ、だめかな」
恐る恐る、問いかける。
「“エリーナとして”生きながら、“竜の主として”も責任を取るっていうの。
どっちかだけじゃなくて、両方やるっていう欲張り」
「俺は好きだよ」
真っ先に答えたのは、カイだった。
「それくらい欲張ってくれないと、一緒に旅してて退屈だし」
「退屈基準なんだ」
『我も構わぬ』
アークヴァンの声も、迷いがなかった。
『むしろ、それが“我が主らしさ”だ』
「……そう?」
『泣き虫で、諦めが悪くて、自分の矛盾を全部抱え込んで、それでも前に進もうとする』
竜の声に、わずかな笑みが混じる。
『それが、我の主だ』
「泣き虫は余計……」
エリーナは、目の端を拭いながら笑った。
矛盾は消えない。
責任も軽くならない。
世界の視線も、古竜王のまなざしも、消えてくれない。
それでも。
「“竜の主として”じゃなくて、“わたしとして”」
自分の足で、選ぶ。
その選択の隣に、青年の影と、竜の翼が並んでいる。
それだけが、今は何よりの救いだった。
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