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第16話「辺境の小さな国づくり」
しおりを挟む馬車の車輪が、ぬかるんだ道をゆっくりと進んでいく。
窓の外には、白と灰色しかなかった。
雪に埋もれた畑。
痩せた木々。
ところどころ、屋根の一部が欠けた家々。
王都から数日。
レティシア・ド・ヴァロワが「静養」の名目で送り込まれたのは、地図の端っこに申し訳程度に描かれている小さな領地だった。
名ばかりの砦と、寒村がいくつか。
“領主館”と呼ぶにはあまりにも素朴な石造りの屋敷。
王都で育った貴族令嬢なら、絶望して泣き崩れてもおかしくない光景。
「……ひどい」
第一声は、それだった。
思わず漏れた呟きに、向かいに座るクロエがびくっと肩を揺らす。
「お、お嬢様……やっぱり、戻りたいですよね……?」
「逆」
レティシアは、窓の外から目を離さないまま答えた。
「こんな“やりがいMAXな物件”用意されて、戻りたいわけないでしょ」
「やりがい……」
クロエは、笑っていいのかどうか迷った顔をした。
道端では、農民らしき男が、壊れかけの柵を直している。
服は薄く、手袋も穴だらけだ。
遠くでは、子どもたちが薪を集めている。
その足取りは重く、笑い声は聞こえない。
(インフラ、ボロボロ。
畑は痩せてる。
多分、税だけはきっちり持っていかれてたんだろうな)
王都の財政を維持するために、周辺領地がどれだけ絞られてきたか。
前世で読んだ「旧体制末期の地方疲弊」という単語が、そのまま目の前の景色に立ち上がっていた。
王都での弾劾。
悪女フレーム。
追放処分。
全部まとめて、レティシアは心の中で雑に箱に詰めて、脇に置いた。
(どうせ監視付きの幽閉なら――)
窓に額を寄せ、息でうっすら曇らせながら、彼女は静かに結論を出す。
(――好きにやる)
◆
「こちらが、領主館でございます」
馬車が止まり、扉が開く。
迎えに出てきたのは、この辺境領の代官を務めていたらしい男だった。
五十代。
背は高いが、長年の疲れで背中が少し丸まっている。
「ディルク・ハルトマンと申します。
……遠いところをようこそお越しくださいました、公爵令嬢殿」
彼の目は、警戒と諦めと困惑が混じった、なんとも言えない色をしていた。
“こんな場所に、わざわざ本物の公爵令嬢が来るなんて”――という戸惑いが、表情にそのまま出ている。
「レティシア・ド・ヴァロワです。
これから、短くも長くもないお付き合いになるかもしれませんが――よろしくお願いいたしますわ、ディルク殿」
差し出した手に、ディルクは数拍遅れて気づき、慌てて頭を下げた。
「は、はっ。
も、申し訳ございません、我らのような辺境に、こうも立派なお方がいらっしゃるとは夢にも――」
「立派かどうかはさておき、寒いのでさっさと中に入りましょう。
凍えてから自己紹介しても、あまり身に入りませんし」
軽い冗談に、ディルクは目を瞬いた。
どう返せばいいかわからず、とりあえず無難に頷く。
領主館の中は、外観に比べればまだマシだった。
古くはあるが、掃除はされている。
暖炉にも火が入っていた。
「使用人の数も限られておりまして……」
ディルクが申し訳なさそうに言う。
「構いませんわ。
少人数のほうが、何が起きてるか把握しやすいですもの」
「は……?」
彼は、また返事に困った顔をした。
(かわいいな、この人の “???” って顔)
レティシアは、心の中でくすりと笑いつつ、コートを脱いだ。
「まずは、領地の状況を全部見せてください。
農地、倉庫、税の記録、村ごとの人口。
“この辺境がどれくらいボロボロなのか”、正確な数字が知りたいです」
「ぼ、ボロボロと……!」
ディルクの眉がぴくぴく動く。
「そ、それなりに、やってきたつもりではあるのですが……」
「“それなり”で回ってたなら、私、ここに飛ばされてきてませんよ」
さらっと毒を混ぜて笑う。
本気で責めているわけではない。
中央からろくな支援もなく、「なんとかしろ」と丸投げされてきたのは、このディルクのような人たちだ。
状況の責任は、もっと上にある。
それでも、「現状認識」は共有しておく必要がある。
「さ、現状把握会議、始めましょう」
◆
数日後。
レティシアは、地図と帳簿に囲まれた部屋の真ん中で、完全に「仕事モード」になっていた。
「農地、土が痩せすぎ。
輪作の概念ゼロ。
肥料も足りない、牛も少ない。
収穫が低いのに、徴税率は“王都標準”とほぼ同じ――ギルバート、これ、前の領主、誰が管理してたか調べて」
「了解いたしました」
ギルバートは、相変わらず淡々としているが、その目はよく動いている。
「穀物倉は?」
テーブルの端で、クロエがメモを握りしめて震えていた。
「こ、共同の大きな倉は……なくて、各家で小さい倉を持ってるだけ、って……ディルクさんが……」
「つまり、“誰かが一気に盗って逃げる”心配は少ないけど、“効率的な備蓄”もできてない」
レティシアは、小さく唸った。
「じゃあ、村ごとに共同の穀物倉を作る。
全体の収穫量の何%かを、各家から“保険”として集めて、
飢饉の時に解放する仕組み。
見返りに、“かなりゆるめの利子”で貸し出す。
あくまで、“返せるなら返してね”くらいの」
「“返せるなら返してね”ですか」
ギルバートが、わずかに口角を上げる。
「慈善ではなく仕組み。
ですが、破綻しない程度に甘い」
「そう。
“ただであげる”と、“貴族様の機嫌次第”になる。
“仕組みとして貸す”なら、そこにルールが生まれる。
それは、貧しい側にとっても誇りになる」
名前をつけるなら、「村版マイクロファイナンス」だ。
前世の授業で、どこかの教授が熱く語っていたのを思い出す。
(あのときは、ふーんって聞いてただけだったけど)
今となっては、全部が現場のネタになる。
「教育の場も作りましょう」
レティシアは、迷いなく言った。
「読み書きと、簡単な計算。
あと、“村の仕組み”について、みんなで話せる場所」
「仕組み……ですか」
「そう。“誰がどの役割で、誰が何を守ってるか”。
それを共有しておけば、“誰か一人を悪者にして終わらせる”みたいな空気、少しは減るから」
前世の自分に聞かせてやりたいほど、現場寄りの発想だ。
机の端には、シャルルから届いたばかりの手紙も置かれている。
封蝋には王家の紋章――ではなく、彼が個人的に使っている、小さな羽根の印。
(あの人、こういうときだけ繊細なんだから)
開封済みのそれに、視線が吸い寄せられる。
けれど今は、仕事に集中する。
「クロエ、村の女性たちの手が空く時間を調べて。
教育の場は、“女も子どもも来られる時間帯”にしたい」
「は、はいっ!」
クロエは、目を潤ませながら元気よく返事をした。
彼女にとっても、この辺境での作業は救いだったかもしれない。
王都で「氷の悪女」と罵られるレティシアを、ここでは誰も知らない。
彼女は、この村で「最初からやり直す」ことができる。
◆
村人たちの反応は――予想どおり、最初は冷ややかだった。
広場に呼び出された男たち。
遠巻きに集まってくる女たち。
ひょこひょこ覗いては母親に引き戻される子どもたち。
「ヴァロワ様とやらが来たって?」
「どうせ“税をきっちり取り立てるため”だろ」
「静養って噂だぞ。王都でなんかやらかして飛ばされたらしい」
小声で交わされる囁き。
レティシアは、それを聞こえないふりをしながら、中央に立った。
厚手のコート。
裾は泥で少し汚れている。
王都のきらびやかなドレスとは違う。
「皆さん」
声を張る。
細い体からは想像できないほど、よく通る声だった。
「私は、ヴァロワ公爵家のレティシアです。
色々あって、この辺境にしばらく“幽閉されること”になりました」
いきなりすぎる正直さに、ざわめきが起きる。
「ゆ、幽閉……?」
「自分で言ったぞ」
「どうせ監視付きですし、王都に戻る予定も当分ありません。
だから――」
レティシアは、少しだけ笑って続けた。
「“好きにやることにしました”」
「は……?」
村人たちの顔が、一斉に「???」になる。
「今から話すことは、“王太子殿下の命令”でも、“王妃様の慈善”でもありません。
ただの、“幽閉された貴族のお節介”です」
その言い方に、何人かが思わず吹き出した。
「お節介の内容は、ざっくり三つ。
一つ、畑をマシにする。
一つ、みんなで使える穀物倉を作る。
一つ、読み書きと計算と、“村のことを一緒に考える場所”を作る」
列の隅で、腰の曲がった老人がぼそりと呟く。
「畑を……マシに……?」
「難しいことをするつもりはありません。
痩せた土地には痩せた土地のやり方があるし、
共同の倉を作れば、“誰か一人が全部失う”リスクを減らせます。
教育だって、字を読むのは武器です。
契約書を読めて、数字を数えられれば、“ごまかされにくくなる”」
その言葉に、男たちの目が少しだけ変わった。
「お嬢様、それは……俺たちが“偉くなれる”ってことですかい?」
前に出てきたのは、まだ若い農夫だった。
浅黒く焼けた肌。
粗末な服。
でも、その瞳には、沈んだ炎が残っている。
「“偉くなる”というより、“騙されにくくなる”ですわね」
レティシアは正直に答えた。
「この国では、“知らない人間”ほど搾り取られます。
それが悔しいなら、知識を持ちましょう」
彼女の言葉は、貴族のものとは思えないほど直球だった。
沈黙。
やがて、別の男がぽつりと言う。
「……俺たちが“頭を使う”ことを、貴族様は嫌がるんじゃねぇのか」
「嫌がる貴族様もいるでしょうね」
レティシアは、あっさり肯定した。
「王都には、“自分より頭のいい平民”を死ぬほど嫌う人、いっぱいいます。
でも、ここは辺境です。
“幽閉された悪役令嬢”の庭みたいなもの。
――好きにやらせてもらいます」
わざと肩をすくめて見せると、ざわめきが、笑いへと変わった。
「変な貴族様だ……」
「悪役令嬢ってのは本当かもしれねぇな」
「でも、悪い感じはしねぇ」
最初の警戒は、ほんの少しだけ薄らいだ。
◆
それからの日々は、忙しかった。
レティシアは、雪解けを待たずに計画を走らせる。
農地の改良。
痩せた土地に豆類を混ぜた輪作の導入。
牛や羊が少ない分、村で出る灰と家畜の糞を集めて作る簡易肥料。
共同穀物倉。
村の真ん中に、木組みと石で頑丈な倉を建てる。
湿気対策のために床を少し上げ、通気用の小窓をつける。
教育の場。
空き家を一つ借り、机代わりの長椅子と黒板代わりの板を設置。
読み書きができる元兵士や商人を見つけて、小さな「先生」に仕立て上げる。
「字を教えるのに、“偉い肩書き”なんていりませんから」
そう言って、レティシア自身も時々前に立つ。
「“税金”って言葉、意味わかる人?」
そう問いかけると、子どもたちは首をかしげ、大人たちは、気まずそうに目を伏せた。
「“取られるお金”くらいのイメージですよね」
レティシアはチョーク(の代わりの石炭)で板に数字を書く。
「でも、本来は、“村を回すためにみんなで出し合うお金”です。
道を直す。
橋を直す。
倉を建てる。
そういう“共通のもの”に使われるべき」
子どもたちの目が、きらきらと光り始める。
大人たちの目には、悔しさと驚きが混ざった。
「じゃあ、今までの税は……」
「どこに消えたんでしょうね」
レティシアは、あえて答えを言わない。
その沈黙が、彼らに考えさせる。
(“考える”癖さえつけば、人は勝手に賢くなる)
彼女は、それを前世でも今世でも、何度も見てきた。
◆
季節は少しずつ移ろっていった。
雪解け。
ぬかるんだ道。
やがて、か細い緑の芽。
村人たちの目つきも、変わり始めた。
「お嬢様、“豆を混ぜて植える”っての、最初はふざけてるのかと思ったけどよ……」
若い農夫が、畑の端で言う。
「土が、前より柔らかくなってる。
鍬が入りやすい」
「でしょ?」
レティシアは、袖をまくって一緒に土を触る。
指先に伝わる感触。
冷えた土の中に、ほんの少しだけ含まれた水分と養分。
(まだまだだけど、“死んでる土”じゃない)
「今は小さな変化ですけど、数年続ければ“当たり前”になりますわ。
そうなれば、“昔はこんなに土が硬かったんだよな”って笑い話になる」
「数年……」
農夫は、遠くを見るような目をした。
「……生きてるうちに、見てみてぇな」
「生きてください。そのためにやってるので」
自然と、口調が少し砕ける。
村の子どもたちは、最初はレティシアを見るたび「貴族様だ」と隠れていたが、
今では普通に背中に飛びついてくるようになった。
「レティ! 字、書けた!」
「ほら見て、“ルネ”って書けた!」
「ルネじゃないでしょ、あなたはピエールでしょう」
笑いながら訂正し、頭を軽くはたく。
本物のルネから聞いたら、「名前を勝手に使うな」と怒られそうだ。
(でも、あの子がここにいたら、きっと一番に字を覚える側に回ってるんだろうな)
そんなことを考えながら、レティシアは、気づけば村の子どもたちの名前をほとんど覚えていた。
村人たちにとっても、彼女はもう「冷たい貴族様」ではない。
「村の変な女領主」。
そう陰で呼ばれていることを聞いたとき、レティシアはむしろ嬉しかった。
「変な、ですか」
「す、すみませんお嬢様! 悪気はなくて、ただ、その……」
「いいのよ。
“冷たい悪女”より、ずっと愛嬌があるじゃない」
ディルクが、ほっとした顔で笑う。
この辺境に来た頃、彼の目には警戒と諦めしかなかった。
今はそこに、「期待」と「頼りたい気持ち」が混ざり始めている。
◆
そんな日々の中で、シャルルからの手紙は、少しだけ特別な時間だった。
頻度は多くない。
月に一通か二通。
だが、それぞれの手紙は、丁寧で、情報と感情がぎゅっと詰まっていた。
『王都の食糧問題は、さらに深刻化している。
お前がいなくなってから、“謎の食糧供給”は当然のように止まり、
王太子派も本格的な対策を打ててはいない。
倉庫からの横流しは、表向き減ったが、
別のルートでの抜け道ができているようだ。
――相変わらず、イタチごっこだ』
別の手紙。
『思想家サロンは、表立っての活動を禁止された。
ギヨームの店も閉じられた。
だが、人の口と考えは止まらない。
地下で集まる小さな会合が増えていると聞く。
“火”は、布を被せても消えない。
むしろ酸素を求めて、じわじわと広がっている』
レティシアは、暖炉の前でそれらの手紙を何度も読み返した。
(ああ、この人、ちゃんと“見てる”)
王族という立場で、
できることとできないことに挟まれながら、
それでも視線を逸らさずにいる。
手紙の最後には、たまに短い一文が添えられていることがあった。
『身体には気をつけろ』
『あまり自分を削るな』
『次に会うとき、お前が“本当にただの怪物になっていたら”困る』
読みながら、胸がじんわりと温かくなる。
それと同時に、どうしようもなく寂しくなる。
(会いたいな)
ようやく、素直にそう思った。
王都で顔を合わせていたときは、「政治的なパートナー」として見ていた部分が大きい。
今は――距離がある分、余計なものが削ぎ落とされて、
ただ「会って話したい」という気持ちだけが残る。
でも、今はここにいる。
王都ではなく、辺境の寒村。
彼に会いたい気持ちを抱えたまま、レティシアはペンを取った。
『殿下
こちらは相変わらず雪と泥と、少しの芽でできています。
畑は、ほんの少しだけマシになりました。
共同穀物倉も、形になりつつあります。
読み書きの教室では、子どもたちが“税金”という言葉を少しずつ覚えています。
私は今、“ミニ国家運営ゲーム”のプレイヤーになった気分です。
どうせなら、ここで一度、“うまく回る仕組み”を作ってみたい。
それが、いつか王都に戻るときの――あるいは、戻れないとしても、この国のどこかが変わるときの、ひとつのサンプルになればいいと思っています。
会いたいです。
でも今は、ここでやるべきことが山ほどあるので、
会いたい気持ちは、仕事の燃料にします。
レティシア』
最後の二行を書いて、ペン先が少し震えた。
(あーあ、書いちゃった)
封をする前に、一瞬だけ迷う。
“会いたい”なんて、簡単に書く言葉じゃない。
でも、書き直さなかった。
シャルルは、きっと笑ってくれるだろう。
少し照れながら、でも、ちゃんと受け取ってくれるだろう。
そう信じられるくらいには、彼に心を預けてしまっている自分を自覚しながら。
◆
春への入り口。
ある日、村の広場で穀物倉の仕上げを見ていたレティシアのもとへ、
息を切らした若者が駆け込んできた。
「お、お嬢様……!」
顔見知りの、村の使い走りをしている少年だ。
「どうしたの? そんなに慌てて」
「都で……! 都で暴動が起きたって……!」
レティシアの手から、木槌が滑り落ちた。
周囲の空気が、一瞬で変わる。
ディルクが、顔を強張らせて近づいてくる。
「暴動……? どこからの情報だ」
「こないだ王都に行ってた行商人が……さっき村外れで会って……!
“北区の市場で、また食い物の騒ぎがあって、
今度は軍が出てもすぐ収まらなかった”って……!」
少年の声は、恐怖と興奮で震えている。
レティシアの胸の中で、何かが冷える。
鼓動が、ひとつ抜けたみたいな感覚。
(ついに――)
時間が、また「革命のタイムライン」に追いついてきた。
辺境の小さな村で、
“ミニ国家”の仕組みを作ろうとしている彼女の足元へ、
遠く王都から、
血の匂いを含んだ風が、ゆっくりと吹き始めていた。
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