前世ブラックOLの私が転生したら悪役令嬢でした

タマ マコト

文字の大きさ
14 / 20

第14話:決算日――破産宣告の微笑み

しおりを挟む


 貴族会議の朝は、空気が硬い。

 王城の会議棟へ続く回廊は磨かれていて、歩くたびに靴音が乾く。
 赤絨毯の柔らかさは、ここにはない。
 石の床は正直で、足裏に“逃げ場のなさ”を叩きつけてくる。

 扉の前には衛兵。槍の光。
 中から漏れる声は低く、笑いは薄い。
 笑っているのに温度がない。
 この場の笑いは、勝ち負けの前触れだ。

 私は扉をくぐり、席へ向かった。
 視線が刺さる。
 いつもの刺さり方より、重い。
 債務公開からの混乱、物流遮断、穀物放出。
 私はもう“ただの公爵令嬢”じゃない。
 誰かの生活の上を歩く人間として見られている。

 壇上の近く、右手側。
 ヴァルツブルク家に割り当てられた席。
 背もたれの高い椅子に腰掛け、手袋の指先を揃える。
 揃えると、心が揃う。

 カイは私の後ろ。
 黒髪は揺れず、銀の瞳は淡く光る。
 彼の腕には、薄い書類箱。
 中身は紙だ。
 紙のくせに、鉄より重い。

 議場の奥には王族席。
 レオポルトが座っている。
 今日の彼は、いつもより顔色が薄い。
 怒りの熱はもう残っていない。
 残っているのは疲労と、焦りと、覚悟の途中の目。

 その横に、鉄の匂いが座っていた。

 グレゴール・フォン・アイゼンシュタイン侯爵。
 黒に近い服。重い肩。笑わない瞳。
 だが今日は、笑わない瞳がさらに“上機嫌”だった。
 口角がほんのわずかに持ち上がっている。
 勝てると思っている顔。

 議長が杖で床を打ち、会議が始まる。

「本日の議題は、王国財政の再建、流通の安定、軍需予算の見直し——」

 議題の言葉が並ぶほど、場の喉が乾く。
 “見直し”は刃だ。
 誰かの懐を切る。

 最初に立ち上がったのは、アイゼンシュタイン侯爵だった。
 椅子が軋む音が、妙に大きい。
 彼はゆっくり壇へ向かい、堂々と立った。

 声が落ちる。低く重い声。

「諸君。王国が揺れている。民が不安に震えている。……この混乱を招いたのは、誰だ」

 視線が動く。
 動く視線の先に、私がいるのが分かる。
 私の頬に、冷たい風が当たった気がした。
 風は視線だ。

 侯爵は胸に手を当て、大げさにため息をつく。

「王家は常に、国のために支出してきた。軍を整え、民を守り、威信を保ち、外交を維持してきた。だが——」

 そこで彼は、首を振る。

「無知な者が、数字を振り回し、信用を傷つけた。結果、国債は揺れ、商人は怯え、物流は乱れた」

 乱れた、と言う。
 乱したのは誰だ。
 私の胃の奥で、熱が立ち上がる。
 でも表情は動かさない。
 ここは感情の場じゃない。決算の場だ。

 侯爵はさらに声を強める。

「この国を守るのは、剣だ。鉄だ。血の覚悟だ。算盤ではない!」

 拍手が起きかける。
 起きかけて、止まる。
 止まるのは、皆が“飢え”を見たからだ。
 剣だけでは腹は満たせないと、皆が知ってしまったから。

 侯爵は忠臣の顔を作り、王族席へ向けて礼をする。

「殿下。私は王家に忠誠を誓う。軍需は私が支える。必要とあらば、さらに供給を増やし——」

 供給を増やす。
 口は美しい。
 でも現実には止めたばかりだ。
 嘘は上手い。
 上手い嘘ほど、皆が欲しい真実の顔をしている。

 私は息を吸い、手袋の縫い目を指で撫でた。
 冷たい。
 落ち着け。
 ここは、今日が“決算日”。

 議長が言う。

「異議、意見のある者は」

 間が生まれる。
 誰も立たない。
 立った瞬間、どちらの陣営か決まるからだ。
 空気は重く、誰も自分の足で踏み込めない。

 だから、私が踏み込む。

 私は静かに席を立った。
 椅子が音を立てないように、動きを滑らかに。
 立ち上がった瞬間、視線が一斉に集まる。
 熱い。
 でも熱さの奥に、恐怖がある。
 “何を出す気だ”という恐怖。

 私は壇へ向かわず、その場で言った。
 声は大きくしない。
 大きくしなくても届く。
 静かな声ほど、人は聞こうとする。

「異議ではありません。決算です」

 ざわめき。
 侯爵の目が細くなる。

「……ヴァルツブルク公爵令嬢。ここは子どもの遊び場ではない」

「遊びなら、こんなに胃が痛くならない」

 笑いは起きない。
 起きる余裕がない。
 私はカイに目配せする。

 カイが書類箱を開き、薄い束を取り出す。
 羊皮紙ではない。
 銀行の紙。手形の紙。
 白い紙は、刃だ。

 私はそれを受け取り、議長席へ一部、そして王族席へ一部を差し出した。
 紙が渡る音が、やけに大きく聞こえる。
 紙が空気を切る音。
 刃が抜ける音。

 侯爵が嘲るように言う。

「何だそれは。まさか、また恥を晒すつもりか」

 私は侯爵を見た。
 見下ろされるのではなく、見上げもしない位置で見た。
 視線の高さを揃える。
 揃えると、相手は逃げにくい。

「アイゼンシュタイン侯爵」

「……何だ」

「あなたの負債」

 その一言で、場が凍る。
 凍るのは寒いからじゃない。
 皆が“匂い”を嗅いだからだ。
 破産の匂い。
 首が絞まる匂い。

 私は続けた。

「全額、ヴァルツブルクが保有しています」

 侯爵の顔色が変わった。
 一瞬で灰色になる。
 酒で赤かった頬が、嘘みたいに冷える。
 目だけが動く。
 動くのは、逃げ道を探しているからだ。
 でも逃げ道は、紙の中に封じてある。

「……馬鹿を言うな」

 声が掠れる。
 あの重い声が、紙みたいに軽くなる。

「侯爵家の債権が、どれほど分散されていると思っている」

「分散されていました」

 私は言う。過去形。

「だから、買い集めました。銀行を通じて。商会を通じて。名義を分けて。あなたが嗅ぎつける前に」

 侯爵の喉がごくりと動く。
 喉の動きが、彼の恐怖を暴露する。
 鉄の男でも、息が止まれば死ぬ。

 議場がざわめく。
 ざわめきはすぐに消え、代わりに静寂が落ちる。
 静寂は、全員が紙の力を理解した証拠だ。

 私は紙の一枚を掲げた。
 そこには償還期限、利率、担保。
 鉱山権益の文字が見える。
 ここが一番効く。

「本日が決算日です」

 私は淡々と言った。

「利払いは既に遅延。短期手形の更新も途切れています。……よって、期限の利益は失われました」

 期限の利益。
 その言葉が、侯爵の肩を一瞬で沈める。
 誰もが分からなくても、侯爵だけは分かる。
 分かるから、顔が灰色になる。

「破産宣告です」

 言い切った瞬間、私の胸の奥がきゅっと痛んだ。
 痛むのは、快感じゃない。
 痛むのは、覚悟の刃が自分も切るからだ。

 侯爵は一歩前に出ようとして、止まった。
 膝が僅かに揺れる。
 鉄の男が、紙に膝を折りかける。

「ふざけるな……! お前が! たかが女が! 俺を——」

「あなたが止めた物流で、あなたの金が止まった」

 私は遮った。
 声は冷たい。
 冷たいから、真実が響く。

「戦争は起きない」

 私は続けた。

「起きる前に、金が止めた」

 侯爵の目が見開かれる。
 怒りと恐怖が混ざり、顔が歪む。
 彼は今、剣を抜きたいはずだ。
 でも剣では紙を切れない。
 紙は燃やせても、燃やした瞬間、罪になる。
 罪になれば、彼は完全に終わる。

 議長が震える声で言う。

「……ヴァルツブルク公爵令嬢。これは、事実か」

「事実です」

 私は短く答えた。
 嘘は混ぜない。混ぜたら信用が死ぬ。
 信用が死ぬなら、ここまでやった意味がない。

 王族席で、レオポルトが立ち上がっていた。
 彼は紙を握りしめている。
 指先が白い。
 震えているのは紙ではなく、彼自身だ。

「……君は」

 レオポルトの声が震える。
 怒りではない。
 呆然とした震え。
 理想が現実に殴られたときの震え。

「君は正しい」

 一拍置いて、彼は続けた。

「でも、恐ろしい」

 その言葉が、私の胸を深く抉った。

 正しい。
 恐ろしい。
 二つの言葉が、同じ息で出る。
 褒め言葉じゃない。
 救いでもない。
 ただの判決だ。

 私は微笑もうとして、微笑めなかった。
 口角が動かない。
 代わりに、胸の奥が鈍く痛む。

 前世の私は無力だった。
 怒鳴られても、締切を押し付けられても、ただ耐えるしかなかった。
 誰にも恐れられない。
 恐れられないから、踏まれる。
 踏まれるから、潰れる。

 今は違う。
 私は恐れられる存在になった。
 恐れられるということは、踏まれないということ。
 でも同時に、触れられないということでもある。

 孤独の匂いが、議場の空気の底から立ち上がる。
 花でも酒でもない匂い。
 勝者の匂いでもない。
 ただ、冷たい匂い。

 私はレオポルトを見返した。
 彼の目は揺れている。
 私を救いたい目ではない。
 私から目を逸らしたい目だ。
 恐ろしいものを見る目。

 胸が痛い。
 でも私は、その痛みを飲み込んだ。
 飲み込まないと、手が止まる。
 手が止まったら、また燃える。

 私は議長へ向けて言う。

「侯爵家の資産整理は、法に則って進めます。軍需契約は再編し、流通は止めません。……民は飢えさせない」

 言葉を置くたび、場の氷が少しずつ形を変える。
 凍った恐怖が、“仕組み”という枠に収まっていく。

 侯爵は立ち尽くし、灰色の顔で私を睨む。
 睨みは刃にならない。
 刃になるのは紙だ。
 その現実が、彼を黙らせる。

 決算日は、剣を折らない。
 剣が抜かれる前に、鞘ごと買い取る。
 血が流れる前に、金が止める。

 私は微笑みを作った。
 微笑みは薄い。
 破産宣告の微笑みは、甘くない。
 甘くないから、飲み込める。

 胸の奥の痛みは消えない。
 恐れられる痛み。
 正しいのに、恐ろしいと言われる痛み。

 それでも私は立っている。
 紙の上で、人の未来が決まる場所で。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

婚約破棄のその場で転生前の記憶が戻り、悪役令嬢として反撃開始いたします

タマ マコト
ファンタジー
革命前夜の王国で、公爵令嬢レティシアは盛大な舞踏会の場で王太子アルマンから一方的に婚約を破棄され、社交界の嘲笑の的になる。その瞬間、彼女は“日本の歴史オタク女子大生”だった前世の記憶を思い出し、この国が数年後に血塗れの革命で滅びる未来を知ってしまう。 悪役令嬢として嫌われ、切り捨てられた自分の立場と、公爵家の権力・財力を「運命改変の武器」にすると決めたレティシアは、貧民街への支援や貴族の不正調査をひそかに始める。その過程で、冷静で改革派の第二王子シャルルと出会い、互いに利害と興味を抱きながら、“歴史に逆らう悪役令嬢”として静かな反撃をスタートさせていく。

【完結】記憶にありませんが、責任は取りましょう

楽歩
恋愛
階段から落ちて三日後、アイラは目を覚ました。そして、自分の人生から十年分の記憶が消えていることを知らされる。 目の前で知らない男が号泣し、知らない子どもが「お母様!」としがみついてくる。 「状況を確認いたします。あなたは伯爵、こちらは私たちの息子。なお、私たちはまだ正式な夫婦ではない、という理解でよろしいですね?」 さらに残されていたのは鍵付き箱いっぱいの十年分の日記帳。中身は、乙女ゲームに転生したと信じ、攻略対象を順位付けして暴走していた“過去のアイラ”の黒歴史だった。 アイラは一冊の日記を最後の一行まで読み終えると、無言で日記を暖炉へ投げ入れる。 「これは、焼却処分が妥当ですわね」 だいぶ騒がしい人生の再スタートが今、始まる。

悪役令嬢ですが、当て馬なんて奉仕活動はいたしませんので、どうぞあしからず!

たぬきち25番
恋愛
 気が付くと私は、ゲームの中の悪役令嬢フォルトナに転生していた。自分は、婚約者のルジェク王子殿下と、ヒロインのクレアを邪魔する悪役令嬢。そして、ふと気が付いた。私は今、強大な権力と、惚れ惚れするほどの美貌と身体、そして、かなり出来の良い頭を持っていた。王子も確かにカッコイイけど、この世界には他にもカッコイイ男性はいる、王子はヒロインにお任せします。え? 当て馬がいないと物語が進まない? ごめんなさい、王子殿下、私、自分のことを優先させて頂きまぁ~す♡ ※マルチエンディングです!! コルネリウス(兄)&ルジェク(王子)好きなエンディングをお迎えください m(_ _)m 2024.11.14アイク(誰?)ルートをスタートいたしました。 楽しんで頂けると幸いです。 ※他サイト様にも掲載中です

【完結】その令嬢は号泣しただけ~泣き虫令嬢に悪役は無理でした~

春風由実
恋愛
お城の庭園で大泣きしてしまった十二歳の私。 かつての記憶を取り戻し、自分が物語の序盤で早々に退場する悪しき公爵令嬢であることを思い出します。 私は目立たず密やかに穏やかに、そして出来るだけ長く生きたいのです。 それにこんなに泣き虫だから、王太子殿下の婚約者だなんて重たい役目は無理、無理、無理。 だから早々に逃げ出そうと決めていたのに。 どうして目の前にこの方が座っているのでしょうか? ※本編十七話、番外編四話の短いお話です。 ※こちらはさっと完結します。(2022.11.8完結) ※カクヨムにも掲載しています。

【完結】奇跡のおくすり~追放された薬師、実は王家の隠し子でした~

いっぺいちゃん
ファンタジー
薬草と静かな生活をこよなく愛する少女、レイナ=リーフィア。 地味で目立たぬ薬師だった彼女は、ある日貴族の陰謀で“冤罪”を着せられ、王都の冒険者ギルドを追放されてしまう。 「――もう、草とだけ暮らせればいい」 絶望の果てにたどり着いた辺境の村で、レイナはひっそりと薬を作り始める。だが、彼女の薬はどんな難病さえ癒す“奇跡の薬”だった。 やがて重病の王子を治したことで、彼女の正体が王家の“隠し子”だと判明し、王都からの使者が訪れる―― 「あなたの薬に、国を救ってほしい」 導かれるように再び王都へと向かうレイナ。 医療改革を志し、“薬師局”を創設して仲間たちと共に奔走する日々が始まる。 薬草にしか心を開けなかった少女が、やがて王国の未来を変える―― これは、一人の“草オタク”薬師が紡ぐ、やさしくてまっすぐな奇跡の物語。 ※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。

悪役令嬢に転生したので地味令嬢に変装したら、婚約者が離れてくれないのですが。

槙村まき
恋愛
 スマホ向け乙女ゲーム『時戻りの少女~ささやかな日々をあなたと共に~』の悪役令嬢、リシェリア・オゼリエに転生した主人公は、処刑される未来を変えるために地味に地味で地味な令嬢に変装して生きていくことを決意した。  それなのに学園に入学しても婚約者である王太子ルーカスは付きまとってくるし、ゲームのヒロインからはなぜか「私の代わりにヒロインになって!」とお願いされるし……。  挙句の果てには、ある日隠れていた図書室で、ルーカスに唇を奪われてしまう。  そんな感じで悪役令嬢がヤンデレ気味な王子から逃げようとしながらも、ヒロインと共に攻略対象者たちを助ける? 話になるはず……! 第二章以降は、11時と23時に更新予定です。 他サイトにも掲載しています。 よろしくお願いします。 25.4.25 HOTランキング(女性向け)四位、ありがとうございます!

『悪役令嬢は、二度目の人生で無言を貫く。~処刑回避のために黙っていただけなのに、なぜか冷徹宰相様から「君こそ運命の人だ」と溺愛さています~』

放浪人
恋愛
「もう、余計なことは喋りません(処刑されたくないので!)」 王太子の婚約者エリスは、無実の罪を着せられた際、必死に弁解しようと叫び散らした結果「見苦しい」と断罪され、処刑されてしまった。 死に戻った彼女は悟る。「口は災いの元。二度目の人生は、何があっても口を閉ざして生き延びよう」と。 しかし、断罪の場で恐怖のあまり沈黙を貫いた結果、その姿は「弁解せず耐え忍ぶ高潔な令嬢」として称賛されてしまう。 さらに、人間嫌いの冷徹宰相クラウスに「私の静寂を理解する唯一の女性」と盛大な勘違いをされ、求婚されてしまい……!? 「君の沈黙は、愛の肯定だね?」(違います、怖くて固まっているだけです!) 「この国の危機を、一目で見抜くとは」(ただ臭かったから鼻を押さえただけです!) 怯えて黙っているだけの元悪役令嬢と、彼女の沈黙を「深遠な知性」と解釈して溺愛する最強宰相。 転生ヒロインの妨害も、隣国の陰謀も、全て「無言」で解決(?)していく、すれ違いロマンティック・コメディ! 最後はちゃんと言葉で愛を伝えて、最高のハッピーエンドを迎えます。

王国最強の天才魔導士は、追放された悪役令嬢の息子でした

由香
ファンタジー
追放された悪役令嬢が選んだのは復讐ではなく、母として息子を守ること。 無自覚天才に育った息子は、魔法を遊び感覚で扱い、王国を震撼させてしまう。 再び招かれたのは、かつて母を追放した国。 礼儀正しく圧倒する息子と、静かに完全勝利する母。 これは、親子が選ぶ“最も美しいざまぁ”。

処理中です...