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第33話「偽薬の頂点と、王都の危機」
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王都の朝は、いつもより騒がしかった。
市場の呼び声が刺々しい。
馬車の車輪が石畳を叩く音が荒い。
人の足音が、まるで焦りそのものみたいに早い。
空は晴れているのに、街の匂いが曇っている。
――嫌な予感が、王都全体に薄い膜を張っていた。
◇
宮廷薬師団の会議室。
ホップが机に地図を広げ、指で叩いた。
「……確定した。ナツメグが、最大ロットを流す」
その言葉が落ちた瞬間、室内の空気が重く沈む。
サフランが眉を寄せる。
「量は」
「今までの比じゃない。
王都の下町だけじゃない。
表市場、貴族サロン、近郊の宿場町にまで、同時に流す」
ホップの声は乾いている。
怒りと疲労で、喉が擦れているような音。
ミントは資料を見つめた。
“偽ミント薬・新規ロット”。
成分分析の簡易報告。
その中にある一行が、目に刺さる。
『刺激成分:高濃度。致死域に近い配合の可能性』
ミントの背筋が冷えた。
「……これ、今までより強い」
声がかすれる。
ホップが頷く。
「強いどころじゃない。
効いた“気がする”じゃ済まない。
体が耐えなければ、死ぬ」
会議室が静まり返る。
死者多数。
その言葉が、誰の口からも出ないまま、全員の頭に浮かんでいた。
サフランが椅子から立ち上がる。
「止める」
短い言葉。
でも、剣みたいに鋭い。
ミントも立ち上がった。
「私も動きます」
ホップが目を細める。
「危険だ」
「わかってます。でも、私の名前で人が死ぬのは……」
ミントは唇を噛んだ。
想像だけで吐き気がする。
“ミントの薬”を信じて飲んだ人が倒れる。
倒れた人の周りに集まる怒りが、最後に向かうのは――本物の自分。
それだけは、どうしても止めたい。
「……よし」
ホップが頷いた。
「宮廷薬師団は総出で回収作戦。
ミントは市井での説得と、判別法の周知。
サフランは現場統率と、裏ルートの追跡」
「了解」
サフランが即答する。
ミントも頷いた。
胸の奥が怖いのに、手足は動く準備を始めている。
人を救うと決めた薬師の体は、こういう時だけ勝手に前へ進む。
◇
王都の下町。
ミントはフードを深くかぶり、路地を歩いた。
鼻に入る匂いは、パンの焼ける匂いと、人の汗と、鉄と――そして、妙に甘い薬の匂い。
路地の角を曲がると、そこには露店があった。
「ほらよ! 田舎の奇跡薬師の薬だ!
飲めばすぐ楽になる!」
瓶が並ぶ。
薄い緑色。
ラベルには拙い字で“ミント”と書かれている。
ミントの喉がきゅっと縮む。
近くで、母親が子どもに瓶を渡そうとしていた。
「熱が下がるなら……」
ミントは駆け寄った。
「待ってください!」
母親が驚いて振り向く。
「それ、飲ませないで」
「え? でも、ミントの薬師さんの……」
「違います」
ミントは、できるだけ落ち着いた声を出した。
「それは、本物の私の薬ではありません」
母親の目が揺れる。
「……あなた、誰?」
当然だ。
王都の人間にとって、ミントは“噂”でしかない。
目の前の少女が本物だなんて、信じられるわけがない。
ミントはフードを少しだけずらし、顔を見せた。
「ミント・フェンネルです。
王家特認の薬師です」
母親の顔が強張る。
「……嘘でしょ」
「嘘じゃない」
ミントは、持っていた小さな札を見せる。
王家の印が刻まれた許可証。
母親は息を呑む。
でも、露店の男が鼻で笑った。
「へえ? そう言えば売れると思ったか?
偽物はどっちだよ、なあ?」
周囲の人がざわめく。
ミントの胸が冷える。
(これが、罠)
情報操作。
“ミントを名乗る女が偽薬を止めようとしている=売り上げを奪おうとしている”
そう思わせれば、民衆は簡単に揺れる。
ミントは息を吸った。
怖い。
でも、ここで引いたら、子どもが飲む。
「私が偽物なら、この瓶の危険性を説明できます」
ミントは露店の瓶を一本、許可を取らずに手に取った。
男が「おい!」と声を上げるが、ミントは蓋を少し開けて匂いを嗅ぐ。
鼻の奥が痛い。
「……刺激成分が強すぎる。
熱を下げるんじゃなくて、体を無理やり動かしてる。
子どもには危険です。痙攣を起こす可能性がある」
母親の顔色が変わる。
「けいれん……?」
「最悪、息が止まります」
ミントは言い切った。
周囲の空気が凍る。
露店の男が、苛立ちを隠せず叫んだ。
「脅して買わせないつもりかよ!」
「脅しじゃない。警告です」
ミントの声が震える。
震えるのに、言葉は止まらない。
「お願いです。飲まないで。
具合が悪いなら、宮廷薬師団の臨時診療所へ行ってください。
そこで――本物の治療が受けられます」
人々がざわめく。
母親は子どもの手から瓶を取り上げ、抱きしめた。
「……行く」
その一言が、ミントの胸に少しだけ空気を戻してくれた。
でも、見渡せば人が多すぎる。
露店も一つじゃない。
路地も一本じゃない。
王都は広すぎる。
(止めきれない)
ミントは、歯を食いしばった。
自分一人の声なんて、雑踏に溶ける。
その現実が、心を削る。
◇
同時刻。
宮廷薬師団は臨時班を組み、王都各地で回収作戦を始めていた。
ホップは現場を走り回り、指示を飛ばす。
「回収した瓶は全部ここへ!
飲んだ者はすぐ診療所へ誘導しろ!
症状が軽くても放置するな!」
薬師たちの白衣が、街の中で揺れる。
サフランは護衛と共に裏路地へ入り、情報屋を捕まえた。
「ナツメグの倉庫はどこだ」
「知らねえよ!」
「嘘をつくな」
サフランの目が冷たい。
だが、次の瞬間――別の方向から声が飛んだ。
「見ろ! あいつらが“ミント薬”を奪ってる!
田舎娘が王都を混乱させてるんだ!」
群衆が一部、ざわめく。
偽証言。
仕掛けられた罠。
“ミントこそ危険な薬師”という印象を植え付けるための、汚い煙。
ホップが歯噛みする。
「……ナツメグめ」
サフランは、群衆の前に立った。
「聞け!」
声が通る。
宮廷薬師の声は、戦場で鍛えられた声だ。
「それは偽薬だ。
回収しているのは命を守るためだ。
文句があるなら、飲んだ後で言え。
……いや、飲んだら言えなくなる可能性がある」
ざわめきが止まる。
怖い言葉だ。
でも、今はそれが必要だった。
それでも、完全には止まらない。
人は噂で動き、恐怖で固まる。
そしてその恐怖を、ナツメグは利用している。
◇
昼過ぎ。
王城の大広間。
セージは王太子として、公式声明を出す準備をしていた。
王都中に伝令が走る。
広場に掲示が貼られる。
鐘が鳴らされ、人々が集められる。
ミントもサフランも、ホップも、疲れ切った顔で広間に呼び戻された。
セージは演壇の前に立ち、深く息を吸う。
その姿は、以前よりずっと“王太子”になっていた。
国を背負う肩。
民衆を見下ろすのではなく、見守る目。
そして、言葉が放たれた。
「王都に告ぐ」
静けさが落ちる。
「田舎の薬師ミント・フェンネルは、我が命の恩人であり、その薬は王家が保証する」
ミントの胸が、ぎゅっと締まる。
恩人。
その言葉が、過去の自分を救うみたいに響く。
セージは続ける。
「今、王都に流通している“ミントの名を騙る薬”は偽薬である。
それを流す行為は、民の命を弄ぶだけではない。
王家への反逆行為に等しい」
広間に、ざわめきが走る。
反逆。
その言葉は重い。
重すぎるほど重い。
でも、その重さが、今は必要だった。
「王家は宮廷薬師団と共に、偽薬の回収と治療を最優先とする。
民は恐れるな。
“本物”はここにある」
セージの視線が、ミントに向かう。
ミントは一瞬、息を呑んだ。
そして、小さく頷いた。
セージの声明は、王都の空気を変えた。
さっきまでざわついていた街が、一気に方向を変える。
“王家が保証するなら、偽薬は危険だ”
“回収に協力しよう”
“ミントは敵じゃない”
流れが、少しずつ、でも確かに変わっていく。
ミントは、震える指を握りしめた。
(ありがとう)
その言葉を声に出す余裕はない。
でも胸の奥で、確かに言った。
◇
夕方。
回収作戦は進み、偽薬の流れは目に見えて鈍った。
だが――止まったわけではない。
最大ロットは、まだどこかにある。
その時。
宮廷薬師団の棟の前に、黒い外套の男が現れた。
護衛が止めるが、男は歩みを止めない。
そして、淡々と告げた。
「通せ」
声が、よく通る。
貴族の声。
官僚の声。
命令の声。
サフランが前に出た。
「……ナツメグ」
名を呼ばれた男は、口角を上げた。
整えられた黒髪。
無駄のない所作。
目の奥にある冷たい計算。
ミントは、背筋がぞくりとした。
この男は、刃物みたいに“人を扱う”匂いがする。
ホップが低く言う。
「やっと表に出てきたか」
ナツメグは、ゆっくりと視線をミントに向けた。
「君が“田舎の奇跡薬師”か」
ミントの喉がきゅっと縮む。
でも、逃げない。
「……あなたが、偽薬の黒幕ですか」
ミントが問うと、ナツメグは笑った。
乾いた笑い。
「黒幕? ふふ、言い方が幼い」
彼は両手を軽く広げる。
「私はただ、“現実”を見せているだけだ」
セージが、階段の上から降りてくる。
「現実?」
「改革など夢物語だ、殿下」
ナツメグの声が、鋭くなる。
「民はすぐに噂に踊り、恐怖に縋る。
王家が保証すると言ったところで、傷ついた信用は戻らない」
彼の目が光る。
「あなたは、国を変えたいのでしょう?
だが、変化は必ず歪みを生む。
その歪みを、私は利用する」
セージの表情が硬くなる。
「利用して、何を得る」
ナツメグは笑う。
「秩序」
その言葉が、ぞっとするほど冷たい。
「変化のない秩序。
動かない階級。
守られるのは、古い仕組みと、古い特権だ」
ミントは、胸の奥が熱くなるのを感じた。
怒りだ。
人の命を使って、秩序を語るな。
「……あなたは」
ミントの声が震える。
「人を薬で殺しかけて、秩序って言うんですか」
ナツメグの目が、ミントを測るように細くなる。
「殺し? ふふ、殺していない。まだ」
その言い方が、最悪だった。
まるで、命が計算の中の数字みたいに扱われている。
サフランが一歩前に出る。
「次のロットの場所を言え」
ナツメグは肩をすくめた。
「言うわけがないだろう」
そして、ゆっくり笑う。
「探せ。
君たちが必死に探している間に、王都は揺れる。
揺れれば揺れるほど、改革派は弱る。
……それで十分だ」
ナツメグは踵を返した。
護衛が止めようとするが、彼の背後から別の役人が現れ、紙を掲げる。
「彼は監査権を持つ者だ。ここで拘束すれば、宮廷はさらに混乱する」
ホップが歯噛みする。
セージの目が細くなる。
捕まえられない。
ここで捕まえれば、“王家が暴走した”という噂が広がる。
ナツメグは、その状況すら計算している。
ナツメグは振り返らず、ただ一言だけ投げた。
「田舎娘」
ミントの胸が跳ねる。
「君の名は、君のものではない。
王都に来た時点で、もう“皆の玩具”だ」
その言葉が、心を殴った。
でも、ミントは睨み返した。
「……違う」
声は小さい。
でも、確かに言った。
「私の名は、私が取り戻します」
ナツメグの足が、一瞬だけ止まった気がした。
そして、何も言わずに去っていく。
夕暮れの王都に、影が伸びた。
偽薬事件は、頂点に達した。
王都の危機は、まだ終わっていない。
市場の呼び声が刺々しい。
馬車の車輪が石畳を叩く音が荒い。
人の足音が、まるで焦りそのものみたいに早い。
空は晴れているのに、街の匂いが曇っている。
――嫌な予感が、王都全体に薄い膜を張っていた。
◇
宮廷薬師団の会議室。
ホップが机に地図を広げ、指で叩いた。
「……確定した。ナツメグが、最大ロットを流す」
その言葉が落ちた瞬間、室内の空気が重く沈む。
サフランが眉を寄せる。
「量は」
「今までの比じゃない。
王都の下町だけじゃない。
表市場、貴族サロン、近郊の宿場町にまで、同時に流す」
ホップの声は乾いている。
怒りと疲労で、喉が擦れているような音。
ミントは資料を見つめた。
“偽ミント薬・新規ロット”。
成分分析の簡易報告。
その中にある一行が、目に刺さる。
『刺激成分:高濃度。致死域に近い配合の可能性』
ミントの背筋が冷えた。
「……これ、今までより強い」
声がかすれる。
ホップが頷く。
「強いどころじゃない。
効いた“気がする”じゃ済まない。
体が耐えなければ、死ぬ」
会議室が静まり返る。
死者多数。
その言葉が、誰の口からも出ないまま、全員の頭に浮かんでいた。
サフランが椅子から立ち上がる。
「止める」
短い言葉。
でも、剣みたいに鋭い。
ミントも立ち上がった。
「私も動きます」
ホップが目を細める。
「危険だ」
「わかってます。でも、私の名前で人が死ぬのは……」
ミントは唇を噛んだ。
想像だけで吐き気がする。
“ミントの薬”を信じて飲んだ人が倒れる。
倒れた人の周りに集まる怒りが、最後に向かうのは――本物の自分。
それだけは、どうしても止めたい。
「……よし」
ホップが頷いた。
「宮廷薬師団は総出で回収作戦。
ミントは市井での説得と、判別法の周知。
サフランは現場統率と、裏ルートの追跡」
「了解」
サフランが即答する。
ミントも頷いた。
胸の奥が怖いのに、手足は動く準備を始めている。
人を救うと決めた薬師の体は、こういう時だけ勝手に前へ進む。
◇
王都の下町。
ミントはフードを深くかぶり、路地を歩いた。
鼻に入る匂いは、パンの焼ける匂いと、人の汗と、鉄と――そして、妙に甘い薬の匂い。
路地の角を曲がると、そこには露店があった。
「ほらよ! 田舎の奇跡薬師の薬だ!
飲めばすぐ楽になる!」
瓶が並ぶ。
薄い緑色。
ラベルには拙い字で“ミント”と書かれている。
ミントの喉がきゅっと縮む。
近くで、母親が子どもに瓶を渡そうとしていた。
「熱が下がるなら……」
ミントは駆け寄った。
「待ってください!」
母親が驚いて振り向く。
「それ、飲ませないで」
「え? でも、ミントの薬師さんの……」
「違います」
ミントは、できるだけ落ち着いた声を出した。
「それは、本物の私の薬ではありません」
母親の目が揺れる。
「……あなた、誰?」
当然だ。
王都の人間にとって、ミントは“噂”でしかない。
目の前の少女が本物だなんて、信じられるわけがない。
ミントはフードを少しだけずらし、顔を見せた。
「ミント・フェンネルです。
王家特認の薬師です」
母親の顔が強張る。
「……嘘でしょ」
「嘘じゃない」
ミントは、持っていた小さな札を見せる。
王家の印が刻まれた許可証。
母親は息を呑む。
でも、露店の男が鼻で笑った。
「へえ? そう言えば売れると思ったか?
偽物はどっちだよ、なあ?」
周囲の人がざわめく。
ミントの胸が冷える。
(これが、罠)
情報操作。
“ミントを名乗る女が偽薬を止めようとしている=売り上げを奪おうとしている”
そう思わせれば、民衆は簡単に揺れる。
ミントは息を吸った。
怖い。
でも、ここで引いたら、子どもが飲む。
「私が偽物なら、この瓶の危険性を説明できます」
ミントは露店の瓶を一本、許可を取らずに手に取った。
男が「おい!」と声を上げるが、ミントは蓋を少し開けて匂いを嗅ぐ。
鼻の奥が痛い。
「……刺激成分が強すぎる。
熱を下げるんじゃなくて、体を無理やり動かしてる。
子どもには危険です。痙攣を起こす可能性がある」
母親の顔色が変わる。
「けいれん……?」
「最悪、息が止まります」
ミントは言い切った。
周囲の空気が凍る。
露店の男が、苛立ちを隠せず叫んだ。
「脅して買わせないつもりかよ!」
「脅しじゃない。警告です」
ミントの声が震える。
震えるのに、言葉は止まらない。
「お願いです。飲まないで。
具合が悪いなら、宮廷薬師団の臨時診療所へ行ってください。
そこで――本物の治療が受けられます」
人々がざわめく。
母親は子どもの手から瓶を取り上げ、抱きしめた。
「……行く」
その一言が、ミントの胸に少しだけ空気を戻してくれた。
でも、見渡せば人が多すぎる。
露店も一つじゃない。
路地も一本じゃない。
王都は広すぎる。
(止めきれない)
ミントは、歯を食いしばった。
自分一人の声なんて、雑踏に溶ける。
その現実が、心を削る。
◇
同時刻。
宮廷薬師団は臨時班を組み、王都各地で回収作戦を始めていた。
ホップは現場を走り回り、指示を飛ばす。
「回収した瓶は全部ここへ!
飲んだ者はすぐ診療所へ誘導しろ!
症状が軽くても放置するな!」
薬師たちの白衣が、街の中で揺れる。
サフランは護衛と共に裏路地へ入り、情報屋を捕まえた。
「ナツメグの倉庫はどこだ」
「知らねえよ!」
「嘘をつくな」
サフランの目が冷たい。
だが、次の瞬間――別の方向から声が飛んだ。
「見ろ! あいつらが“ミント薬”を奪ってる!
田舎娘が王都を混乱させてるんだ!」
群衆が一部、ざわめく。
偽証言。
仕掛けられた罠。
“ミントこそ危険な薬師”という印象を植え付けるための、汚い煙。
ホップが歯噛みする。
「……ナツメグめ」
サフランは、群衆の前に立った。
「聞け!」
声が通る。
宮廷薬師の声は、戦場で鍛えられた声だ。
「それは偽薬だ。
回収しているのは命を守るためだ。
文句があるなら、飲んだ後で言え。
……いや、飲んだら言えなくなる可能性がある」
ざわめきが止まる。
怖い言葉だ。
でも、今はそれが必要だった。
それでも、完全には止まらない。
人は噂で動き、恐怖で固まる。
そしてその恐怖を、ナツメグは利用している。
◇
昼過ぎ。
王城の大広間。
セージは王太子として、公式声明を出す準備をしていた。
王都中に伝令が走る。
広場に掲示が貼られる。
鐘が鳴らされ、人々が集められる。
ミントもサフランも、ホップも、疲れ切った顔で広間に呼び戻された。
セージは演壇の前に立ち、深く息を吸う。
その姿は、以前よりずっと“王太子”になっていた。
国を背負う肩。
民衆を見下ろすのではなく、見守る目。
そして、言葉が放たれた。
「王都に告ぐ」
静けさが落ちる。
「田舎の薬師ミント・フェンネルは、我が命の恩人であり、その薬は王家が保証する」
ミントの胸が、ぎゅっと締まる。
恩人。
その言葉が、過去の自分を救うみたいに響く。
セージは続ける。
「今、王都に流通している“ミントの名を騙る薬”は偽薬である。
それを流す行為は、民の命を弄ぶだけではない。
王家への反逆行為に等しい」
広間に、ざわめきが走る。
反逆。
その言葉は重い。
重すぎるほど重い。
でも、その重さが、今は必要だった。
「王家は宮廷薬師団と共に、偽薬の回収と治療を最優先とする。
民は恐れるな。
“本物”はここにある」
セージの視線が、ミントに向かう。
ミントは一瞬、息を呑んだ。
そして、小さく頷いた。
セージの声明は、王都の空気を変えた。
さっきまでざわついていた街が、一気に方向を変える。
“王家が保証するなら、偽薬は危険だ”
“回収に協力しよう”
“ミントは敵じゃない”
流れが、少しずつ、でも確かに変わっていく。
ミントは、震える指を握りしめた。
(ありがとう)
その言葉を声に出す余裕はない。
でも胸の奥で、確かに言った。
◇
夕方。
回収作戦は進み、偽薬の流れは目に見えて鈍った。
だが――止まったわけではない。
最大ロットは、まだどこかにある。
その時。
宮廷薬師団の棟の前に、黒い外套の男が現れた。
護衛が止めるが、男は歩みを止めない。
そして、淡々と告げた。
「通せ」
声が、よく通る。
貴族の声。
官僚の声。
命令の声。
サフランが前に出た。
「……ナツメグ」
名を呼ばれた男は、口角を上げた。
整えられた黒髪。
無駄のない所作。
目の奥にある冷たい計算。
ミントは、背筋がぞくりとした。
この男は、刃物みたいに“人を扱う”匂いがする。
ホップが低く言う。
「やっと表に出てきたか」
ナツメグは、ゆっくりと視線をミントに向けた。
「君が“田舎の奇跡薬師”か」
ミントの喉がきゅっと縮む。
でも、逃げない。
「……あなたが、偽薬の黒幕ですか」
ミントが問うと、ナツメグは笑った。
乾いた笑い。
「黒幕? ふふ、言い方が幼い」
彼は両手を軽く広げる。
「私はただ、“現実”を見せているだけだ」
セージが、階段の上から降りてくる。
「現実?」
「改革など夢物語だ、殿下」
ナツメグの声が、鋭くなる。
「民はすぐに噂に踊り、恐怖に縋る。
王家が保証すると言ったところで、傷ついた信用は戻らない」
彼の目が光る。
「あなたは、国を変えたいのでしょう?
だが、変化は必ず歪みを生む。
その歪みを、私は利用する」
セージの表情が硬くなる。
「利用して、何を得る」
ナツメグは笑う。
「秩序」
その言葉が、ぞっとするほど冷たい。
「変化のない秩序。
動かない階級。
守られるのは、古い仕組みと、古い特権だ」
ミントは、胸の奥が熱くなるのを感じた。
怒りだ。
人の命を使って、秩序を語るな。
「……あなたは」
ミントの声が震える。
「人を薬で殺しかけて、秩序って言うんですか」
ナツメグの目が、ミントを測るように細くなる。
「殺し? ふふ、殺していない。まだ」
その言い方が、最悪だった。
まるで、命が計算の中の数字みたいに扱われている。
サフランが一歩前に出る。
「次のロットの場所を言え」
ナツメグは肩をすくめた。
「言うわけがないだろう」
そして、ゆっくり笑う。
「探せ。
君たちが必死に探している間に、王都は揺れる。
揺れれば揺れるほど、改革派は弱る。
……それで十分だ」
ナツメグは踵を返した。
護衛が止めようとするが、彼の背後から別の役人が現れ、紙を掲げる。
「彼は監査権を持つ者だ。ここで拘束すれば、宮廷はさらに混乱する」
ホップが歯噛みする。
セージの目が細くなる。
捕まえられない。
ここで捕まえれば、“王家が暴走した”という噂が広がる。
ナツメグは、その状況すら計算している。
ナツメグは振り返らず、ただ一言だけ投げた。
「田舎娘」
ミントの胸が跳ねる。
「君の名は、君のものではない。
王都に来た時点で、もう“皆の玩具”だ」
その言葉が、心を殴った。
でも、ミントは睨み返した。
「……違う」
声は小さい。
でも、確かに言った。
「私の名は、私が取り戻します」
ナツメグの足が、一瞬だけ止まった気がした。
そして、何も言わずに去っていく。
夕暮れの王都に、影が伸びた。
偽薬事件は、頂点に達した。
王都の危機は、まだ終わっていない。
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※このお話は、日常系のギャグです。
※小説家になろう様にも掲載しています。
※2024年5月 タイトルとあらすじを変更しました。
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