異世界OLは忙しい、ざまぁも恋もプロジェクト管理で制覇します

タマ マコト

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第12話 薄笑いの上司が異世界に来た日、私の背中が凍った

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王城の会議を終えてギルドに戻った日、空気が少しだけ軽くなっていた。

私は“続けて”というたった三文字を、胸の内側に小さく折り畳んで持ち帰った。
それだけで、背筋が伸びる。
それだけで、明日の黒板を更新する手が止まらない気がした。

センパイは私を見るなり、口を尖らせた。

「おかえり。どうだった、王城。生きてる?」

「生きてます。胃が死にかけましたけど」

「胃が死ぬのはいつものことだよね」

「異世界でも胃だけは日本人です」

「意味わかんない」

二人で笑い合って、少しだけ肩の力が抜ける。
現場は相変わらず忙しい。
でも、忙しさの中に“道”ができてきた。列ができて、担当が固定されて、チェックリストが回って、誰かが死ぬ確率が下がっていく。

私は、それで十分だと思っていた。

——その日までは。

昼前。
いつものように黒板を更新し、流入と完了の差分を書き足していると、ギルド長が奥の部屋から飛び出してきた。

「おい!お前ら!王城から使いが来るぞ!」

使い。
王城。
私の胃がまた縮む。

職員たちがざわめく。
冒険者たちも振り返る。
誰もが“上の空気”に敏感だ。上が来ると、現場は簡単に潰される。経験でわかっている。

扉が開いた。

現れたのは、昨日のような静かな視察団ではなかった。
華やかで、騒がしくて、明らかに“イベント”の匂いがした。

衛兵たちの列。
侍女たち。
魔法使いのローブ。
そして、会議室で見た王族の一人——若い王子らしき男が、にこやかに歩いてくる。

「諸君、今日は良い知らせを持ってきた」

王子の声はよく通る。甘い。人を安心させる種類の声。
その甘さが、私は少し苦手だ。甘い声の後には、だいたい苦い話が来る。

ギルド長が慌てて頭を下げる。

「お、お迎えできず申し訳ありません!」

「よいよい。ギルドの改革が進んでいると聞いた。綴原ペンナもいるな?」

いきなり名前が飛んできて、心臓が嫌な跳ね方をする。
私は一歩前に出て、頭を下げた。

「はい。綴原ペンナです」

王子がにこっと笑う。

「君の働きは、会議でも話題だ。だが……今日はもう一つ。異界より、新たな者が召喚された」

異界より。
新たな者。

その言葉の瞬間、背筋に冷たいものが走った。

私は、理由もなく怖くなった。
“異界から来た者”という括りの中に、私が入る。
そこへもう一人増える。
それは仲間かもしれない。味方かもしれない。
でも——直感が言う。違う、と。

王子が手を振る。

「入れ」

衛兵が左右に開き、ひとりの男が前へ進む。

その姿を見た瞬間、世界が一度、無音になった。

耳が塞がれたみたいに、音が遠ざかる。
視界の端が暗くなる。
胃が、落ちる。

男は——黒崎マーカーだった。

現代の私の上司。
私の成果を塗り潰し、波線付きで仕事を投げ、最後に「空気がね」で追放した男。

異世界の衣装すら似合っていた。

王城から渡されたのだろう、上質な布の外套。肩のラインが綺麗に出て、彼の身体を“できる男”に見せる。髪は丁寧に整えられ、口元には薄い笑み。
あの笑み。
私の心臓を冷やした、あの薄笑い。

黒崎は周囲を一瞬見渡した。

その目の動きだけで、彼が“状況を理解した”のがわかる。
誰が偉いか。誰が権力を持つか。誰に媚びれば得をするか。
それを嗅ぎ分ける嗅覚が、彼にはある。現代でもそうだった。

黒崎は王子に向かって、恭しく頭を下げた。

「お招きいただき光栄です。黒崎と申します。異界では……ええと、組織の“管理”をしておりました」

管理。

その単語が出た瞬間、背中が凍る。
管理?
お前が?
管理のふりをして、人を使い潰しただけのくせに。

私は、奥歯を噛みしめた。
歯の根が痛い。

王子が興味深そうに言う。

「管理、とな。まさに今、王国に必要な知恵だ。君ならギルドの改革も——」

黒崎が、柔らかく笑う。

「はい。実はすでに、こちらの綴原さんに少し助言をしておりまして」

——助言。

空気が、ざわっと揺れた。

センパイが「え?」と声を漏らす。
精算担当の男が私を見る。
依頼審査の女性が眉を寄せる。
装備管理の年配男が「はぁ?」という顔をする。

私は、一瞬、言葉を失った。

助言?
してない。
会ってない。
この世界で初対面だ。

でも黒崎は、平然と嘘を吐く。
吐くというより、吐息みたいに自然に語る。
その自然さが一番厄介だ。人は、自然な嘘を信じる。

王子が目を丸くする。

「ほう。すでに」

黒崎は、薄笑いのまま言葉を重ねる。

「ええ。彼女は優秀ですからね。ちょっと方向性を示してあげるだけで、すぐ形にする。ほら、こういう“見える化”とか、“担当の固定”とか」

黒板を指し示す。
名札を見て頷く。

私の血が、すっと冷える。

“方向性を示してあげるだけ”

その言い方。
現代でも同じだった。
私が作った資料を、黒崎が上に報告するとき、いつもそう言った。

「部下が頑張ってくれてね。僕が方向性を示したんだ」

そして評価は、彼のものになる。

同じだ。
色を変えた悪夢が、異世界にまで追いかけてきた。

私は口を開こうとした。
違う、と。
嘘だ、と。

でも、喉が固まって声が出ない。
現代の記憶が喉を締める。
会議室で、私が反論しようとして、黒崎に「空気読め」って目で黙らされたあの瞬間。
体が覚えている。黙る癖を。

王子は満足げに笑った。

「なるほど。では、黒崎。君には王城の改革にも関わってもらおう。現場を導ける者が必要だ」

黒崎が、深く頭を下げる。

「光栄です。王国のために尽力いたします」

尽力。

その言葉の軽さに吐き気がする。
尽力するのは、いつも現場だ。
口だけの人間が“尽力”を名乗るな。

センパイが私の袖を引いた。小声。

「新人……あれ誰?知ってる?」

知ってるよ。
知りすぎてる。
骨の髄まで。

「……前の世界の、上司」

絞り出すと、センパイの目が一瞬で鋭くなった。

「は?上司?……嫌なやつ?」

「……最悪」

センパイが舌打ちした。
現場の舌打ち。
頼もしい舌打ち。

でも、今は舌打ちでは足りない。
黒崎はもう王子の隣に立っている。
王子の言葉を受ける位置。
私より上の位置に、自然に移動している。

それが、怖い。

王子が視線を私に戻す。

「綴原ペンナ。君も引き続きギルドを支えよ。黒崎と協力してな」

協力。
その言葉が針みたいに刺さる。
協力?
この男と?
私の成果を奪う男と?

私は笑顔を作った。
現代の“平気です”の顔が、勝手に貼り付く。

「……承知しました」

声が、自分のものじゃないみたいだった。

王子たちは去っていく。
黒崎は最後に、私の方をちらりと見た。

そして——

歩きながら、すっと私の近くに寄る。
周囲が気づかない距離。
耳元に、息が触れる。

香水の匂い。
現代のオフィスの匂いがする。
異世界の汗と紙の匂いの中で、異物みたいに浮く匂い。

黒崎が囁いた。

「相変わらず便利だね、ペンナちゃん」

その瞬間、背中に氷水を流し込まれたみたいに全身が冷えた。

便利。

便利、って言葉は、私を道具にする言葉だ。
助かるわ~、の裏にある本音。
人を人として見ない目。

私は、反射で一歩引いた。
でも、引けない。ここはギルド。王城の使いがいる。
私が感情的になれば、黒崎はそれを利用する。

黒崎は薄笑いを深める。

「こっちでも、よろしく」

言葉は丁寧なのに、目が笑っていない。
笑っていないというより、楽しんでいる。私が凍るのを。

私は、喉の奥で血の味がするのを感じながら、低く返した。

「……こちらこそ」

嘘だ。
嘘だとわかっているのに、嘘を言う自分が嫌になる。
でも、今は耐えるしかない。

黒崎が去る。
外套の裾が揺れる。
異世界の衣装が、彼の薄笑いに不気味に似合っている。

扉が閉まる。
王城の一団が完全にいなくなってから、ギルドの空気が戻った。
でも、私の中は戻らない。

センパイが私の肩を掴んだ。

「新人、大丈夫?顔、真っ白」

「……大丈夫」

嘘。
大丈夫じゃない。

精算担当の男が怒ったように言う。

「さっきのあいつ、なんだよ。『助言した』って。意味わかんねぇ」

装備管理の年配男が低く唸る。

「臭ぇ。ああいうのは臭ぇ」

依頼審査の女性が小さく言った。

「……嘘、ですよね」

私は、やっと頷けた。

「嘘です」

言葉にした途端、胸の奥が少しだけ楽になる。
現実が形になる。
嘘が嘘だと認められる。
それだけで、私は少し息ができた。

でも、同時に怖い。

黒崎は、王子の横に立った。
王城に入り込んだ。
そして、私の成果を自分のものとして語った。

現代の悪夢が、色を変えて再来した。

私は黒板の前に立った。
チョークを握る手が、震える。
粉が指に付く。
白い粉が、コピー用紙の白さを思い出させる。

私は深く息を吸って、黒板に今日の流入と完了を追加した。
線を引く。
数字を書く。

仕事は、止めない。

止めた瞬間に、逆流する。
ルーラの言葉が、胸の中で鳴る。

でも、今度の逆流は、ただの混乱じゃない。
黒崎という毒が混ざった逆流だ。

私は、顔を上げた。

目の前にはいつものギルド。
でも、世界が一段、冷たくなった気がした。

そして私は、心の中で小さく呟いた。

——また、始まった。
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