異世界OLは忙しい、ざまぁも恋もプロジェクト管理で制覇します

タマ マコト

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第14話 消される前に、写しを取る

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最初の違和感は、硬貨の音だった。

ギルドの精算窓口には、いつも金属の鳴る小さなリズムがある。袋の口を締める音、硬貨が掌から掌へ移る音、安堵の息が混じる音。
それがあるだけで、「今日も誰かが生きて帰って、報われた」という最低限の実感が残る。

なのに、その日——硬貨の音が、途切れていた。

代わりに響いていたのは、机を叩く音。

ドン、ドン、ドン。

「おい!支払いは!?」
「三日待ってる!まだか!」
「ふざけんな、俺の飯代どうすんだよ!」

怒鳴り声は、久しぶりに“刃”の形で飛んでいた。
以前の、ただの喧騒じゃない。
誰かの生活が削れて、骨が見え始めた怒り。

私は黒板の前でチョークを止めた。
指先に粉がついたまま、精算窓口の方を見る。

精算担当の男——名札には【精算】とある——が、青い顔をしていた。
額に汗。目が泳ぐ。唇が乾いている。
彼は、いつもなら舌打ちしながらも手を動かす。なのに今日は、手が止まっている。

「……どうしたの」

私が近づくと、彼は声を落とした。

「金が、出せねぇ」

「……え?」

「袋はある。印もある。完了印もある。だけど、“支払い保留”って紙が上から来た」

支払い保留。

胃が、冷たくなる。

「誰の指示?」

彼は、視線を逸らした。逸らした先に、ギルド長の部屋がある。
でも私はわかってしまった。ギルド長の指示ではない。あの人は「面倒」なことを考えない。誰かが考えて、誰かが書いた紙を、勢いで押し付けるだけだ。

「……黒崎だ」

精算担当の男が、吐き捨てるように言った。

黒崎マーカー。

その名前が、空気を腐らせる。甘い香水が一段濃くなる気がした。
私は一瞬、目の奥が熱くなる。怒りで視界が白くなる感覚。
でも、叫ばない。叫んでも意味がない。

「保留の理由は?」

「“確認中”だってよ」

「確認って何を」

「知らねぇよ!説明がねぇ!」

精算担当の男が、机を叩きそうになって、必死で抑える。
その拳が震えているのを見て、胸が痛んだ。

私は深呼吸をひとつして、黒板に目をやった。

未払い件数。
今日の完了件数。
数字が、また悪い方向へ跳ねる予感がした。

その時、カウンターの向こうの冒険者が私に気づいた。

「おい、あんた!」

怒鳴り声が、一直線に飛んでくる。

「最近、仕組みが良くなったって聞いたのに、これかよ!俺らの金、どこ行った!」

私は目を逸らさずに答えた。

「今、確認します。依頼番号と日付、パーティ名をください」

冒険者が苛立ちで鼻を鳴らす。

「そんなの、前は聞かれなかった!」

「前は、踏まれて消えてました。今は、消えないように確認します」

「……面倒くせぇ!」

面倒くさい。
その言葉は、ギルドに最初からある。
でも今の「面倒くさい」は、違う色をしていた。怒りの色。失望の色。裏切りの色。

私は喉が痛くなるのを感じながらも、淡々と紙を引き寄せた。

「面倒でも、必要です。あなたの報酬を取り戻すために」

冒険者が一瞬だけ黙り、渋々答える。

「鉄牙。狼の巣。……七日前だ」

七日前。
本来なら、とっくに精算が終わっているはずの案件。

私は黒板の【精算】欄に書き足した。太く。

【精算】鉄牙 狼の巣/7日前/保留

その文字を書いた瞬間、背中に視線が刺さった。
職員たちの視線。
冒険者たちの視線。
“見える化”は、今は刃にもなる。見えるから、責められる。

昼を過ぎる頃には、クレームが膨らんだ。

「チェックリストなんてやってる暇あるなら金出せ!」
「名札?黒板?そんなのどうでもいい!」
「結局遅いじゃねぇか!」

現場の空気が、また荒れ始める。
そして、それは必ず内側へも波及する。

職員が、ぶつぶつ言い始めた。

「……やっぱり、ペンナの仕組み、面倒だったんじゃない?」
「昔みたいに、臨機応変に回したほうが……」
「こういう管理があるから遅れるんだよ」

背中に、囁きが刺さる。

出しゃばり。
面倒。
空気読め。
そして今は——

「仕組みが悪い」

それは、私自身を否定する言葉だった。

私の心が、ぐらつく。

正しさって、何だろう。

私が整えたことで、誰かが苦しむなら?
私が線を引いたことで、誰かが窒息するなら?
黒板に書くことで、未払いが“目立って”、怒りが増えるなら?
名札で責任を固定したことで、逃げ場がなくなって、現場が折れるなら?

——私の正しさが、誰かを苦しめるなら。

胸の奥が、紙やすりで擦られるみたいにざらつく。

センパイが、カウンターの裏で小さく舌打ちした。

「……これ、絶対おかしい。急に支払い止まるとか、ありえない」

「……黒崎が絡んでる」

私が言うと、センパイの目が鋭くなる。

「だよね。あいつ、何したいの?」

何したい?

簡単だ。
失敗を作りたい。
私が作った仕組みが“ダメだった”ことにしたい。
そして、「ほらね」って顔で自分が救ったことにしたい。

現代でも同じだった。
問題をわざと作り、部下に押し付け、最後に自分が“火消し”として褒められる。

黒崎は、火を作れる人間だ。
火を作って、火消しの顔ができる。
最悪の才能。

私は、叫びたくなるのを抑えた。
叫んだら、黒崎の思う壺だ。
「感情的だね」で終わる。

その代わりに、私はログを開いた。

手帳。
議事録。
指示書。
受領印。
承認印の履歴。

「精算担当」

私は低く言った。

「支払い保留の紙、見せて」

精算担当の男が、震える手で紙を差し出す。
紙の上部には、王城の紋章に似た押印。
そして、署名欄——

黒崎マーカーの名前。

私の喉が、ひゅっと鳴った。

「……日付」

確認する。
今日ではない。二日前の日付。
二日前から、仕込まれていた。

私は手帳に書く。

・精算保留指示書 受領:◯月◯日
・署名:黒崎マーカー
・対象:複数案件(一覧添付なし)
・理由:確認中(詳細なし)

「これ、対象一覧がない。つまり、現場が“判断”しろって投げられてる」

センパイが歯を食いしばる。

「最悪。責任だけ押し付けてる」

私は頷いた。

「だから、現場が悪いみたいに見える」

私は、静かに決めた。

これは“失敗”じゃない。
失敗を演出されている。

なら、演出の糸を切るのは、感情じゃなく記録だ。

私は精算担当の男に言った。

「この紙、写しを取って。今日の日付で、受領印も押して。できれば、誰が渡したかも書く」

男が目を丸くする。

「写し……?」

「同じ内容をもう一枚書く。こっちの控え。消されても残るように」

「消されるって……」

「消される。絶対」

私は断言した。
なぜなら、黒崎はそういう人間だから。
自分に不利な紙は、必ず“消える”。

夕方、現場は疲弊した。

冒険者の怒鳴り声で喉が枯れ、職員は目の下に影を増やし、黒板の【精算】欄は嫌な文字で埋まっていく。
私の手は動く。動くけど、心が追いつかない。

「……こんなの、続ける意味ある?」

誰かが小さく言った。
名前はわからない。古株の一人だ。
その一言が、私の背中を押す。

押す方向が、崩れる方向だ。

私の心が、ふらりと傾く。

私の正しさは、間違いだったのか。
私が整えた世界は、逆に人を苦しめたのか。
誰も幸せにならないなら、意味がないじゃないか。

ギルドの喧騒の中で、私だけ音が遠くなる。
耳の奥で、現代の通知音が鳴る。
ピロン。
ピロン。
「至急」
「今日中」
「空気がね」

喉が、きしむ。

その夜、宿舎に戻っても、布団に潜る気になれなかった。
机の上にログを広げ、ランプを灯す。
薄い光が、紙の端を照らす。
影が揺れる。心も揺れる。

私は、指先を見つめた。

段取り。整理。記録。
それが私の魔法だと信じてきた。
でも今、その魔法が、誰かを縛っているように見える。
縛られて苦しむ声が、胸に刺さる。

「……私、間違ってるのかな」

口に出した瞬間、涙が出そうになった。
泣きたくない。泣いたら、また薄いコピー用紙に戻る気がする。

コン、コン。

扉が叩かれた。

こんな夜に?
私は慌てて涙を飲み込み、返事をする。

「……はい」

扉が開いて、顔を出したのは——イレーだった。

ギルドの書記補佐。
小柄で、髪は淡い栗色を耳の後ろでまとめている。
目が大きくて、いつも少し怯えたように周りを見る。
でも、その目の奥には、紙を扱う人だけが持つ粘り強さがある。

彼女は両腕いっぱいに紙束を抱えていた。
紙がずり落ちそうで、必死に抱え直している。

「……ペンナさん」

「イレー?どうしたの、こんな時間に」

イレーは、息を整えてから、私の机の上にその紙束をそっと置いた。
紙の端が揃えてある。紐でまとめてある。
几帳面なまとめ方。イレーの性格が出ている。

「これ……」

「何、それ」

イレーは、少しだけ唇を噛んだ。
怖いのかもしれない。
でも、言うべきことを言う顔をしていた。

「消される前に、コピー取っといた」

コピー。

この世界でその言葉を聞くのは変なのに、不思議と違和感はなかった。
イレーが言っているのは“写し”だ。
原本を見て、同じ内容をもう一枚作る。
消えても残る、もう一つの現実。

私は、息が止まった。

紙束の一番上をめくる。
そこには——支払い保留指示書の写し。
黒崎の署名。日付。受領印。
そして、会議の議事録の写し。
指示内容の控え。
承認印の使用履歴の写し。

全部、日付と署名付きで。

私の喉の奥が、熱くなる。

「……これ、誰が」

イレーは小さく答えた。

「私。……ペンナさんがログ残してるの、見てました。だから、必要だと思って」

必要だと思って。

その言葉が、胸の奥の乾いた部分に水を落とした。
ルーラの「合理的だ」と同じ種類の潤い。
でも、もっと柔らかい。
人の手の温度がある。

私は、指先で紙の角をなぞった。
紙がざらりと指に触れる。
現代なら当たり前の“控え”が、ここでは命綱になる。

涙が出そうになる。

「……ありがとう、イレー」

声が震えた。

イレーは、少しだけ顔を赤くして、でも目を逸らさずに言った。

「ペンナさん、間違ってないです」

「……どうして、そう言えるの」

イレーは紙束を見下ろした。

「だって、書いてある。……嘘じゃない」

紙は嘘をつかない。
その言葉を、私は何度も自分に言い聞かせてきた。
でも今日、その言葉はイレーの声で私に戻ってきた。

私は、こらえきれずに笑いそうになった。
笑いと泣きが一緒に来る。
胸の奥が痛いのに、温かい。

「……優しいね」

イレーは慌てて首を振る。

「優しいとかじゃないです。怖いんです。……消されて、ペンナさんが悪者になるの、嫌だから」

悪者。

その単語が、現代の傷を撫でる。
空気がね、で切られた夜。
便利だね、で道具にされた私。

でも今、イレーの紙束がある。
消されない現実がある。

私は、深く息を吸った。
涙がこぼれそうで、喉が震える。
でも、こぼれてもいい気がした。

「……イレー。これ、私の火種になる」

イレーが目を丸くする。

「火種……?」

「うん。消せない火。……優しさって、火種になるんだね」

イレーは困ったように笑った。
小さな笑い。
それが、夜の静けさに溶ける。

私は紙束を抱えた。
重い。でも、この重さは嫌じゃない。
死の紙じゃない。嘘を殺す紙だ。

心のぐらつきが、少しだけ戻る。
正しさが、誰かを苦しめるなら?——その問いは消えない。
でも、少なくとも今、正しさが“誰かを守る”形で存在している。

それが、私の呼吸を少し楽にした。

「……明日も、やる」

私が言うと、イレーは小さく頷いた。

拍手じゃない。
大げさな励ましじゃない。
でも、確かな頷き。

私はランプの灯りの下で、紙束の一番上に今日の日付を書き足した。

消されないように。
迷わないように。
そして、私が私でいられるように。
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