妹に全て奪われて死んだ私、二度目の人生では王位も恋も譲りません

タマ マコト

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第20話 譲らない、という名前の誓い

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 —―—―—―—―—―—―——―—―—
 王冠は、冷たかった。

 黄金は本来、太陽の色をしているはずなのに。
 額に触れた瞬間、金属の冷たさが骨まで染みて、息が一瞬だけ止まる。
 その冷えが、前世の毒の冷えと重なった。
 喉の奥がひりつき、胸の奥に針が落ちる感覚が蘇る。

 ――でも、今回は違う。

 私は倒れない。
 誰かに運ばれない。
 誰かの都合で物語を終わらせられない。

 私は、立っている。
 守られる側ではなく、選ぶ側として。
 ―—―—―—―—―—――――—―—―

 戴冠式の日。

 大聖堂の天井は高く、ステンドグラスの光が床に色の海を作っていた。
 青、赤、金、紫。
 その色が揺れて、まるで神が呼吸しているみたいに見える。
 香の煙が細く伸び、祈りの声が遠くで重なり合う。

 正面の祭壇に向かって、私は一歩、また一歩と進んだ。
 ドレスの裾が床を撫でる音が、やけに大きく聞こえる。
 この一歩ごとに、過去の私が剥がれていく。
 泣いて譲った私。
 笑って耐えた私。
 毒の甘さに溺れた私。

 その全部が、今の私の背中にいる。
 背中にいるから重い。
 でも重いから、倒れない。

 司祭が厳かな声で告げる。

「セレスティア・ヴァルディア。あなたは王として、民を守ることを誓いますか」

 誓う。
 この言葉は軽い。
 口にするだけなら簡単だ。
 でも私は“紙の誓い”を信じない。
 信じるのは、手続きと現実だ。

 私は息を吸い、答えた。

「誓います。……守るための制度ごと」

 ざわめきが、ほんのわずかに波打つ。
 貴族たちはまだ、制度という言葉を嫌う。
 でも、嫌っているだけでは変わらないことを、彼らも知り始めている。

 父王レオニスが、王冠を持っていた。
 その手は震えていない。
 震えていないのが、痛い。
 父は今、沈黙の鎧を脱いだ。
 脱いだ分、背筋を伸ばしている。
 遅すぎる成長。
 でも成長は、ないよりましだ。

 父は私の前に立ち、声を絞り出すように言った。

「セレスティア……国を頼む」

 それは命令じゃない。
 委ねる言葉。
 そして、彼自身が一歩退く言葉。

 私は父の目を見た。
 そこに罪悪感がある。
 悔いがある。
 でも同時に、初めての尊敬がある。
 娘を“飾り”ではなく、“王”として見ている目。

「はい」

 私は短く答えた。
 多くを言わない。
 今は、前に進む時間だ。

 王冠が額に置かれた。

 冷たい。
 重い。
 その重さは、鎖の重さじゃない。
 選択の重さだ。
 これから誰かを守るために、誰かの恨みを引き受ける重さ。
 誰かの空腹を数字で見て、誰かの死を紙で受け止める重さ。

 私はその重みを、額で受け止めた。
 受け止められる。
 私は死んで戻った。
 だから、怖さに名前がある。
 名前があるものは、抱えられる。

 司祭が高らかに宣言する。

「女王セレスティア、ここに即位!」

 鐘が鳴る。
 大聖堂の空気が震え、光が揺れる。
 拍手が起きる。
 祝福の拍手。
 計算の拍手。
 恐怖の拍手。
 それらが混ざり合って、ひとつの大きな音になる。

 私はその音の中で、ただ目を閉じずに前を見た。

 *

 式が終わり、王城の廊下は再び忙しさを取り戻した。
 侍女が走り、侍従が頭を下げ、貴族が笑う。
 でも今日は、笑いの質が少し違う。
 女王がいる笑いだ。
 寄りかかれる影が、少し薄くなった笑いだ。

 私は私室へ戻り、王冠を外して机に置いた。
 額が軽くなる。
 軽くなると、逆に心が震える。
 重みがある間は立っていられたのに、外すと人に戻る。

 ルーナが、そっと言った。

「女王陛下……」

 その呼び名に、まだ違和感がある。
 違和感があるのは、悪いことじゃない。
 違和感がなくなった時、人は権力に慣れてしまう。

「ルーナ。今はセレスでいい」

 ルーナが涙ぐんで笑った。

「……はい、セレス様」

 扉がノックされる。
 来客。
 今は誰でも会いたくない。
 でも会うべき人が一人いる。

「入って」

 扉が開き、ミレイアが立っていた。

 彼女は、今日のための華やかなドレスではない。
 旅装束。
 淡い色のマント。
 髪はまとめられ、飾りは少ない。
 それだけで分かる。
 彼女は決めた。
 王家を離れる、と。

 ミレイアは私を見るなり、膝をつきかけて止まった。
 迷ったのだろう。
 姫として膝をつくべきか、妹として立つべきか。
 彼女は今日、その選択を自分でしている。

「……お姉さま」

 その呼び方が、少しだけ幼い。
 でも前より正直だ。

「行くの?」

 私は静かに聞いた。
 問い詰めない。
 引き止めない。
 裁かない。

 ミレイアは頷いた。
 喉が震えている。

「うん。……修道院とか追放とか、そういうのじゃなくて……自分の人生を作りたい」

 自分の人生。
 その言葉が、胸に刺さる。
 彼女は今まで、自分の人生を持っていなかった。
 誰かの希望。
 誰かの飾り。
 誰かの手のひらの上。

「怖い?」

 私が聞くと、ミレイアは小さく笑った。
 涙が滲む笑い。

「怖いよ。……でも、怖いままで行く」

 その言葉に、私は息を吐いた。
 私が証言者に言った言葉。
 妹が自分のものにした言葉。

「どこへ」

「南の港町から船に乗る。……まずは、名前を隠して働いてみる。自分が何者か、王女じゃないところで確かめたい」

 ミレイアは私の目を見た。
 その目に、罪と恐怖と、ほんの小さな希望が混じっている。

「……お姉さま。私、許されたいわけじゃない。許される資格がないのも分かってる」

 私は黙って聞く。
 許すと言えば軽い。
 裁くと言えば簡単。
 でもどちらも、彼女から“選ぶ力”を奪う。

 ミレイアは続けた。

「でも、裁かれるだけだと……また誰かの人生になる。だから……選びたい」

 私は頷いた。

「いいよ」

 ミレイアが目を見開く。
 “許された”と思ったのだろう。
 違う。私は許していない。裁いてもいない。

 私は言葉を補う。

「許すとも裁くとも言わない。ただ、あなたに選択を渡す」

 ミレイアの唇が震える。
 そして、彼女は深く頭を下げた。
 それは謝罪じゃない。
 決意の礼だった。

「……ありがとう」

「ありがとうは、いらない」

 私は静かに言った。
 ありがとうは借りになる。
 借りは鎖になる。
 彼女には鎖を持ってほしくない。

「生きて。自分の人生を」

 ミレイアは泣きながら笑った。

「……うん。お姉さまも」

 そう言って、彼女は踵を返した。
 振り返らない。
 振り返ったら、また檻に戻るから。
 彼女は走らない。
 ゆっくり歩く。
 その歩幅が、自分のものになっている。

 扉が閉まる。
 その音は、寂しさの音でもある。
 でも寂しさは悪いことじゃない。
 寂しさは、誰かを人として見ていた証拠だ。

 私は窓辺に立ち、港へ続く道の方角を見た。
 ミレイアが今夜のうちに王城を出る。
 その背中が、闇に溶けていくのを想像する。

 妹は加害者で、被害者でもある。
 その矛盾を抱えたまま、私は王になる。
 王は、矛盾を切り捨てられない。
 矛盾を抱えたまま、進むしかない。

 *

 夜。

 式典の喧騒が消えた王城は、別の顔を見せる。
 廊下の灯りが少なくなり、音が吸い込まれ、石の冷たさが戻る。
 私は一人で城壁の上へ向かった。

 城壁の上は風が強い。
 夜風が髪を揺らし、頬を冷やし、衣の隙 間から肌に入り込む。
 冷たいのに、気持ちいい。
 冷たいと、嘘が剥がれる。

 王都の灯りが下に広がっている。
 星みたいに、ぽつぽつと。
 それぞれの灯りの中に、生活がある。
 笑いも、涙も、喧嘩も、祈りも。
 それを守るのが私の仕事だ。

 足音が近づいた。
 静かで、しかし気配が強い。

「ここにいた」

 カイ・ノクティス。
 黒い外套。夜みたいな目。
 王城の光の中でも、彼は影のままだ。

「跪かないの?」

 私が冗談めかして言うと、カイは鼻で笑った。

「跪いたら、俺じゃなくなる」

「そう」

 私は頷いた。
 跪かれると、私はまた“上”になる。
 上になると、孤独になる。
 今夜は孤独じゃなくていい。

 カイは城壁の縁に肘をつき、下の灯りを見た。

「……女王になったな」

「なったよ」

「重いか」

「重い」

 即答した。
 軽いふりはしない。
 重いものは重い。
 それを重いと言えるのが、私の今の強さだ。

 カイは短く言った。

「でも、お前は立てる」

「うん。立つ」

 沈黙が落ちる。
 冷えた夜風の中で、沈黙は音楽みたいに心地いい。
 言葉がなくても、崩れない沈黙。

 私はふと思った。
 前世の私は、沈黙が怖かった。
 沈黙は拒絶だと思っていた。
 でも今は違う。
 沈黙は、息を整える場所にもなる。

「カイ」

「ん」

「あなたは、王配にはならない」

 それは確認でも宣言でもなく、ただ事実だった。
 彼は影だ。
 影を光に引きずり出したら、影は死ぬ。

 カイは肩をすくめる。

「なる気もない」

「命令もしない」

「知ってる」

 その言葉が、胸の奥をほどく。
 命令しない。
 命令しない関係。
 それは私がずっと欲しかったものだ。

 私は、そっと手を伸ばした。

 指先が、風に揺れる。
 冷たい空気が指の間をすり抜ける。
 躊躇が、ほんの少しだけ胸に引っかかる。
 女王が、手を伸ばしていいのか。
 でも私は、女王である前に人だ。

 カイは躊躇しなかった。
 彼も手を伸ばし、指先が触れた。

 触れた瞬間、体温が重なる。
 冷えた夜風の中で、体温だけが確かだ。
 確かだから、涙が出そうになる。
 でも泣かない。
 今夜の涙は、弱さじゃなく、呼吸になるから。

「……暖かい」

 私が小さく言うと、カイは短く返す。

「人間だからな」

「あなた、ほんとに言い方が可愛くない」

「褒めてるつもり」

「嘘」

「嘘じゃない」

 その掛け合いが、私の胸を少しだけ軽くした。
 女王の言葉じゃない。
 ただの会話。
 ただの夜。

 私は王都の灯りを見下ろしながら、心の中でゆっくり言葉を整えた。

 王位も恋も、譲らない。
 それは、誰かから奪う宣言じゃない。
 傲慢な誓いでもない。

 奪われた自分を、二度と手放さない誓いだ。

 毒で終わった私。
 譲って笑った私。
 守られることに甘えて死んだ私。
 その全部を、今の私が抱きしめる。

 手放さない。
 もう誰にも、勝手に奪わせない。

 城壁の上で、夜風が私たちを包む。
 風は冷たい。
 でも指先は温かい。
 その温かさが、明日を生む。

 私は目を閉じずに、夜を見た。

 そして静かに思った。

 ――生きる。
 ――譲らない。
 ――私のままで。
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