妹に全て奪われて死んだ私、二度目の人生では王位も恋も譲りません

タマ マコト

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第43話 譲らない、という名前の仕事

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 夜明け前の王城は、音が少ない。

 廊下の灯りは落とされ、足音は吸い込まれて、窓の外の風だけが、石に擦れて細い音を立てる。
 眠っているようで、眠っていない城だ。
 人が増え、制度が増え、責任が増えたぶんだけ、城は簡単に静かになれない。

 私は執務室の扉を押し開け、灯りを一つだけ点けた。
 机の上に積まれた書類が、光の輪の中に浮かぶ。

 火事は、ローヴェン州の倉庫と藁と壁の一部で止まった。
 止まったのに、止まっていない。

 煙は、数字になって戻ってくる。
 焦げ跡は、手続きの遅れになって戻ってくる。
 焼けた藁は、誰かの眠れない夜になって戻ってくる。

 扉がノックされた。

「入って」

 ルーナが顔を出した。
 目の下に薄い影。けれど、背筋は真っ直ぐだ。

「陛下……今朝の報告と、署名待ちです」

「置いて。あと、朝の会合の順番、確認して」

「はい。……陛下、食事は?」

「後で。紙を片付けてから」

 ルーナは一瞬だけ口を開きかけて、やめた。
 やめて、深く頷いた。

「……分かりました。先に湯を用意しておきます」

 扉が閉まる。
 その静けさに、別の足音が混じった。

 迷いのない足音。
 王宮でそれを持てる人間は、少ない。

 扉がもう一度ノックされる。

「どうぞ」

 入ってきたのは、王室補佐官アレクシスだった。
 肩の力が抜けた服装なのに、目だけが冴えている。
 眠っていない目だ。

「朝から悪い。けど、今じゃないと捕まらないと思って」

「捕まらない、って言い方……あなたまで影みたいなこと言うの」

 私が言うと、彼は苦く笑った。

「最近、影の人間と会話する機会が増えたからね」

 机の端に置かれた書類の山を見て、アレクシスは小さく息を吐いた。

「……火事の処理、全部ここに来てる?」

「うん。来るようにした」

「押し返さないんだ」

「押し返したら、また下が潰れる」

 アレクシスは黙って頷いた。
 昔の彼なら、“穏便に”とか、“段階的に”とか言ったと思う。
 今は言わない。

「議会のほうは?」

 私が聞くと、彼は手にしていた薄い紙束を差し出した。

「これ。各家の“沈黙”の記録。出席率、決裁遅延、保留の回数。……数字にすると、逃げ道が減る」

 私は紙を受け取り、ざっと目を走らせる。

「……まだやる気のない家がある」

「やる気がないんじゃない。試してる」

「誰を?」

「君を。制度を。あと……時間」

 アレクシスは椅子に腰を下ろし、言葉を続けた。

「火事が起きた。改革疲れが見えた。だから、君が焦るかどうか。焦って大きく罰を下すかどうか。……彼らはそれを待ってる」

「待たせておけばいい」

「うん。待たせる間に、こっちは回復の手順を作る」

 彼は当たり前みたいに言った。
 その“当たり前”が、少しだけ胸に落ちる。

「……アレクシス」

「なに」

「あなた、変わったね」

 彼は一瞬だけ視線を泳がせて、すぐに戻した。

「変わらないと、ここに残れない」

「残るって言い方も、ちょっと影っぽい」

「君が“王の椅子は増やさない”って言ったから」

 彼の声は穏やかだった。
 でも、逃げ道のない穏やかさだ。

「空席が怖い人間は多い。でも、空席に座ろうとする人間はもっと怖い」

「……そう」

 私が頷くと、アレクシスは紙束の上に指を置いた。

「今日、議会に出す文言を、最後に見てほしい。責任の所在を“王の責務”として残す条文。君が引き受けた形を、制度にする」

「引き受けた形、って」

「火事の件。君が“誰かのせい”にしなかった。あれは優しさじゃない。統治だ。統治を、習慣にしないとまた同じことが起きる」

 その言葉は正しい。
 正しいけれど、重い。

 私は紙束の端を軽く叩いた。

「習慣にする。……だから今日は、誰かに“立っていた事実”を書かせる」

「反対派?」

「うん。座らない自由は残す。でも、立っていた記録は残す」

 アレクシスは頷いた。

「君は、いつも残すね」

「消したら、また同じ場所で転ぶ」

 言いながら、私はふと窓の外を見た。
 夜が薄くなっている。
 東の空が、灰色から青に変わる途中。

 扉が軽く叩かれた。

「女王陛下。監査院のリエン院長が到着しました」

 侍従ロランの声だ。
 いつも通り丁寧で、いつもより少しだけ緊張している。

「通して」

 リエン院長は、背の低い老女だった。
 背は低いのに、入ってきた瞬間に部屋の空気が締まる。
 目が鋭い。書類より鋭い。

「陛下。ローヴェン州の報告です」

「状況は?」

「火元は倉庫内の藁。広がりは壁の一部で止まりました。……ですが、止まった理由は“運が良かった”ではありません」

 リエン院長は言い切った。

「備蓄の配置と、夜間見回りの手順。あなたが変えさせた通りに動いた。だから止まった」

 私は一瞬だけ息を吐いた。
 嬉しい、とは違う。
 ただ、積んだものが崩れなかったという確認。

「被害者は」

「死者なし。負傷者は二名。煙を吸っただけで済んでいます」

 ルーナが控えめに息を呑む音がした。
 私も、胸の奥が少しだけ緩む。

 だが、リエン院長は続ける。

「しかし、原因の“仕組み”は残っています。藁がそこに集められていた理由。倉庫の夜間の搬入。帳簿に載らない移動。……港湾の残党と地方の利権がまだ繋がっている」

「切ります」

「切り方が問題です、陛下」

 老女はまっすぐ私を見た。

「あなたは壊さない。だから遅い。遅いから、周囲が疲れる」

 言葉が痛い。
 痛いけれど、必要な痛さだ。

 私は視線を逸らさずに答えた。

「では、速度を調整する。やり方は変えない。速度だけ変える」

 リエン院長は小さく頷いた。

「なら、今日の議会で“休ませる制度”も通してください。現場の回復を条文にする。善意に任せない」

「分かった」

 アレクシスが椅子から立ち上がった。

「条文、こっちで整える。リエン院長、あなたの言葉が必要だ」

「言いますよ。言わなければ、また誰かが倒れる」

 老女は淡々と答えた。
 淡々とした声ほど、強い。

 ロランが扉を開け、次の来客を告げる。

「女王陛下。ローヴェン州より、倉庫管理責任者のエミルが――」

「通して」

 入ってきた男は、頭を下げる前に膝が少し揺れた。
 眠っていない目。
 現場の目だ。

「陛下……」

「座って」

 私は椅子を示した。
 男は戸惑って、それでも座った。

「……怒られに来たと思ってたんです」

「怒鳴らない」

 私は淡々と言った。

「原因を聞きに来た。あなたの口から」

 男は喉を鳴らし、唇を噛んだ。

「……夜に、荷が動いてました」

「帳簿に載らない荷?」

「はい。載せると、上が困るって……ずっとそう言われて」

 “上”。
 その言葉は便利だ。誰の顔も出さない。

「誰が言った?」

 男は震えた。
 震えたまま、絞り出す。

「……組合の人間です。港の、名簿にいる……」

 私は机の上の名簿写しに視線を落とした。
 名簿は嘘をつかない。
 正確であるかどうかは別として、都合は映す。

「怖かった?」

 私が聞くと、男は一瞬だけ固まって、それから小さく頷いた。

「……怖かったです。家族がいる。逆らったら、仕事が消えるって」

 ルーナがそっと水を差し出した。
 男は震える手で受け取り、飲んだ。

 私は言葉を選ぶ。
 選ぶ理由は一つ。
 この男を“悪人”にしないため。
 悪人にした瞬間、仕組みが逃げる。

「あなたを罰するために呼んだんじゃない。あなたの証言を、制度の材料にする」

「……材料?」

「声。怖かった理由。誰が何を脅しにしたか。どんな書類が使われたか。全部、残す」

 男の目が潤む。
 潤んで、けれど泣かない。泣けば負けると思っている泣き方だ。

「……陛下は、俺を守ってくれますか」

 問いが、痛い。
 守れないものがあることを私は知っている。
 でも、言葉を濁したら終わる。

「守る。あなた一人に勇気を押し付けない。家族の保護もつける」

 リエン院長が頷き、アレクシスが短く言った。

「手続きは整う。書類は僕が書く。名前は残すけど、住所は残さない形で」

 男が、初めて深く息を吐いた。

「……ありがとうございます」

「ありがとうは、いらない」

 私はそう言って、少しだけ声を柔らかくした。

「生きて、話して。そこから先は私の仕事」

 男は何度も頷いた。
 頷きながら、顔を手で覆った。
 覆いながら、肩が小さく揺れた。

 *

 昼。

 議会は相変わらず鉄の匂いがした。
 火の匂いより、紙の匂いが濃い場所だ。

 私は演壇に立ち、言葉を短くした。
 説明は書類にある。
 ここで必要なのは、結論の形だ。

「ローヴェン州の件は、最小被害で止まりました。止まった理由は運ではありません。手続きが動いたからです」

 ざわめき。
 “手続きが動いた”という言葉は、責任の場所を変える。

「ただし、原因の仕組みは残っています。残っているなら、直します。壊しません。戻します」

 誰かが鼻で笑った気配がした。
 すぐに別の誰かが息を呑む。
 笑う余裕は、もう薄い。

「そして、今日から“回復”を制度に入れます」

 議場が少し静まった。

「改革が正しくても、速度を誤れば人が壊れる。人が壊れた国は、正しい制度でも腐る。だから休ませます。休ませる権限を、現場に渡します」

 反対派の顔が固まる。
 休ませる、という言葉は優しい。
 けれど、優しさは予算と人員を動かす。
 動けば、利権が揺れる。

 私は最後に言った。

「これは成果の報告ではありません。失敗の記録です。失敗を消さずに残す。それが王の責務です」

 議場の空気が少しだけ、現実に寄った。
 拍手は起きない。
 けれど、紙がめくられる音が増える。
 それでいい。

 *

 夜。

 王城の城壁の上。
 風が強い。冷たい。
 冷たいのに、頭が冴える。

 先にいたのはカイだった。
 外套の裾が風で揺れている。
 彼は振り返らずに言った。

「火、止まったな」

「止まった。……止めた、に近い」

「良い言い方だ」

 私は隣に立ち、王都の灯りを見下ろした。
 灯りの数は増えたように見える。
 でも、その中に眠れない灯りもある。

「疲れてる顔だ」

 カイが言う。

「あなたも」

「俺はいつもこんな顔」

「嘘」

 私が言うと、彼は鼻で笑った。

「……少しだけ、疲れた」

 その一言が、彼にしては大きい。
 弱音に近い言葉。
 彼は言葉を削る男だから、削らずに出た言葉は重い。

「全部は守れない」

 私が言うと、カイは短く「うん」と返した。

「でも、逃げない」

「うん」

 沈黙が落ちる。
 夜風が強くなって、髪が頬を打つ。

「ミレイアの噂、南の港町で途切れた」

 カイが言った。

「途切れた、って……」

「上手く消えた。誰かが追ってる気配はあるけど、背中は掴ませてない」

 私は息を吐いた。
 良かった、とは違う。
 ただ、誰かの人生が“道具”のまま終わらなかったことに、少しだけ安堵する。

「あなたは、相変わらず報告が雑」

「必要なとこだけ言う」

「……ありがとうは、言わない」

「言うな」

 カイはそれだけ言って、私の手元を見た。
 私が寒さで指を丸めているのを見て、彼は何も言わずに手を伸ばした。

 指先が触れる。
 体温が重なる。

「命令しない」

 私が言うと、カイは短く返す。

「知ってる」

 それだけで、胸の奥がほどける。
 命令でも依存でもない。
 役割の信頼。
 それだけで、立てる。

 私は目を閉じずに夜を見た。
 闇は怖い。怖いままでいい。
 ただし、闇に勝手に署名させない。

 *

 深夜。

 執務室に戻ると、机の上の紙が待っていた。
 待っている、という言い方は優しい。
 本当は、押し寄せている。

 ルーナが湯を運び、静かに言った。

「陛下……今日、議会の廊下で言われました。『女王は失敗を隠さない』と」

「褒め言葉じゃないね」

「はい。でも……怖い褒め言葉です」

「怖いままでいい」

 私が言うと、ルーナは小さく笑った。
 泣きそうな笑いだった。

「……陛下、明日も……紙ですか」

「明日も紙」

「ずっと?」

「ずっとは、分からない。でも今は、紙」

 ルーナは頷いて、扉の外へ下がった。
 私は椅子に座り直し、ペンを取った。

 きれいな結末は、作れない。
 作らない。
 その代わり、転ばないための跡を残す。

 私は、机に向かい、紙を一枚ずつ確認する。修正が必要な箇所に赤線を引き、保留の印を付ける。
 失敗の跡は、消さない。次に同じ場所で転ばないために、残す。
 王の仕事は、きれいな結末を作ることじゃない。
 それでも、私はここに立っている。
 奪われた過去は消えない。
 でも、それを理由に譲る未来は、もう存在しない。

 私はもう、奪われる役を降りた。
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感想 5

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みんなの感想(5件)

さやえんどう

完結したのかと思ってたら続いてた…。読みます

2026.01.11 タマ マコト

感想ありがとうございます。
1度完結にしたのですが、前にいただいていた感想やお褒めの言葉など思い出して、続けたくなりました。
単に私タマ マコトの気分とわがままです。読んでくださるとのこと、大変嬉しく、本当にありがとうございます😊

解除
秋苺
2025.12.27 秋苺

王太子って、現王の子で次代の王の事ですよね?
だと、セレスと兄弟?
な訳ないから、どこの誰なのか。
セレスが王太女ならわかるけど。
細かいところが気になりましたが、くどくて独特の言い回しが不思議な作品でした。

解除
かりりん
2025.12.25 かりりん

面白かったです。一つだけ気になったのは王配が王太子のままだったのかという事です。カイとの最後のやり取りから想像するとカイが王配になる未来はないものの、カイとの間に子が生まれる未来はあるのかなと思ったりして。

解除

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