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第2話「追放宣告と、壊れる心の音」
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その知らせは、本当に突然だった。
「——王城からの使いだ。全員、礼拝堂に集まるように」
朝の祈りが終わった直後、高位神官の一人がそう告げたとき、
リラはちょうど花瓶の水を替えている最中だった。
指先にかかる冷たい水の感触が、そのまま胸の奥まで落ちていく気がする。
(王城から……なんだろ)
いい予感なんて、最初からしていなかった。
でも、悪い予感が当たるとも限らない。そうやって、何度も自分を誤魔化してきた。
礼拝堂の空気は、いつもより張りつめていた。
高い天井の下、神官たちがずらりと並び、その前に立つのは王城付きの神官服を着た男——王族の使いだという。
金の刺繍が施された白いローブ、胸には王家の紋章。
その姿を見ただけで、「自分とは別世界の人間だ」と思わせる。
最前列には、レイナがいる。
いつも通り綺麗で、いつも通り微笑んでいるのに、その笑顔の裏側で何かが震えているように感じた。
「静粛に」
高位神官長が一歩前に出て、威厳たっぷりに声を張る。
「王城より通達がある。“大聖女”の件だ」
ざわ、と周囲が揺れた。
(大聖女……)
王都が誇る“光の守り手”。
大聖女は本来一人だけ。今は候補が複数いる状態で、誰が正式になるのか、ずっと先送りにされていた。
王城の使いが、一枚の羊皮紙を広げる。
声は冷たく、抑揚がほとんどない。
「陛下および枢機卿会議の決定により、“真の大聖女は一人で十分”との方針が定まった。
王都神殿における複数候補制は、速やかに解消されたい」
空気が固まる音がした気がした。
「……つまり」
神官長が慎重に言葉を選ぶ。
「大聖女は一人を正式に任命し、他の候補は——」
「“余剰戦力”として再配置、もしくは解任。そういうことだ」
余剰戦力。
その四文字が、妙に生々しく響いた。
(余剰……)
余り。
なくても困らないもの。
あったらあったで便利だけど、なければ削られる側。
心のどこかが、ひゅっと冷えた。
◇
その日の午後、会議室。
分厚い扉の向こうから、くぐもった声が漏れ聞こえてくる。
「……大聖女はレイナ様で決まりでしょう」
「そうだな。他に誰がいると言うのだ。測定値、実績、人望。どれを取っても申し分ない」
「問題は“もう一人”だ。扱いをどうするか」
扉のそばの廊下で、書類を運ぶふりをしながら、若手神官たちがひそひそと耳を澄ませている。
リラの名前が出るのは、もはや時間の問題だった。
「リラは……」
中から聞こえた名前に、廊下の空気がぴくりと震える。
「治癒の加護が弱すぎる。測定器の数値も基準以下だ。儀式に参加させれば、むしろ魔力の流れを乱す恐れがある」
「だが、一応これまでは“大聖女候補”として——」
「形だけだ。王城の方針は“真の大聖女は一人”。
あの子を残したところで、評価が曖昧になるだけだろう。レイナ様に失礼だ」
「……では、追放という形か?」
「そうとも呼べるし、“卒業”とも言える。言葉の選び方の問題だ」
笑いが混じる。
その軽さに、誰かが唇を噛む音がした。
「孤児だから、領地への帰還も家のメンツも気にせずに済む。
最低限の路銀を渡し、“女神の加護が導くままに”とでも書けば、それらしく聞こえるだろう」
「ひどいな」
「仕方あるまい。神殿は慈善団体じゃない」
◇
一方その頃、別の小部屋では。
「だから言っただろ、リラなんかをいつまでも隣に置いとくから——」
レイナの取り巻きの一人である若い神官が、机を指でとん、と叩く。
「“大聖女候補二人”なんて中途半端なことしてると、王城の評価がブレるって」
「でも、リラは悪い子じゃ——」
「誰も性格の話なんてしてない。問題は“見え方”だよ。
レイナ様は完璧な“真の大聖女”であるべきなんだ。余計な影は邪魔」
机の上には、魔力測定器の調整マニュアル。
ページの隅には、誰かがこっそり書き込んだメモがある。
『竜系統の魔力は反応を鈍らせる傾向あり。特殊事例として扱うこと』
「この間の測定だって、ちゃんと“わかりやすい結果”が出たから、話が早かったでしょ?」
「……お前、まさか——」
「細工なんて大げさなものじゃないさ。
ちょっと感度を“人間寄り”にしてあげただけ。
竜だの古い伝承だの、そんな不安定な要素に期待する余裕、今の王城にはないからね」
青年は唇の端を歪める。
「何より——ずっと思ってたんだ。
リラが隣にいると、レイナ様の“特別さ”が薄まる。
“二人で大聖女になれたら楽しいね”とか、そんな甘い夢を見てる場合じゃないって」
その言葉は、誰にも聞かれていないつもりで吐き出された。
でも、部屋の隅に立っていたひとりの見習いは、顔を青ざめさせて拳を握りしめていた。
(そんな理由で……)
その見習いが後に、ぽろりと噂をこぼすことになるとは、まだ誰も知らない。
◇
追放宣告は、驚くほど事務的に行われた。
「リラ・——」
会議室に呼び出されたリラは、高位神官たちの視線を一身に受けていた。
白い壁、長い机。窓から差し込む光だけが、場違いに明るい。
「君に通達がある」
神官長が、まるで“今日の献立”でも読み上げるみたいな顔で一枚の紙を手に取る。
「王城の決定に基づき、当神殿における“大聖女候補”の枠を一名とすることが決まった。
正式な大聖女には、レイナ・エルフォードを推挙することで全会一致した」
それは予想通りの名前で。
だからこそ、リラの心は静かだった。
(そうだよね。レイナ様なら、当然)
だけど、その次の言葉は——思っていた以上に鋭かった。
「それに伴い、君——リラの“候補”としての役目は終了する。
元より治癒の加護も基準に満たず、儀式への適性も不足している。
君をこれ以上、神殿で保護する合理的な理由はない」
一瞬、意味がわからなかった。
「……それは、つまり」
「追放だよ」
別の神官が、あっさりと言う。
余計なオブラートなんて、最初から用意されていないみたいに。
「ただし、“追放”という言葉は書類上は使わない。
“神殿での役目を終え、新たな道へ進む”というかたちだ。
最低限の路銀は支給する。行き先は女神の導きに任せるように」
「待ってください」
自分でも驚くほど掠れた声が出た。
「私……何か、大きな失敗を——」
「これは失敗の問題ではない。才能の問題だ」
神官長の言葉は、氷みたいに冷たかった。
「告げられた基準を超えられなかった。それだけだ。
感情を込めるような話ではない」
感情を込めるな、という言葉が、逆に感情を乱す。
(私の人生なのに)
喉の奥まで出かかった言葉を、リラは飲み込んだ。
この部屋のどこにも、自分の味方はいない気がしたから。
「リラ」
そこで、ようやくレイナが口を開いた。
部屋の隅に控えていた彼女は、椅子を引いて立ち上がり、リラの方へ数歩近づく。
「ごめんね……」
その目には、薄く涙が浮かんでいる。
頬も少し紅潮していて、本気で悲しんでいるように見えた。
「私、もっとちゃんと庇えたらよかったんだけど……何もできなかった」
「レイナ様は、悪くないです」
本当に、そう思っていた。
ずっと。
この瞬間までは。
レイナの瞳が、ふと揺れた。
涙の膜の奥。そのさらに奥で——
ほんの一瞬だけ、安堵にも似た影が揺れたのを、リラは見てしまった。
(……あ)
その瞬間、何かが音を立てて崩れた。
ぱきん、と。
心のどこかで、小さなガラスが割れるような感触。
(ああ——そうか)
今まで積み上げてきた「ここが私の居場所」という幻想。
神殿に拾われたから、自分はここに「置いてもらえている」という思い込み。
レイナは優しい。
でも同時に、きっとどこかで——“楽になった”と思っている。
(私がいなくなれば、レイナ様は“唯一の大聖女”になれる。
その方が、きっと世界的にも正しいんだ)
頭ではそんなふうに理解しようとするのに、胸は全然ついてこない。
「……わかりました」
声が震えないように、必死に押さえ込む。
「ご迷惑を、おかけしました」
「迷惑だなんて——」
「いや、迷惑とは言っていない」
神官長が割って入り、話を終わらせにかかる。
「神殿としてできるのはここまでだ。
明朝までに荷物をまとめ、正門から退去すること。良いな」
「……はい」
その二文字で、十数年間の居場所が、あっさりと断ち切られた。
◇
部屋に戻ると、そこは既に「元・リラの部屋」扱いになっていた。
棚の一部には、次の見習い用の備品が運び込まれ始めている。
自分の荷物は、想像していたよりずっと少なかった。
(本……数冊。服が、ローブが何着か。
それから、子どもの頃にもらった、小さな女神像)
全部を布の袋に詰め込んでも、重さはたいしたことがない。
「軽い……」
呟いた声が、ひどく空虚に響く。
(私の人生、この袋に全部入っちゃうんだ)
十数年分の時間が、この布袋ひとつで運べてしまうなんて。
胸の奥で、乾いた笑いが生まれかけて、でも形になる前にしぼんだ。
扉がノックされる。
「リラ、入ってもいい?」
レイナの声だった。
「……どうぞ」
彼女はそっと部屋に入ってくる。
いつもより簡素なローブに身を包み、髪もまとめただけで飾り気がない。
それでも、立っているだけで絵になるのが悔しいくらいだった。
「荷物、もう……」
「はい。そんなに多くないので」
「そう、だよね……」
一瞬、沈黙が落ちる。
「ねえ、リラ」
「はい」
「私、本当に……ごめんね」
レイナの声は、震えていた。
目尻には涙が滲んでいる。
でも——さっき見た“安堵の影”が、頭から離れない。
「レイナ様が謝ることじゃありません」
言葉が、自動的に口から出てくる。
心と言葉が、ズレていく感覚。
「私は、力が足りなかった。それだけです」
「そんなこと——」
「測定器が、そう言っているので」
無意識に、少しだけ棘のある言い方をしてしまった。
自分で自分に驚く。
レイナは痛そうな顔をして、一歩近づく。
「ねえ、リラ。
もし——もしもの話だけど。
いつか状況が変わって、また神殿に戻れるってなったら……戻ってきてくれる?」
その問いは、どこまでも自己都合だと思った。
(私のことを考えてるんじゃない。
“自分が罪悪感を軽くしたい”だけなんだ)
そうわかってしまう自分の方こそ、性格が悪いのかもしれない。
答えを求める視線が痛くて、リラは目を伏せる。
「……その時は、その時に考えます」
限界まで中立に寄せた答え。
本音は、今はまだ自分でもうまく掴めなかった。
「そっか……」
レイナは小さく笑って、「体に気をつけてね」とだけ言い残して部屋を出ていった。
扉が閉まる音が、やけに大きく部屋に響く。
心のどこかで大切にしていた何かが、また一つ、ひび割れた気がした。
◇
翌朝。
神殿の正門は、思っていたよりも高くて重かった。
普段は外に出る用事なんてほとんどないから、こうして真正面から向き合うのは久しぶりだ。
両脇には見張りの兵士が立っている。
けれど誰も、特にリラに興味を示さない。
「荷物は、それだけか?」
一人が事務的に尋ねる。
「はい」
「……路銀は、受け取っているな」
「これです」
リラは腰の小袋を軽く叩いて見せる。
中には、数日分の宿代と食費になりそうな硬貨がごろごろ入っている。
「じゃあ、行き先が決まるまで街道沿いを外れないように気をつけろ。魔物も出るからな」
「……わかりました」
誰も、引き留めない。
誰も、「戻ってこい」とは言わない。
この門を出た瞬間、自分が神殿の“誰でもない誰か”になることを、全員が当たり前のように受け入れている。
(ああ……そうか)
胸の真ん中あたりが、スン、と冷たくなる。
神殿で過ごした十数年。
祈りの声、香の匂い、レイナの笑顔。
掃除した床、運んだ水、治した傷。
全部全部、ここに置いていくしかないのだと、急に現実味を帯びて迫ってくる。
「——リラ」
背中から、自分を呼ぶ声がした。
振り返ると、廊下の陰から、何人かの見習いたちがこっそり顔を出している。
あのとき測定器のことでひそひそ話していた子たちも混ざっていた。
「……元気でね!」
「また、いつかどこかで!」
精一杯の声。
でも、その「いつかどこかで」が、本当に来るかどうかなんて誰にもわからない。
(優しいな)
そう思う一方で、その優しさですら、「今ここで自分が居る場所を持つための儀式」に見えて、少しだけ苦しかった。
「ありがとう」
リラは笑う。
自分でも驚くくらい、ちゃんと笑えた。
「皆さんも、お元気で」
それから——振り返らないと決めた。
重い扉がきぃ、と音を立てて開く。
外の空気は、思っていたよりずっと冷たかった。
一歩、足を踏み出す。
石畳から土の感触に変わる境目で、ほんの一瞬だけ振り向きたくなったけれど、ぐっとこらえた。
(ここは、もう私の居場所じゃない)
ゆっくりと門をくぐり抜ける。
その瞬間——胸の中心のどこかが、完全に空洞になった。
「あ、私……」
心の中で、静かに言葉が浮かぶ。
「……本当に、いらなかったんだ」
誰も否定してくれない。
誰も、「そんなことない」と言ってくれない。
だから、その言葉はそのまま真実として、リラの中に沈んでいく。
王都の街並みは、いつも通り賑やかで、人々はそれぞれの生活に忙しそうだった。
その流れの中に、一人の元・大聖女候補が紛れ込んだところで、世界は何一つ変わらない。
大きな門が、背後でゆっくりと閉まる音がした。
重い金属音が、心の中の何かにとどめを刺すみたいに響いて——
リラは、誰にも見えないところでそっと唇を噛みしめた。
「——王城からの使いだ。全員、礼拝堂に集まるように」
朝の祈りが終わった直後、高位神官の一人がそう告げたとき、
リラはちょうど花瓶の水を替えている最中だった。
指先にかかる冷たい水の感触が、そのまま胸の奥まで落ちていく気がする。
(王城から……なんだろ)
いい予感なんて、最初からしていなかった。
でも、悪い予感が当たるとも限らない。そうやって、何度も自分を誤魔化してきた。
礼拝堂の空気は、いつもより張りつめていた。
高い天井の下、神官たちがずらりと並び、その前に立つのは王城付きの神官服を着た男——王族の使いだという。
金の刺繍が施された白いローブ、胸には王家の紋章。
その姿を見ただけで、「自分とは別世界の人間だ」と思わせる。
最前列には、レイナがいる。
いつも通り綺麗で、いつも通り微笑んでいるのに、その笑顔の裏側で何かが震えているように感じた。
「静粛に」
高位神官長が一歩前に出て、威厳たっぷりに声を張る。
「王城より通達がある。“大聖女”の件だ」
ざわ、と周囲が揺れた。
(大聖女……)
王都が誇る“光の守り手”。
大聖女は本来一人だけ。今は候補が複数いる状態で、誰が正式になるのか、ずっと先送りにされていた。
王城の使いが、一枚の羊皮紙を広げる。
声は冷たく、抑揚がほとんどない。
「陛下および枢機卿会議の決定により、“真の大聖女は一人で十分”との方針が定まった。
王都神殿における複数候補制は、速やかに解消されたい」
空気が固まる音がした気がした。
「……つまり」
神官長が慎重に言葉を選ぶ。
「大聖女は一人を正式に任命し、他の候補は——」
「“余剰戦力”として再配置、もしくは解任。そういうことだ」
余剰戦力。
その四文字が、妙に生々しく響いた。
(余剰……)
余り。
なくても困らないもの。
あったらあったで便利だけど、なければ削られる側。
心のどこかが、ひゅっと冷えた。
◇
その日の午後、会議室。
分厚い扉の向こうから、くぐもった声が漏れ聞こえてくる。
「……大聖女はレイナ様で決まりでしょう」
「そうだな。他に誰がいると言うのだ。測定値、実績、人望。どれを取っても申し分ない」
「問題は“もう一人”だ。扱いをどうするか」
扉のそばの廊下で、書類を運ぶふりをしながら、若手神官たちがひそひそと耳を澄ませている。
リラの名前が出るのは、もはや時間の問題だった。
「リラは……」
中から聞こえた名前に、廊下の空気がぴくりと震える。
「治癒の加護が弱すぎる。測定器の数値も基準以下だ。儀式に参加させれば、むしろ魔力の流れを乱す恐れがある」
「だが、一応これまでは“大聖女候補”として——」
「形だけだ。王城の方針は“真の大聖女は一人”。
あの子を残したところで、評価が曖昧になるだけだろう。レイナ様に失礼だ」
「……では、追放という形か?」
「そうとも呼べるし、“卒業”とも言える。言葉の選び方の問題だ」
笑いが混じる。
その軽さに、誰かが唇を噛む音がした。
「孤児だから、領地への帰還も家のメンツも気にせずに済む。
最低限の路銀を渡し、“女神の加護が導くままに”とでも書けば、それらしく聞こえるだろう」
「ひどいな」
「仕方あるまい。神殿は慈善団体じゃない」
◇
一方その頃、別の小部屋では。
「だから言っただろ、リラなんかをいつまでも隣に置いとくから——」
レイナの取り巻きの一人である若い神官が、机を指でとん、と叩く。
「“大聖女候補二人”なんて中途半端なことしてると、王城の評価がブレるって」
「でも、リラは悪い子じゃ——」
「誰も性格の話なんてしてない。問題は“見え方”だよ。
レイナ様は完璧な“真の大聖女”であるべきなんだ。余計な影は邪魔」
机の上には、魔力測定器の調整マニュアル。
ページの隅には、誰かがこっそり書き込んだメモがある。
『竜系統の魔力は反応を鈍らせる傾向あり。特殊事例として扱うこと』
「この間の測定だって、ちゃんと“わかりやすい結果”が出たから、話が早かったでしょ?」
「……お前、まさか——」
「細工なんて大げさなものじゃないさ。
ちょっと感度を“人間寄り”にしてあげただけ。
竜だの古い伝承だの、そんな不安定な要素に期待する余裕、今の王城にはないからね」
青年は唇の端を歪める。
「何より——ずっと思ってたんだ。
リラが隣にいると、レイナ様の“特別さ”が薄まる。
“二人で大聖女になれたら楽しいね”とか、そんな甘い夢を見てる場合じゃないって」
その言葉は、誰にも聞かれていないつもりで吐き出された。
でも、部屋の隅に立っていたひとりの見習いは、顔を青ざめさせて拳を握りしめていた。
(そんな理由で……)
その見習いが後に、ぽろりと噂をこぼすことになるとは、まだ誰も知らない。
◇
追放宣告は、驚くほど事務的に行われた。
「リラ・——」
会議室に呼び出されたリラは、高位神官たちの視線を一身に受けていた。
白い壁、長い机。窓から差し込む光だけが、場違いに明るい。
「君に通達がある」
神官長が、まるで“今日の献立”でも読み上げるみたいな顔で一枚の紙を手に取る。
「王城の決定に基づき、当神殿における“大聖女候補”の枠を一名とすることが決まった。
正式な大聖女には、レイナ・エルフォードを推挙することで全会一致した」
それは予想通りの名前で。
だからこそ、リラの心は静かだった。
(そうだよね。レイナ様なら、当然)
だけど、その次の言葉は——思っていた以上に鋭かった。
「それに伴い、君——リラの“候補”としての役目は終了する。
元より治癒の加護も基準に満たず、儀式への適性も不足している。
君をこれ以上、神殿で保護する合理的な理由はない」
一瞬、意味がわからなかった。
「……それは、つまり」
「追放だよ」
別の神官が、あっさりと言う。
余計なオブラートなんて、最初から用意されていないみたいに。
「ただし、“追放”という言葉は書類上は使わない。
“神殿での役目を終え、新たな道へ進む”というかたちだ。
最低限の路銀は支給する。行き先は女神の導きに任せるように」
「待ってください」
自分でも驚くほど掠れた声が出た。
「私……何か、大きな失敗を——」
「これは失敗の問題ではない。才能の問題だ」
神官長の言葉は、氷みたいに冷たかった。
「告げられた基準を超えられなかった。それだけだ。
感情を込めるような話ではない」
感情を込めるな、という言葉が、逆に感情を乱す。
(私の人生なのに)
喉の奥まで出かかった言葉を、リラは飲み込んだ。
この部屋のどこにも、自分の味方はいない気がしたから。
「リラ」
そこで、ようやくレイナが口を開いた。
部屋の隅に控えていた彼女は、椅子を引いて立ち上がり、リラの方へ数歩近づく。
「ごめんね……」
その目には、薄く涙が浮かんでいる。
頬も少し紅潮していて、本気で悲しんでいるように見えた。
「私、もっとちゃんと庇えたらよかったんだけど……何もできなかった」
「レイナ様は、悪くないです」
本当に、そう思っていた。
ずっと。
この瞬間までは。
レイナの瞳が、ふと揺れた。
涙の膜の奥。そのさらに奥で——
ほんの一瞬だけ、安堵にも似た影が揺れたのを、リラは見てしまった。
(……あ)
その瞬間、何かが音を立てて崩れた。
ぱきん、と。
心のどこかで、小さなガラスが割れるような感触。
(ああ——そうか)
今まで積み上げてきた「ここが私の居場所」という幻想。
神殿に拾われたから、自分はここに「置いてもらえている」という思い込み。
レイナは優しい。
でも同時に、きっとどこかで——“楽になった”と思っている。
(私がいなくなれば、レイナ様は“唯一の大聖女”になれる。
その方が、きっと世界的にも正しいんだ)
頭ではそんなふうに理解しようとするのに、胸は全然ついてこない。
「……わかりました」
声が震えないように、必死に押さえ込む。
「ご迷惑を、おかけしました」
「迷惑だなんて——」
「いや、迷惑とは言っていない」
神官長が割って入り、話を終わらせにかかる。
「神殿としてできるのはここまでだ。
明朝までに荷物をまとめ、正門から退去すること。良いな」
「……はい」
その二文字で、十数年間の居場所が、あっさりと断ち切られた。
◇
部屋に戻ると、そこは既に「元・リラの部屋」扱いになっていた。
棚の一部には、次の見習い用の備品が運び込まれ始めている。
自分の荷物は、想像していたよりずっと少なかった。
(本……数冊。服が、ローブが何着か。
それから、子どもの頃にもらった、小さな女神像)
全部を布の袋に詰め込んでも、重さはたいしたことがない。
「軽い……」
呟いた声が、ひどく空虚に響く。
(私の人生、この袋に全部入っちゃうんだ)
十数年分の時間が、この布袋ひとつで運べてしまうなんて。
胸の奥で、乾いた笑いが生まれかけて、でも形になる前にしぼんだ。
扉がノックされる。
「リラ、入ってもいい?」
レイナの声だった。
「……どうぞ」
彼女はそっと部屋に入ってくる。
いつもより簡素なローブに身を包み、髪もまとめただけで飾り気がない。
それでも、立っているだけで絵になるのが悔しいくらいだった。
「荷物、もう……」
「はい。そんなに多くないので」
「そう、だよね……」
一瞬、沈黙が落ちる。
「ねえ、リラ」
「はい」
「私、本当に……ごめんね」
レイナの声は、震えていた。
目尻には涙が滲んでいる。
でも——さっき見た“安堵の影”が、頭から離れない。
「レイナ様が謝ることじゃありません」
言葉が、自動的に口から出てくる。
心と言葉が、ズレていく感覚。
「私は、力が足りなかった。それだけです」
「そんなこと——」
「測定器が、そう言っているので」
無意識に、少しだけ棘のある言い方をしてしまった。
自分で自分に驚く。
レイナは痛そうな顔をして、一歩近づく。
「ねえ、リラ。
もし——もしもの話だけど。
いつか状況が変わって、また神殿に戻れるってなったら……戻ってきてくれる?」
その問いは、どこまでも自己都合だと思った。
(私のことを考えてるんじゃない。
“自分が罪悪感を軽くしたい”だけなんだ)
そうわかってしまう自分の方こそ、性格が悪いのかもしれない。
答えを求める視線が痛くて、リラは目を伏せる。
「……その時は、その時に考えます」
限界まで中立に寄せた答え。
本音は、今はまだ自分でもうまく掴めなかった。
「そっか……」
レイナは小さく笑って、「体に気をつけてね」とだけ言い残して部屋を出ていった。
扉が閉まる音が、やけに大きく部屋に響く。
心のどこかで大切にしていた何かが、また一つ、ひび割れた気がした。
◇
翌朝。
神殿の正門は、思っていたよりも高くて重かった。
普段は外に出る用事なんてほとんどないから、こうして真正面から向き合うのは久しぶりだ。
両脇には見張りの兵士が立っている。
けれど誰も、特にリラに興味を示さない。
「荷物は、それだけか?」
一人が事務的に尋ねる。
「はい」
「……路銀は、受け取っているな」
「これです」
リラは腰の小袋を軽く叩いて見せる。
中には、数日分の宿代と食費になりそうな硬貨がごろごろ入っている。
「じゃあ、行き先が決まるまで街道沿いを外れないように気をつけろ。魔物も出るからな」
「……わかりました」
誰も、引き留めない。
誰も、「戻ってこい」とは言わない。
この門を出た瞬間、自分が神殿の“誰でもない誰か”になることを、全員が当たり前のように受け入れている。
(ああ……そうか)
胸の真ん中あたりが、スン、と冷たくなる。
神殿で過ごした十数年。
祈りの声、香の匂い、レイナの笑顔。
掃除した床、運んだ水、治した傷。
全部全部、ここに置いていくしかないのだと、急に現実味を帯びて迫ってくる。
「——リラ」
背中から、自分を呼ぶ声がした。
振り返ると、廊下の陰から、何人かの見習いたちがこっそり顔を出している。
あのとき測定器のことでひそひそ話していた子たちも混ざっていた。
「……元気でね!」
「また、いつかどこかで!」
精一杯の声。
でも、その「いつかどこかで」が、本当に来るかどうかなんて誰にもわからない。
(優しいな)
そう思う一方で、その優しさですら、「今ここで自分が居る場所を持つための儀式」に見えて、少しだけ苦しかった。
「ありがとう」
リラは笑う。
自分でも驚くくらい、ちゃんと笑えた。
「皆さんも、お元気で」
それから——振り返らないと決めた。
重い扉がきぃ、と音を立てて開く。
外の空気は、思っていたよりずっと冷たかった。
一歩、足を踏み出す。
石畳から土の感触に変わる境目で、ほんの一瞬だけ振り向きたくなったけれど、ぐっとこらえた。
(ここは、もう私の居場所じゃない)
ゆっくりと門をくぐり抜ける。
その瞬間——胸の中心のどこかが、完全に空洞になった。
「あ、私……」
心の中で、静かに言葉が浮かぶ。
「……本当に、いらなかったんだ」
誰も否定してくれない。
誰も、「そんなことない」と言ってくれない。
だから、その言葉はそのまま真実として、リラの中に沈んでいく。
王都の街並みは、いつも通り賑やかで、人々はそれぞれの生活に忙しそうだった。
その流れの中に、一人の元・大聖女候補が紛れ込んだところで、世界は何一つ変わらない。
大きな門が、背後でゆっくりと閉まる音がした。
重い金属音が、心の中の何かにとどめを刺すみたいに響いて——
リラは、誰にも見えないところでそっと唇を噛みしめた。
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実は彼女には前世の記憶があって、平和な日本で暮らしていたしがないOLだった。
そして今世にて、神に祈りを捧げる乙女として王国に奉仕する聖女に転生。
だがなぜかその身に宿ったのは治癒の奇跡ではなく、岩をも砕く超人的な筋力だった。
儀式はすっぽかす。祈りの言葉は覚えられない。挙句の果てには、神殿に押し入った魔物を祈祷ではなくラリアットで撃退する始末。
そんな彼女に愛想を尽かした王国は、新たに現れた完璧な治癒能力を持つ聖女リリアナを迎え入れ、セレスティアを「偽りの聖女」として追放する。
「まあ、田舎でスローライフも悪くないか」
追放された本人はいたって能天気。行く先も分からぬまま彼女は新天地を求めて旅に出る。
しかし、彼女の行く手には、王国転覆を狙う宰相が仕組んだシリアスな陰謀の影が渦巻いていた。
「お嬢さん、命が惜しければこの密書を……」
「話が長い! 要点は!? ……もういい、面倒だから全員まとめてかかってこい!」
刺客の脅しも、古代遺跡の難解な謎も、国家を揺るがす秘密の会合も、セレスティアはすべてを「考えるのが面倒くさい」の一言で片付け、その剛腕で粉砕していく。
果たしてセレスティアはスローライフを手にすることができるのか……。
※「小説家になろう」、「カクヨム」、「アルファポリス」に同内容のものを投稿しています。
※この作品以外にもいろいろと小説を投稿しています。よろしければそちらもご覧ください。
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