追放後に拾った猫が実は竜王で、溺愛プロポーズが止まらない

タマ マコト

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第5話「“役立たず”じゃなかった? 小さな違和感」

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 それは、昼下がりの、ちょっとのんびりした時間だった。

 畑仕事もひと段落して、マリアの家の前の丸太に座りながら、リラはシロをひざの上でコロコロ転がしていた。
 毛並みは今日も絶好調で、白銀の毛が日差しを柔らかく跳ね返す。指を埋めると、ふわふわの中からあったかい体温がじんわり伝わってくる。

「シロ、そこは噛まない。指は食べ物じゃないの」

「にゃ」

「いや今明らかに歯当ててたよね? ごまかさないで?」

 そんな平和な攻防を繰り広げているときだった。

「リラ!!」

 叫ぶような声が、村の真ん中から響いた。

 顔を上げると、土煙を上げて駆けてくる影が見える。
 まだ少年と呼ぶ方がしっくりくるくらいの青年——村一番の力自慢ヨナスだ。

 腕の中には、小さな体が抱えられていた。
 服は泥と血でぐちゃぐちゃだ。

「……!」

 リラは反射的に立ち上がっていた。
 シロが膝からするりと落ちるが、それを気にしている余裕はない。

「こっち!」

 マリアが店から飛び出してきて、すぐさま家の中へ道を開ける。

「事情はあと! とりあえず中入れて!」

「ああ!」

 ヨナスは肩で息をしながら、子どもを抱えたまま家の中へなだれ込む。
 リラもそれに続いて走った。



 簡素なテーブルの上に、そっと横たえられたのは、小さな男の子だった。
 顔色は真っ青で、息は荒く、ときどき喉を詰まらせるような苦しげな音が漏れる。

 右脚の太ももあたりが、ありえない角度に曲がっていた。

「……骨、折れてる……」

 見た瞬間わかった。
 神殿でも、ここまでひどい骨折は滅多になかった。

「森でさ、木の実取りに登ってたら、枝が折れて……そのまま落ちたんだ!」

 ヨナスが早口で状況を説明する。
 額にも土がついていて、一緒に走ってきたのがよくわかった。

「こいつ、ルカの弟で……!」

「ルカの……」

 リラの脳裏に、よく畑で走り回っている兄弟の顔が浮かぶ。
 あの元気な兄の弟が、今、こんな姿で息を荒くしている。

 太ももだけじゃない。膝のあたりも不自然に腫れていて、ところどころ皮膚が裂け、血がにじんでいる。

 普通なら、王都の医者にすぐ連れていきたいレベルだ。
 けれど、この村から王都までは、馬でも一日はかかる。
 そのあいだに、この小さな体がもつかどうか——それを考えたら、答えは一つしかない。

(今ここで、やるしかない)

 心臓が、どくん、と強く鳴った。

「マリアさん、布と水と……できれば、木の板みたいなものを」

「言われなくても用意してるわよ」

 マリアはもう動き始めていた。
 鍋の横からきれいな布を掴み、水桶を引き寄せ、納屋に飛び込んで板を持ってくる。

「できる?」

 短く問われて、リラはこくりと頷く。

「やるしかない、です」



 まずは傷口をざっと洗い流す。
 泥と血が混ざって、桶の中で薄い赤茶色の水が揺れた。

 男の子は痛みに呻き、弱々しく暴れようとする。
 マリアが上半身を押さえ、ヨナスがそっと肩を支える。

「ごめんね、ごめんね、すぐ楽にするから」

 リラは何度も声をかける。
「大丈夫」と「怖くない」を、言葉に乗せて送る。

 骨がずれているのを、手探りで確認する。
 神殿で、治癒担当の神官がやっていたのを見て、見様見真似で覚えたやり方。

(ここでずれてる……ここを合わせて……)

 深呼吸を一度して、ずれている骨を、慎重に、でも一気に戻す。

「っ……!」

 男の子の体がびくんと跳ねる。
 マリアが「しっかり押さえて!」と声を張り、ヨナスがさらに力を込める。

 関節が、コキン、と嫌な音を立てた。

 でも、その直後——。

 男の子の表情が、少しだけ和らいだ。

(今……今!)

 リラは両手を彼の脚にかざした。
 太ももから膝にかけて、まるごと包み込むように。

 胸の奥から、魔力を呼び起こす。
 いつも通り、そう、いつも通り——のつもりだった。

 けれど、やっぱり今日も、いつも通りでは終わらなかった。

(……え)

 魔力の流れが、やけにスムーズだった。

 引き出すときの抵抗が、ほとんどない。
 今までなら、身体のどこかで少し引っかかりを感じて、「ここまで」とブレーキがかかる感覚があった。

 けど今は、胸の奥にある泉が、どこまでも深く感じられる。

 まるで、自分の内側に開いた井戸が、底なしに澄み渡っているみたいに。

(こんなに……あったっけ、私の中に)

 驚く暇もない。
 両手の先から、光があふれた。

 柔らかな緑の光が、折れた骨と裂けた肉と腫れた皮膚を、まるごと包み込む。
 光はただそこにあるだけじゃなく、ゆっくりと、でも確実に「形」を整えていく。

 骨が、正しいラインに戻っていく。
 筋肉が、その周りを補うように再生していく。
 皮膚が、きれいにふさがっていく。

 リラは息を詰めて、その変化を感じ取っていた。
 自分の魔力が、男の子の体の中を流れ、壊れたところに優しく触れ、そこを「元の形」に思い出させている感覚。

 痛みの波が静まり、緊張でこわばっていた筋肉が、少しずつ緩んでいく。

 男の子の顔から、苦しそうな歪みがふっと消えた。
 まつげが震え、小さなため息とともに、すう、と眠りに落ちる。

「……寝た?」

 ヨナスが恐る恐る顔を覗き込む。

「うん。魔力が、痛みを少し鈍らせてるから。今は休ませてあげた方がいいです」

 リラは肩で息をしながら、ゆっくりと手を下ろした。

 脚の腫れは完全には引いていないものの、さっきと比べものにならないくらい落ち着いている。
 骨の位置も、触った限りではほぼ正しく戻っていた。

 マリアが、深く息を吐く。

「……アンタ」

「はい?」

「腕、いいわね」

 その声は、冗談抜きの、本気の評価だった。

「こんなの、本当なら王都に連れてっても間に合うかどうかって怪我よ。
 それをここまで落ち着かせるなんて……アンタ、本当に“すごい”わよ」

「お、おお……」

 ヨナスも、ぽかんと口を開けている。

「すげえ……。あんなに変な方向向いてた脚が……ちゃんとまっすぐ……」

 彼の手は、まだ子どもの肩を支えたままで、小刻みに震えていた。
 それは恐怖からではなく、安堵と驚きからくる震えだ。

「……よかった……」

 リラの胸にも、じわじわと安堵が広がる。

 たしかに、さっきの治癒は、自分でも驚くくらいスムーズだった。
 魔力切れの感覚も、思っていたほど強くない。

(なんで……?)

 でも今は、その疑問を後回しにする。
 目の前で、小さな命が落ち着いて眠っている。その事実が何より大事だった。

「この子の家族には?」

「俺、呼んでくる! さっきルカには“先に走ってこい”って言われて……、たぶん今頃家で泣いてる」

「頼んだわよ、ヨナス!」

「ああ!」

 ヨナスは勢いよく飛び出していく。
 マリアは残された子どもの額に布を当てながら、ふう、と息を吐いた。

「いやー……心臓に悪いわ、まったく」

「すみません、私、ちゃんとできてたか……」

「何言ってんの。バッチリよ」

 マリアはじろりとリラを見やる。

「アンタ、もっと自分の腕を信用しなさい」

「……でも」

「“でも”じゃない」

 いつになく、はっきりと言い切られた。

「今目の前で寝てるこの子が、アンタの治癒の答えよ。
 測定器だかなんだか知らないけど、少なくともこの村じゃ、アンタの魔法は“役立たず”なんかじゃない」

 その言葉は、胸のど真ん中にストンと落ちて、そこからじんわりと広がった。

 役立たずじゃない。
 ここでは、そう言ってもらえる。

 分かっている。
 分かっているのに——心の奥底で、別の声がまだ囁いている。

(でも……神殿では、“弱い”って……)



 夕方。
 ルカたち家族が駆け込み、弟の無事を知って泣きながら何度も頭を下げていったあと。

 家の中は、急に静かになった。

 夕飯を終え、片付けも済ませて、マリアは「今日はよく頑張ったから早く寝な」と言ってくれた。
 けれど、寝床に横になっても、目は冴えたままだった。

 納屋の天井から、隙間風がかすかに入ってくる。
 その冷たさを打ち消すように、胸の上にはシロがでん、と陣取っていた。

「重いよ、シロ。今日くらいはお腹の上乗るのやめてくれても……」

「にゃ」

 完全に聞く気ゼロの返事。
 小さな体のどこにそんな重みを隠していたのか、というくらいの圧がじわじわ腰にくる。

「でも……ありがとね。あったかい」

 シロの背中に手を置くと、指先にじかに体温が伝わってきた。
 それは昼間よりもさらに濃くて、ほとんど微かな熱源というより、小さな火鉢だ。

(……今の状態で、魔力、どうなってるんだろ)

 ふと思う。

 昼間の治癒は、明らかに“今までと違った”。
 泉が急に深くなったみたいな、そんな圧倒的な感覚。

(たまたま、かな。
 でも——そういえば)

 リラはぼんやりと過去の記憶をめくる。

 この村に来てからの治癒は、不思議と失敗が少ない。
 小さな怪我も熱も、神殿にいたころより早く良くなっている気がする。

(……シロが、来てから)

 森で倒れていたシロを拾って、治癒して。
 あのときも、魔力の流れはおかしいくらいスムーズだった。

 それから今日まで。
 リラが治癒を行うとき、傍らには、だいたいシロがいた。

 膝の上か、肩の上か、足元か。
 治癒している自分にくっつくようにして、シロはいつも喉を鳴らしていた。

(偶然……かな)

 そう思いながら、リラはゆっくりと目を閉じた。

 身体の内側に意識を向ける。
 胸の奥、みぞおちのあたり。そこが、自分の魔力の「泉」だと、感覚的にわかる。

 普段は、そこにゆっくりと水が溜まっていて、必要なときに汲み上げる感じ。
 枯れない代わりに、勢いもそこまでは強くない。

 けれど、今——。

(……透明)

 泉の水が、やけに澄んでいる。

 濁りがなくて、底まで見える。
 深さも、前よりずっと深く感じる。

 そしてもうひとつ。

(シロに、触れてるときだけ——)

 リラはシロの背中に置いた手に、そっと力を込める。
 シロの体温が、手のひらから腕を伝って、胸の奥へと入り込んでくるみたいだった。

 その瞬間、泉の水がふるふると震え、静かに波紋を広げる。

 表面は透明なままなのに、そこから立ちのぼる気配が変わる。
 光が差し込んだみたいに、魔力の流れがくっきり見える気がした。

(シロがいるときの方が……)

 魔力が、妙にクリアで。
 深くて。
 使いやすい。

 そんな実感が、じわじわと形を持ち始める。

「シロがいるときの方が、私の魔法……」

 思わず、声に出してしまう。

「よく効く、気がするんだけど」

 シロは目を閉じたまま、ぐるぐると喉を鳴らした。
 まるで「そうだよ」と言っているみたいに。

「もしかして、シロが……何か、してくれてる?」

 問いかけるように耳をそばだてる。
 もちろん、答えなんて返ってこない。

 けれど、手のひらに伝わる体温と、胸の奥で震える魔力の泉が、無言の肯定を返してくる気がした。



 そのとき、ふと脳裏に浮かんだのは——神殿の測定器の光だった。

 あの冷たい透明な柱。
 魔力を流しても、すぐにしぼんでしまった、頼りない結果。

『基準以下』

 冷徹な声とともに押された、その烙印。

 数値で測られた「弱さ」。
 それを疑うことなんて、一度もなかった。

(だって、測定器は正しいものだって——ずっと教えられてきたから)

 でも、本当に?

 あの時も——。

(シロみたいな存在が、近くにいたら、結果は違ってた?)

 いや、そんなはずはない。
 猫ひとつで、測定結果が変わるわけが——。

 そう思おうとしたところで、ふと別の記憶が浮かぶ。

 神殿の図書室の片隅。
 古びた書物のページの端に、走り書きされていたメモ。

『竜系統の魔力は、一般の測定器では正しく測れないことがある』

 その一文を見たとき、軽く流してしまった。
 自分には関係ない話だ、と。

(本当に、関係なかったのかな)

 胸の奥に、小さなモヤが残る。

 今まで、一度も疑わなかった前提。
 測定器は正しい。
 神殿の言う「基準値」は絶対。

 その前提に、初めて小さなひびが入った。

「……あれ、本当に正しかったのかな」

 暗闇の中で、リラは小さく独り言をこぼす。

「私、ほんとに“役立たず”だったのかな」

 答えは、まだ出ない。
 でも——。

 今日助けた男の子の安らかな寝顔が、瞼の裏に浮かぶ。
 村の人たちの「すごいねえ」という素朴な声も。

 胸の中の天秤は、静かに傾き始めていた。

 神殿の測定器の言葉と。
 村の人たちと、自分の手が感じた「確かさ」と。

 どちらを信じるかなんて、今すぐ決める必要はない。
 けれど、少なくとも——。

「“役立たず”って決めつけられたまま、全部飲み込むのは……なんか、違う気がする」

 ぽつりと呟いたその言葉は、暗闇の中で意外と重く響いた。

 シロが、その胸の上で、ぐるん、と寝返りを打つ。
 背中がじん、とさらに熱くなる。

 まるで、「そう、それでいい」と背中を押されているみたいだった。

「……ありがと、シロ」

 撫でると、シロは小さく「にゃ」と鳴いた。

 納屋の隙間から覗く夜空には、星がいくつか瞬いている。
 その光は、神殿の測定器よりずっと不揃いで、バラバラで——でも不思議と、あたたかかった。

 リラは、ほんの少しだけ軽くなった胸のまま、静かに目を閉じた。

 “役立たず”じゃなかったかもしれない、という小さな違和感を抱えながら。
 それが、この先の運命を揺らす最初の揺れだとも知らずに。
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