追放後に拾った猫が実は竜王で、溺愛プロポーズが止まらない

タマ マコト

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第6話「満月の夜、猫が青年になった」

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 その夜の月は、正直ちょっとおかしかった。

 いつもより大きくて、やたら白くて、空の真ん中でじっとこっちを見ている感じ。
 村の子どもたちは夕方から「お月様落ちてこない?」なんて騒いでいたし、マリアも珍しく空を見上げて眉をひそめていた。

「なんか、嫌なほど近いわね。満月ってテンション上がるより先に不安になるわ」

「狼男とか出そうですよね……」

「この辺そんなイケメン出ないから安心しなさい。出てもイノシシよ」

「イノシシ男はちょっと嫌ですね……」

 そんなくだらない会話で笑い合って、夜の仕事が終わり、リラはいつものように納屋へ戻った。

 干し草の匂いと、少し冷えた夜気。
 天井の隙間からは、さっき見たばかりの満月の光が薄く差し込んでいる。

「はあ……今日も一日終わった」

 布団に倒れ込むと、すぐに胸元に柔らかい重みが飛び乗ってきた。

「にゃ」

「はいはい、おかえりシロ。……って、あなた一回も出てないけどね」

 シロは当然の顔で、リラの胸の上に丸くなる。
 喉を鳴らしながら、鼻先でちょん、とリラの顎をつついた。

「わかったよ、撫でるから。そんな“撫で忘れてますよ”みたいな圧いらないから」

 指を毛の間に滑り込ませると、ふわふわの毛並みの下で、小さな身体がしっかりと息づいているのがわかる。
 その体温は、やっぱり普通の猫よりも少し高くて、触れているだけで手のひらから腕、胸の奥まで温かく満たされていく。

(今日もいろいろあったけど、最後にこの時間があると、なんか全部チャラになるなあ)

 村の人たちの小さな怪我を治したこと。
 マリアとやり合った雑談。
 神殿のことを思い出して一瞬だけ胸がずきっとしたのも、全部、シロの喉の音にかき消されていく。

「ねえ、シロ」

 喉を鳴らす白銀の背中に、そっと額をくっつける。

「もしさ、私がほんとは“役立たずじゃなかった”ってわかっても……この村、ここから追い出したりしないでくれる?」

「にゃ」

「え、それ肯定? 否定? どっち?」

 適当に返事をされている気もするし、本気で聞いてくれている気もする。
 その曖昧さが、今はちょうどいい。

 リラは大きくあくびをして、シロをぎゅっと抱きしめた。
 胸の中に収まるサイズ感が、ぴったりで心地いい。

「……おやすみ、シロ」

 そう言って目を閉じかけた、そのときだった。

 ——ぐにゃ。

 腕の中の感触が、突然ありえない方向に変形した。

「え」

 柔らかい毛の塊が、暖かい“何か”に変わる。
 手のひらの中で、骨が伸び、筋肉が張り、体積が一気に増える。

 そして、その“何か”が眩い蒼い光に包まれた。

「ちょ、ちょっと待って待って待って待って!?!?」

 反射的に手を離す。
 シロを落とした、と思った。
 なのに、落ちた先から聞こえたのは、猫の鳴き声ではなく——低く、息を呑むような、男の声だった。

「……ふう」

 納屋の中が、一瞬だけ昼間みたいに明るくなる。
 蒼白い光が視界を焼き、リラは咄嗟に腕で目を覆った。

 光が収まって、恐る恐る腕を下ろす。

 そこには——見知らぬ青年が座っていた。



 長い黒髪が、月の光を吸い込んで鈍く光っている。
 前髪は少し乱れて額にかかり、その隙間から覗く瞳は、見慣れた色だった。

 宝石みたいな蒼。
 シロの瞳と、まったく同じ色。

(え、え、え?)

 頭がついてこない。

 青年の肌は健康的な色で、やけに整った顔立ちをしている。
 細すぎず太すぎず、しなやかな筋肉がついた体。
 そして——。

「ちょっ……!?」

 彼の服装が、ほぼ、ない。

 上半身なんて完全に裸で、腰に巻きつけているのは、さっきまで布団にかけていた薄い毛布だけ。
 あまりにも布面積が少なすぎて、リラの視界がどこに落ち着けばいいのかわからない。

「ちょ、ちょっと何その格好!? っていうか誰!? え、えっちょっと待って心の準備とかそういう——」

 パニックで口から出てくる言葉が完全に混乱している。

 青年は一瞬きょとんとしたあと、ふっと苦笑した。

「……すまない。人間の姿になったときの衣服のことを、少し、失念していてな」

「“少し”じゃないです! ほぼ全部失念してます! こういうのはこう……なんかもうちょっとこう……!」

 言いながら、自分でも何を言っているのかわからなくなってくる。

 リラは慌てて近くに置いてあった古い毛布を掴み、青年に向かってばさっと投げつけた。

「と、とりあえずそれ巻いて! ちゃんと! しっかり! 人として最低限のラインを守って!!」

「ああ……これはすまなかった」

 青年は素直に毛布を受け取り、落ち着いた手つきで体に巻き付ける。
 その仕草が無駄に優雅で、余計にリラの混乱を煽った。

(なんでこんな状況で所作が綺麗なの!?)

 息を荒げているのはリラの方だけで、目の前の青年はやけに静かだった。

 毛布で上半身もある程度隠れて、ようやく直視できる状態になる。

 改めて見ても、やっぱり目が釘付けになる顔だ。
 高い鼻筋、薄く笑っている口元、長い睫毛。
 そして——見慣れた蒼い瞳。

 その瞳と視線が合った瞬間、心臓がすこん、と変な音を立てて跳ねた。

「……あの」

 リラは喉をごくりと鳴らした。

「あなた、誰……?」

 一拍の静寂。

 次の瞬間、青年は静かに片膝をついた。
 納屋の干し草の上だというのに、その動きには妙な気品がある。

 まるで王宮の謁見室みたいな場所で、貴族が主君に忠誠を誓うときのような姿勢。
 ぎこちなさが一切ない。

「我が名はアゼル」

 低く、よく通る声が、狭い納屋にふわりと響いた。

「天と地の均衡を司る竜王——その本体だ」

「…………はい?」

 理解が、一ミリも追いつかなかった。

「えっと、えっと、えっと……」

 竜王。
 天と地の均衡。
 その単語の重さが、まとめて頭に降ってくる。

「りゅ、りゅう……おう……?」

 噛みまくって、情けない声になる。

 アゼルと名乗った青年は、少しだけ眉を下げて苦笑した。

「人間の言葉では、“竜王”と呼ばれているらしいな。
 空と大地の魔力の流れを見張り、ときに調整し、ときに放置する存在。
 それが我だ」

「説明がざっくりしすぎてるんですけど!? え、え、竜って、あの竜!? で、その王!? ランク最上位!? 世界のボスキャラみたいな!?」

「……“ボスキャラ”の意味はよくわからないが、多分、概ね合っている」

「合ってるんだ……」

 合ってるんだ……じゃない。

 リラは自分の頭の中で鳴り響いているツッコミをどうにか並べつつ、壁に手をついて深呼吸した。

「ちょっと整理させて……」

「もちろん」

「私は、雨の森で、血まみれで倒れてた猫を拾いました」

「ああ」

「それが、シロです」

「そうだな」

「で、そのシロが、今、目の前のほぼ裸のイケメンに変身しました」

「そこはあまり強調しなくていい」

「いやそこが一番混乱してるところなんですよ!? っていうかシロは!? シロどこいったの!? シロ返して!!」

 必死に周りを見回すリラを見て、アゼルはわずかに目を細めた。

「……落ち着け。シロ、というのはこの姿の時の我の名前か?」

「え?」

「猫の姿のとき、お前がそう呼んでいた。
 我はその“シロ”でもあり、今お前の前にいるこの姿でもある」

「…………え、つまり」

 リラの口から出たのは、非常に残念なまとめだった。

「シロ=アゼル=竜王=ほぼ裸イケメン?」

「最後の肩書きはやめてほしいのだが」

 眉をひくりとさせながらも、アゼルは否定しない。
 つまり、本当にそういうことらしい。

(え、私、竜王、拾った?)

 追放されて、森で倒れかけて、泣きながら猫拾って。
 その猫が実は世界の均衡をどうこうする竜王でしたって。

「いやいやいや待って待って、テンプレみたいな展開が現実に起きていいと思ってんの?」

「“テンプレ”とはなんだ」

「こっちの話です!!」

 頭が混乱しすぎて、変なところが元気になる。

 だけど、その混乱の奥で、ひとつだけ冷静な疑問が生まれた。

「……なんで、そんなすごい人(?)が、私なんかに助けられてるの」

 声に出した瞬間、自分の中にまだ残っていた“自己評価の低さ”が、はっきりと姿を現した気がした。

 アゼルは少しだけ表情を和らげた。

「それは——」

 彼は視線だけを落として、自分の胸元を軽く叩いた。

「もともと我は、竜の姿でこの辺りの魔力の乱れを見ていた。
 だが、少しばかり手を出しすぎて、逆に反発を食らってな。
 重傷を負って、あの森の中へ落ちた」

(さらっと何してんのこの人)

「竜の姿のままでは、魔力の回復に時間がかかる。
 それに、傷ついた竜というのは、欲に目が眩んだ人間や魔物の格好の標的だ。
 だから、魔力を封じ、人間世界に紛れ込むために——猫の姿を選んだ」

「……猫になれるの、すごいですね」

「実用的だろう?」

「実用的って言葉で片付けないでほしい……」

 でも確かに、猫なら誰も“世界の均衡を司る竜王”だなんて思わない。
 リラも、思わなかった。全力で。

「そこで、お前に拾われた」

 アゼルはまっすぐにリラを見た。

「あのときの我の状態は、正直、かなり危なかった。
 魔力の流れも乱れ、肉体も損傷していた。
 普通の人間の治癒でどうにかなるレベルでは、なかった」

「……でも、私の治癒で助かった」

「ああ」

 アゼルは短く頷く。

「お前の治癒は、普通の人間とは“質”が違う。
 竜の核に近い部分まで届き、直接そこを撫でるように修復していった」

「ぜ、全然自覚ないんですけど……」

「だろうな。お前はあまりにも、それを当然のことのようにやる」

 アゼルは、少しだけ目を細めた。

「あのとき猫の姿の我は、お前の腕の中で、久しく感じたことのない“安らぎ”を覚えた。
 だから——我は、お前に助けられた側だ」

「でも、測定器は……」

 思わず口をついて出た言葉に、アゼルの眉がわずかに動いた。

「測定器?」

「神殿にあった、人間の魔力を測る装置です。
 それで私は、“基準以下の役立たず”って宣告されて……」

 話しながら、自分で自分に腹が立ってくる。
 こうやって口に出すと、その言葉の理不尽さが、余計に際立つから。

「ふむ……」

 アゼルは腕を組んで少し考えるような仕草をしてから、淡々と言った。

「人間の作った測定器など、所詮人間の範囲でしか測れん。
 竜の理に近い魔力を持つ者は、むしろ正しく測れないことの方が多い」

「竜の……理?」

「お前の魔力の流れは、人間特有のものとは少し違う。
 深く、澄んでいて、竜の魔力と噛み合いやすい。
 だから、多分——人間用の基準から見れば、“外れている”」

「外れてるから、“基準以下”って出た……?」

「可能性は高いな。
 つまり、お前は“人間の物差しでは測れない”側ということだ」

 淡々と言われたその言葉が、胸の奥にじん、と響いた。

 人間の物差しでは測れない。
 だから、「基準以下」じゃなくて、「基準外」だった。
 そういう話になる。

(そんなの、聞いてないんだけど)

 でも、妙にしっくりきてしまうのが悔しい。

 村での治癒がうまくいきすぎること。
 シロ——アゼル——に触れていると、魔力の流れが異様にスムーズになること。

 全部、一本の線で繋がっていく。

「……でも、だからって、竜王本人から“普通じゃない”って言われても困るんですけど」

「事実だ」

「事実なのはわかりましたけど、もうちょっとこう……優しい言い回しとかないんですか。“特別”とかさ」

「では言い直そう。お前は特別だ」

 あまりにもストレートに、迷いなく言われて、リラの顔が一瞬で熱くなる。

「ちょ、ちょっと待って今のはずるい! そういうトーンで言われるとなんか勘違いするじゃん!?」

「勘違いとは?」

「知らないふりしないで!!」

 慌てて布団を引き寄せ、半分顔を隠す。
 アゼルは、その様子をどこか楽しそうに見つめていた。



「……でもやっぱり、信じられないな」

 ひとしきり騒いだあと、リラは布団から顔だけ出して、小さく呟いた。

「まさか、シロが……竜王で。
 竜王が、“私だから助かった”って言ってくれて。
 そんな話、どう考えても私の人生の想定外なんですけど」

「我とて、猫の姿でここまで馴染むとは思っていなかったがな」

「そこ、そういう感想なんだ……」

 アゼルは少しだけ視線を柔らかくした。

「お前が拾ってくれなければ、我はあの森の中で少しばかり長い眠りに入っていただろう。
 そのあいだに、王都の結界はさらに歪み、この辺りの村も巻き込まれていたかもしれん」

「……え」

「お前は、自分で思っている以上に、多くのものを救っている。
 少なくとも——我は、そう断言できる」

「そんな大きな話、急にされても困る……」

 でも、否定しきれない自分もいる。

 あの森で、猫を見捨てなかったこと。
 マリアの家の前までたどり着いたこと。
 村の人たちの怪我を治してきたこと。

 全部が、どこか遠くで繋がっているのかもしれない、と思えてしまう。

「だから、お前が“なんで私なんかが”と思うのは自由だが——」

 アゼルは立ち上がり、毛布を整えながら、リラの前に膝をついた。

 目線が、同じ高さになる。

「我からすれば、“お前でなければ困る”」

「…………」

 胸の奥が、ぎゅうっと締め付けられた。

 神殿では、一度も言われなかった言葉。
 「いなくても困らない」どころか、「いたら評価が下がる」とまで思われていた自分が。

 今、目の前の竜王から、「お前でなければ困る」と言われている。

「……反則だよ、そういうこと言うの」

 喉が熱くなって、声がうまく出ない。

「涙腺に悪いんだけど」

「泣くなとは言っていないが」

「そこは“泣いていい”とか言って……いや、言われたら多分本当に泣くからやっぱやめて……」

 完全に情緒がおかしい。

 アゼルはふっと笑って、「今日はこれ以上、情報を詰め込まない方がよさそうだな」と呟いた。

「我のことは、これまで通りシロと呼んでもいい。
 この姿のときは“アゼル”でも構わない。好きなように呼べ」

「そんな、“猫のときはシロ、人のときはアゼル”みたいな使い分け提案してくる竜王いる?」

「ここにいる」

「即答……」

 なんだかもう、ツッコミ疲れてきた。

 アゼル——シロは、立ち上がって納屋の扉の方を見た。

「村の者たちには、当面猫の姿しか見せん。
 竜王だのなんだのと騒がれても面倒だからな」

「ですよね。マリアさんにバレたら、絶対いじられる」

「想像に難くないな」

 ふたりのあいだに、妙に静かな共犯者めいた空気が流れる。

「……じゃあ」

 リラは布団の上で体を起こし、少しだけためらってから言った。

「今後とも、よろしくお願いします……シロ? アゼル? どっち?」

「両方だ。……こちらこそだ、リラ」

 アゼルは一瞬だけ、猫のときのような柔らかい笑みを浮かべた。

 その笑顔を見た瞬間——
 今まで「猫だから可愛い」で誤魔化していた感情に、別の意味が混じり始めたことに、リラは薄々気づいてしまう。

(やだなあ……)

 胸の奥が、さっきとは違う種類の熱を帯びる。

(猫がイケメンになるって聞いてないんだけど……)

 竜王だの世界の均衡だのという、とんでもない単語と一緒に。

 リラの平穏な日常は、満月の夜、静かに、でも確実にひっくり返されたのだった。
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