追放後に拾った猫が実は竜王で、溺愛プロポーズが止まらない

タマ マコト

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第9話「トラウマ告白と、竜王の“巣”宣言」

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 その夜、村はいつもより静かだった。

 昼間の騒ぎが嘘みたいに、風の音と虫の声だけが聞こえる。
 魔物の足跡は消され、壊れた柵も応急処置されて、村人たちは皆「とりあえず今日は寝よう」と言って家に引きこもった。

 マリアもさすがに疲れたのか、「戸締まりだけしっかりしときなさいよ」と言い残して、早々に寝室に引っ込んでいった。

 リラはといえば——。

 寝床に入って、三十秒で諦めた。

「……無理だ。寝れない」

 目を閉じれば、昼間の光景が鮮明に浮かぶ。
 魔物の赤い目。飛び散る土。吹き飛ぶ人影。
 そして、竜王の片鱗をのぞかせたアゼルの背中。

 その全部が、頭の中でごちゃごちゃに混ざって、まるで別の悪夢のように脳を刺激してくる。

(落ち着けって言われても、無理なものは無理じゃん……)

 結局、リラは布団から抜け出して、そっと家の方へ向かった。

 夜の家の中は、いつもより広く感じる。
 暖炉の火だけが小さく燃えていて、その橙色の光が壁や床にゆらゆらと揺れる影を落としている。

 マリアの寝室の扉は閉まっていて、かすかな寝息が聞こえる。
 他に起きている人間は——いない。

 なのに、誰かの気配があった。

「眠れんか」

 暖炉の前。
 古い椅子に腰掛けていたアゼルが、火の向こうからこちらを見た。

 黒い髪はゆるくほどかれていて、少し濡れている。
 さっき外で風に当たっていたのか、シャツの胸元もほんの少し開いていて、鎖骨がちらりとのぞく。

(なんでそんな“月明かりに座るイケメン”みたいなポーズが自然にできんのこの竜……)

 リラは心の中で全力ツッコミを入れながら、口から出そうになった感想を飲み込んだ。

「アゼルこそ、寝ないんですか」

「竜は、人間ほど眠りを必要とせん」

「そういうところだけファンタジーっぽいなあ……」

「“だけ”とは何だ」

「なんでもないです」

 いつもの軽い応酬で、少しだけ肩の力が抜ける。

 暖炉の前の床に座り込むと、じんわりと背中に火の熱が伝わってくる。
 さっきまで冷えていた足先も、じわじわ温度を取り戻していく。

 沈黙が、しばらく続いた。

 パチ、パチ、と薪が爆ぜる音。
 外の風が窓を撫でる音。
 その合間に、心臓の鼓動がうるさいくらい響く。

「……ねえ、アゼル」

 リラは、火を見つめたまま口を開いた。

「今日、怖かった?」

 自分でも、変な質問だと思った。

 竜王に向かって「怖かった?」はない。
 でも、聞かずにはいられなかった。

 アゼルは少しだけ目を瞬かせてから、首を横に振る。

「我は、あまり“恐怖”という感情を強くは感じない。
 危険だと判断すれば回避するし、勝てないと判断すれば退く。
 それは、ただの“選択”だ」

「……あー、なんか、らしいですね」

 リラは小さく笑う。

「じゃあ、今日一番怖がってたのは、やっぱり私か……」

「怖がっていた割には、よく前に出ていたがな」

「いや、怖いからって足が止まるとは限らないですよ」

 喉の奥まで出かかった言葉を、続けるかどうか迷う。

(今なら……言えるかもしれない)

 アゼルは、ただ静かにこちらを見ている。
 せかしたり、急かしたりする様子はない。

 それが逆に、背中を押してくる。

「ねえ、アゼル」

「なんだ」

「聞いてくれます? ……ちょっと長くなるかもだけど」

「いくらでも」

 即答だった。迷いがない。

 それだけで、少し泣きそうになる。

 暖炉の火を見つめたまま、リラは少しずつ、言葉を探し始めた。



「神殿でのこと、あんまりちゃんと話してなかったですよね」

「ああ」

「……正直、そんなに楽しい話じゃないんですけど」

「楽しい話である必要はない」

 アゼルのその一言が、胸の奥にすっと染み込む。

(“楽しい話じゃなくてごめん”って、いつもどこかで思ってたな……)

 誰かに自分の過去を話すとき。
 暗いところとか、嫌なところとか、聞く人を困らせるような部分は、意識的に飛ばしてきた。

 でも、今は——それをやめてみようと思えた。

「私さ、小さいころ、神殿の前に捨てられてたんですよ」

 淡々とした口調で、事実だけを述べる。

「名前も、家も、何にも覚えてなくて。
 神殿の人が“女神様が授けてくれた子だ”って言って、拾ってくれて。
 “リラ”って名前も、そのときつけてもらったやつ」

「女神からの贈り物を、“補欠”扱いとはな」

「やめてください、今そこ突っ込まれると笑っちゃうから」

 涙腺のすぐ横で笑いのツボをつつかないでほしい。

「でもまあ、当時の私は、本気でありがたいと思ってたんですよ。
 だって、“捨てられてた”はずの私が、“拾ってもらえた”んだもん」

 そこに疑問を挟む余地なんてなかった。

「だから、どんな扱いされても、“拾ってもらったんだから文句言えない”って、自分に言い聞かせてて。
 雑用ばっかりでも、“役に立つから置いてもらえてるんだ”って」

「本気で、そう思っていたのか」

「今から思えば、かなり洗脳に近いですけどね」

 自嘲気味に笑う。

「……でも、当時の私には、それしか拠り所がなかったんです」

 ぽつり、ぽつりと、言葉がこぼれていく。

「レイナ様は、最初から光みたいな人で。
 人当たりよくて、笑顔がきれいで、周りからもすごく期待されてて。
でも、私には優しくて、“同じ大聖女候補だよ”って、よく声をかけてくれて」

 そのたびに、胸がくすぐったくなって。
 同時に、どこかで「そんなわけない」とも思っていた。

「わかってたんですよ、本当は。
 “同じ”なんかじゃないって。
 私は、力も足りないし、出自もよくわからないし、何かあれば真っ先に切られる側の存在だって」

 でも、その現実を認めるのが怖かったから。

「だから、しがみついてたんです。
 神殿に。
 レイナ様に。
 “ここしか居場所がない”“ここで頑張れば、いつか必要としてもらえる”って、必死に思い込んでた」

 薪がはぜる音が、やけに耳に残る。

「“見て見ないふり”も、いっぱいしました。
 測定の結果がどう考えても変だなって思ったときも。
 レイナ様の目が、たまに冷たく光るときも。
 “私の気のせいだ”“私が卑屈なだけだ”って、自分を責めて、全部見ないようにして」

「……」

「だって、そんなこと認めたら、本当に居場所なくなっちゃう気がして。
 “神殿が間違ってる”って思うより、“私が間違ってる”って思う方が、怖くなかったから」

 それが、あの日まで。

「追放宣告されたときも……正直、“やっぱりな”ってどこかで思ってました」

 悔しくて、悲しくて。
 同時に、「ほら、やっぱり。こうなるって知ってたくせに」って、もう一人の自分が冷めた声で笑っていた。

「それでも、最後の最後まで、“レイナ様だけは違う”って思いたくて。
 “庇えなかったごめんね”って言われたときも、“しょうがない”って自分に言い聞かせて。
 でも、その目の奥に、ちょっと安堵が見えた瞬間に——」

 胸をぎゅっと掴まれたような感覚が蘇る。

「何かが、壊れた感じがしたんです」

 ぱきん、と。
 心の中のガラスが割れる音。

「“ああ、私、ここにしがみついてただけなんだ”って。
 “誰も、本気で『居てほしい』って言ってくれてなかったんだ”って」

 そこから先は、早かった。

「門を出たあとも、“いらない”“役立たず”“基準以下”って言葉が、ずっと頭の中で繰り返されて。
 森で雨に打たれてるときも、“どこでもいいから消えたいな”って、本気で思ってた」

 猫の泣き声が、全部を変えたんだけど——それは、もう話した。

 暖炉の火が、少し小さくなった気がする。
 薪を足そうと腰を浮かしかけたとき、「そのままでいい」とアゼルが静かに言った。

「……今の話、暗くなかったですか」

 リラは、半分冗談のつもりで尋ねる。

 アゼルは首を横に振った。

「暗い話だ」

「ですよね」

「だが、“暗いから話すべきではない”ということにはならん」

 その言葉に、肩の力がまたひとつ抜ける。

 アゼルは腕を組んだまま、少しだけ視線を落とした。

「お前は、自分の居場所を“与えられるもの”だと思い込まされていた」

「……与えられた、って感覚は、ずっとありました」

 拾われた命。
 置いてもらっている場所。
 与えられた肩書き。

 どれも、自分から取りにいったものじゃない。

「でもな、リラ」

 アゼルの声が、少しだけ低く、柔らかくなる。

「“居場所”とは、本来、与えられるものではない」

 その言葉は、暖炉の火よりもあたたかく感じた。

「お前自身が、『ここにいたい』と選んだ場所。
 そこで、『ここで笑っていたい』と思えた時間。
 それが、本物の“巣”だ」

「巣……」

 聞き慣れない言い回しに、リラは首を傾げる。

「竜は、広い空も大地も持っているが、“巣”と呼べる場所はそう多くない」

 アゼルは、少しだけ遠くを見るような目つきになった。

「体を休めるだけなら、どこでもいい。
 だが、“心を下ろせる場所”は、そう何度も作らない」

「……なんか、ちょっとわかるかも」

 村の納屋。
 干し草とシロの体温。
 マリアのぶっきらぼうな優しさ。
 外の世界に出る前の神殿にはなかったものが、ここにはある。

「神殿は、お前にとって“檻”ではあったが、“巣”ではなかった」

「檻……」

 その言葉が、妙にしっくり来てしまう。

「お前は、“ここにいたい”と思っていたわけではない。
 “ここにいるしかない”と思い込んでいた」

「……そう、ですね」

 違いは、痛いほどわかる。

「じゃあ、今は?」

 アゼルが問う。

「今、お前はここをどう思っている?」

 リラは、暖炉の火を見た。
 マリアが残していったカップ。
 さっきまで泣いていた子どもたちの顔。
 昼間、必死で牛を守っていた村人たちの背中。

 そして。

 猫の姿でひざに乗ってきて、人の姿で隣に座る竜王。

「……“ここにいたい”って、思ってます」

 少し照れくさくて、声は小さくなった。

「すごく、居心地がいいわけじゃないです。
 大変だし、貧しいし、明日どうなるかもわからないし。
 でも、“ここから追い出されたくないな”って、本気で思いました。今日」

 魔物が襲ってきたとき。
 この場所が壊されるのが、心底怖かった。

「それは、お前がここを“巣”にし始めている証だ」

 アゼルは、静かに頷いた。

「巣は、最初から用意されているものではない。
 自分で枝を集めて、形を整えて、少しずつ居心地よくしていくものだ」

「枝っていう例えが妙にリアル……」

「竜も、昔はよく巣作りの真似事をしたものだ」

「可愛い話をサラッと挟まないでください」

 危うく変な想像をしてしまう。

 アゼルは、ふっと笑った。

「そして——」

 そこで、彼は少しだけ表情を変えた。

 柔らかくて、どこか照れたような笑み。
 竜王の顔というより、少し不器用な青年の顔。

「我は、もう、とっくにお前を“自分の巣”だと思っている」

「…………は?」

 リラの頭の中で、何かがショートした。

「えっと、ごめん、今なんて?」

「聞こえなかったか? ではもう一度——」

「ちょちょちょちょっと待って、一回で十分です!!」

 慌てて両手で耳を塞ぐ。
 でも、さっきの言葉はしっかり脳内リピートされていた。

(“お前を自分の巣だと思っている”って、なに……?)

 鼓動がバクバクとうるさい。
 顔から耳まで、一気に熱くなる。

「ちょっと待って、整理させて……!」

「またか」

「必要なんですよ!!」

 両膝を抱えて、頭を抱え込む。

(竜の“巣”論はわかった。
 “心を下ろせる場所”が巣。
 “ここにいたい”って思える場所が巣)

 そこまではいい。
 問題は、その“巣”という単語を、今この人(竜)が自分に向けて使ったことだ。

「……それって」

 顔を上げる。
 アゼルは、いつも通り、というか少しだけ楽しそうな顔でこちらを見ている。

「それって告白なの?
 それとも竜の比喩?
 文化の違いによる誤解? どれ?」

 連射のように言葉が飛び出した。

「竜文化的には、“巣”ってそんな軽々しく使う単語なんですか?
 “お気に入りのカフェ”くらいの軽さ? それとも“人生で一度だけ選ぶ伴侶”くらいの重さ?
 今どっちに怯えればいいんですか私は!!」

「落ち着け、リラ」

「落ち着けるかー!!」

 椅子の脚を軽く蹴ってしまう。
 アゼルは「椅子に当たるな」とだけ冷静に注意した。そこじゃない。

 彼は少しだけ考えるように間を置いてから、真面目な声で言った。

「竜にとって、“巣”というのは——」

「うん」

「“最も守りたいもの”のことだ」

「…………」

「場所であることもあれば、存在そのものを指すこともある。
 我がさっき言ったのは、後者だ」

「存在そのもの……」

 リラの脳内で、「巣=守りたい存在=私」に変換される。

 情報量が多すぎる。

「じゃあやっぱり告白じゃん!!」

「そこまで恋愛一択の解釈をする必要があるのか?」

「いやそういう言い方以外にどうとればいいんですか!!」

 リラは両手で顔を覆い、そのままテーブルに突っ伏した。

「だって、“お前は俺の巣”って、かなりのパワーワードですよ!?
 人間界に置き換えたら、“お前が俺の帰る場所だ”ですよ!?
 プロポーズの一歩手前じゃん!!」

「人間界の比喩に換算するのはやめてくれないか」

「こっちの方がわかりやすいんです!!」

 自分で言っておいて、自分でさらに恥ずかしくなる。
 ほんとやめてほしい、この脳みそ。

 顔を覆ったままのリラの横で、アゼルが小さく息を吐いた。

「……まあ、完全に的外れでもない」

「え、否定しないの!?」

「我は、基本的に嘘はつかん」

「今はちょっと嘘ついても良かった場面じゃない!?」

 もう、どこに顔を向けても恥ずかしい。

 暖炉の火さえ、こちらを生温かく見ている気がする。

「誤解がないように言っておくが」

 アゼルは、少しだけ言い方を変えた。

「“伴侶”だの“所有”だの、そういう意味で言ったわけではない。
 “お前がここにいたいと望むなら、我はその場所を全力で守る”という宣言だ」

「……」

「お前がここを去りたいと言うなら、その選択も尊重する。
 だが、“ここにいたい”と選ぶ限り——
 我にとってお前は、“守るべき巣”だ」

 少しだけ、息が止まった。

 さっきまで暴走していた頭の中が、すっと静かになる。

 恋愛だの告白だの、そういう甘い言葉よりも。
 今の言い方の方が、よっぽど重くて、響いた。

「……ずるいなあ、やっぱり」

 リラは小さく笑って、顔を上げた。

「ずるいよ、アゼル」

「そうか?」

「そうですよ。そんなふうに言われたら、“ここにいたい”って、もっと思っちゃうじゃん」

 頬がまだ熱い。
 恥ずかしさも、照れも、全部混ざっているけれど——嫌じゃない。

 むしろ、胸の奥にあった冷たいものが、少しずつ溶けていく感覚の方が強い。

「……ありがと」

 リラは、ちゃんと目を見て言った。

「“巣”って言ってくれて。
 “守る”って言ってくれて。
 それから——私の話、ちゃんと聞いてくれて」

「礼を言われることではない」

「あります」

 即答する。

「“暗い話でもいい”って言ってもらえたの、すごく、救われました」

 アゼルは、少しだけ視線をそらした。
 竜王らしからぬ、照れたような仕草。

 その横顔を見て、リラはふっと笑う。

「……ねえ」

「なんだ」

「私も、そのうち言えるようになるのかな。“アゼルが私の巣だよ”って」

 冗談半分、本気半分。
 自分で言って、自分で顔が熱くなる。

 アゼルは驚いたように目を瞬いたあと、ゆっくりと微笑んだ。

「それは——」

「うわ待って答えなくていい!! 今の忘れて!!」

 慌てて両手をぶんぶん振る。

「今日の私はちょっとテンションがおかしいだけです!! 疲れてるから!!」

「ふむ。では、今日のところは聞かなかったことにしておこう」

 “今日のところは”と言いつつ、二度と忘れないタイプの言い方だった。

「やっぱりずるい……」

 もう一度ぼやいて、リラは立ち上がる。

「……そろそろ、本当に寝ないと。明日も畑ありますし」

「ああ」

「アゼルは?」

「しばらく火を見ている。すぐ眠る気分ではないからな」

「そっか」

 背を向けかけて、ふと振り返る。

「ねえ」

「まだ何か?」

「……おやすみ、“巣”の主」

 からかうように言ったつもりだったのに、途中で自分で恥ずかしくなって、語尾がしぼんだ。

 アゼルは、少し目を見開き、それから柔らかく笑う。

「おやすみ、“我の巣”」

「それ、やっぱり破壊力高いからやめよ!? 心臓に悪い!!」

 顔を真っ赤にして、リラは逃げるように寝室——という名の納屋に戻った。

 干し草の匂い。
 シロとしてのアゼルの体温がまだ残っている布団。

 布団に潜り込むと、さっきまでの緊張が嘘みたいに、まぶたが重くなった。

(“居場所は与えられるものじゃない”か……)

 胸の中で、その言葉を反芻する。

(“ここにいたい”って、私が選ぶ場所)

 なら——。

(たぶん、今の私は、ここを選んでる)

 神殿の冷たい床ではなく。
 王都の誰も知らない石畳でもなく。

 この小さな村と。
 干し草の寝床と。
 竜王であり、猫のシロである存在と。

 それが、今の彼女にとっての「巣」の形だった。

 少しだけ甘くて、少しだけ苦くて、でも確かにあたたかい感情を抱えたまま——
 リラはようやく、深い眠りへと落ちていった。
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