追放後に拾った猫が実は竜王で、溺愛プロポーズが止まらない

タマ マコト

文字の大きさ
10 / 20

第10話「小さな祭りと、“ここにいたい”という気持ち」

しおりを挟む
 村に、色が増えた。

 そんなふうに思ったのは、その日の夕方、マリアの家の前でランタンに火を灯していたときだ。

「はい、次。そこ持って」

「は、はい!」

 差し出されたランタンの底を受け取りながら、リラは思わず笑ってしまう。

 木の枠で作られた、素朴な四角いランタン。
 中には小さなろうそくが一本だけ。
 薄い布を貼った側面は、ところどころ子どもの落書きみたいな花や星で彩られていた。

「これ、誰が描いたんですか?」

「近所のガキども。ほら、ルカんとこのとか」

「なんか、味ありますね……」

「いい意味なのか悪い意味なのかわかんない言い方すんじゃないよ」

 マリアは呆れたように笑いながら、ランタンの紐を軒先に引っかけていく。

 同じようなランタンが、村の家々の軒下にもぶら下がっている。
 夕暮れの青さがゆっくりと薄れていく中で、小さな灯りがひとつ、またひとつと増えていく。

 それだけで、普段とまったく違う世界に見えた。

「ねえマリアさん」

「ん?」

「収穫祭って、毎年こんな感じなんですか?」

「“こんな感じ”がどんな感じかによるわね」

「こう……手作り感……?」

「うるさいよ」

 ぺし、と軽く肩を叩かれる。

「もともと、この村の祭りなんて、そんな大層なもんじゃないの。
 余った穀物ちょっと持ち寄って、薄いスープを“今日はちょっと濃くしようか”って頑張って、
 酒に強い奴が先に潰れて、子どもたちが走り回って終わり」

「言い方が容赦ない……」

「でも、今年はちょっと違うわね」

 マリアは、ぶら下げたランタンを見上げながら、ぽつりと呟いた。

「魔物騒ぎもあったし、怪我人も出た。
 “祭りどころじゃない”って声もあったけどね。
 それでも皆、“今年はやろう”って言い張ったわけ」

「なんでですか?」

「“生きてるうちに楽しんどかなきゃ損だ”ってさ」

 言いながら、マリアの目は少しだけ柔らかい。

「それに——」

 そこで一度言葉を切って、横目でリラを見る。

「“リラがいてくれるうちに、ちゃんと祝いごとを一緒にしたい”って」

「……え」

 胸の奥が、きゅ、と鳴った。

「いやそれ誰が……」

「村の半分くらい」

「半分……半分ってけっこう多いですよね!?」

「残りの半分は、“口に出すのが照れくさい”ってだけよ。
 アンタ、村の人気者って自覚、そろそろ持ちな」

「む、無理です……そんな急に……」

 頬が一気に熱くなる。

 追放された元聖女。
 “役立たず”と烙印を押された補欠。

 そんな自分に「人気者」なんて単語が似合うなんて、どうしても現実感がない。

 けれど——家の前にぶら下がったランタンの灯りは、確かにリラの胸を温かく照らしていた。



 日がすっかり落ちたころ、村の広場が賑やかになり始めた。

 広場と言っても、ただ少し開けた土の広場だ。
 中心には、適当に組まれた木の台。
 そこにパンとスープの大鍋が並び、周りには木の椅子や丸太の簡易ベンチ。

 ランタンの灯りが、夜の闇を柔らかく押し返している。
 上を見上げれば、星がぽつぽつと瞬いていて、満月は少し欠けていた。

「わあ……」

 リラは思わず足を止めた。

 普段は土と汗とため息でいっぱいの場所が、今日は違う匂いをしている。
 スープの香り。焼いたパンの香ばしさ。
 それに、人々の笑い声が混ざり合って、小さな祭りの空気を作っていた。

「リラ!」

 誰かが呼ぶ。
 振り向くと、ルカの弟──この間、骨折しかけて運び込まれた少年が、全力疾走でこちらに向かってきていた。

「ちょっと、走っちゃダメ——」

 と言うより早く、少年はリラの腰に飛びつく。

「うわっと……!」

 よろけながらも、どうにか受け止める。

「お姉ちゃん!」

 顔を上げた少年は、まるで何事もなかったかのように笑っていた。
 その笑顔には、痛みの影も、不安の跡もない。

「お母さん、元気になったんだよ!」

「……うん、知ってるよ。よかったね」

 あの日の重傷が嘘みたいに、彼の母親は今、鍋の前でスープをよそっている。
 手にも表情にも疲れは見えるけれど、生気が戻っていた。

「これ、あげる!」

「え?」

 少年が差し出したのは、小さな花冠だった。

 色とりどりの野の花が、不器用に編まれている。
 ところどころ茎が飛び出していて、形もいびつだ。

 でも、間違いなく「誰かが一生懸命作った」花冠だった。

「お姉ちゃんのおかげで、お母さん元気になったんだよ。
 ありがとうって、お母さん言ってた。だから、これあげるって!」

「……」

 胸の奥がじん、と熱くなる。

「つけてあげる!」

「あ、いいよ、自分で——」

 言い終わる前に、少年は背伸びして、リラの頭の上に花冠をぽすんとのせた。

 茎がちょっとだけ頭皮に刺さって、少し痛い。
 でも、その痛みすら愛おしく感じる。

「似合う!」

「え、ほんとに?」

「ほんとほんと!」

 少年の無邪気な笑顔は、疑う余地がない。

 そこへ、別の子どもたちもわらわらと集まってくる。

「あ、リラお姉ちゃん!」「リラねえ!」「見て見て!」
 それぞれが、小さな花や、拾ってきた木の実や、折れかけの笛を自慢げに見せてくる。

「お姉ちゃんのおかげで、おばあちゃんの足、もう痛くないんだよ!」

「うちの弟も、お熱すぐ下がったの!」

「オレの膝も、もう全然痛くねー!」

 次々に飛び出す“ありがとう”の数々。
 どれも素朴で、飾り気がない。

「……こちらこそ、ありがとう」

 リラは一人一人の頭を撫でながら、ゆっくりと言った。

「皆が元気でいてくれる方が、私は嬉しいから」

 神殿では、こんなふうに「直接、感謝を向けられる」ことはあまりなかった。
 大きな儀式では、感謝の言葉は神殿全体に向けられて、個人の顔なんて見えなかった。

 今は違う。
 目の前にはっきりといる人たちが、自分に向けて、笑ってくれている。

(これが、“ここにいていい”って感覚なんだ……)

 胸の中で、小さな芽が、静かに膨らんでいく。



「はい、アンタのぶん」

 広場の隅でひと息ついていると、マリアがスープのはいった木の器とパンを持ってきた。

「ありがとうございま——」

 言いかけて、マリアの目が一瞬こちらを見て固まったのに気づく。

「なにその頭」

「え、あっ……」

 さっき少年にもらったままの花冠が、まだ頭の上に乗っていた。

「だから言ってよ……!」

「いや、似合ってんじゃない」

 マリアは口の端を上げる。

「なんか、“本物の聖女様です”って顔してるよ、今」

「やめてください、その肩書き呪い多めなんで……」

 リラは慌てて花冠に手をやりかけて、でも途中で動きを止めた。

「……でも、今の私が“聖女”って言われるのは、ちょっと悪くないかも」

「ほ?」

「昔の、あの神殿で呼ばれてた“候補”とか“補欠”とかじゃなくて。
 ここで、こうやって皆と一緒にスープ飲んで、怪我した人をちょっとだけ治して。
 その程度の“聖女”なら……」

 自分で言いながら、頬が少し熱くなる。

「いいかなって、思います」

 マリアはふっと笑った。

「アンタが思うなら、それでいいんだよ」

「……マリアさん」

「なに」

「さっき、子どもたちが……マリアさんに“リラお姉ちゃんすごいんだよ!”って自慢してましたよ」

「あいつら、すぐ言いふらすからなあ」

 口調は呆れたようなのに、目はまったく怒っていない。

「あんたが来てからさ」

 マリアは、スープをすすりながらぽつりと言う。

「村がちょっと、明るくなったよ」

「……え」

 あまりにもさらっとした言い方だったから、一瞬聞き逃しかけた。

「な、なにそれ、急に」

「事実。
 魔物は出るわ騒ぎは起こるわで、心臓には悪いけどね。
 でも、あんたがいると、みんな“まあどうにかなるかもな”って顔になんの」

「そんな……」

 そんな影響力、自分にあるとは思えない。
 思えないのに——。

 昼間の自分を思い出す。
 震えながらも、魔物の前に一歩踏み出した自分。
 村人たちを治療して、「どういたしまして」と初めてはっきり言えた自分。

(……ちょっとだけ、信じてもいいのかな)

 マリアがぼそっと付け足す。

「アンタ自身がどう思ってるかは知らないけどさ。
 少なくとも、うちの子どもたちと近所のばあさんたちは、あんたがいないと困るわよ」

「“うちの子どもたち”って、マリアさんの子どもいましたっけ……?」

「村のガキどもはだいたい私の子みたいなもんなの」

「それはそれで納得しちゃうの悔しい……」

 二人で笑い合う。
 その笑い声が、ランタンとスープの匂いに混ざって、広場の空気を少しだけ軽くする。



 やがて、村の片隅から音楽が聞こえてきた。

 楽器と言っても、立派なものではない。
 古い笛と、叩くと音が出る木の箱。
 それに、誰かが持ち出した壊れかけの弦楽器。

 でも、それぞれの音がぎこちなく重なり合って、不思議と心地いい旋律を作り出している。

「踊るぞー!」

「今年こそルカを回し蹴りしないように気をつけろよ!」

「誰が回し蹴りだ!」

 笑い声とともに、人々が輪になっていく。

 手を繋いでくるくる回る者。
 ステップを踏みながら適当に体を揺らす者。
 子どもたちはその間を縫うように走り回っている。

「リラも行ってこいな」

「え、私、踊りとか……」

「大丈夫大丈夫。“適当に足動かせば踊りになる”って昔の人も言ってた」

「絶対言ってない……」

 背中を押され、リラはぎこちなく輪の方へ歩き出す。

「リラ! 一緒に!」

「お姉ちゃん、こっち!」

 子どもたちに手を掴まれ、強制参加の流れが完成した。

 手を繋いで輪の中に入ると、最初は足の動かし方もタイミングもわからず、何度も隣の人とぶつかる。
 でも、ぶつかるたびに笑いが起こるから、不思議と恥ずかしくはなかった。

「右! 左! 回って!」

「ちょっと待って、回るの早い、早——きゃ!?」

 足をもつれさせて、危うく転びそうになった瞬間。

「にゃ」

 肩にふわりと重みがのった。

「……シロ?」

 横目で見れば、白銀の猫が器用にリラの肩の上に乗り、しっぽで軽くバランスを取っていた。

「踊りに混ざるの? 猫のくせに?」

「にゃ」

「ちょっと可愛いから許す……」

 猫を肩に乗せたまま踊る元聖女。
 周りから見ると、だいぶシュールな光景だ。

「あ、あれ……」

 子どもたちが目を丸くする。

「シロちゃんも踊りたいのかな!」

「猫も参加だー!」

 そのときだった。

 肩の上で、シロの体がふわりと揺らぐ。

「——ちょっと待っ、ここで変身はやめて!? 重心が!!」

 言い終わる前に、肩の上の重さが増した。
 蒼い光がぱっと弾ける。

 次の瞬間、リラの真横に、いつもの青年の姿が現れた。

 肩に乗っていた猫が、人間になったことで、当然のごとくバランスは崩壊する。

「わわっ——きゃあっ!」

 リラの足元から世界がぐるりと回った。

 が、直後に、誰かの腕がしっかりと腰を支えた。

「危ない」

「いや危ないを作ったのそっち!!」

 目の前には、アゼルの顔。
 普段は凛とした竜王の顔が、今は明らかに焦っている。

「すまない。計算を誤った」

「“計算を誤った”ってレベルじゃないよ!? 踊りの輪の中で変身する竜王どこにいるの!」

「ここにいる」

「即答やめて!!」

 周りから、どっと笑いが起こる。

「今の見た!?」「猫からいきなり男の人になった!?」「リラお姉ちゃん、なんか抱きとめられてない!?」

 子どもたちの好奇心は容赦ない。

「魔法? ねえ、今の魔法?」

「まあ、そんなところだ」

 アゼルは曖昧に笑ってごまかした。
 “竜王”という単語は、ここではまだ封印するらしい。

「アゼル、踊れるの?」

「理論上は可能だ」

「理論上って言い方ほど不安なものないよ……」

 案の定、その不安はすぐ現実になった。

 リラが半ば無理やり手を引いて輪に戻すと、アゼルは真剣な表情で他の人の動きを観察し始めた。

「右に一歩、左に一歩、回転……」

「そんな真面目な顔で踊りの分析しないで」

「リズムを……“拍”を数えれば……」

 ぶつぶつ言いながらステップを踏むが、明らかにタイミングがずれている。

「せーの、右!」

「……左?」

「なんでそこで疑問形!? ほら、今回る! 回る!」

 アゼルがステップを間違えるたびに、リラの足もそれに巻き込まれ、二人まとめてバランスを崩す。

「わ、また——!」

「おっと」

 ドサッ。

 見事に転んだ。

 土の上に尻もちをついたリラ、その脇に半分巻き込まれるアゼル。

 周りは笑いの渦だ。

「アゼルさん、踊り下手ー!」「すっころんだ!」「猫のときのほうが安定してた!」

「……なかなか難しいな、人間の踊りというものは」

「そんな真顔で言わないで……」

 リラは笑いながら、お腹を押さえた。

 こみ上げてくる笑いを止められない。
 転んだ痛みより、笑いすぎて頬が痛い。

 アゼルも、最初は若干不服そうな顔をしていたが、やがて観念したように口元を緩めた。

「悪くないな」

「何が?」

「こういうふうに笑われるのも」

 その言い方が、妙に優しかった。

 竜王としての威厳とか、世界の均衡とか。
 そういうものを全部一回棚に上げて、ただの“踊りの下手な青年”として笑われる時間。

 それを「悪くない」と言ってくれることが、嬉しかった。

「じゃあ、また転んでもらおうかな」

「いや、できれば次は転ばずに済ませたい」

「努力は認める」

 そんな会話をしながら、二人は再び立ち上がった。

 踊りの輪から一歩離れて、ランタンの光と人々の笑い声を眺める。

 子どもたちがはしゃぎ、老人たちがゆっくり足を動かし、マリアが笑いながら誰かの頭をはたいている。

 その全部が、夜の闇の中でぼんやりと明るく滲んでいた。

 リラの胸の奥で、「ここにいたい」という気持ちが、ゆっくりと根を伸ばしていくのを感じる。

 神殿の白い壁の中では、決して芽吹かなかった種類の感情だ。

(ああ……)

 心の中で、そっと呟く。

(この光景、好きだな)

 完璧じゃない。
 足りないものだらけで、荒くて、雑で、騒がしくて。

 それでも、愛おしい。



 祭りは、やがて緩やかに終わりを迎えた。

 子どもたちは順番に親に抱きかかえられ、家へ帰っていく。
 酒に弱い大人が一人、マリアに耳を引っ張られて連行されていく。
 ランタンの灯りも、ひとつ、またひとつと消されていった。

「ふー……」

 鍋の片付けをしながら、リラは大きく伸びをした。

 さすがに疲れた。
 でも、嫌な疲れではない。
 全身を使って、「今日という日」をちゃんと生きた疲れだ。

「手、痛くないか」

 横から、アゼルの声がした。

「大丈夫。鍋混ぜるのもだいぶ慣れてきました」

 手にできた小さなマメ。
 最初は「聖女の手が荒れる」なんて言われたらどうしよう、とわけのわからない不安を抱いたこともあった。

 今は、その小さな傷も、ここで生きている証みたいに思える。

 片付けが一段落すると、マリアが「先に寝るわよ」と言って家の中へ消えた。

「戸締まりはしときなさいねー! 変な男が家に入ってきたら困るから!」

「“変な男”って誰のこと……」

 視線を横にずらす。
 アゼルが、聞こえないふりをして空を見上げていた。

「絶対わかってて無視してるでしょ」

「さあ、なんのことやら」

「竜のくせに耳がいいな……」

 リラは笑いながら、空を見上げた。

 星が、いつもより少し近くに見える。
 祭りの余韻が、まだ村全体にうっすら残っている気がした。

 ふと、口が勝手に動いた。

「……今の私、ちょっと好きかも」

 あまりに自然に出た言葉に、自分が一番驚く。

「お?」

 アゼルが横目でこちらを見る。

「どの“今の私”だ?」

「どの、って言われると恥ずかしいんですけど……」

 リラは、手に持っていた布をぎゅっと握りしめた。

「今日みたいに、ちょっと頑張って、ちょっと失敗して、ちょっと笑って。
 “誰かの役に立てたかもしれないな”って、素直に思えて。
 それを、“うぬぼれかも”って否定しないでいられる、今の私」

 追放された元聖女。
 “役立たず”と言われた存在。
 その肩書きに縛られていた頃の自分とは、違う。

「ここで、こうして動いてる私を、“悪くないな”って、初めて思えた気がします」

 声が少しだけ震える。
 でも、それは悲しみからじゃない。

 胸の奥で、何かがふっと軽くなった。

「……そうか」

 アゼルの声は、嬉しそうだった。

 しみじみと噛みしめるみたいな響き。

「ようやくだな」

「ようやく?」

「自分で自分を、少しでも好きだと言えたのは、初めてだろう」

「……たぶん、そうですね」

 神殿にいた頃は、「頑張らなきゃ」「もっと役に立たなきゃ」が先に来ていた。
 “今の自分”をどう思うかなんて、考える余裕もなかった。

「いいことだ」

 アゼルは、いつになく柔らかい口調で言った。

「我は、最初から“今のお前”が好きだったが」

「ちょ、ちょっと待って今のさらっと流せない!!」

 さっきまでのしんみりが、一瞬で吹き飛ぶ。

「そういうの、前置きなく言わないで!? 心臓の準備運動必要なんですけど!!」

「準備運動とは」

「なんでもいいから今の撤回して!」

「嫌だ。嘘ではないからな」

「うわあああん!!」

 頭を抱えてしゃがみ込む。
 アゼルの笑い声が、夜の空気に溶けた。

 でも、その笑いはからかいだけじゃない。
 どこか安堵と、喜びが混じっている。

「“追放された元聖女”ではなく」

 アゼルが、夜空を見上げたまま言った。

「“この村に生きる一人のリラ”として、お前が自分を見られるようになったなら——」

 少し間を置く。

「それは、とても良いことだ」

 その言葉に、胸がじんと熱くなる。

 自分で自分に与えた、新しい肩書き。
 “この村に生きる一人のリラ”。

 それは、誰かに与えられたものではない。
 自分で選んで、名乗り始めた、自分だけの名前だ。

「……明日も、ちゃんと起きて、畑行って、シロ撫でて、怪我した人がいたら治して」

 リラは立ち上がり、空に向かって伸びをした。

「そうやって、“ここにいたい”って思い続けられたらいいな」

「ああ」

 アゼルは隣で静かに頷いた。

「我も、そう望む」

 ランタンの多くは消されていたけれど、空には星が残っている。
 地上には暖炉の火があり、家の中には眠る人々の気配がある。

 その全部を包み込むように、夜は優しく降りていた。

 追放された元聖女リラ。
 その肩書きは、もう彼女の全てではない。

 村の小さな祭りの夜。
 彼女は確かに、“この村に生きる一人のリラ”として、一歩を踏み出したのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

現実的な異世界召喚聖女

章槻雅希
ファンタジー
 高天原の神々は怒っていた。理不尽な異世界召喚に日ノ本の民が巻き込まれることに。そこで神々は怒りの鉄槌を異世界に下すことにした。  神々に選ばれた広瀬美琴54歳は17歳に若返り、異世界に召喚される。そして彼女は現代日本の職業倫理と雇用契約に基づき、王家と神殿への要求を突きつけるのだった。

旦那様、離婚しましょう ~私は冒険者になるのでご心配なくっ~

榎夜
恋愛
私と旦那様は白い結婚だ。体の関係どころか手を繋ぐ事もしたことがない。 ある日突然、旦那の子供を身籠ったという女性に離婚を要求された。 別に構いませんが......じゃあ、冒険者にでもなろうかしら? ー全50話ー

【完結】追放された転生聖女は、無手ですべてを粉砕する

ゆきむらちひろ
ファンタジー
「祈るより、殴る方が早いので」 ひとりの脳筋聖女が、本人にまったくその気がないまま、緻密に練られたシリアスな陰謀を片っ端から台無しにしていく痛快無比なアクションコメディ。 ■あらすじ 聖女セレスティアは、その類稀なる聖なる力(物理)ゆえに王都から追放された。 実は彼女には前世の記憶があって、平和な日本で暮らしていたしがないOLだった。 そして今世にて、神に祈りを捧げる乙女として王国に奉仕する聖女に転生。 だがなぜかその身に宿ったのは治癒の奇跡ではなく、岩をも砕く超人的な筋力だった。 儀式はすっぽかす。祈りの言葉は覚えられない。挙句の果てには、神殿に押し入った魔物を祈祷ではなくラリアットで撃退する始末。 そんな彼女に愛想を尽かした王国は、新たに現れた完璧な治癒能力を持つ聖女リリアナを迎え入れ、セレスティアを「偽りの聖女」として追放する。 「まあ、田舎でスローライフも悪くないか」 追放された本人はいたって能天気。行く先も分からぬまま彼女は新天地を求めて旅に出る。 しかし、彼女の行く手には、王国転覆を狙う宰相が仕組んだシリアスな陰謀の影が渦巻いていた。 「お嬢さん、命が惜しければこの密書を……」 「話が長い! 要点は!? ……もういい、面倒だから全員まとめてかかってこい!」 刺客の脅しも、古代遺跡の難解な謎も、国家を揺るがす秘密の会合も、セレスティアはすべてを「考えるのが面倒くさい」の一言で片付け、その剛腕で粉砕していく。 果たしてセレスティアはスローライフを手にすることができるのか……。 ※「小説家になろう」、「カクヨム」、「アルファポリス」に同内容のものを投稿しています。 ※この作品以外にもいろいろと小説を投稿しています。よろしければそちらもご覧ください。

召喚失敗!?いや、私聖女みたいなんですけど・・・まぁいっか。

SaToo
ファンタジー
聖女を召喚しておいてお前は聖女じゃないって、それはなくない? その魔道具、私の力量りきれてないよ?まぁ聖女じゃないっていうならそれでもいいけど。 ってなんで地下牢に閉じ込められてるんだろ…。 せっかく異世界に来たんだから、世界中を旅したいよ。 こんなところさっさと抜け出して、旅に出ますか。

名無し令嬢の身代わり聖女生活

音無砂月
ファンタジー
※タイトル変更:名無しの妹は嫌われ聖女の身代わり アドリス公爵家は代々、光の魔法を使う聖女の家系 アドリス家に双子の女の子が生まれた。一人は聖女の家系に相応しい魔力を有し、アニスと名付けられた。 一人は魔力が少ない、欠陥品として名前をつけられず、万が一のスペアとして生かされた。 アニスは傲慢で我儘な性格だった。みんなから嫌われていた。そんなアニスが事故で死んだ。 聖女の家系として今まで通り権威を振るいたいアドリス公爵家は残った妹にアニスの身代わりをさせた。

聖女なんかじゃありません!~異世界で介護始めたらなぜか伯爵様に愛でられてます~

トモモト ヨシユキ
ファンタジー
川で溺れていた猫を助けようとして飛び込屋敷に連れていかれる。それから私は、魔物と戦い手足を失った寝たきりの伯爵様の世話人になることに。気難しい伯爵様に手を焼きつつもQOLを上げるために努力する私。 そんな私に伯爵様の主治医がプロポーズしてきたりと、突然のモテ期が到来? エブリスタ、小説家になろうにも掲載しています。

モブで可哀相? いえ、幸せです!

みけの
ファンタジー
私のお姉さんは“恋愛ゲームのヒロイン”で、私はゲームの中で“モブ”だそうだ。 “あんたはモブで可哀相”。 お姉さんはそう、思ってくれているけど……私、可哀相なの?

【完結】辺境伯令嬢は敵国の将軍に嫁ぎます 〜戦場で命を賭した幼馴染と政略結婚〜

藤原遊
ファンタジー
辺境伯令嬢エリシアーナは、生まれながらに強大な魔力を宿し、領民を護るため幾度も戦場に立ってきた。 彼女が幼い頃に心を通わせた婚約候補は、隣国アーデンの若き将、レオンハルト。 幼馴染として笑い合い、やがて結ばれるはずだった二人は、宗教対立による戦乱の波に引き裂かれる。 数年後、青年へと成長した二人は――戦場で敵として再会する。 大規模魔法の詠唱を始めたエリシアーナを止めるため、レオンハルトは兄を失った記憶と責務に駆られ、剣を振るう。 彼女は抵抗を緩め、血を吐きながら微笑み、倒れた。 「好きな人に殺されるのなら、それも仕方ない」 その想いを胸に秘めたまま。 だが戦は泥沼化し、やがて両国は疲弊する。 停戦の末に下された決定は――和平の象徴として「ヴァレンシア辺境伯の長女をアーデンに嫁がせよ」。 瀕死から生還したエリシアーナは、妹クラリッサの涙を背に、敵国へと嫁ぐ覚悟を決める。 そこに待っていたのは、幼馴染であり、自らを刺した男――レオンハルト。 「恨まれているのだろう」 「嫌われてしまったのだ」 互いに心を閉ざし、すれ違う新婚生活。 冷徹に見える夫、拒絶されたと感じる妻。 戦で刻まれた傷と誤解は、二人を遠ざけていく。 やがて病に伏し、衰弱していくエリシアーナ。 死の間際に、レオンハルトは震える手で彼女の手を握り、独白する。 「許さなくていい。……死ぬなら俺も連れて行ってくれ。死んでも離さない」 その言葉は、彼女の閉ざされた心を解き放つ。 戦場で刃を交えた二人は、和平の花嫁と将軍として再び結ばれる。 憎しみの連鎖を超えて、切なくも甘い愛の物語が幕を開ける――。

処理中です...