追放後に拾った猫が実は竜王で、溺愛プロポーズが止まらない

タマ マコト

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第12話「リラ捜索と、辺境へ伸びる手」

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 王都の空は、もう“神殿の街”と呼ばれていた頃の面影をほとんど残していなかった。

 ここ数日で立ち上った黒煙が、空の色を鈍く曇らせている。
 焦げた石と血の匂いが、風に混じって神殿の高窓から入り込んでくる。
 その匂いを、誰も「異常だ」と言えなくなった頃──王城の上層階で、ひどく不毛な会議が開かれていた。



「結界の崩壊については、神殿側の管理責任が重大であると考えられる」

 玉座の手前、白いマントを羽織った文官が冷ややかに言い放った。

 王はやつれていた。
 目の下には深い隈、髪には白いものが混じっている。
 それでも、その背筋だけはなお「王」のそれを保っていた。

 王の隣で、側妃と第二王子が無言で睨み合う。
 その一段下の段に立つのは、高位神官たち。

 代表して一歩前に出た老神官が、額の汗を袖で拭った。

「も、もちろん……我らも、この事態を重く受け止めております。
 しかしながら、結界そのものは王家の加護も受けており、責任の所在は──」

「責任の“所在”など、今はどうでもよい」

 王の声が、低く響いた。

「今必要なのは、これ以上の被害を抑える手立てだ。
 民は恐怖している。
 “女神の加護の街”だったはずの王都が、いまや魔物に穿たれているのだからな」

 誰も言葉を継げなくなる。

 重苦しい沈黙の中、第二王子が口を開いた。

「……陛下」

「なんだ」

「大聖女の力が足りないのであれば──“大聖女候補”を増やすべきです」

 その言葉に、数人の神官が顔を強張らせた。

「そ、それは……すでに、手を打っておりまして……」

「“異世界召喚”とやらか」

 王の声が一段冷たくなる。

「その結果が、今の有様だろう」

「……申し開きもございません」

 老神官が膝を折る。
 床に額がつくほど頭を下げても、焼けた街は戻らない。

 そこに、女官が一人駆け込んできた。

「──失礼いたします!」

 息を弾ませた様子に、場の空気が少しざわめく。

「なんだ」

「避難所となっている教会から、陛下宛の嘆願書が……。
 “かつての大聖女候補を呼び戻してほしい”という声が、多数……」

「かつての?」

 王の視線が、ゆっくりと神官たちへ向く。

 老神官の背中を、冷たい汗が伝った。

「……リラ、という名の娘でございます」

 その名が出た瞬間、部屋の空気が、ほんのわずかに揺れた。

 レイナが、小さく肩を震わせたからだ。

 彼女は王の斜め後ろ、王家付きの“現大聖女”として控えていた。
 痩せた頬、青白い肌、視線だけがひどく鋭く、張り詰めている。

 王はレイナを一瞥し、それから神官を見据える。

「聞いていなかったな。
 “追放した大聖女候補”がいたと?」

「……はい。
 当時の測定結果では、“基準以下”と判定されておりまして……
 儀式に耐えうる素質なしと見なされ──」

「その“基準”で測った結果が、今の有様か」

 王の冷笑が走る。

「王都の結界は崩れ、魔物は溢れ、民は死に、街は焼けた。
 “真の大聖女”を求めるあまり、禁忌の召喚に手を出し、事態を悪化させた。
 ……それでなお、自分たちの“基準”を信じるか?」

 誰も答えられない。

 王はしばし黙考し、そのあとで言い切った。

「──いいだろう。
 そのリラという娘を、呼び戻せ」

「陛下!?」

 神官たちが声をあげる。

 王はその騒ぎを手で制し、静かに続けた。

「責任追及は後だ。
 今は、一人でも多くの“光”が必要だ。
 追放した相手に手を伸ばすのは、王家にとっても神殿にとっても、恥ではあるが──」

 そこで、視線が鋭さを増す。

「今さら、“恥”の一つや二つ、増えたところで変わるものはないだろう?」

「……っ」

 老神官は、唇を噛んだ。

「……では、居場所の特定を急ぎます」

「急げ。
 その娘が生きているかどうかもわからん以上、一刻も早く動け」



 神殿の記録庫は、紙と埃と古いインクの匂いでむせ返っていた。

 長い棚に並ぶ羊皮紙と紙束。
 高位神官たちが裾をひきずりながら、その間を行ったり来たりする。

「リラ、リラ……リラ・○○? いや姓は与えられておらんはず……」
「“孤児出身”の大聖女候補、リラ。ありました!」

 ひとりの若い神官が叫ぶ。

「追放記録は!?」

「ええと、“王都北方の街道にて解放。その後の行き先は不明”」

「不明では話にならん!」

「ですが……あ、待ってください。
 付箋記録が……」

 若い神官は慌てて小さな紙片を開いた。

「“北方街道、三里ほどの地点。天候悪化のため馬車撤退。
 対象は徒歩にて移動。
 後日、辺境地調査員より『北方辺境の無名村に類似人物の目撃あり』との報告。”」

「無名村?」

「名前すらまともに登録されていない、小規模な集落のようです。
 だが、この地図を見る限り……」

 神官は壁に掛けられた地図に紙片を押し当てた。

 王都から北へ細く伸びる街道。
 その先、森と丘と崖に囲まれた辺りに、小さく点が打たれている。

「ここ、です」

「そんな辺境に……」

「追放された者の行き着く先としては、むしろ自然なのでは?」

 皮肉な笑いが漏れる。

「よし。
 特別使節団を組もう。
 王都の騎士と、神殿の代表者と──」

 誰かが、意地悪に言った。

「もちろん、“現大聖女”レイナ様にも、ご同行願わねばなりませんな?」



「……え」

 レイナは、言葉を失った。

 高位神官に呼び出され、謁見室の隅で命令を告げられたとき、頭の中が真っ白になった。

「レイナ様。
 これは陛下の御意向でもあります」

「わ、わたしが……辺境に? リラのところに?」

「“大聖女候補の呼び戻し”という名目上、貴女が顔を出すのが最も筋が良い」

「……どんな顔して、会えばいいの……?」

 小さな声がこぼれる。

「追放を止められなかった大聖女として?
 “ごめんね、助けて”って、今さら言えばいいんですか……?」

 その言葉には、皮肉よりも、自嘲よりも、自分自身への嫌悪が多く含まれていた。

 神官は、わずかだけ目を伏せる。

「……それでも、行くしかありません」

「……はい」

 レイナはぎゅっと拳を握りしめた。

 脳裏に浮かぶのは、雨のように降ってくる瓦礫、燃える街、泣き叫ぶ人々。
 そして──膝をついて、泣きながら謝る自分の幻。

(今さら……)

(今さら、どんな顔して、リラに会えばいいの)

 心臓が、痛い。
 息を吸うたびに、肺の中まで冷たくなる。

 それでも──。

「……連れてきて、って言われたら、私は……」

 呟きは誰にも聞こえない。

 “連れ戻す”のか、“助けを乞う”のか。
 自分がどうしたいのか、それすらもわからないまま。

 王都から北へ向かう馬車の準備が、静かに進められていった。



 一方そのころ、辺境。

 村の空は、朝からどこか変だった。

 雲が少ないのに、空の青さが薄い。
 地平線のずっと向こうに、黒い靄のようなものがかすかにたなびいている。

「ねえリラ、なんか空、変じゃない?」

 畑で草をむしっていた子どもが、手を止めて空を指さした。

「んー?」

 リラは腰を伸ばし、空を見上げる。

「……たしかに、ちょっと、くすんでる、かな?」

 目を細めると、遠くの山の向こう側──王都のある方角に、薄い煙のようなものが見えた。

 煙、というよりは、黒い靄。
 空にじっとり貼り付くような、嫌な影。

「山火事かな?」

「こんな季節に?」

「たしかに……」

 子どもたちはすぐに他の遊びに気を取られて走り去っていく。
 リラはしばらく、ぽかんと空を見つめていた。

 風が一陣、吹き抜ける。
 いつもより、少し冷たい。

(……なんか、いやだな)

 言葉にできない違和感が、首筋をなぞる。

 そのとき。

 地の底から、うっすらと響くような、低い唸り声が聞こえた気がした。

「……え?」

 耳を澄ます。
 風の音。葉の擦れる音。遠くの家畜の鳴き声。

 そして──。

「……グルゥゥゥゥ……」

 確かに聞こえた。
 人間の喉から出るものではない、獣の唸り声。

 それも、普通の獣よりずっと重く、湿った音。

「アゼル……?」

 リラは思わず、名を呼んでいた。



 村外れの丘。
 木々の間から、村全体と、遠くの山並みが見渡せる場所。

 そこに、ひとりの青年が佇んでいた。

 黒髪を風に揺らせ、腕を組んだまま、じっと遠方を見つめている。
 その横顔は、人のものにしてはあまりに静かで、どこか冷ややかだ。

 ひとり分の足音が近づく。

「……やっぱり、ここにいた」

 振り向かずとも誰かはわかっているのだろう。
 アゼルはほんの少しだけ顎を動かした。

「どうした、リラ」

「いや、“どうした”はこっちの台詞なんですけど。
 朝からいないと思ったら、一人でこんなところで黄昏れて……」

「黄昏れてはいない」

「じゃあ何してたの」

「風を見ていた」

「……竜の会話、難易度高くない?」

 軽口を叩きながらも、リラは隣に立って同じ方角を見た。

 山の向こう。
 黒い靄。
 低いうなり声。

「これ、まさか全部、“気のせい”じゃないよね」

「気のせいではないな」

 アゼルは短く言い切る。

「王都の結界が、本格的に崩れ始めた」

「……やっぱり」

 頭のどこかで予想していた言葉だった。

「前に言っただろう。
 王都の結界が歪み、その余波が辺境に“形を変えて届く”と」

「魔物が増える、ってやつ?」

「ああ。
 それと同時に、“匂い”も流れてくる」

「匂い?」

「血の匂い、炎の匂い、絶望の匂い。
 人間のそれは、竜にはよく届く」

 アゼルの言葉に、リラはぎゅっと指を握りしめた。

「……王都、そんなひどいことになってるんだ」

「少なくとも、“無傷”ではいられない程度にはな」

 風が、二人の間を通り抜ける。
 さっきより冷たく、重い風。

「……行かなきゃ、って言われたら、どうしよう」

 ぽつりと、リラは呟いた。

 自分でも、出所のよくわからない言葉だった。

「まだ何も言われていないのに?」

「なんとなく。
 こういうのって、絶対、“力を持ってる人間”のところに話がくるじゃん」

「お前、自分の力を“ある”前提で話すようになったな」

「そこ拾わないで。今ちょっと真面目な話してるから」

 アゼルは、口の端をすこしだけ上げた。

「行きたいのか?」

「わかんない」

 正直に答える。

「行くのが怖くないわけないし。
 王都は……正直、あんまりいい思い出ないし。
 神殿の顔なんて、できれば二度と見たくない」

「だろうな」

「でも、“見捨てたい”ってほど嫌いでもないからさ。
 あそこにも、私が治したことのある人、たくさんいるし」

 神殿の厨房の子。
 掃除の少年。
 祈りに来ていた老夫婦。

 彼らの顔が、黒煙の向こうへ吸い込まれていく想像をすると、胃がきゅっと痛くなる。

「……今は、ここにいたい」

 リラは自分の胸に手を当てた。

「ここが好きだし。
 みんなの顔がちゃんと浮かぶ、居場所だし。
 マリアさんもいるし……シロもいるし」

「ふむ」

「でも、“ここにいたい”って思うからこそさ。
 ここを守るために、どこかに行かなきゃいけないことも、あるのかなって」

 自分で言って、自分で苦笑する。

「なんか、ゲームの主人公みたいなこと言ってる自覚はある」

「ゲームとはなんだ」

「こっちの話です」

 アゼルは少しだけ考えるように目を細めた。

「……いずれにせよ」

 ゆっくりとした口調で言う。

「“厄介な客”は来る」

「やっぱり?」

「風がそう言っている」

 竜特有の比喩なのか、本当に風と会話しているのか、リラには判断できない。
 でも、アゼルが“来る”と言うなら、それはほぼ確定事項だ。

「王都の結界が崩れた余波は、この辺りにも魔物を呼ぶ。
 同時に、“助けを求める者”と、“責任を押し付けたい者”も流れてくる」

「後半のやつ、嫌な予感しかしないんだけど」

「どちらも、だいたい同じ顔をしているからな」

「……レイナ様、来るかな」

 不意に出た名前に、自分でびくりとする。

 アゼルが横目でこちらを見る。

「来てほしいか?」

「わかんない」

 さっきと同じ答え。

「会うのが怖くないって言ったら嘘になる。
 “どうして庇ってくれなかったの”って、責めたくなるかもしれない。
 でも、あの人が今、どんな顔してるか想像するとさ──」

 喉が、少しだけ震えた。

「“会いたくない”って言い切るのも、違う気がして」

「ほう」

「もし本当にここに来るなら……
 “あの時のまま”ではないと思うから」

 王都の空が黒く曇るほどの事態。
 その中で、レイナが何も感じないわけがない。

 後悔も、罪悪感も、たぶん山ほど抱えている。

「会ったら、きっと面倒だよね。
 話もこじれるだろうし、“戻ってきて”とか言われたら困るし。
 でも──」

 リラは、空に薄くかかった黒い靄を見上げた。

「それでも、ちゃんと会って、“今の私”の顔を見せたいっていう気持ちも、ちょっとだけある」

 追放された元聖女ではなく。
 この村で笑って、泣いて、誰かを治している、“今のリラ”として。

「……めんどくさいなー、人間の感情」

 自分で自分に呆れながら笑う。

 アゼルはそんな彼女を、しばし静かに眺めてから、言った。

「めんどくさいが、嫌いではない」

「……そういうことさらっと言うの、ほんとやめよ?」

「褒めている」

「わかってるから余計やめてほしいんです。照れるから」

 軽口を交わしながらも、二人の視線は遠くの山に釘付けになっている。

 黒い靄は、少しずつ濃くなっているように見えた。

 遠くの方で、また低い唸り声が響く。

「……本当に、“厄介な客”、来るね」

「ああ」

 アゼルの声は、静かで冷静だ。
 その目の奥には、竜としての覚悟と、人間としての諦念が、複雑に混ざっている。

「そのとき、お前が“どうしたいか”を決めるのは──お前自身だ」

「うん」

 リラは、小さく頷いた。

「“ここにいたい”って気持ちを、ちゃんと持ったまま決める。
 前みたいに、“ここしかないから”って理由で縋るんじゃなくて」

「それができるなら──」

 アゼルは目を細めた。

「たとえどんな選択をしても、我は文句は言わん」

「“文句は言わん”って言い方、なんかズルいなあ」

「感情は口を挟むかもしれんが」

「いや挟むんかい」

 二人の笑い声が、少しだけ強くなった風にさらわれていった。



 数日後──。

 王都から北へ伸びる街道を、一団の馬車と騎馬が進んでいた。

 王家の紋章の入った旗。
 神殿の紋章を刻んだローブ。
 その中心の馬車の中で、レイナは固く拳を握りしめていた。

「……リラ」

 馬車の揺れに合わせて、心臓も揺れる。

 窓の外には、まだ黒い靄は見えない。
 だが、空気の冷たさは確実に増していた。

(どんな顔して会えばいいの、なんて──)

 答えなんて、やっぱり出ない。

 それでも、馬車は止まらない。
 辺境の、小さな無名の村へ向かうその車輪は、もう後戻りできない速度で回っていた。

 その先にいる一人の少女が、
 “ここにいたい”と選んだ場所を守るための、最初の軋みが──今、音を立て始めていた。
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