追放後に拾った猫が実は竜王で、溺愛プロポーズが止まらない

タマ マコト

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第14話「揺れる心と、“戻らない”という選択」

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 村の外れは、夕方になるとやけに広く見える。

 畑を抜けて、少しだけ高くなった土手の上。
 そこから見えるのは、低い屋根と、煙突から上がる薄い煙と、子どもたちの笑い声。
 そしてさらにその先──山の向こう、うっすらと黒い靄がかかった、王都の空。

 リラはそこに、ひとり腰を下ろしていた。

 足元には、踏みしめられて固くなった土。
 指先でその土をぼんやりと掻きながら、胸の奥をぐるぐると回る考えを持て余している。

(行くか、行かないか)

 答えは、簡単には出ない。

 王都。
 自分を傷つけた場所。
 “役立たず”と宣告され、追い出された場所。

 でも、そこには、何も知らずに日々を生きている人たちもいる。

 市場で私にパンの切れ端をくれたおばさん。
 神殿の外でこっそり話しかけてくれた子ども。
 祈りのついでに、腰痛を診てほしいと笑っていた老人。

(あの人たちまで、まとめて“神殿と一緒に沈めばいい”なんて……)

 そんなふうには思えない。
 思えたら、どれだけ楽かはわかっているのに。

 遠くで、山鳴りのような音がした。
 現実か幻かもわからないそれが、胸の奥の不安を少しずつ煽っていく。

「……はぁ」

 大きく息を吐く。

 ため息の回数で決心が固まるなら、とっくに答えは出ている。

「リラ」

 背後から声がした。

 振り向くと、村の子どもの一人──この間、膝を治した子が立っていた。

「ここにいると思った」

「よくわかったね」

「だって、悩んでるとき、いつもここにいるもん」

 あまりにも鋭い観察眼に、思わず笑ってしまう。

「ちょっと、見抜かないでよ。恥ずかしいじゃん」

「えへへ」

 少年は照れたように笑い、それから、少しだけ真面目な顔になった。

「あのね、さっき、大人たちが話してるの聞いた」

「……何を?」

「リラお姉ちゃん、王都に行くかもしれないって」

 胸が、ちくりと痛む。

 子どもが口にするには、少し重い内容だ。
 でも、村はそんなに広くない。噂はすぐに回る。

「やだって言っていいんだよ?」

 少年は、ぽつりと言った。

「え?」

「あの偉そうな人たち、なんかやだった。
 “今までいらないって言ってたのに、急にいるって言ってきた大人”って感じ」

 言い方が妙に的を射ていて、思わず笑う。

「子どもの言語化能力舐めてた……」

「うちの母ちゃん、言ってたもん。
 “人は、自分が困ったときだけ都合よくすり寄ってくることがあるから気をつけなさい”って」

「マリアさんの影響強くない?」

「内緒」

 少年はいたずらっぽく笑ってから、リラのすぐ隣に腰を下ろした。

「でもさ」

 小さな声で続ける。

「リラお姉ちゃんが、“助けたい”って思うなら、行ってもいいと思う」

「……」

「だって、リラお姉ちゃん、いつもそうじゃん。
 “見捨てない”顔してる。
 “本当はめんどくさいけど、ほっとけない”って顔」

「バレてる……」

「あはは」

 笑い声が夕方の風に混ざる。

「だからね」

 少年は立ち上がると、ぐっと拳を握った。

「“行きたくないのに行く”のは、やめて。
 “行きたいから行く”って顔で、行ってきてよ」

 その一言が、思った以上に胸に響いた。

 “行きたくないけど、義務だから行く”。
 “嫌だけど、責任だから行く”。

 そういう選び方をしてきた結果が、神殿でのあの追放だった気がするから。

「……ありがとう」

 リラは、素直にそう言った。

「ちゃんと、自分の気持ち、探してくる」

「うん!」

 少年は満足そうに頷き、村の方へ駆け戻っていった。

 リラはもう一度、空を見上げる。

 黒い靄は、さっきよりも少しだけ濃くなっている気がした。

(助けなかったら、絶対あとで後悔する)

 はっきりと、それだけはわかる。

(でも、戻りたくはない)

 ここまで育ててくれた神殿への恩。
 ここまで傷つけてきた神殿への憎しみ。

 どちらも、本物だ。

(戻ったら、絶対また同じこと言われる)

 “聖女様”。
 “王都のために”。
 “女神のために、自分を捧げなさい”。

 そして、都合が悪くなれば──また切り捨てる。

 そんな未来が、簡単に想像できてしまう。

「アンタ、遠くから見ててもわかるくらい顔に出てるよ」

 今度は、後ろから少し低めの女の声。

 マリアだった。

「……どんだけ私、表情管理できてないの」

「最初から期待してないわよ」

 ずかずかと隣までやってきて、ドカッと腰を下ろす。
 土なんて気にしない座り方が、妙に頼もしい。

「調子、どう」

「“調子どう”って聞かれて“最高!”って言える状況じゃないですよね」

「知ってる。でも聞く」

 マリアは、空を見上げた。

「王都、ひどいことになってるんでしょ」

「……うん。たぶん」

 レイナの顔を思い出す。
 土下座して、泣きながら謝っていた姿。
 それでも必死で、「助けて」と言ってきた声。

「“助けてやりたい”って思ってる?」

 マリアの問いは、ストレートだった。

 ごまかしも、飾りもない。

「……思ってます」

 リラも、飾らなかった。

「完全に見捨てるのは、たぶん、私にはできない」

「だろうね」

 マリアはあっさり頷く。

「アンタ、そういう顔してるもん」

「そういう顔?」

「“めんどくさいけど、嫌いになりきれない”顔」

 図星すぎて、笑ってしまう。

「でもさ」

 マリアは、土を指先でつまんでぽい、と投げた。

「行きたくないなら、行かなくていいよ」

「……え?」

 反射的に聞き返す。

「いや、だって……王都が……」

「王都は王都。ここはここ。
 あそこに責任がある奴らが、自分でケツ拭くべきでしょ」

 言葉は辛辣だが、そこに込められている感情は単純な冷酷ではない。

「アンタが行ったら、きっと助かる人は増える。
 でも、アンタが行かなかったとしても、“それはそれ”」

「“それはそれ”って……」

「“世界の命運を一人で背負わなきゃいけない”って考え方、神殿の病気でしょ」

 横目で鋭く刺してくる。

「アンタは確かに特別な力持ってるけど、だからって、
 “全部自分がやらなきゃいけない”って考えるのは違う」

「……」

「だからね」

 マリアは、少しだけ表情を柔らかくした。

「“助けたい”なら、背中押してあげる。
 “行きたくない”なら、ここで一緒に畑耕して、魔物が来たら二人でぶん殴ればいい」

「……あの、マリアさんって、いつもそうやって大事なことさらっと言いますよね」

「歳の功よ」

「まだそんな歳じゃないですよね?」

「うるさいよ」

 二人で笑う。
 その笑いは、さっきまで胸の奥にまとわりついていた黒い靄を、少しだけ薄くしてくれる。

「アンタの人生なんだからさ」

 マリアは、最後にそう言った。

「自分で決めな」

 それだけ言って立ち上がり、「晩ごはんまでには帰ってきなさいよ」とぶっきらぼうに告げて、村の方へ戻っていく。

 リラは、その背中を見送りながら、小さく呟いた。

「……やっぱり、ずるいなあ」

 ああやって、「どっちでもいいよ」と言ってくれる人がいるから。
 どっちを選んでも、ここだけは残ってくれる気がするから。

(だから、ここが“居場所”なんだろうな)

 胸に手を当てる。
 鼓動が、さっきより少しだけ落ち着いている。

 あとは──。

「アゼルにも、ちゃんと言わなきゃ」



 夜。

 村の灯りが次々と消えていき、空には星が増えていく。
 暖炉の火だけが、小さく家の中を照らしていた。

 マリアはとっくに寝室に引っ込み、子どもたちもすやすやと寝息を立てている。

 リラは、その隣の部屋──いつもの暖炉の前に座っていた。

 正面には、黒髪の青年。

 膝を片方立てて、背中を壁に預けるようにして座るその姿は、やけに絵になっていた。

「そんな真顔で見つめるな。照れる」

「照れるんだ」

「多少な」

「竜王も照れるんだ……」

 少しだけ笑って、すぐに真顔に戻る。

「アゼル」

「なんだ」

「怖いよ」

 頭の中で何度も練習した台詞だった。

 感情をうまくまとめようとするのをやめて、いちばん最初に出てきた言葉をそのまま口にした。

「王都に行くのが?」

「うん」

 膝を抱えて、額を乗せる。

「怖い。
 行ったら、またあそこに縛られる気がする。
 “聖女様”って呼ばれて、“王都のために”って言われて。
 私の気持ちより、また“役に立つかどうか”だけ見られる気がする」

 喉が、少し詰まる。

「せっかく、“ここにいたい場所”見つけたのに。
 せっかく、“今の私”を好きって言えるようになったのに。
 それを全部、“王都のために捨てろ”って言われるのが、怖い」

 暖炉の火が、ぱち、と小さく弾けた。

 アゼルはすぐには何も言わない。
 ただ、じっとリラの言葉を待ってくれている。

「……もう一つ、怖いことがあって」

「聞こう」

「“行かなかったらどうなるか”が怖い」

 顔を上げる。
 視界が、少し滲んでいた。

「“行きたくないから行かない”って選んで、
 そのせいで助かるはずだった誰かが死んだら。
 たぶん私、一生それ抱えて生きることになる」

 王都の街角で笑っていた人たち。
 祈りに来ていた、名も知らない市民たち。

「“あのとき行ってれば”って、絶対考える。
 今だって、神殿のこと思い出すたびに、“あのとき嫌だって言ってればよかった”って思うのに」

 だからこそ、今度は逆方向の後悔も怖い。

「どっちを選んでも、怖いんだよ」

「……リラ」

 名前を呼ばれて、びくりと肩が震える。

 アゼルは、そっとそばに歩み寄ってきた。
 リラの目の前にしゃがみ込み、その視線の高さを合わせる。

「我は、どこにでもついていく」

 落ち着いた声だった。

「お前が王都へ行くと言うなら、王都まで。
 この村に残ると言うなら、村に」

「……」

「竜王としての役目だとか、均衡だとか、そういう話は、今は一旦置いておこう」

 そう言って、アゼルは少しだけ笑う。

「一人の竜として、一人の人間として。
 我は、“お前のそばにいたい”という我儘を優先する」

 胸の奥が、きゅっとなった。

「だから、“どこに行くか”は我が決めない。
 “戻るかどうか”を決めるのは──お前だ」

 選択を、丸ごと委ねられる重さ。

 同時に、それを受け止めていいんだと言ってもらえる軽さ。

「“王都に行くかどうか”じゃなくて、“王都に戻るかどうか”なんだなって」

 リラは、自分でも驚くほど冷静な声で言った。

「それに、今日やっと気づいた」

 今日一日の会話が、頭の中で繋がっていく。

 子どもたちの「行きたくないなら行かなくていい」。
 マリアの「アンタの人生なんだから、自分で決めな」。
 レイナの「助けて」。
 アゼルの「どこにでもついていく」。

 全部が、一本の線の上に並び始める。

「……ちょっとだけ、整理させて」

 アゼルは黙って頷く。

 部屋の中に、薪の爆ぜる音と、外の風の音だけが満ちる。

 時間にすれば、ほんの数十秒。
 でもリラにとっては、何年分もの記憶と感情を行ったり来たりする長い旅のようだった。

 神殿の白い天井。
 冷たい石畳。
 測定器の光。
 レイナの笑顔と、あの日の安堵の影。

 森の雨。
 血まみれの白銀の猫。
 村の子どもたちの笑顔。
 マリアのぶっきらぼうな優しさ。
 アゼルの背中。

 それら全部を心の中に並べて、ひとつずつ撫でていく。

 そして──決めた。

 リラはゆっくりと顔を上げた。
 アゼルの蒼い瞳と、まっすぐ視線を合わせる。

「……決めた」

「聞こう」

「王都は、助ける」

 最初の一言は、驚くほどすんなり出てきた。

「見捨てたくないし、後で“やっぱり行っておけばよかった”って思いたくないから。
 私の魔法で救える人がいて、その人たちが今泣いてるなら……やっぱり、行きたい」

 胸の奥の“怖い”とは別の場所にある、“やりたい”が、そこにはっきりとあった。

「でも──」

 リラは少しだけ息を吸い込んで、はっきりと言った。

「戻らない」

 空気が、すっと変わる。

「王都には行くけど、戻らない。
 “あの頃の大聖女候補リラ”には戻らない。
 神殿にも、“あそこに所属していたリラ”にも戻らない」

 言葉にすることで、胸の奥の鎖がひとつずつ外れていくような感覚がする。

「私の居場所は、もう、あそこじゃないから」

 そこまで言った瞬間、目の奥が熱くなった。

 泣きそうなのか、笑いそうなのか、自分でもわからない。
 でも、どちらにせよ、この感情は“前に進んでいる涙”だという確信はあった。

「ここが、私の居場所」

 胸に手を当てる。

「この村で、マリアさんと一緒にご飯食べて、子どもたちと踊って、畑して、
 シロ──アゼルと一緒に昼寝して、魔物が来たら二人でぶっ飛ばして。
 そうやって過ごしていきたいって、本気で思ってる」

 一気にまくし立ててしまって、最後に自分で照れる。

「だから、“王都に戻る”んじゃなくて──」

 言葉を選ぶ。

「“この村から、王都に手を伸ばしに行く”ってイメージ。
 あくまで、私の足場はここ。
 王都は、“助けに行く場所”であって、“帰る場所”じゃない」

 アゼルは、静かに目を細めた。

 すぐに「それがいい」とも、「危険だ」とも言わない。
 ただ、その言葉がちゃんと彼女の中から出てきたのかどうかを確かめるように、じっと見ている。

「……勝手、かな」

 リラは少しだけ不安そうに付け足した。

「王都から見たら、“勝手に出ていって、勝手に助けに来て、勝手に帰る”って感じだよね」

「良いではないか」

 アゼルの口元に、ようやく笑みが浮かぶ。

「それくらいの我儘でちょうどいい」

「そうかな……」

「そうだ」

 彼は、リラの額にそっと指を当てた。

「“戻らない”とお前が決めたなら──」

 指先に、かすかな熱が宿る。

「神殿にそのことを認めさせるまで、我が隣で威圧し続けてやろう」

「物騒なサポート体制!」

「“我の巣”を奪おうとする輩に、遠慮などいらん」

「“巣”って言うたびに心拍数上がるからやめよ!? 内容は頼もしいけど!」

 二人で、思わず笑う。

 笑いながら、リラはふと気づいた。

(あ、今の私)

 さっき決めた言葉が、胸の奥で何度も反芻されている。

(“王都は助ける。でも、戻らない”って、自分でちゃんと言った)

 それは、王都に向けた宣言であると同時に──
 何よりも、自分自身の心に向けた宣言だった。

 もう、あの日の“補欠の大聖女候補”じゃない。
 “追放された元聖女”でもない。

 この村に生きる、一人のリラ。

 そこから伸ばした手で、王都を救いに行く。

「……アゼル」

「なんだ」

「一緒に来てくれる?」

「当然だ」

 即答だった。

「お前がどこへ行こうとも、我は隣に立とう。
 竜王としてでも、猫としてでも」

「猫としてはちょっと……緊迫した場面で変身されると困るから、人間でいてくださいね」

「状況に応じて判断しよう」

「信用ならないなあ……」

 そう言いながらも、頬が緩むのを止められなかった。

 暖炉の火が小さく揺れ、外からは夜風の音。

 村の小さな家の中で交わされた決意は、静かで、でも確かに強かった。

 翌朝。
 王都から来た使節団に向かって、リラは自分の言葉で自分の条件を告げることになる。

 “王都は助ける。でも、私は戻らない”。

 それが──彼女の選んだ、最初の「自分のためのわがまま」だった。
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