追放後に拾った猫が実は竜王で、溺愛プロポーズが止まらない

タマ マコト

文字の大きさ
15 / 20

第15話「大浄化と、神殿への復讐」

しおりを挟む
 空を裂く風の音は、悲鳴みたいだった。

 リラは竜の背にしがみつきながら、ぎゅっと目を閉じる。
 指の下に触れるのは、硬くて滑らかな鱗。
 冷たいはずなのに、そこからじんわりと伝わる熱が、唯一の安心だった。

(本当に、空飛んでるんだ……)

 何度も心の中で繰り返して、やっと現実だと理解する。

 アゼルは今、完全に“竜王”の姿をしていた。
 夜空の一部を切り取って形にしたみたいな黒い巨体。
 月光を飲み込むような翼。
 首をめぐらせたとき、その蒼い瞳が、一度だけ背中の少女を振り返る。

『怖いか』

 声は、直接頭の中に響いてきた。

「……ちょっとだけ」

『“ちょっと”で済んでいるなら上出来だ』

 竜形態のわりに、声はいつものアゼルだった。
 それが可笑しくて、ほんの少しだけ笑いそうになる。

 でも、笑いは喉の奥で凍りついた。

 視界の端に、王都が見えてきたからだ。

 高い城壁。
 大理石の塔。
 本来なら、夜でもあちこちに灯がともり、賑やかなはずの街。

 今、そのすべてが──黒い靄に覆われていた。

「……っ」

 息が詰まる。

 街の上に、べったりと貼りついた黒い雲。
 瘴気が渦を巻き、ところどころで赤い光が瞬いている。
 あれは炎か、それとも魔物の目か。

 城壁の中からは、悲鳴のような、唸り声のような音が混ざって聞こえてきた。

『見るなとは言わんが、飲まれるな』

 アゼルの声が、少しだけ低くなる。

『これは“お前の罪”ではない。
 お前が背負うべきものは、お前自身が選んだ分だけだ』

「……うん」

 胸の奥で、マリアの声が蘇る。
 「全部自分で背負う必要はないんだよ」と笑っていた顔。

(全部はできない。
 でも、今の私にできるだけは、ちゃんとやる)

 リラは自分に言い聞かせて、背筋を伸ばした。

 王都の上空を一度旋回し、それから徐々に高度を落としていく。
 地上の光と闇の輪郭が、少しずつはっきりしてくる。

 崩れた屋根。
 倒れた塔。
 街角でうずくまる人影。
 そして──神殿前の広場に、渦を巻く黒い影の群れ。

『あそこだ』

 アゼルが翼を傾ける。

 巨大な竜の影が、靄の間を切り裂いていく。
 そのたびに、瘴気が嫌そうにざわめく。

 神殿前の広場の光景を見た瞬間、リラの心臓が跳ねた。



 神殿前の大広場は、かつてリラが知っていた場所とは、ほとんど別物になっていた。

 昔は、朝になると露店が並んで、祈りに来た人々が穏やかに行き交っていた。
 儀式の日には、白い花びらが舞い、鐘の音が響いていた。

 今は──。

 粉々に砕けた石畳。
 倒れた柱。
 巨大な爪痕。
 そのあいだを、黒い影がのたうち回っている。

 瘴気をまとった獣たち。
 人の形をしているのに、顔が溶けたように歪んだ魔物。
 その中に、血だらけで倒れている人間たち。

「やだ……」

 思わず声が漏れた。

 誰かが泣いている。
 誰かが叫んでいる。
 誰かが、誰かの名前を呼び続けている。

(遅かったのかな……)

 胸の奥がきゅっと締めあげられる。

『遅くもない。早くもない』

 アゼルの声は、冷静だ。

『“今、お前がここにいる”という事実だけを見ろ』

「……うん」

 竜の巨大な影が広場の上空を覆うと、魔物たちの動きがざわついた。
 耳障りな唸り声が、一斉に空をかきむしる。

『掴まっていろ』

 アゼルの体が、わずかに後ろへしなった。

 次の瞬間──竜王の喉から、咆哮が放たれた。

 それは、音というより“圧”だった。

 空気が震え、瘴気が一瞬で引き裂かれる。
 乾いた空に、雷にも似た衝撃が走る。

 魔物たちが、一斉に黙り込んだ。

 その場にへたり込むもの。
 耳を押さえるように頭を抱えるもの。
 純粋な本能から来る“恐怖”に押し潰され、動けなくなっている。

 人間たちもまた、その咆哮の圧に呑まれて、短い悲鳴をあげた。
 だが、アゼルはしっかりと狙いを定めている。
 恐怖の刃は、魔物たちにだけ深く突き刺さり、人間たちには“膝が震える”程度で済むように絞られていた。

『今だ』

「……うん!」

 リラは、竜の背から軽やかに飛び降りた。

 本当は軽やかなんかじゃない。
 膝はがくがく震えているし、心臓は爆発しそうだし、手のひらも汗でじっとり濡れている。

 それでも、足は前に出た。

 崩れた石畳を踏みしめて、一歩、二歩と進む。

「リラ……!」

 広場の端で、誰かが叫んだ。

 レイナだった。

 ボロボロのローブのまま、倒れた人々のそばで治癒の光を必死に灯している。
 その光は弱く、今にもかき消されそうだ。

 目が合った。

 レイナの顔が、くしゃりと歪む。
 何かを叫ぼうとして、言葉が喉の奥で絡まる。

 リラは、一度だけ小さく頷いた。
 それ以上、何も言わない。

(今は、言葉じゃなくて、やることが先)

 胸の奥の泉に意識を沈める。
 アゼルの魔力と触れ合う感覚を、意識して引き寄せる。

「アゼル!」

『ああ』

 背後から、竜王の気配がさらに濃くなる。

 巨大な竜が、広場の端に身を横たえた。
 その頭を、リラの少し後ろ、まるで“護衛”の位置に下げる。

『我が核を、少し開く』

 アゼルの声が、低く響く。

『お前の治癒の流れと、世界の魔力の流れを、一度だけ重ねる。
 負担は大きい。だが、お前なら耐えられる』

「……信じてるよ」

 リラは、両手を胸の前に組んだ。

 指先が、微かに震える。
 それでも目を閉じて、深く息を吸う。

 胸の奥の泉が、熱さを増していく。
 そこに、アゼルからの蒼い光が注ぎ込まれる。

 泉は溢れ、川になる。
 川は広がり、海になる。

 “流れ”が変わる。

 自分の中の治癒魔力が、世界の底に流れる竜の理とつながっていく。
 人間としての限界を超えた深さに、足を踏み入れる感覚。

(怖い)

 正直、怖い。

 でも──。

(これは、私が選んだこと)

 歯を食いしばる。

「……行くよ」

 小さく呟き、目を開けた。

 両手を前に伸ばす。
 竜王の頭の上に、その片方をそっと乗せる。
 鱗の下から、核の鼓動が伝わってきた。

 もう片方の手を、王都へ向かって差し伸べる。

「届いて──」

 願いを込める。

「全部、届いて!」

 次の瞬間。

 世界が、光に包まれた。



 それは、眩しさというより“温度”だった。

 広場の上に、柔らかな蒼緑の光が、ゆっくりと広がっていく。
 竜の魔力と、リラの治癒が混ざり合って生まれた光。

 それはまるで、冷え切った世界に一気に春を流し込むような、優しくて、でも揺るぎない波だった。

 負傷者の傷口に触れた光が、ゆっくりと染み込んでいく。
 破れた皮膚が再び繋がり、砕けた骨が元の形に組み上がる。
 焼けただれた肌が、少しずつ滑らかさを取り戻す。

「え……」

「痛く……ない……?」

 人々の口から、驚きの声が漏れる。

 ただの治癒ではない。
 肉体だけではなく、瘴気に蝕まれかけていた“内側”まで、光がすくい取っていく。

 黒い靄が触れた場所の冷たさが、じんわりと消えていく。
 肺の奥に残っていた重さが、ふっと軽くなる。

 魔物たちの近くでは、光は別の形をとっていた。

 瘴気そのものを、内側から溶かす光。
 黒いもやが、煙のようにふわりと浮かび上がり、風に吹かれて消えていく。

 瘴気を失った魔物の体は、ゆっくりと崩れた。
 もともとこの世界に居場所のなかった“異物”たちが、静かに還っていく。

 街の上を覆っていた黒い雲にも、光は届いていた。

 ひび割れた結界の残骸に、光が染み込む。
 歪んだ魔力の流れを、少しずつ正しい場所へと誘導していく。

 ガラスに入ったひびを、内側から“なかったこと”にしていくような作業。
 すべてを元どおりにすることはできなくても、これ以上割れないように補修することはできる。

 広場だけでなく、街中の至るところで、小さな奇跡が起きていた。

 崩れかけた家の中で、挟まれていた子どもが、瓦礫の隙間から引き出される。
 路地裏でうずくまっていた老人が、ゆっくりと体を起こす。
 神殿の階段で倒れていた兵士が、震える手で立ち上がる。

 誰かが泣いた。
 誰かが笑った。
 誰かが、ただ呆然と空を見上げた。

 そこには──竜の影と、両手を広げたひとりの少女の姿。

 神殿の高窓から、その光景を見下ろしている者たちがいた。



 崩れかけた神殿の礼拝堂。
 壁の一部は落ち、ステンドグラスは割れ、女神像の腕には大きなひびが入っている。

 そこに、高位神官たちが集まっていた。

「この光……」

「まさか……」

 窓から差し込む蒼緑の光が、老神官の皺だらけの顔を照らす。
 その光に触れた瞬間、痛みで曲がっていた腰がほんの少しだけ伸びた。

「竜の……魔力?」

「いや、人の……治癒……?」

 相反するはずの二つの要素が、ひとつの波になって押し寄せてくる。

 誰かが、呟いた。

「リラ……」

 その名が、礼拝堂の中に落ちる。

 追放記録に、ひどく軽く書き記された名前。
 「基準以下」「補欠」「辺境に解放」。

 その存在が今、王都全体に広がる光の中心にいる。

 老神官は、ゆっくりと膝をついた。
 おそらく、生涯で初めて、自分の意思で“誰かに跪いた”のかもしれない。

「……我々は」

 震える声が漏れる。

「何を、してきたのだ……」

 女神像のひび割れた腕に、光が触れる。
 まるで“そんなこと、最初から知られていた”かのように、ひびの一部が静かに塞がっていく。

 それは、女神からの赦しではない。
 リラ自身の、“世界への手当て”だ。

 赦すかどうかを決めるのは、女神でも神殿でもない。
 彼女自身の、選択。



 広場の中央。

 光がゆっくりと弱まり、やがて完全に消えたとき、リラはその場に膝をついた。

「はぁ……っ、はぁ……」

 呼吸が荒い。
 全身が、骨の芯まで重たい。
 魔力を使いすぎたとき特有の、頭の奥がジンジンとしびれる感覚。

 でも──。

 見上げた先には、さっきまでの地獄ではない光景が広がっていた。

 倒れていた人々が、互いに手を取り合って立ち上がっている。
 泣きながら抱き合う親子。
 安堵のあまりその場に座り込む兵士。
 呆然とした顔で自分の体を撫でる人々。

「……間に合った、のかな」

 自分に問いかけるように呟く。

『十分以上だ』

 アゼルの巨体が、ゆっくりと人の姿へと縮んでいった。
 光が収まると、そこにはいつもの青年が立っている。

 少し息を切らしながらも、彼は穏やかに笑った。

『よく耐えたな』

「……疲れた……」

『知っている』

 アゼルはリラの肩に手を置き、その魔力で少しだけ体力を補う。
 完全には回復しないが、立ち上がる分には十分だ。

 リラはゆっくりと立ち上がり、広場の向こう──神殿の階段へと視線を向けた。

 階段の中腹に、レイナが立っていた。

 涙でぐちゃぐちゃになった顔のまま、リラを見下ろしている。

 その後ろには、高位神官たち。
 先ほどまで絶望と恐怖で固まっていた人々と同じように、彼らもまた、今、“どうすればいいかわからない顔”をしていた。

 リラは、ゆっくりと歩き出した。

 一歩、また一歩。
 階段の下まで辿り着いたところで立ち止まり、顔を上げる。

「……リラ」

 先に口を開いたのは、レイナだった。

 声は震えている。
 それでも、その瞳はまっすぐにリラを捉えていた。

「ありがとう……」

 それは、神殿のための「礼」ではなかった。

 救われた人々のための、ただの“ひとりの人間”としての感謝の言葉。

「あなたがいなかったら……本当に、終わってた」

「うん」

 リラは短く頷いた。
 謙遜しなかった。
 「そんなことない」も言わなかった。

 自分がやったことを、自分で否定する気はもうなかった。

 レイナは、震える手を胸の前で握りしめた。

「……お願いが、あるの」

 その言葉に、高位神官たちの視線が集中する。
 誰も声を挟めない。

「戻ってきて」

 レイナの声が、広場に落ちた。

 静寂。

「この神殿に。
 わたしと一緒に……もう一度、ここを立て直してほしい」

 その願いは、あまりにも素直すぎた。

「わたし一人では、もう無理なの。
 女神の名前を出しても、誰も素直には信じてくれない。
 神殿は、“人を救う場所”ではなく、“間違いと欲の象徴”になりかけてる」

 レイナは、涙を拭いもせず続ける。

「だから、あなたの力と、あなたの優しさが、どうしても必要で。
 あなたの、“ここには戻りたくない”って気持ちを無視してるってわかってても……
 それでも、“一緒にやり直してほしい”って、言いたいの」

 その言葉は、きれいごとじゃない。
 自分の浅ましさも、弱さも、全部さらけ出した上での願いだ。

 だからこそ──。

「ごめんなさい」

 リラは、はっきりと言った。

 広場の空気が、わずかに揺れる。

「戻らない」

 レイナの目が、大きく見開かれる。

「……そっか」

 すぐに、理解したように、彼女は小さく笑った。
 そこに怒りも恨みもない。
 ただ、受け入れようとする痛みの色だけ。

 リラは、胸の奥から湧き上がる言葉を、ひとつひとつ丁寧に並べていく。

「ここは、私を“いらない”って切り捨てた場所だから」

 さっきまでの大浄化の余韻とはまったく違う種類の静けさが、広場を包んだ。

「“基準以下”って言われて、“補欠として置いてやってる”って笑われて。
 最後は、“真の大聖女は一人でいい”って、都合よく切り捨てられて」

 階段の上の高位神官たちが、小さく身じろぎする。
 誰も反論しない。できない。

「そうやって追い出した場所に、今さら“戻ってこい”って言われても──」

 リラは、一度だけ目を閉じて、すぐに開いた。

「戻らない」

 今度は、少し強く。

「私、自分で居場所を見つけたの。
 私を“役に立つから置いてやる”んじゃなくて、“一緒にいてくれてありがとう”って言ってくれる人たちのところに」

 マリアの顔。
 村の子どもたちの笑顔。
 「アンタの人生なんだから」と言ってくれた声。

「私の魔法を、“数字”じゃなくて、“あったかいね”って言ってくれる人たち」

 リラは、胸に手を当てた。

「そこが、私の帰る場所だから。
 私はそこに、帰る」

 レイナは、唇を噛んだ。

 悔しさでも、怒りでもない。
 ただ、自分が過去に選んだ行動の結果を、真正面から突きつけられた痛み。

「……うん」

 しばらくして、レイナは小さく笑った。

「そう、だよね」

 その笑顔は泣き笑いで、ひどく不器用で、でもどこかで救われたような表情だった。

「“戻ってきてくれないかもしれない”って、わかってて言ったんだ。
 それでも、“言わなかったら後悔する”って思ったから」

「それは、たぶん正解です」

 リラは、素直にそう返した。

「レイナ様が、自分の気持ちをちゃんと言ったの、きっと初めてだから」

「ずるいなあ……」

 レイナは自嘲気味に笑い、両手で顔を覆った。

「やっぱり、あなたには敵わないや」

「敵わないのは私も同じです」

 ひとつ、笑い合う。

 高位神官たちは、もう完全に言葉を失っていた。
 自分たちが口を挟む余地は、微塵もない。

 沈黙を破ったのは、アゼルだった。

「ひとつ、勘違いを正しておく」

 低く、しかしよく通る声で言う。

 蒼い瞳が、高位神官たちを冷ややかに見据える。

「“恩を受けていた”のは──お前たちの方だ」

 その一言で、空気の温度が下がった気がした。

「リラは、お前たちに救われていたわけではない。
 お前たちの方が、一方的に彼女の優しさと力に寄りかかっていただけだ」

 老神官の喉が、ごくりと鳴る。

「“居場所を与えてやっていた”つもりかもしれないが、
 実際には、彼女の力で維持されていたものが、いくつもある」

 アゼルは、神殿の建物を一瞥した。

「結界の補強。
 日々の小さな治癒。
儀式のたびに、お前たちが見落としていた歪み」

「……な、にを……」

「竜王の目は、人間の愚かさに鈍くはない」

 静かな怒りが、言葉の奥に潜んでいる。

「それを、“基準以下”と切り捨て、“いらない”と言い放ったのは──お前たちだ」

 高位神官たちは、誰一人顔を上げられなかった。

 その姿は、威厳ある“神殿の頂点”ではない。
 ただ、自分の愚かさと向き合わされている、一人の人間の群れだ。

「今、リラがお前たちの街を救ったのは、
 “神殿のため”でも、“王家のため”でも、“自分を追放した者のため”でもない」

 アゼルは、リラの横に立ち、その肩を軽く抱いた。

「“ここにも、救いたい誰かがいると知っていたからだ”」

 人々の中から、小さな嗚咽が聞こえた。

 広場にいた避難民たちの中には、リラがかつて治した人々もいる。
 その顔を見て、リラは静かに微笑んだ。

「リラは、お前たちにはもう恩義はない。
 あるのは、“この街の人たちへの情”だけだ」

 アゼルの声が、最後に冷たく締める。

「その情に甘え続けるか、
 それとも自分たちで立ち上がるのか。
 選ぶのは、お前たちだ」

 誰も、言い返せなかった。



 やがて、王都の空の黒い靄は、かなり薄くなっていた。

 全部が元どおりになったわけじゃない。
 傷も、ひびも、確かに残っている。
 死んだ人は帰らないし、失ったものも戻らない。

 それでも──。

 街は、“終わり”ではなく、“続き”に立っていた。

「……じゃあ、帰ります」

 広場の真ん中で、リラはそう宣言した。

 レイナは、涙で潤んだ目で頷き、深く頭を下げる。

「本当に……ありがとう」

「こちらこそ、“ちゃんと謝ってくれてありがとう”です」

 それ以上、余計な言葉は交わさない。

 リラは踵を返し、アゼルと並んで歩き始めた。

「村に戻るのか」

 アゼルが問う。

「うん。みんなお腹空かせて待ってる気がする」

「マリアが“晩飯冷めるよ”と怒るかもしれんな」

「それはちょっと怖いから急いで帰ろう」

 二人の会話は、ひどく日常だった。

 竜王は再びその姿を変え、大きな翼を広げる。
 リラはその背に乗り、もう一度だけ王都を見下ろした。

 黒い靄はほとんど消え、代わりにまだ頼りないけれど確かな灯りが、あちこちでちらちらと揺れている。

(さよなら)

 心の中で、小さく言った。

(“私をいらなかった神殿”)

(“私を見てくれなかった王都”)

 そして、もう一つ。

(ありがとう)

 かつて自分が傷ついた場所に、いま小さな感謝を向ける。

(ここで傷ついたから、私はちゃんと“自分の居場所”を選べた)

 竜の大きな翼が、空を打つ。
 王都が遠ざかり、村の方向へと風が流れ始める。

 リラは振り返らなかった。

 彼女の目は、もう、“帰るべき場所”しか見ていなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】異世界から来た聖女ではありません!

五色ひわ
恋愛
 ミシュリーヌは、第四王子オーギュストの妃としてフルーナ王国の王宮で暮らしている。しかし、夫であるオーギュストがミシュリーヌの寝室に訪れることはない。ミシュリーヌは聖女の力を持っていたため、妻に望まれただけなのだ。それでも、ミシュリーヌはオーギュストとの関係を改善したいと考えている。  どうすれば良いのかしら?  ミシュリーヌは焦っていた。七年間かけて国中の水晶を浄化したことにより、フルーナ王国は平穏を取り戻しつつある。それは同時に聖女の力がこの国に必要なくなったことを意味していた。  このまま、オーギュストの優しさに縋ってお飾りの妻を続けるしかないのだろうか。思い悩むミシュリーヌの前に現れたのは、オーギュストの恋人を名乗る女性だった。 ・本編141話 ・おまけの短編 ①9話②1話③5話

旦那様、離婚しましょう ~私は冒険者になるのでご心配なくっ~

榎夜
恋愛
私と旦那様は白い結婚だ。体の関係どころか手を繋ぐ事もしたことがない。 ある日突然、旦那の子供を身籠ったという女性に離婚を要求された。 別に構いませんが......じゃあ、冒険者にでもなろうかしら? ー全50話ー

【完結】追放された転生聖女は、無手ですべてを粉砕する

ゆきむらちひろ
ファンタジー
「祈るより、殴る方が早いので」 ひとりの脳筋聖女が、本人にまったくその気がないまま、緻密に練られたシリアスな陰謀を片っ端から台無しにしていく痛快無比なアクションコメディ。 ■あらすじ 聖女セレスティアは、その類稀なる聖なる力(物理)ゆえに王都から追放された。 実は彼女には前世の記憶があって、平和な日本で暮らしていたしがないOLだった。 そして今世にて、神に祈りを捧げる乙女として王国に奉仕する聖女に転生。 だがなぜかその身に宿ったのは治癒の奇跡ではなく、岩をも砕く超人的な筋力だった。 儀式はすっぽかす。祈りの言葉は覚えられない。挙句の果てには、神殿に押し入った魔物を祈祷ではなくラリアットで撃退する始末。 そんな彼女に愛想を尽かした王国は、新たに現れた完璧な治癒能力を持つ聖女リリアナを迎え入れ、セレスティアを「偽りの聖女」として追放する。 「まあ、田舎でスローライフも悪くないか」 追放された本人はいたって能天気。行く先も分からぬまま彼女は新天地を求めて旅に出る。 しかし、彼女の行く手には、王国転覆を狙う宰相が仕組んだシリアスな陰謀の影が渦巻いていた。 「お嬢さん、命が惜しければこの密書を……」 「話が長い! 要点は!? ……もういい、面倒だから全員まとめてかかってこい!」 刺客の脅しも、古代遺跡の難解な謎も、国家を揺るがす秘密の会合も、セレスティアはすべてを「考えるのが面倒くさい」の一言で片付け、その剛腕で粉砕していく。 果たしてセレスティアはスローライフを手にすることができるのか……。 ※「小説家になろう」、「カクヨム」、「アルファポリス」に同内容のものを投稿しています。 ※この作品以外にもいろいろと小説を投稿しています。よろしければそちらもご覧ください。

乙女ゲームの悪役令嬢の兄の婚約者に転生しましたが傷物になったので退場を希望します!

ユウ
恋愛
平凡な伯爵令嬢のリネットは優しい婚約者と妹と穏やかで幸福な日々を送っていた。 相手は公爵家の嫡男であり第一王子殿下の側近で覚えもめでたく社交界の憧れの漆黒の騎士と呼ばれる貴族令息だった。 結婚式前夜、婚約者の妹に会いに学園に向かったが、そこで事件が起きる。 現在学園で騒動を起こしている第二王子とその友人達に勘違いから暴行を受け階段から落ちてしまう… その時に前世の記憶を取り戻すのだった… 「悪役令嬢の兄の婚約者って…」 なんとも微妙なポジション。 しかも結婚前夜で傷物になる失態を犯してしまったリネットは婚約解消を望むのだが、悪役令嬢の義妹が王子に婚約破棄を突きつける事件に発展してしまう。

追放された偽物聖女は、辺境の村でひっそり暮らしている

潮海璃月
ファンタジー
辺境の村で人々のために薬を作って暮らすリサは“聖女”と呼ばれている。その噂を聞きつけた騎士団の数人が現れ、あらゆる疾病を治療する万能の力を持つ聖女を連れて行くべく強引な手段に出ようとする中、騎士団長が割って入る──どうせ聖女のようだと称えられているに過ぎないと。ぶっきらぼうながらも親切な騎士団長に惹かれていくリサは、しかし実は数年前に“偽物聖女”と帝都を追われたクラリッサであった。

聖女なんかじゃありません!~異世界で介護始めたらなぜか伯爵様に愛でられてます~

トモモト ヨシユキ
ファンタジー
川で溺れていた猫を助けようとして飛び込屋敷に連れていかれる。それから私は、魔物と戦い手足を失った寝たきりの伯爵様の世話人になることに。気難しい伯爵様に手を焼きつつもQOLを上げるために努力する私。 そんな私に伯爵様の主治医がプロポーズしてきたりと、突然のモテ期が到来? エブリスタ、小説家になろうにも掲載しています。

【完結】辺境伯令嬢は敵国の将軍に嫁ぎます 〜戦場で命を賭した幼馴染と政略結婚〜

藤原遊
ファンタジー
辺境伯令嬢エリシアーナは、生まれながらに強大な魔力を宿し、領民を護るため幾度も戦場に立ってきた。 彼女が幼い頃に心を通わせた婚約候補は、隣国アーデンの若き将、レオンハルト。 幼馴染として笑い合い、やがて結ばれるはずだった二人は、宗教対立による戦乱の波に引き裂かれる。 数年後、青年へと成長した二人は――戦場で敵として再会する。 大規模魔法の詠唱を始めたエリシアーナを止めるため、レオンハルトは兄を失った記憶と責務に駆られ、剣を振るう。 彼女は抵抗を緩め、血を吐きながら微笑み、倒れた。 「好きな人に殺されるのなら、それも仕方ない」 その想いを胸に秘めたまま。 だが戦は泥沼化し、やがて両国は疲弊する。 停戦の末に下された決定は――和平の象徴として「ヴァレンシア辺境伯の長女をアーデンに嫁がせよ」。 瀕死から生還したエリシアーナは、妹クラリッサの涙を背に、敵国へと嫁ぐ覚悟を決める。 そこに待っていたのは、幼馴染であり、自らを刺した男――レオンハルト。 「恨まれているのだろう」 「嫌われてしまったのだ」 互いに心を閉ざし、すれ違う新婚生活。 冷徹に見える夫、拒絶されたと感じる妻。 戦で刻まれた傷と誤解は、二人を遠ざけていく。 やがて病に伏し、衰弱していくエリシアーナ。 死の間際に、レオンハルトは震える手で彼女の手を握り、独白する。 「許さなくていい。……死ぬなら俺も連れて行ってくれ。死んでも離さない」 その言葉は、彼女の閉ざされた心を解き放つ。 戦場で刃を交えた二人は、和平の花嫁と将軍として再び結ばれる。 憎しみの連鎖を超えて、切なくも甘い愛の物語が幕を開ける――。

異世界から本物の聖女が来たからと、追い出された聖女は自由に生きたい! (完結)

深月カナメ
恋愛
十歳から十八歳まで聖女として、国の為に祈り続けた、白銀の髪、グリーンの瞳、伯爵令嬢ヒーラギだった。 そんなある日、異世界から聖女ーーアリカが降臨した。一応アリカも聖女だってらしく傷を治す力を持っていた。 この世界には珍しい黒髪、黒い瞳の彼女をみて、自分を嫌っていた王子、国王陛下、王妃、騎士など周りは本物の聖女が来たと喜ぶ。 聖女で、王子の婚約者だったヒーラギは婚約破棄されてしまう。 ヒーラギは新しい聖女が現れたのなら、自分の役目は終わった、これからは美味しいものをたくさん食べて、自由に生きると決めた。

処理中です...