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第16話「王族の思惑と、“竜王の伴侶”という重さ」
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王都を離れる準備は、思っていたよりもあっさりしていた。
……のだが。
「すまないが、もう少しだけ時間をくれないか」
神殿前の広場から少し離れた、崩れかけの噴水のそば。
竜の姿に戻りかけていたアゼルの前に、騎士たちが一列に並んだ。
その列が左右に割れ、その間を、一人の男が進み出る。
王家の紋章を胸に刻んだ、赤いマント。
多少の煤と汚れはついているが、それでも立ち姿には「王都の頂点」の風格が残っている。
王だ。
リラが何度も名前だけ聞いてきた存在。
遠くから儀式の時に一度だけ見た横顔が、今は目の前に立っている。
その隣には、第二王子。
少し硬い顔つきの、若い男性。
目だけが妙に鋭くて、周囲の空気をよく見ているのがわかる。
(あー……完全に“厄介な人たち第二弾”だ……)
心の中で盛大にため息をつきながら、リラは一歩下がってアゼルの横に立った。
王は、アゼルをまっすぐ見上げる。
竜王は、ほんの少し首を傾けてそれを見下ろしていた。
「……まずは、礼を言わねばなるまい」
王の声は低く、しかしはっきりと通る。
「竜王殿。
この度の王都の危機を救ってくれたこと、王家を代表して深く感謝する」
『礼は不要だ』
アゼルの返答は、いつものようにあっさりしている。
『我は、この街にいる“リラが救いたいと願った者たち”を救ったにすぎん。
王家のためでも、神殿のためでもない』
「……そうか」
王は小さく息を吐いた。
「とはいえ、この国を統べる者として、見て見ぬふりはできぬ。
竜王殿。
もしよければ、我が国と“正式な同盟”を結ぶ気はないだろうか」
その言葉に、リラは思わず目を瞬く。
(来た、政治的な話!!)
第二王子が一歩前に出て、続けた。
「王都の結界は、今回の件で大きく傷つきました。
再構築には、長い時間と莫大な魔力が必要となるでしょう。
もし竜王殿の加護があれば──」
『断る』
アゼルは秒で切り捨てた。
王子の言葉が、途中でぶつ切りにされる。
「……理由をうかがっても?」
『我は、国と契約するつもりはない』
アゼルの声が、少しだけ冷たくなる。
『竜は“世界”とは契約しても、“人間の国”とは契約せん。
お前たちの寿命は短く、王も国も移ろう。
約束を守る者と、守らぬ者も混ざる』
空気に、薄い緊張が走る。
『“竜王との同盟”など掲げておいて、百年後には「そんな取り決めは知らぬ」と言う者が出てくるのが関の山だ』
王子の眉がぴくりと動いた。
痛いところを突かれた、という顔だ。
王は、苦く笑った。
「……否定はできぬな」
『同盟は結ばぬ。
だが、“この街で暮らしたいと願う者たち”を守ることはあるだろう』
「それだけで、十分だ」
王は素直に頷いた。
妙な虚勢も、怒りもない。
(この人、思ってたより正直なのかも)
リラは、王の顔を見上げながら、そんなことをぼんやり思う。
「それと──」
第二王子が、少し慎重な顔つきで口を開いた。
「失礼を承知で、もう一つだけ」
「……?」
「竜王殿が契約を結ばぬとしても、
“大聖女”として、リラ殿を王都に迎えたいという願いは変わりません」
その言葉には、さっきレイナが言った「戻ってきて」とは違う重さがあった。
「彼女の力は、もはやこの国全体にとっての要です。
今後も、王都の結界や、周辺国との関係において──」
『だから断ると言っている』
アゼルがぴしゃりと遮る。
『リラは、この神殿に戻らぬと決めた。
“王都に縛られない”と決めた。
それが全てだ』
王子の目が、ほんの一瞬だけリラに向く。
責めるでもなく、諦めるでもなく、ただ“測っている”視線。
王は、そこでふと表情を変えた。
「……なるほど」
「陛下?」
「ならば、“別の形”で願いを出そう」
王は、アゼルではなく、今度はリラを見た。
正面から、まっすぐに。
「リラ殿」
「……はい」
「我が国は、竜王殿との“正式な同盟”は諦めよう。
だが、“竜王の伴侶”である貴女と、この国との関係は、決して軽いものではない」
「──え?」
頭の中で、何かが止まった。
(いま、何て言った?)
伴侶。
ばん……りょ?
頭の中で文字がゆっくり並んでいく。
(“竜王の伴侶”って言ったよね今!?)
思考が、ぐるぐると渦を巻く。
アゼルは、微妙に視線をそらした。
竜王のくせに、ほんの少し耳のあたりが赤くなっている気がする。
「ちょ、ちょっと待ってください陛下」
リラは慌てて手を振った。
「私、そんな、ちゃんとした契約とかしてないですし、
その、“伴侶”って、えっと、その……!」
言葉が舌の上で空回りする。
王は、少しだけ目を細めた。
「竜の言葉で“巣”と呼ぶ存在は、
人間の言葉に置き換えるなら、“伴侶”か、それに近いものと聞いている」
(アゼル……!!!)
リラは横を見る。
アゼルは、落ち着き払った顔をしているが、視線は見事に合わない。
『……何か言いたそうだな』
「言いたそうじゃなくて言いたいこと山ほどあるよ!! 聞いてなかったんだけどその解釈!!」
『間違ってはいない』
「間違ってないなら事前に説明しといて!? 心の準備って言葉知ってる!? 竜にある!? ねえ!!」
広場の空気が微妙にざわつく。
王子は「なるほど」と妙に納得した顔をし、
周囲の兵士たちは「ああ……」「え、そういう関係?」と目を泳がせている。
レイナは、妙に神妙な顔で頷いた。
「……うん、まあ、そうだよね」
「レイナ様まで黙って頷かないで!? “まあそうだよね”じゃないよ!?」
リラのツッコミが虚しく響いた。
王は、ほんの少しだけ口元を緩める。
「冗談を言いに来たわけではない」
いや今の流れ完全に爆弾発言でしたけど!? と言いたい。
言いたいけれど、立場的に飲み込む。
「竜王の伴侶である貴女は、この国にとって──いや、この世界にとっても非常に重い存在となる」
その言い方に、リラの背中を冷たいものが走った。
「……重い?」
「竜王殿が“国とは契約しない”としても、貴女がいる限り、この国は竜王と“敵対することはない”」
王の声は現実的だ。
「それがどれほどの抑止力になるかは、説明するまでもないだろう」
「…………」
(あ、これ)
(思ってた以上に、とんでもないこと言われてるやつだ)
王は続ける。
「我らは、竜王殿の伴侶である貴女を、“友人”として遇したい。
王都に戻るか否かは貴女の自由だ。
だが、何かあれば、遠慮なくこの国の名を使うといい」
「え、ちょ、え?」
「“竜王の伴侶リラ殿の頼み”とあれば、
たいていの貴族や他国は、簡単には逆らえない」
さらっと、とんでもないことを言う。
(なにそれ、世界規模のフリーパスみたいな……)
脳内で、「竜王の伴侶」の肩書きに「世界レベルでめちゃくちゃ重たいタグ」が増えるイメージが見えた。
胃がきゅっと縮む。
「……そんな、私なんかが」
思わず、昔の癖で口が動いてしまう。
『リラ』
アゼルが、横で小さく名前を呼んだ。
リラは、はっとして口を閉じる。
王は、そのやり取りをじっと見ていたが、やがて小さく頷いた。
「我々から言えるのは、ただ一つだ」
その目に、嘘はなかった。
「貴女と竜王殿の意志を、尊重する」
それだけ言うと、王は一歩下がり、騎士たちにも道を開くよう促した。
第二王子が軽く頭を下げる。
「いつか、辺境の村に伺うかもしれません」
「できれば普通の服で来てください。
王都の正装で村に来たら、うちのマリアさんが“畑には向かない”って文句言うと思います」
「……善処しましょう」
珍しく王子の口元が緩んだ。
それで、やっとこの場は終わりを告げる。
◇
竜の背にまたがって、王都を飛び立ったあとも──。
リラの胸の中は、ずっとザワザワしていた。
風は冷たい。
さっきよりもずっと高い高度を飛んでいるせいで、髪がばさばさと顔にかかる。
下を見れば、少しずつ遠ざかっていく王都の灯り。
その先には、黒い靄の薄くなった空が広がっている。
いろんなものが終わって、いろんなものが始まりかけている街。
そこからぐんぐん距離を取るたびに、さっきの言葉が頭の中でリピートされる。
(“竜王の伴侶”)
その四文字が、頭蓋骨にこびりついたみたいに離れない。
(私がアゼルの隣にいるって、そういう意味……?)
世界レベルで大事な立場。
国同士の関係にも影響を与える存在。
言い換えれば、“下手に動けば世界が揺れるかもしれない人間”。
(いやいやいやいや、待って。
私、ついこの間まで“雑用係の補欠”だったんだけど?)
脳内で、過去の自分と今の肩書きが並んで、アンバランスさに眩暈がする。
自分の手のひらを見つめる。
同じ手だ。
神殿で雑巾を絞っていた手。
今は世界規模の浄化をしたばかりの手。
(……なんか、怖いな)
王都の人たちを救ったことは、やっぱり嬉しい。
自分の魔法を役立てられたことも、嘘偽りなく誇らしい。
でも、“竜王の伴侶”なんて言葉が、公然と口にされる世界は──正直、怖い。
(私なんかが、本当に隣にいていいのかな)
胸の奥から、昔の癖みたいな思考が顔を出す。
また同じだ。
神殿でも、“私なんかが大聖女候補でいいのかな”ってずっと思っていた。
今は、“私なんかが竜王の隣でいいのかな”に変わっただけで、本質はあまり変わってない。
違うのは──。
『……黙っているあたり、だいぶ考え込んでいるな』
頭の中に、ふとアゼルの声が落ちてきた。
「考え込みますよ……!」
思わず声に出ていた。
「“竜王の伴侶”って。
なんかもう、響きからして重たいじゃん。
世界観のラスボス側の肩書きみたいじゃん。
私はせいぜい中ボスくらいの人生設計だったんだけど……」
『中ボスとはなんだ』
「いや、竜王の前に出てくる強いけど倒せるやつみたいな……」
『我の前座に自分を置くな』
「置いた覚えないんだけど!?」
やり取りはいつもと変わらない。
でも、胸のモヤモヤは消えない。
「だってさ」
風に向かって、叫ぶように言う。
「私、そんなに立派な人間じゃないよ?
今も、“王都、全部救えたわけじゃないな”って後悔してるし。
さっきだって、本音は“怖い”って思いながら光を広げてたし」
どこかで、“竜王の伴侶”と言われる存在は、もっとこう──。
迷いがなくて、凛としてて、“世界を救うのが当然です”みたいな顔をしているイメージがある。
自分は、全然違う。
怖いし、迷うし、うじうじするし、すぐ弱音吐きたくなる。
「そんな私がさ、“竜王の伴侶です”って顔して隣に立つの、変じゃない?」
風が、すこしだけ強くなった。
アゼルは、すぐに答えなかった。
代わりに、少しだけ高度を下げ、速度を落とす。
風の圧が和らぎ、リラの息が落ち着いていく。
『……そう思うのか』
「思うよ」
即答だった。
いつもの自虐でも、冗談でもない。
素直な本音。
『なるほどな』
アゼルは、それ以上何も言わなかった。
励ましもしない。
否定もしない。
「そんなことはない」と簡単に言ってしまえば、リラは一瞬安心するだろう。
でも、それだとたぶん──また同じところをぐるぐる回るだけになる。
アゼルは知っている。
この少女が、一度自分で言葉にして、自分で答えを出したことだけを、本当に信じるようになることを。
だから、あえて口を閉ざした。
風の音だけが響く。
王都の灯りは、もう完全に遠ざかっていた。
代わりに、見覚えのある山並みと、夜の森が近づいてくる。
村の方向だ。
リラは、空の色を見ながら、くしゃりと顔を歪めた。
(“竜王の伴侶”って言われるの、怖い)
(でも──)
アゼルが、自分を“巣”と呼んだとき。
“守るべき場所だ”と言ってくれたとき。
あのとき、胸の奥に芽生えた何かは、嘘じゃない。
(その言葉が、嫌なわけじゃないんだよな……)
“伴侶”とか“巣”とか、そういう単語は、正直まだ照れるし、実感も薄い。
でも、“アゼルの隣にいたい”という感情だけは、ちゃんとそこにある。
(“私なんかが隣にいていいのかな”って考えてる時点で、
もう隣にいたいって気持ちは前提になってるのか……)
自分で自分の発言に突っ込みながら、微妙に恥ずかしくなる。
「……めんどくさ」
思わずぽつりとこぼした。
『自覚したか』
「うるさい」
竜王の背で、少女はひとり、心の中のぐちゃぐちゃを抱きしめていた。
アゼルは、その全部を、あえて拾わずに黙って受け止める。
リラが「怖い」と言えるようになったこと。
「戻らない」と言えたこと。
それと同じように。
いつかきっと──
「隣にいていい」と、自分の口で言えるようになるのを、待つために。
村の灯りが見えてきた。
帰る場所の光は、王都のどんな大聖堂よりも、ずっとあたたかく見えた。
……のだが。
「すまないが、もう少しだけ時間をくれないか」
神殿前の広場から少し離れた、崩れかけの噴水のそば。
竜の姿に戻りかけていたアゼルの前に、騎士たちが一列に並んだ。
その列が左右に割れ、その間を、一人の男が進み出る。
王家の紋章を胸に刻んだ、赤いマント。
多少の煤と汚れはついているが、それでも立ち姿には「王都の頂点」の風格が残っている。
王だ。
リラが何度も名前だけ聞いてきた存在。
遠くから儀式の時に一度だけ見た横顔が、今は目の前に立っている。
その隣には、第二王子。
少し硬い顔つきの、若い男性。
目だけが妙に鋭くて、周囲の空気をよく見ているのがわかる。
(あー……完全に“厄介な人たち第二弾”だ……)
心の中で盛大にため息をつきながら、リラは一歩下がってアゼルの横に立った。
王は、アゼルをまっすぐ見上げる。
竜王は、ほんの少し首を傾けてそれを見下ろしていた。
「……まずは、礼を言わねばなるまい」
王の声は低く、しかしはっきりと通る。
「竜王殿。
この度の王都の危機を救ってくれたこと、王家を代表して深く感謝する」
『礼は不要だ』
アゼルの返答は、いつものようにあっさりしている。
『我は、この街にいる“リラが救いたいと願った者たち”を救ったにすぎん。
王家のためでも、神殿のためでもない』
「……そうか」
王は小さく息を吐いた。
「とはいえ、この国を統べる者として、見て見ぬふりはできぬ。
竜王殿。
もしよければ、我が国と“正式な同盟”を結ぶ気はないだろうか」
その言葉に、リラは思わず目を瞬く。
(来た、政治的な話!!)
第二王子が一歩前に出て、続けた。
「王都の結界は、今回の件で大きく傷つきました。
再構築には、長い時間と莫大な魔力が必要となるでしょう。
もし竜王殿の加護があれば──」
『断る』
アゼルは秒で切り捨てた。
王子の言葉が、途中でぶつ切りにされる。
「……理由をうかがっても?」
『我は、国と契約するつもりはない』
アゼルの声が、少しだけ冷たくなる。
『竜は“世界”とは契約しても、“人間の国”とは契約せん。
お前たちの寿命は短く、王も国も移ろう。
約束を守る者と、守らぬ者も混ざる』
空気に、薄い緊張が走る。
『“竜王との同盟”など掲げておいて、百年後には「そんな取り決めは知らぬ」と言う者が出てくるのが関の山だ』
王子の眉がぴくりと動いた。
痛いところを突かれた、という顔だ。
王は、苦く笑った。
「……否定はできぬな」
『同盟は結ばぬ。
だが、“この街で暮らしたいと願う者たち”を守ることはあるだろう』
「それだけで、十分だ」
王は素直に頷いた。
妙な虚勢も、怒りもない。
(この人、思ってたより正直なのかも)
リラは、王の顔を見上げながら、そんなことをぼんやり思う。
「それと──」
第二王子が、少し慎重な顔つきで口を開いた。
「失礼を承知で、もう一つだけ」
「……?」
「竜王殿が契約を結ばぬとしても、
“大聖女”として、リラ殿を王都に迎えたいという願いは変わりません」
その言葉には、さっきレイナが言った「戻ってきて」とは違う重さがあった。
「彼女の力は、もはやこの国全体にとっての要です。
今後も、王都の結界や、周辺国との関係において──」
『だから断ると言っている』
アゼルがぴしゃりと遮る。
『リラは、この神殿に戻らぬと決めた。
“王都に縛られない”と決めた。
それが全てだ』
王子の目が、ほんの一瞬だけリラに向く。
責めるでもなく、諦めるでもなく、ただ“測っている”視線。
王は、そこでふと表情を変えた。
「……なるほど」
「陛下?」
「ならば、“別の形”で願いを出そう」
王は、アゼルではなく、今度はリラを見た。
正面から、まっすぐに。
「リラ殿」
「……はい」
「我が国は、竜王殿との“正式な同盟”は諦めよう。
だが、“竜王の伴侶”である貴女と、この国との関係は、決して軽いものではない」
「──え?」
頭の中で、何かが止まった。
(いま、何て言った?)
伴侶。
ばん……りょ?
頭の中で文字がゆっくり並んでいく。
(“竜王の伴侶”って言ったよね今!?)
思考が、ぐるぐると渦を巻く。
アゼルは、微妙に視線をそらした。
竜王のくせに、ほんの少し耳のあたりが赤くなっている気がする。
「ちょ、ちょっと待ってください陛下」
リラは慌てて手を振った。
「私、そんな、ちゃんとした契約とかしてないですし、
その、“伴侶”って、えっと、その……!」
言葉が舌の上で空回りする。
王は、少しだけ目を細めた。
「竜の言葉で“巣”と呼ぶ存在は、
人間の言葉に置き換えるなら、“伴侶”か、それに近いものと聞いている」
(アゼル……!!!)
リラは横を見る。
アゼルは、落ち着き払った顔をしているが、視線は見事に合わない。
『……何か言いたそうだな』
「言いたそうじゃなくて言いたいこと山ほどあるよ!! 聞いてなかったんだけどその解釈!!」
『間違ってはいない』
「間違ってないなら事前に説明しといて!? 心の準備って言葉知ってる!? 竜にある!? ねえ!!」
広場の空気が微妙にざわつく。
王子は「なるほど」と妙に納得した顔をし、
周囲の兵士たちは「ああ……」「え、そういう関係?」と目を泳がせている。
レイナは、妙に神妙な顔で頷いた。
「……うん、まあ、そうだよね」
「レイナ様まで黙って頷かないで!? “まあそうだよね”じゃないよ!?」
リラのツッコミが虚しく響いた。
王は、ほんの少しだけ口元を緩める。
「冗談を言いに来たわけではない」
いや今の流れ完全に爆弾発言でしたけど!? と言いたい。
言いたいけれど、立場的に飲み込む。
「竜王の伴侶である貴女は、この国にとって──いや、この世界にとっても非常に重い存在となる」
その言い方に、リラの背中を冷たいものが走った。
「……重い?」
「竜王殿が“国とは契約しない”としても、貴女がいる限り、この国は竜王と“敵対することはない”」
王の声は現実的だ。
「それがどれほどの抑止力になるかは、説明するまでもないだろう」
「…………」
(あ、これ)
(思ってた以上に、とんでもないこと言われてるやつだ)
王は続ける。
「我らは、竜王殿の伴侶である貴女を、“友人”として遇したい。
王都に戻るか否かは貴女の自由だ。
だが、何かあれば、遠慮なくこの国の名を使うといい」
「え、ちょ、え?」
「“竜王の伴侶リラ殿の頼み”とあれば、
たいていの貴族や他国は、簡単には逆らえない」
さらっと、とんでもないことを言う。
(なにそれ、世界規模のフリーパスみたいな……)
脳内で、「竜王の伴侶」の肩書きに「世界レベルでめちゃくちゃ重たいタグ」が増えるイメージが見えた。
胃がきゅっと縮む。
「……そんな、私なんかが」
思わず、昔の癖で口が動いてしまう。
『リラ』
アゼルが、横で小さく名前を呼んだ。
リラは、はっとして口を閉じる。
王は、そのやり取りをじっと見ていたが、やがて小さく頷いた。
「我々から言えるのは、ただ一つだ」
その目に、嘘はなかった。
「貴女と竜王殿の意志を、尊重する」
それだけ言うと、王は一歩下がり、騎士たちにも道を開くよう促した。
第二王子が軽く頭を下げる。
「いつか、辺境の村に伺うかもしれません」
「できれば普通の服で来てください。
王都の正装で村に来たら、うちのマリアさんが“畑には向かない”って文句言うと思います」
「……善処しましょう」
珍しく王子の口元が緩んだ。
それで、やっとこの場は終わりを告げる。
◇
竜の背にまたがって、王都を飛び立ったあとも──。
リラの胸の中は、ずっとザワザワしていた。
風は冷たい。
さっきよりもずっと高い高度を飛んでいるせいで、髪がばさばさと顔にかかる。
下を見れば、少しずつ遠ざかっていく王都の灯り。
その先には、黒い靄の薄くなった空が広がっている。
いろんなものが終わって、いろんなものが始まりかけている街。
そこからぐんぐん距離を取るたびに、さっきの言葉が頭の中でリピートされる。
(“竜王の伴侶”)
その四文字が、頭蓋骨にこびりついたみたいに離れない。
(私がアゼルの隣にいるって、そういう意味……?)
世界レベルで大事な立場。
国同士の関係にも影響を与える存在。
言い換えれば、“下手に動けば世界が揺れるかもしれない人間”。
(いやいやいやいや、待って。
私、ついこの間まで“雑用係の補欠”だったんだけど?)
脳内で、過去の自分と今の肩書きが並んで、アンバランスさに眩暈がする。
自分の手のひらを見つめる。
同じ手だ。
神殿で雑巾を絞っていた手。
今は世界規模の浄化をしたばかりの手。
(……なんか、怖いな)
王都の人たちを救ったことは、やっぱり嬉しい。
自分の魔法を役立てられたことも、嘘偽りなく誇らしい。
でも、“竜王の伴侶”なんて言葉が、公然と口にされる世界は──正直、怖い。
(私なんかが、本当に隣にいていいのかな)
胸の奥から、昔の癖みたいな思考が顔を出す。
また同じだ。
神殿でも、“私なんかが大聖女候補でいいのかな”ってずっと思っていた。
今は、“私なんかが竜王の隣でいいのかな”に変わっただけで、本質はあまり変わってない。
違うのは──。
『……黙っているあたり、だいぶ考え込んでいるな』
頭の中に、ふとアゼルの声が落ちてきた。
「考え込みますよ……!」
思わず声に出ていた。
「“竜王の伴侶”って。
なんかもう、響きからして重たいじゃん。
世界観のラスボス側の肩書きみたいじゃん。
私はせいぜい中ボスくらいの人生設計だったんだけど……」
『中ボスとはなんだ』
「いや、竜王の前に出てくる強いけど倒せるやつみたいな……」
『我の前座に自分を置くな』
「置いた覚えないんだけど!?」
やり取りはいつもと変わらない。
でも、胸のモヤモヤは消えない。
「だってさ」
風に向かって、叫ぶように言う。
「私、そんなに立派な人間じゃないよ?
今も、“王都、全部救えたわけじゃないな”って後悔してるし。
さっきだって、本音は“怖い”って思いながら光を広げてたし」
どこかで、“竜王の伴侶”と言われる存在は、もっとこう──。
迷いがなくて、凛としてて、“世界を救うのが当然です”みたいな顔をしているイメージがある。
自分は、全然違う。
怖いし、迷うし、うじうじするし、すぐ弱音吐きたくなる。
「そんな私がさ、“竜王の伴侶です”って顔して隣に立つの、変じゃない?」
風が、すこしだけ強くなった。
アゼルは、すぐに答えなかった。
代わりに、少しだけ高度を下げ、速度を落とす。
風の圧が和らぎ、リラの息が落ち着いていく。
『……そう思うのか』
「思うよ」
即答だった。
いつもの自虐でも、冗談でもない。
素直な本音。
『なるほどな』
アゼルは、それ以上何も言わなかった。
励ましもしない。
否定もしない。
「そんなことはない」と簡単に言ってしまえば、リラは一瞬安心するだろう。
でも、それだとたぶん──また同じところをぐるぐる回るだけになる。
アゼルは知っている。
この少女が、一度自分で言葉にして、自分で答えを出したことだけを、本当に信じるようになることを。
だから、あえて口を閉ざした。
風の音だけが響く。
王都の灯りは、もう完全に遠ざかっていた。
代わりに、見覚えのある山並みと、夜の森が近づいてくる。
村の方向だ。
リラは、空の色を見ながら、くしゃりと顔を歪めた。
(“竜王の伴侶”って言われるの、怖い)
(でも──)
アゼルが、自分を“巣”と呼んだとき。
“守るべき場所だ”と言ってくれたとき。
あのとき、胸の奥に芽生えた何かは、嘘じゃない。
(その言葉が、嫌なわけじゃないんだよな……)
“伴侶”とか“巣”とか、そういう単語は、正直まだ照れるし、実感も薄い。
でも、“アゼルの隣にいたい”という感情だけは、ちゃんとそこにある。
(“私なんかが隣にいていいのかな”って考えてる時点で、
もう隣にいたいって気持ちは前提になってるのか……)
自分で自分の発言に突っ込みながら、微妙に恥ずかしくなる。
「……めんどくさ」
思わずぽつりとこぼした。
『自覚したか』
「うるさい」
竜王の背で、少女はひとり、心の中のぐちゃぐちゃを抱きしめていた。
アゼルは、その全部を、あえて拾わずに黙って受け止める。
リラが「怖い」と言えるようになったこと。
「戻らない」と言えたこと。
それと同じように。
いつかきっと──
「隣にいていい」と、自分の口で言えるようになるのを、待つために。
村の灯りが見えてきた。
帰る場所の光は、王都のどんな大聖堂よりも、ずっとあたたかく見えた。
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