追放後に拾った猫が実は竜王で、溺愛プロポーズが止まらない

タマ マコト

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第17話「竜族の長老たちと、“人間の女”への視線」

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 空が、ひっくり返ったみたいだった。

 リラは竜の背にしがみつきながら、感覚だけでそれを悟った。

 さっきまで見えていた雲も星も、どこかの山の稜線も、全部一回ゼロになって──
 気づけば、そこには“別の空”が広がっていた。

「……なに、ここ……」

 思わず声が漏れる。

 頭上には空。
 足元にも、空。

 直線で説明するのを拒否してくるような、上下の感覚が壊れた世界。
 夜とも昼ともつかない薄い青紫の空の中に、巨大な大陸の塊が、まるで島みたいに浮かんでいる。

 浮遊大陸。

 それがひとつじゃない。
 大きさも色も質感も違う岩や土の塊が、遠く近く、さまざまな高さで浮かんでいる。
 そのあいだを、魔力の雲が海みたいに渦を巻いていた。

 光っては消える。
 揺れては流れる。
 あちこちで雷みたいな光が走るのに、音はほとんどしない。

(世界設定が高度すぎる……)

 つい現実逃避でそんなことを考えてしまう。

 アゼルは、黒い竜の姿のまま、巨大な浮遊大陸のひとつへと降下していった。

 近づくほど、そのスケールのおかしさが露わになる。

 大陸の縁は、そのまま断崖絶壁になっていて、下は何もない。
 ただ、底なしの魔力の海が、静かに渦を巻いている。

 大陸の中央には、巨大な柱が突き立っていた。

 石でも木でも鉄でもない。
 魔力を凝固させて作ったような、透明で、内側に星のような光を閉じ込めた柱。

 その周囲を、さまざまな色と形の竜たちが旋回していた。

 紅蓮のような赤。
 古い樹皮みたいな苔むした緑。
 氷河の奥のような薄い青。
 そのどれもが、アゼルと同等か、あるいはそれ以上の重厚さをまとっている。

(竜族評議会、ってやつ……?)

 喉がごくりと鳴った。

『しっかり掴まっていろ。落ちたら面倒だ』

「落ちるとか言わないで!!」

『冗談だ』

 竜王の冗談は笑えない。

 大陸の縁の、少し開けた場所に静かに着地すると、アゼルはゆっくりと体を縮め、人の姿へと戻っていった。

「着いた」

 振り向いたアゼルが手を差し出す。

 リラはその手をぎゅっと掴んで、竜の背から降りた。
 足元の地面は、不思議な感触だった。
 土でも岩でもない。
 魔力が固まったような、ふかふかとも硬いとも言えない弾力。

「ここが……竜たちの、世界?」

「“一角”だな。
 全部を見ようとすると、たぶんお前の頭が先に悲鳴をあげる」

「今ですら悲鳴寸前なんだけど」

 空間の把握を諦めるのが、精神衛生上よさそうだ。

 周囲の空を飛んでいた竜たちの一部が、アゼルの存在に気づいて高度を変え始める。
 ざわ、と魔力の流れが揺れた。

「……見られてるね」

「当然だ。
 竜が“人間”を連れてくるなど、珍事だからな」

「その言い方やめて? 私、珍獣じゃないからね?」

「いや、“珍獣”という単語は候補に入っていない」

「今入ったよね!? 今私のせいで新しいラベル付いたよね!?」

 くだらないやり取りをしているうちにも、空から降りてくる竜の数は増えていく。

 やがて、そのうち数体が人の姿へと変わった。

 人、といっても、見た目は若者から老人までさまざまだ。
 だが、共通しているのは、その目だ。

 底の見えない深さと、長い歳月を閉じ込めたような重さ。

 彼らが、竜族の長老たちだと、言われなくてもわかった。

 一番手前に降り立ったのは、深い緑の髪をもつ男だった。

 森のような色合いのローブ。
 金でも宝石でもない、古い木の根や石を繋いだ装飾。
 その姿は、自然そのものが形を取ったみたいだった。

「──アゼル」

 低い声が、空気を震わせる。

「久しいな、“均衡の竜王”よ」

「まあな、グレイオル」

 アゼルは、特に緊張した様子もなく答えた。

「前に顔を出したのは……百年ほど前か」

「人間で言えば“久々どころじゃない”レベルだね」

 小声で呟いたのを、隣のアゼルが聞き逃さない。

「百年程度でたいしたことはない」

「そういう感覚の人たちと話し合いするの、ハードル高くない?」

「今さらだろう」

 グレイオルと呼ばれた長老は、ゆっくりとリラの方に視線を向けた。

 その目は、好奇心と警戒と、少しの嫌悪が混ざったような、複雑な色をしている。

「……人間、か」

 嫌でも、その言葉に含まれた温度差が伝わる。

「竜王アゼル」

 別の声が割って入った。

 銀色の髪をした、細身の青年──見た目は青年だが、目だけが老人のそれをしている竜だ。

「世界の均衡が揺らいでいる時に、
 “人間の女”ひとりに入れ込むとは。
 お前らしくもない」

 その言い方が、リラの胸をチクリと刺した。

 「人間の女」。
 名前も、力も、何も見ていない一括り。

「……アゼル」

 今度は、白髪に金の瞳をもつ女の竜が前に出る。

 長いローブの裾が大地を撫でるたび、細かな光が舞い上がる。

「お前は、竜族評議に顔を出さぬ間に、
 ずいぶんと“世界の理”から外れた行動を取っているようだな」

「外れたつもりはないが」

「王都の結界崩壊の件」

 グレイオルの声が低くなる。

「本来ならば、“竜王”たるお前が、もっと早く手を打つべきだった。
 なのに、お前は“あんな辺境の小村”で足を止めていた」

「……」

「“竜の理”から見れば、
 王都の崩壊と辺境の村ひとつ。
 どちらを優先すべきかは明白だろう」

 その言葉に、リラは思わず息を詰めた。

(“あんな辺境の小村”)

 あそこは、自分にとってようやく見つけた居場所で。
 大切で、守りたくて、温かい場所だ。

 それが、「理」の世界では、苛烈な天秤にかけられる。

「お前は、“世界の均衡”より、
 その人間の女の“居場所”を優先した」

 銀髪の竜が冷笑を漏らす。

「それを、“外れていない”と言い張るつもりか?」

 自分が原因だ、ということは、嫌でも理解できた。

 アゼルが村に留まったのは、自分のせいだ。
 自分の居場所を守るために、一緒にいてくれた。

 その結果、王都の結界崩壊に対する介入が遅れた──
 その“事実”だけを切り取れば、たしかにそう見える。

(私がいなかったら)

 胸の奥に、黒い考えが浮かぶ。

(アゼルはもっと、“正しい竜王”でいられたんじゃ……)

 喉の奥が、じわ、と痛くなる。

 長老たちの言葉は止まらない。

「人間の女を伴侶にするというのは、そういうことだ」

 白髪の竜女が、冷ややかに言い放つ。

「寿命も違う。価値観も違う。
 世界に対する視点も、背負っているものも、全てが違う」

「お前は、“数十年からせいぜい百年”で死ぬ存在を、
 竜王としての責務より優先している」

 グレイオルが重ねる。

「それがどれほど不安定なことか、わからぬわけではあるまい」

 銀髪の竜は、あからさまに睨みつけてくる。

「お前は、また昔の悲劇を繰り返すつもりか?」

 「昔の悲劇」という単語に、空気がぴん、と張り詰めた。

 リラもその言葉には覚えがある。

 アゼルから聞いたことがある、
 “竜と契約した聖女の末路”の話。

 人間側は「禁忌」として封印し、
 竜側は「愚かさ」として記録した歴史。

(ああ、やっぱり)

 自分が、また同じことをしているように見えるのだろう。

 竜王が人間の女性に心を寄せること。
 それがどれほど“危うい”と見なされるか。

「……アゼル」

 小さく名前を呼ぶ。

 たぶん、彼はわかっていた。
 こうなることを。

 竜族の領域に自分を連れてきた時点で、
 こういう批判が飛ぶことも、
 自分が傷つくことも、全部。

 アゼルは、少しだけ息を吐いた。

「昔の悲劇を繰り返すつもりか、か」

 長老たちを見渡す。

「それは、“お前たちがあの時から何一つ変わっていないなら、そう見える”のだろうな」

「変わっていないのは、お前もだ」

 銀髪の竜が刺すように言う。

「いつだって、“均衡”と“個”のあいだで、中途半端に迷う。
 結局、誰かひとりを選んで、その周囲ごと抱え込もうとする。
 それが、お前の欠点だ」

 ピンポイント刺突がすぎる。

 リラは、立っている足元がふっと薄くなるような感覚を覚えた。

(私が、アゼルを“中途半端”にしてるんだ)

 たぶん、それも間違いじゃない。

 アゼルが自分のそばにいる限り、
 彼は世界の均衡だけを見ていればいい存在ではいられない。

(私さえいなければ──)

 その思考が、ゆっくりと形を取りかけた瞬間。

「──リラ」

 アゼルの声が、すぐ近くから降ってきた。

 顔を上げる。

 彼は、長老たちから視線を外して、まっすぐにリラを見た。

 その目は、何も揺れていなかった。

「耳を貸すな」

 短い言葉。

「お前のせいではない」

 それだけで、胸の奥にあった黒いものが、少しだけ溶けた。

 でも、長老たちの声は止まらない。

「“せいではない”と、自分に言い聞かせているだけだ」

 白髪の竜女が、冷たい声で言う。

「事実として、お前は“彼女を優先した”。
 それが、竜族の世界にどんな影響をもたらしたか──」

「──我が選んだ」

 アゼルの声が、その言葉を切り裂いた。

 静かで、よく通る声。

 どこにも力んだところはないのに、その一言で空気が変わった。

「世界の均衡を見ていた我が。
 竜王である我が。
 リラを選び、この村を選び、この行動を選んだ」

 長老たちが、一瞬だけ言葉を失う。

「彼女に責任はない」

 ゆっくりと、一つ一つの音を確かめるように言葉を続ける。

「あるとするなら、それは──我が自分の意思で選んだという事実だけだ」

 心臓が、強く打った。

(……“我が選んだ”)

 リラは、その言葉を胸の中で繰り返した。

 “流されてこうなった”のではなく。
 “そうせざるをえなかった”のでもなく。

 彼自身が、“選んだ”。

「均衡の竜王としての責務と、ひとりの竜としての我儘の両方を、我は知っている」

 アゼルは、長老たちを見渡した。

「“外れていない”と言ったのは、
 世界の均衡を投げ捨てたつもりはないからだ。
 今回の王都の件も、“必要な瞬間には動いた”」

「だが、優先順位は変えた」

 静かな告白。

「今の我は、“世界のどこかで起きている抽象的な悲劇”よりも、
 “リラの隣にある具体的な涙”を、先に拭うことを選ぶ」

 長老たちの表情は、一様に固い。

「それが“竜王としての責務からの逸脱”だと言うなら、好きに記録すればいい。
 だが、それを理由に彼女を責めるのは──筋違いだ」

(あ)

 そこで、やっと気づいた。

(アゼル、今……)

 「自分が責められるのは構わないけど、私が原因扱いされるのは許さない」って、はっきり言ったんだ。

 それはもう、ある意味で“世界への喧嘩”みたいなものだ。

 竜族全体から見れば、“ひとりの人間に入れ込んでいる”竜王は、リスクにも脅威にも見える。

 それでも──。

『我が選んだ』

 その一点で押し通している。

 グレイオルが、長い息を吐いた。

「……やはり、お前は変わらぬな」

「褒め言葉と受け取っておこう」

「褒めてはいない」

「知っている」

 皮肉の応酬。

 銀髪の竜は、明らかに苛立っていた。

「昔もそう言って、結果どうなった?
 人間の女と竜王が深く結びつきすぎれば、
 必ず“どこか”に歪みが出る」

「過去の聖女の話か」

 アゼルは、目を細めた。

「彼女は、自分で選べなかった。
 人間の王に、神官に、竜に、押し流され、利用され、
 最後には“悲劇”として語られるための物語に変えられた」

 空気が、少しだけ冷たくなる。

「今回の話は、違う」

 アゼルの視線が、ちらりとリラに向いた。

「リラは、自分で選ぶ」

「……」

「戻るか戻らぬか。
 救うか救わぬか。
 世界をどう見るか。
 誰の隣に立つか」

 ひとつひとつ、リラがここまで考えて選んできたことを並べていく。

「我は、その隣にいる」

 静かな宣言。

「彼女が選ぶときに、“選べない場所”に閉じ込めるつもりはない。
 それは、あのときと同じ悲劇を生むだけだ」

 白髪の竜女が、少しだけ目を伏せた。

 どこかで、その言葉に心当たりがあるのだろう。

「……しかしな、アゼル」

 グレイオルの声が、少し柔らかくなった。

「お前が“選んだ”と言う以上、
 お前は、世界からも、竜族からも、彼女からも──同時に責任を問われることになる」

「わかっている」

「それは、お前ひとりの問題ではない。
 彼女も、《竜王の伴侶》として、その矢面に立つことになる」

 その言葉が、真正面からリラの心臓を撃ち抜いた。

(私も……)

 自分で選ぶこと。
 自分で掴むこと。

 それは、「誰かに守られているだけ」の立場から一歩踏み出すことでもある。

(アゼルが、全部かばってくれてるうちは、きっと私は“また同じ”になる)

 あの神殿で。
 「守られているふり」をして、全部流されていた自分。

 今、竜族の世界で。
 「アゼルが選んでくれたから」と、また流される自分。

(それ、嫌だ)

 胸の奥で、じわじわと熱が生まれる。

 今はまだ、うまく言葉にならない。
 でも、その熱はたしかにある。

「……ごもっともだと思います」

 自分でも驚くくらいはっきりした声が出た。

 長老たちの視線が、一斉にこちらを向く。

 リラは、足元を見ないようにして、できるだけ顔を上げた。

「私がここに来ることで、アゼルが責められてるのも。
 “世界の均衡より人間の女を優先した”って言われるのも。
 たぶん、全部、事実です」

 隣で、アゼルの気配がぴくりと動く。

「でも、それを“アゼルだけの責任”にするのは──ずるいの、私の方です」

 喉が、少し震えた。

「私、自分で選びました。
 “王都には戻らない”“村に帰る”“でも王都は助ける”。
 アゼルに頼ってばかりじゃなくて、自分で決めたいって」

 マリアの顔。
 村の子どもたちの笑顔。
 王都で“戻らない”と言ったときの、レイナの泣き笑い。

 全部が、背中を押してくれる。

「だから、もし“竜王の伴侶”って立場が本当に重いなら──」

 一度だけ息を吸う。

「私、自分でその重さを掴みたいです」

 言いながら、拳をぎゅっと握った。

「アゼルがかばってくれるから、じゃなくて。
 “アゼルの隣にいたい”って、私が言ったっていう形で」

 その言葉は、まだちょっと恥ずかしかった。
 けれど、不思議と後悔はなかった。

 銀髪の竜が、わずかに目を見開いた。

「……人間が、“竜族の責を自分から掴む”と言うか」

 白髪の竜女も、口元にかすかな笑みを浮かべる。

「愚かで、愛おしいな」

 グレイオルは、ふう、と長く息を吐いた。

「やはり、変わらぬものだな。
 “人と竜”とは」

 その言葉が、責めるものなのか、諦めなのか、温かさなのか──
 リラにはまだうまく判別できない。

 ただひとつだけわかるのは。

 今の自分は、たしかに“誰かに守られて立っているだけの女の子”から、少しだけ進んだ、ということ。

 アゼルが横で、小さく笑った。

「……聞いたな、長老たち」

 竜王の声は、先ほどまでよりも少し明るい。

「これでもまだ、“彼女はただの弱い人間で、我が誤って拾っただけだ”と言うつもりか?」

「そこまでは言っていない」

 銀髪の竜がむっとした顔をした。

「ただ、“お前の選択は、世界全体に影響する”と言っただけだ」

「それはわかっている」

 アゼルは、リラの方を一瞬だけ見て、すぐに長老たちへ視線を戻した。

「だからこそ、我はこう記録してほしい」

「記録?」

 白髪の竜女が首を傾げる。

「“竜王アゼルは、世界の均衡を見ていた。
 だが、ある時、人間の女リラに出会い、
 世界よりひとりの居場所を優先するという、愚かで、しかし確かな選択をした”と」

 リラの心臓が、またどくんと鳴る。

「あとに続く竜がいれば、それを見て思えばいい。
 “これは愚かだ”と否定するか、
 “こんな生き方もあるのか”と笑うか」

 グレイオルは、しばらく黙ってアゼルを見つめていた。

 やがて、肩をすくめる。

「……勝手なやつだ」

「いまさらだ」

「そうだな」

 初めて、長老の目に、ほんのわずかな笑みが浮かんだ。

「評議としての結論を言う」

 グレイオルは、竜たち全員に聞こえるよう、声を張る。

「竜王アゼル。
 お前の行動は、“世界の理”から見れば、危うい。一歩間違えれば、破綻を招きうるものだ」

 リラの背中に、冷たい汗が流れる。

「だが、今のところ──“均衡を完全に崩した”とは判断しない」

 思わず、息を吐いた。

「お前が自ら責を負うと言う以上、評議はそれを記録するに留める。
 人間の女リラについても、現時点では“要監視・要観察”とするが──」

 そこまで言って、グレイオルはじろりとリラを見る。

「“今ここで消すべき脅威”ではない」

 銀髪の竜が舌打ちをした。

「その言い方は、脅しているのと同じだぞ」

「事実だ」

 グレイオルはあっさり言い切る。

「人間の女よ」

「は、はい」

 急に話を振られて、変な声が出た。

「お前の選択は、これからも世界に影響を与えうる。
 それを忘れるな」

「……はい」

「だが同時に、“誰かひとりを守るために戦う”という小さな選び方も、
 世界を形作る一部であることを、我らも忘れぬ」

 その言葉が、少しだけ胸の奥を温めた。

(……ちゃんと、聞いてくれたんだ)

 竜族の長老たち。
 世界の理。
 その中で、自分の声が、まったくの無視ではなく、どこかに刻まれた。

 アゼルが、小さく呟く。

「それで十分だ」

 そうして、評議はひとまず終わりを告げた。



 竜族の領域を離れ、再び“普通の空”に戻ってきたころには、リラはぐったりとアゼルの背に倒れ込んでいた。

「……精神疲労がやばい」

『当然だ。竜の長老たちの視線を一身に浴びたのだ。普通の人間なら意識を手放している』

「褒めてんのそれ?」

『褒めている』

 背中の上で、リラは小さく笑った。

 さっきのやり取りが、胸の中で何度もリピートされる。

 長老たちの冷たい視線。
 「人間の女」と切り捨てる言葉。
 それに負けそうになった自分。

 でも、アゼルの「我が選んだ」の一言で、
 なんとか呼吸を取り戻せた。

 そして、自分で「掴みたい」と言えた。

(今度こそ、自分から掴み取りたい)

 誰かに連れて行かれるんじゃなくて。
 誰かに選ばれるだけじゃなくて。

 自分の足で立って、
 自分の言葉で“ここにいたい”って言って、
 自分の意思で、“隣に立ちたい”人の手を掴む。

(……たぶん、すごく怖いけど)

 王都の空。
 村の空。
 そして、竜族の空。

 全部を見てしまって、全部が怖い。
 でも、同時に全部が愛おしい。

「アゼル」

『なんだ』

「さっき、“記録しておけ”って言ってたじゃん」

『ああ』

「“竜王アゼルは、人間の女リラを選んだ”ってやつ」

『うむ』

「そこにさ」

 空に向かって、ぽつりと呟く。

「“人間の女リラは、自分の意思で竜王アゼルの隣に立つことを選んだ”ってのも、ちゃんとセットで書いておいて」

 アゼルの気配が、すこしだけ揺れた。

『……そうしよう』

 笑いを含んだ声。

『記録は、偏らぬ方がいい』

「でしょ」

 風が、くすぐったく頬を撫でた。

 村の方角に、見慣れた山のラインが見えてくる。

 世界のどこかで、竜族の長老たちが「要監視」とか「記録」とか真面目に書き記しているかもしれない。

 でも──。

 リラの胸には、ひとつの小さな決意だけが、確かに根を張っていた。

 今度こそ、自分から掴みにいく。

 “竜王の伴侶”という重さも。
 “誰かを救う”という責任も。
 “ここにいたい”というわがままも。

 全部、自分の手で。
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