記憶を失った花嫁は夫だと言う男に溺愛されるが結婚契約書に書いてある名前は別の男でした

タマ マコト

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19話「終焉の花嫁、灰の楽園」

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 ――血が、花弁の香りを孕んで蒸気になる。
 指輪の光が静まった瞬間、世界の輪郭が歪んだ。

 セラが笑っていた。
 それは「微笑」ではない。感情という器の壁がひび割れて、中に溜め込まれていたものが一気に溢れ出したような――狂乱の笑みだった。

 「はは……ははははは……そうか、そういうことか……!」
 セラの声は笑いながら泣いていた。
 喉の奥で笑いが泡立ち、翼が揺れ、花弁が散る。
 「結局、“君”は僕を拒むんだね。君の願いが世界の仕組みさえ変える力を持ってるのに、君は僕を否定するためにそれを使うんだ……? 僕がどれだけ君を求めてきたか、どれだけ君の手の形を覚えているか、君は知らない!」

 リオンは無言で立ち、血と埃にまみれた剣を構える。
 セラの瞳は黒と金が渦を巻き、まるで世界を呪うように光った。

 「君は僕のすべてだった! 僕の夜、僕の朝、僕の呼吸、僕の罪、僕の赦し! 君の笑い方、君の泣き顔、君の声の温度――全部が僕の“永遠”の一部なんだ! それを君は、ただの“瞬間”と呼んで捨てるのか!? お前たちの愛なんて、時間の端っこで崩れる蜃気楼じゃないか!」

 地下聖堂の崩壊した天井から、月光が差し込み、破片の中に落ちる。
 セラはそれを一瞬掴もうとした。だが、光は彼の手の中で溶ける。
 溶けて、彼自身に染みこんでいく。
 その光が肉体を歪ませた。

 黄金と黒の羽が完全に伸びきる。翼の根から生えた蔓が床を割り、聖堂の天井へと伸びる。
 鱗が全身に広がり、皮膚は鉱石のような質感を帯びた。
 指は獣の爪に、腕は蔦の幹に、背には花弁が咲き、瞳孔は細い縦線に変わる。
 聖堂の中央に立つその姿は――神と魔の合成、狂気と愛の象徴だった。

 「君が僕を拒むなら、世界ごと僕が壊してやる」

 声が響いた瞬間、聖堂全体が唸った。
 瓦礫が空中に浮かび上がり、反転し、空間がひっくり返る。
 血の滴る羽ばたきが風を巻き、花弁が嵐となって舞う。

 リオンは、剣の柄を握り直した。
 「来い、お前の“永遠の夢”を――終わらせる」

 その一言で、戦いが始まった。

 雷鳴が走る。
 セラの翼が一度打たれるたびに、天井の破片が電撃を帯びて飛ぶ。
 地の蔓が牙のように伸び、聖堂の柱をなぎ倒す。
 床が沈む。
 リオンはそれを避けながら斬る。斬っても、再生する。
 斬った直後の傷口から花弁が咲き、血と蜜を混ぜた液体が滴る。

 「なぜ理解しない!」
 セラの咆哮が響く。
 「“永遠”こそ愛だ! “続くこと”こそが優しさだ! 死ぬから美しいなんて、そんなのは弱者の慰めだ!」
 爪が落ちる。
 蔓が走る。
 雷が床を裂く。
 だが、リオンの剣がそのすべてを迎え撃つ。
 斬撃が空気を裂き、刃が光を吸う。

 「永遠は、独りだ」リオンの声は静かだった。「お前の愛は、止まったまま腐ってる。お前の“神”は、死体を抱いて眠るだけだ」

 「黙れ! お前に何がわかる! アイリスを奪われた夜の僕を見たか!? 僕が何を飲み込んで、何を捨ててここまで来たか!? アイリス!、僕は、君を守るために人間をやめたんだ!!」

 「人間をやめた時点で、お前は“守る”を捨てた」

 「違う! 君を救うために僕は変わった! お前が奪ったのは、僕の進化だ!」

 「進化じゃない。逃げだ。お前は、永遠に“選ばれない痛み”から逃げただけだ」

 「選ばれない……!? そうだ! 選ばれなかった! アイリスは僕を見なかった! ずっと隣にいたのに、結局はアイリスは黒鉄の背中を選んだ!」
 セラの翼が爆ぜた。破裂した羽根の根から黒い炎が立ち上る。
 「僕はただ永遠を愛していただけだ! それだけでよかった!誰もが望む事じゃないか!! だけど君達は、君達は――」

 リオンの剣が閃く。
 「――それは“欲望”だ。愛じゃない」

 「違う! 欲望と愛の境なんて、誰に決められる!? 神か!? お前か!? なら僕は、神よりも長く生きてみせる!」

 セラの腕が蔓となり、床を這い、刃のようにリオンへ突き刺さる。
 だが、誓約の剣〈リヴァレンス〉がそれを弾く。
 刃が一閃するたびに、蔓の再生が止まる。
 再生しようとする組織が刃の光に焼かれ、永遠を約束された細胞が「終わり」を理解して崩壊する。

 「な……ぜ……止まらない!?」
 セラが呻く。
 「僕の“永遠”を斬るなんて、そんな理不尽――そんなもの――」

 「理不尽でいい」リオンが一歩前へ出る。
 「俺たちは、“生きる事”を選んだ。お前が“続く事”を選んだように。どちらが正しいかなんて、世界が決めることじゃない。だが――」

 剣が一閃した。
 花弁が散る。
 「お前の“永遠”に、もう帰る場所はない」

 セラの体がぐらりと傾く。
 羽が焼け落ち、蔓が萎れ、鱗が剥がれ落ちる。
 彼の目に映るのは、リオンの背中。
 その背の後ろに立つ、アイリス。

 彼女は血と涙の中で、まっすぐ立っていた。
 鎖は完全に消え、指輪が淡く輝く。
 「リオン!」
 彼女の声が風の中に響く。
 リオンが振り返る。
 「私と二人で――誓いを!」

 リオンは頷き、剣を横に構えた。
 アイリスがその柄に手を重ねる。
 温度が混ざる。鼓動がひとつになる。

 「この刃に、“終わり”と“始まり”を」
 「この願いに、“二人”を」

 誓約の剣が白く輝く。
 光が螺旋を描き、花弁を巻き込み、空気を震わせる。
 セラが顔を上げる。
 「やめろ、やめてくれ! 僕は永遠に生きたかった――終わりたくなかっただけ――」

 二人の手が、同時に剣を突き出した。

 鋭い音がした。
 剣が、セラの胸を貫いた。
 花弁が一瞬、満開になり、血と蜜が空気に弾けた。

 「僕の……永遠が……」

 セラの唇が、震えた。
 声は、もはや人のものではなかった。
 目に映るのは、涙を流しながら微笑むアイリスの顔。

 「さよなら、セラ」
 アイリスの声は、祈りのように静かだった。
 「――私は永遠より、二人で生きる一瞬を選ぶ」

 セラの体から光が溢れた。
 鱗が砕け、羽根が灰になり、蔓が崩れ落ちる。
 赤い光が、アマランサスの花の形を描き、やがて静かに消えていった。

 リオンは剣を引き抜き、アイリスを抱き寄せる。
 血と涙が混ざる。
 崩壊する聖堂の中、二人の影がひとつに重なる。

 セラは微笑んでいた。
 ――わずかに、安らかな表情で。
 彼の体は黒い蔓に包まれ、静かに地へと沈んでいく。
 残ったのは、一輪の赤いアマランサス。
 花言葉は、“不滅の愛”。

 だが、その花は、もう香りを持たなかった。
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