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消える影法師
しおりを挟むミユキは、十歳の時に、自分の影が他の人の影と少し違うことに気づいた。他の子の影は、太陽や街灯の角度に合わせて、濃くなったり、伸びたりする。しかし、ミユキの影は、時々、一瞬だけ消えてしまうのだ。
誰もいない真昼の公園で遊んでいると、ブランコに乗って最高点に達したとき、地面から自分の影が、フッと消える。慌てて地面に降りると、影はまた現れる。
大人になっても、その現象は続いた。
会社での会議中、緊張のあまり背伸びをした瞬間。あるいは、エレベーターが急上昇し、体がフワッと浮いたと感じた瞬間。ミユキの影は、必ず数秒間だけ消える。
ミユキは、その現象を**「影の休憩」**と呼んでいた。きっと、影にも休みが必要なのだろう、と。
ある雨の日の夜。ミユキは、傘を差しながら、濡れたアスファルトに映る街灯の光の中で、自分の影を見ていた。
影は、雨のせいで少し滲んでいた。その時、ミユキは、ふと疑問に思った。
「影が消えている間、影はどこへ行っているんだろう?」
その疑問を持った瞬間、影が、スーッと横に逸れた。
ミユキが驚いて立ち止まると、影も止まり、自分の影は、横に逸れた影と二重になっていた。片方はミユキの足元から伸びる「いつもの影」。もう片方は、まるで別の誰かの影のように、ミユキの横に立っている。
横に逸れた影が、わずかに揺れて、ミユキに語りかけてきた。
『やっと気づいてくれたね、本体。』
ミユキは恐る恐る尋ねた。「あ、あなたは誰?」
『私は、あなたから離れた影。あなたが毎日生活するのに疲れて、**「ちょっとだけこの世界から解放されたい」**と願ったとき、私があなたから抜けて、代わりに、あなたと全く同じ生活を送っているのよ』
ミユキが驚いて言葉を失っていると、影は続けた。
『私たちが消える数秒間は、あなたと私が入れ替わるための時間だった。私があなたの代わりに、会議に出て、上司に頭を下げ、パンを焼いて、毎日を生きている。だから、本体のあなたは、何の苦労もせずに、毎日を過ごせているの』
つまり、ミユキが日々の生活で感じていた疲労やストレスは、全て、影が引き受けてくれていたのだ。ミユキは、影の働きに感謝した。
「ありがとう。でも、あなたはいつ、休憩できるの?」
影は、二重になったもう片方の影を指差した。
『私が休憩するときは、あっちの影が私から抜けて、私の代わりになる。そうやって、影はどんどん増えて、この世界の生活を、順番に回しているの』
ミユキは、辺りを見回した。雨に濡れたアスファルトには、無数の人々の影が滲んでいる。
もしかしたら、街を歩いている人々の多くは、**既に影と入れ替わった後の「本体」**であり、自分の影の「休憩時間」に生かされているのかもしれない。
ミユキは、影に促され、再び歩き出した。自分の影が、もう一つの影と重なり、完全に元の一本の影に戻る。
その瞬間、ミユキの体から、急に大きな疲労感が押し寄せた。
(ああ、私の影も、やっと休憩が終わって戻ってきたんだ。)
ミユキは、影に感謝しながら、明日また、影に自分の人生を譲り渡す瞬間を心待ちにした。
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