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お姫様はお城にいるとは限らない
しおりを挟むそれからというもの天使はあたしにまつわりついてくるようになった。
もじもじするのは変わらなくても、あたしの後をついてオママゴトに混ざるようになった。
ただでさえ人気のある天使が、オママゴトに混ざるというだけで、みんながみんなママをやりたがり、天使はパパ役を押し付けられる。
次に人気があるのが、お姉ちゃん役や赤ちゃん役でこれも奪い合いになる。
みんななんとかして天使の奥さんや子供になって、家族になりたくてギラギラしている。
そこであたしは子供のお友達だとか、ペットの猫だとか微妙な役になる。
積極的に関わっていかなければ、オママゴトに参加しているのかも微妙な役なので、つまらないときもある。
そこで今日は猫だったので、家の壁として使っている大きな積み木に座って、オママゴトを眺めていた。
家の中には、木で出来たオママゴトセットがあって、木の野菜を包丁でザクザク切ったり、お鍋でスープ、フライパンでハンバーグを作ったり楽しそうだ。
その日のママ役は、佳奈ちゃんでパパ役はやっぱり天使だった。朝ご飯を食べて、会社に行く天使は佳奈ちゃんにお世話されてネクタイを結んだり、ワイシャツの襟を直してもらったりしていた。
にゃんこ役のあたしから見ても、佳奈ちゃんは天使のことが大好きで少しでも構いたくてしかたないようだった。
一方、天使は内気なので積極的にオママゴトに参加している風には見えなかった。
「パパ行ってらっしやい」
「……行ってきます」
笑ったら可愛いのに、むすりとした天使は表情を変えることなく会社に行くことにしたらしい。
ママ役の佳奈ちゃんや子供役の子達に手を振って、天使はあたしの方へやって来た。
「みーちゃん、行ってきます」
そう言って、座っていたあたしの頭を撫でてきた。佳奈ちゃんやほかのお友達には背中を向けていて見えないだろうけれど、天使は目を細めてにっこり笑顔だった。
保育園では激レアな笑顔に、胸がドキドキした。
人の多い所が苦手な天使は、保育園ではあまり表情を変えない。ママ同士が仲良しで、お互いの家を行き来するようになってからの天使は、あたしには懐いたようで笑ってくれるようになっていたけれど、それもまだ少ない。
あたし、ホントの猫だって思われているのかも。天使も猫になら、あんな笑顔になるのかも。
その時、佳奈ちゃんが天使の腕を引いて自分の方に向かせた。
「パパ忘れ物。行ってらっしゃい」
そう言ってほっぺたにキスをした。はにかむように離れる佳奈ちゃんとは対照的に、驚きで目を見開いた天使は、すぐさまほっぺたを服の袖で拭った。
「……キスしないで」
たちまち天使の涙は決壊しそうなまでに盛り上がる。慌てた佳奈ちゃんが謝るのも聞かないで、あたしの手を取ってぐいぐい引っ張っていく。
部屋を飛び出して、靴をはいて藤棚の陰にまで逃げ込む。
そこで初めて天使の顔を覗き込むと、ぼろぼろ泣いていた。
「そんなに嫌だったの? 」
そう言ったら、こくんと頷いたので大きな涙の粒がぼたぼた落ちた。
そろそろとうさちゃんハンカチを取り出して、涙を拭ってあげる。感情が激しく揺れているので、いつ手をはたき落とされるかと心配していたけれど、あたしが拭うにまかせてふかせてくれる。
「……ゆいかちゃん」
大きな目を涙でいっぱいにした天使はそれでも可愛いらしかった。
………涙が武器になるなんてズルいよなぁ
「……お願い、目閉じて……」
ここで機嫌を損ねてはいけないので、素直に目を閉じる。
すぐに柔らかなものが唇について、すぐに離れた。唇の端からしょっぱい物が口の中に入ってきて、びっくりして目を開けるとあたしを見ている天使と目が合う。
ぽうっとした顔をして、あたしと目が合うと真っ赤になつた。
「……かなちゃんがあんなことするから……初めてはゆいかちゃんがいい」
ドキンとした。ママのお友達のお姉さんみたいだった……なんだろう大人っぽくて……色気がある……?
ドキドキして思わず唇を舐めたら、しょっぱくて涙の味がした。
………あれ?しょっぱい?
もしかして、天使の涙を舐めた?
なんであたしに涙を舐めさせるんだろ。
もしかして佳奈ちゃんがした、ほっぺたのチュウが嫌でそこにあたしの唇をつけたら、キスしたことがなくなりはしないでも、まだマシになるとか……?
ということは、佳奈ちゃんと間接キスなのかな。
…………うーん
なんだか微妙だ。パパやママにはほっぺたにキスしたりしているけれど、家族以外では佳奈ちゃんが初めてだとか。
考えこむあたしの手をつかんで天使は極上の笑みを浮かべる。
「超特急マンは、ハンバーグが大好きなんだって。僕といっしょなんだよ。僕もハンバーグをいっぱい食べたら超特急マンみたいになれるかな? 」
「……そうだね」
「ゆいかちゃんは何が好き? 」
「お菓子。アイスクリームも大好き」
うちのママの料理は美味しいけれど、お菓子はあんまり作ってくれない。手間がかかって大変なんだって。
「また僕のうちに来たら、たくさん食べさせてあげるね。ママはお菓子を作るのが好きなんだよ。でも甘いものばっかりだから僕もパパもすぐあきちゃうんだ」
天使は自分の小指を出すと、あたしの小指にかってにからめてきて約束、といった。
「超特急マン遊びしようよ」
「やだ。お姫さまごっこがいい」
「じゃあね、お姫さまを超特急マンが助けるのがいいよ! 」
これで解決とばかりに天使が微笑む。
お姫さまがお城にいるとは限らない。だけど怪獣や日曜の特撮ヒーローといるとも限らない。
でもまあ……天使のご機嫌がなおって笑ってくれたから、それはそれでいいとしよう。
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