天使が私に落ちてくる

高遠 加奈

文字の大きさ
上 下
4 / 8

変質者は地面に落ちている

しおりを挟む


「……司ママ」

「あら、またなの。しょうがない子ね」


成長したあたし達は、小学生になっている。でもあたし達を取り巻く状況はあまり変わっていなくて、あたしは毎日のように天使の家までついて行く。


すんすん鼻をならした天使は、手首についた手形をなでている。


天使は下校途中に、知らない大人に声を掛けられたり、上級生、高校生、さらには男女の別なくボディタッチされたりする。


まったく油断も隙もない。


今日はオタクっぽい人だった。差別している訳じゃないけど欲望がギラギラしていて、あきらかに浮いていた。


浮いていたのは欲望だけでなく、脂もだったけれどそれはそれで可哀想な人だということにしておく。


それを遠くから認め、しかたないなぁと舌打ちした。もちろんお姫さまを目指しているあたしは、人前でそんなことはしない。あくまで心のなかで、だ。



遠くからでもわかるその人と関わりあいたくないので、天使にも注意を促す。


「コンビニの手前の電信柱のとこに、へんな人がいるからジロジロ見ないで通り過ぎようね」


不審者やストーカー被害が日常茶飯事な天使は、わかったと頷いた。


明らかに怪しい人物は、スルーしてしまうのが一番いい。


「ねえ、学校帰りだよね?」


見ればわかるだろう! と言いたいのを飲み込む。カカワッチャダメ!


「待ってよ。道を教えてもらいたいんだ」


困っているから助けて欲しいだとか、良心に訴えかけないで欲しい。平日の午後、どう見ても働いている時間帯なのに、スーツでも仕事着でもない。

こんな駅から離れた住宅街で、何してるって言うんだ。荷物を届けるとかでもなさそうだ。


「知らない人と話しちゃだめなの」


明らかに迷惑だと匂わせる。




「僕は王子綺羅ね、ほら知らない人じゃないでしょう? 」


そうきたか。ウザイだけなんだけど。とてもじゃないけど本名だとは思えない。なにそのキラキラネーム。


「さようなら」


ぺこり。お辞儀をして逃げようとしたら、首筋のあたりの服をつままれて、吊し上げられた。


「ねええぇいいでしょう、ちょっとくらい」

「いやです」


吊されたエイリアン状態で、果敢にも猫パンチを繰り出してみるも、届かない。

くやしいが、オタク(仮定)のわりには背が高い。あたしが、ちっちゃいからじゃないんだから!

まったく天使といると、こういう人の標的になるから困る。ちらりと天使を見ると、おろおろと顔をひきつらせて震えている。


「ゆ…結香ちゃんを離して……」


吊しあげられているのはあたしなのに、なんだか助けてあげなくちゃいけないくらいプルプルしている。

言葉だって尻すぼみに消えてしまいそうなのに、頑張ってるのが伝わってきた。

仕方ないなぁ。


吊しあげられている手を両手で掴んで、相手の背中側にまわる。そうすると、掴んでいた手が開くので腕を背中側に捻りあげる。



「痛い、痛いよ」

「あたしだってこんなことしたくないですよ。でも先に手を出したのはそっちでしょう? 警察行きましょうか。ここで大声だしたら、誰か大人が来てくれますからね。そこのコンビニ、子供110番の家なんですよ。誘拐とか痴漢とか困ったことをする大人から助けてくれる人がいるはずです」

「やめてくれ、謝る、謝るから」

「謝るだけじゃすみませんよ。今後いっさいあたし達に関わらないでください」


念を押すように捻る手に力を加える。


「わ…わかったから、早く放してくれ! 」


手を離すのに勢いをつけると、オタク(仮定)は前のめりに倒れた。恐怖に引きつった顔で慌ててこちらに向き直り、ずるずるとお尻で後ろに下がっていった。


「いこう」

「……うん」


あたしが先に立って歩き出すと、後から天使が追ってくる。



「……どうして結香ちゃんはあんなことが出来るの? 」

天使を見るとぷるぷる震えながらも、一所懸命に口を動かしていた。


「You Tube 見たからね。超特急マンみたいでしょ?」

「……だって怖いし、危ないよ」


辛そうな顔をした天使は、赤い唇を噛み締める。そんなに噛んだら、唇が切れてしまいそうだ。


「結香ちゃんが怪我したり、危ないことに巻き込まれたりしたらイヤなんだよ」


頭を振るので、ふわふわの髪がキラキラと輝いて光をはじく。ホント、無駄にカワイイよなぁ。

誘拐未遂やら痴漢の絶えない人なのに、そんなことを言っていたら、やっていけないだろうに。


自分を守ることも出来ないのなら、天使を守ることも出来ない。


たからあたしからしたら、ごく自然なことだったというのに。



ちょっと傷ついた。


なんだか人の痛みのわからない人みたいで。それで自分は守られる立場じゃないってことが、あらためてよくわかった。



「送っていくから、帰ろっか」


にかっと笑って、きょーそーと言って先にダッシュする。

驚いた天使が、一瞬遅れでスタートを切る。


「……送ってないよ。僕、おいかけてるよ」

「いーのー」


丘の上の天使のお家には、優しくって綺麗でお料理上手なママが待ってる。


イヤな自分の感情を置き去りにしたくて、ランドセルを揺らして走った。追いかけてくる天使と並びたくなくて、必死に走ると汗が目に入ってくる。


それでもどうしても信号で止まらなくてはいけなくて、荒い息を吐いて歩道に立ち止まる。



下を向くと、ぱたぱたと汗がしたたっていく。その汗をぐいぐい手の甲で拭って顔をあげると、真っ赤な顔をした天使がそばにいた。

荒い息の下で、手を伸ばしてギュッとつなぐ。


「……い…いっしょに……かえろ」


息が整わなくて喋れないので、こくんとうなずく。


「……うちに……寄っていって。結香ちゃんのママのお仕事が終わるまででいいから。今、ひとりで家に帰っちゃダメだよ……」


逃げるのを阻止するみたいに、ギュッと手のひらに力がこもる。


「今日は、イチゴのムースだって。好きだよね? 」


またこくんとうなずく。

いま口を開けたなら、わあわあ大きな声がこぼれてしまいそうで。鼻の奥がつんと痛くて、目の前がにじんでいく。


ぼんやりした景色の中でも、天使はキラキラとしてかわいくて、どこまでも綺麗だった。


こんな醜くってイヤな自分をさらに天使に見せる気にはなれないので、唇を噛んで言葉を飲み込む。



半歩先を行く天使に引かれるように、手をつないで歩く。


「結香ちゃん、僕も強くなるね」


そう言って振り返った天使は、それはそれは綺麗でそれでいて凛々しくもあって、今までみたことがないほど少年らしかった。


あたしは必死にまつげにつく雫を払ってうなずいた。


あたしはちっとも強くなんかない。


それに天使みたいに可愛くもないし、見栄っ張りだ。だから本当に心が綺麗な天使といると落ち込んだりする。


それでもこうして天使がお家に呼んでくれたりすると、あたしはあたしでいいのかと勘違いするほど安心する。


それがどうしてそうなのか、どうして天使にだけそう思うのかその頃のあたしにはわからなかった。



天使のママは、お料理をブログに載せているうちに、有名ブロガーになった人で今では本を出したり、テレビにも出演するほどの人になっている。


お家にお邪魔すると、いつもにこにこ出迎えてくれた。


ぐちゃぐちゃの顔で、気持ちもささくれていたあたしはこんな時は会いたくなかった。できればお仕事でお留守だったらいいなとも思ったけれど、今日は天使と二人というのもつらかった。


玄関に着くと当たり前のように天使はチャイムを鳴らして、天使ママが出迎えてくれる。


「いらっしゃい」の言葉の後には、びっくりした顔であたしを見て、問いただすように天使を見た。


「司、どういうこと? 」

「僕じゃないよ」


ため息をついた天使は、ふてくされていていつもの優しげな様子はなくぶっきらぼうだった。



「あなたが何かしたなら、許さないところよ」

「いつもみたいに帰り道で、危ない人に会っただけだよ。結香ちゃんは助けてくれて……でも自分もすごく傷ついちゃったんだ」


天使ママはひとり息子にはなかなか厳しいらしい。


「ママ、結香ちゃんに苺ムースを出してあげて」


そうっと離したてのひらが、背中を押して天使ママへと送られる。


「結香ちゃんの大好物だから作ったのに、司はエスコートが下手ね。いつまでも結香ちゃんに甘えていてはダメよ」

「……わかってる荷物置いてくるね」


離れてしまった天使に心細くなるのは、自分がボロボロだからだ。こすりすぎて目元が痛いし、ほっぺたも赤くなっているはずだ。


恥ずかしくて消えてしまいたい。


「ごめんなさいね。司が迷惑をかけて」



目線を合わせて、ふんわりと笑う天使ママはずうっと変わらずに綺麗なままだ。初めて会った時から年をとったはずなのに、さらに綺麗になっている。


とってもいい年齢の重ねかたをしている。


「……司くんが悪いわけじゃないの。自分が悲しくなっただけなの……ちっともかわいくないし……」


優しく頭を撫でた指先が、ほっぺたを撫でる。


「そんなことはないわ。私からしたら、結香ちゃんはとってもかわいい。泣いても笑ってもかわいくてたまらない。司もそうよ。結香ちゃんに来て欲しくて結香ちゃんの大好物の苺ムースを私に作らせるくらい、結香ちゃんのことが好きなの」


ふっと二階の天使の部屋を見上げて、口角を上げる。


「だからきっと司も部屋で悔しい思いをしているわ。結香ちゃんを泣かせてしまったことと、守れなかったことで」

「そんなこと……ありません」




あんなに可愛くて、性格もよくて欠点なんてないくらいの天使だから、あたしが守ってあげることは当たり前だから。

だからあたしは天使については不満なんてなかった。


「あれでも男だからプライドもあるのよ。まだ子供だけど、大事なことはわかってるはずだから。結香ちゃんには迷惑をかけてしまうけれど、よろしくね」


優しく背中をなでていた手が、階段を降りてくる天使の足音を聞きつけて離れる。


「司の来る前に用意しておかなくちゃね」


優しい気配を残して、司ママが離れるのといっしょに天使がやってきた。


「まだ結香ちゃんを待たせているの? 」


ポスンとソファーに納まった天使は少し不機嫌だった。


「はいはい、もう出来ます」


生クリームを絞ったお皿をくるりと回して正面をむける。



苺ムースは綺麗な三層で、一番上には真っ赤なソースの層、二層目が苺ムース、三層目がクリーム色の層だ。添えられたクリームとミントの緑が鮮やかだ。


「それじゃ試食の感想お願いいたします」


ふざけるように恭しくお皿を差し出すので、威厳をつけて、うむとうなずいた。


始めは苺ムースの部分をすくって口に入れる。鮮やかな赤が見た目にも美味しそう。


「いただきます! 」


パクリと口に入れたら、苺の香りが広がってその後に甘酸っぱくてふんわりしたムースがとろけた。


「美味しい~スッゴいキレイな赤」

「これはね、イチゴでコンフィチュールを作った時に出来たシロップなの」


コンフィチュールは、ジャムとは違い果物の実の形を残して煮るので、煮ている際にはジャムより果汁がでる。砂糖やペクチンを入れることによってその果汁にとろみがつくけれど、思いのほかシロップが多くでて取り分けたそうだ。



「甘味がついているから、炭酸水で割れば苺ソーダになるのよ」


そう言って出てきたのは、フルートグラスに注がれた苺ソーダだった。ピンクの液体からは泡がたちのぼっていて、なかに沈められたラズベリーも銀色の泡がキラキラとして宝石のように綺麗だった。


「ママの飲んでるシャンパンみたい。ピンクでカワイイ! 」


きゃーと一気にテンションが上がる。あたしは美味しいもの、カワイイものが大好き。落ち込んでいても、美味しいものを食べたら元気になるから、現金だ。


キャーキャー喜んでいたら、隣の天使がパソコン画面を天使ママに向けて「これやってもいい? 」と聞いていた。


あたしと同じように置かれたお皿やグラスには目もくれないで、ずっとパソコン画面を見ていたのはなんとなくわかっていた。

でも何をしていたのかまではわからなくて、画面を覗き込むと、空手道場の入会案内画面だった。



画面を見た天使ママは、にこっと笑った。


「司がやりたいなら、すぐに申し込むわ」

「うん。お願い」


パソコンを受け取った天使ママは、滑らかなタッチで必要な項目を入力していく。送信までしてぱたんとパソコンが閉じられるまで、あたしはあっけにとられていた。


空手!?

この、天使がごつくて強面の人達と、拳をぶつけたりとかしちゃうの?

そうっと天使を伺うと、やっと苺ムースに手を伸ばしたところだった。


「本気?」

「空手のこと?」


思わずこくこくとうなづく。


「強くなりたいんだ」

「強くなんてならなくてもいいのに」



「今のままじゃダメなんだよ。結香ちゃんの後ろで小さくなって守ってもらってたらダメなんだ」

「だって……似合わない」


ふるふると天使は、頭を振った。

だってまだ天使は、あたしよりも小さくて守ってあげたいくらい可愛いのに。


「僕が強くなって結香ちゃんを守ってあげる」


そう言った天使は、カワイイ男の子ではなくて、男って感じだった。


「司が決めたことだから、結香ちゃんも見守ってあげてね」


天使ママにもそう言われて、天使の決心が固いのがわかった。

仕方なく「いや」という言葉を苺ムースで喉の奥に流しこんだ。

天使が変わってしまうのがイヤ。


それはあたしを置いて天使が変わってしまうことへの不安だった。
しおりを挟む

処理中です...