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8>> 悪足掻き
しおりを挟む「……あ……っ……」
口を開くがカリーナの口から言葉が出て来ない。
何も言えずに唇をワナワナと震えさせるカリーナの態度に周りの不信感は募るだけだった。厳しくなる周りからの視線に耐えかねたカリーナが堪らずに口を開いた。
「そ、その子は……っ、その子は極度の人見知り、ですの……
ふ、ふふっ、そうです……っ! その子は人見知りなのでっ! 母であるわたくしが横に居ないと人前で喋ることもできないのです……っ!
な、なので殿下……っ!? わたくしがそちらに行っても宜しいかしら?
わたくしがその子の隣に居ればその子も安心して殿下にお返事できますわ!
ですから、宜しいかしら?」
そう言ってカリーナは早足でエーの側に駆け寄ろうとした。しかし直ぐにその足は止まる。
エーの横にはアシュフォードが立っているのだ。この状況で、侯爵家の夫人だからといって簡単にアシュフォードに近づけさせるほどこの国の騎士たちは甘くない。どこから出てきたかも分からない速さで騎士二人がカリーナの前を塞ぎ、カリーナは驚きのあまりつんのめり、危うく出て来た騎士にぶつかるところだった。
「キャッッ?! な、なんですの!?」
「それは私の言葉だよ。夫人」
騎士の後ろからアシュフォードの声が聞こえる。少し呆れた音を含んだその声にカリーナはあからさまに悔しがっで顔を顰めた。
それを周りの人たちが見ていることも忘れて。
「何故ですの?!」
「今この状況で、貴女を私の側に近付けさせる騎士は居ないだろう。貴女は自分の状況を理解していないのか?
何をそんなにも焦っているのかは分からないが、今の貴女はこの子の側に居る為に何をするか分からない。その“何をするか分からない”、の中に私への危害も含まれているから騎士が出て来たんだ」
「そんなっ!? 危害だなんて?! そんなことはいたしませんわ!」
「それが分からないから騎士が居るのだ。それに、この子の側には私や聖女が居る。安全面で言えばこれ以上の場所は無いだろう。だから貴女はそこに居てくれていい。
人見知りで母親が側に居ないと喋れない? もう14にもなるというのにか?
何故もう14となる貴族の令嬢が母親の補佐が無ければ言葉も話せないと言うのか? 彼女は声が出ない訳じゃないのだろう? 一人で歩くことも出来て、自分が何をすればいいのかも理解して動けていた。それなのに今更母親が側にいないと何も出来ないと言うのはおかしくはないか?
人見知りだと言うのならば、ならば今は丁度良いではないか。彼女ももう14になり、母に頼ってばかりでは居られないだろう。ここで一人で話す練習をすれば良い。
さぁ夫人。
彼女に『自分で話す』ように言うんだ」
「……っ!!」
有無を言わせぬその圧力にカリーナは唇を噛む。
その様子にランドルも自分たちの立場の悪さを理解して焦るが、王太子であるアシュフォードの威厳ある態度に喉を震わせて冷や汗をかくことしか出来なかった。何か、何か言わなければ、どうにか事態を打破してエーを手元に戻さなければと思うが、ランドルにはもうどうすることもできなかった。
黙り込んでしまったビャクロー夫妻にアシュフォードは眉間にシワを寄せてため息を吐いた。
そして改めてカリーナを見る。
「では、言葉を変えよう。
ビャクロー夫人は私が言うことを実行してくれればいい。
こう、エーに言うんだ。
『今、貴女の肩に触れている人の言葉を聞け』と」
その言葉にカリーナはビクリと大きく体を揺らした。そんな言葉を、言える訳が無い。……だが……
アシュフォードは自分を見ている。
周りの人たちはアシュフォードが言った言葉に「使用人への指示のようだ」と訝しげに囁いて殆どの人がカリーナを眉間にシワを寄せながら見ていた。
「あ……そん……、あの…………」
顔面蒼白で目に涙を溜めながら怯えるカリーナの姿は被害者の様だった。現状を上手く理解できていない遠くの席の人々は何が何だか分からずにカリーナを不憫に思う者も居た。だが殆どの者たちは今何が起こっているのかも分からずに混乱していた。
新しい聖女はどうしたんだ? と既に大聖堂の外まで話は伝わっていた。
全ての人の視線が自分に向かっていることを肌で感じ取ったカリーナはもう思考がうまく働かない程に動揺していた。
逃げたくても逃げられない。
愛する二人の娘は自分の後ろで抱き合って震えているのだろう。自分を助けてくれようにない二人の娘にカリーナは怒りさえ感じていた。夫であるランドルもただ震えて青褪めて使い物にはならない。
──何故こんなことに?! 何故っ!?!?──
そんな言葉ばかりがカリーナの頭を埋め尽くし、そして不意に合わさったアシュフォードとの視線に遂にカリーナの思考は観念した。
「…………エー……
王太子殿下の言うことを聞きなさい」
カリーナの声が聖女ノエルの耳にも届く。ノエルに聞こえるのだからエーにも確実に聞こえていた声だった。
しかしエーは何の反応もしない。
そのことにカリーナはパッと口元に笑みを浮かべてエーを見た。
「ほ、ほらっ! どうです?! エーはわたくしが側に居ないから何の反応もできないのです! 見ましたよね!? 皆様!!」
周りの顔を見渡してカリーナは焦りの気持ちを隠して困ったように笑ってみせた。
しかしそんなカリーナをアシュフォードは表情を変えずに見つめている。そしてその冷めきった視線をスッと細めた。
「夫人。私の言葉を聞いていなかったのか?
私は『私が言うことを実行してくれ』と言ったのだ。これは“お願い”ではない。
この子は“王太子殿下”などという言葉を聞いても分からないのだろう?」
疑問形だったが確信していると思われる声音でそう言ったアシュフォードにカリーナは息を呑むほどに驚き、周りの人々は耳を疑う言葉を聞いたとざわついた。
「なっ……っ、な、……
そ、そんな訳……ありませんわ……そんな…………」
困ったように苦笑いを浮かべるカリーナの苦し紛れにも見える表情に周りの人々の顔に不信感が浮かぶ。
この国に生きていて王太子を知らないとかあるのか? 平民の子供でも知っているぞ……
周りの人々の囁き声にカリーナは唇を噛み怒り、怒鳴りそうになるのをグッと堪えた。
そんなカリーナをじっとアシュフォードは見ている。
カリーナを止めた騎士たちも、周りの人々も全員がじっとカリーナを見ている。
騎士たちはこのままカリーナがアシュフォードの言葉を無視するのであれば不敬罪として剣を抜くことも考えていた。一人が静かに腕を動かし、カリーナをじっと見つめたままに剣の柄に手を置いた。
それだけでカリーナの怒りは恐怖に書き換えられる。この場で斬り殺されてもおかしくないのだと認識する。
カリーナは体から血が無くなるような気がした。自然と体は震えだし、息が上がる。震える唇を自然と舌で湿らせていた。カラカラに乾いているはずなのに唾を飲み込んた喉がゴクリと鳴った。
アシュフォードの視線から自分の視線を逸らすことすらできずに、カリーナは震える唇で言葉を、発した。
「あ……、ぁ…………エー……
エー……、今、……貴女の肩に手を置いている人の言葉を聞きなさい……」
それは小さな声だった。
ザワザワと人々が小声で話し合う声がさざ波のように聞こえていた聖堂内の中で、カリーナの声は近くに居る人たちにしか聞こえない様な音量だった。
だがエーは答えた。
「はい。わかりました」
その声はとても子が親に返事をする声には聞こえなかった。
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