49 / 57
番外☆オルドラン編
幕間>> オデットとアルフレド
パタン、と戸が閉まる音が聞こえてもオデットもアルフレドもその場を動くことはなかった。
オデットは溢れ出る涙を止めることができずにただ身体を震わせて泣いた。
名を、呼ぼうとしても、声は喉から出て来なかった。
先に動いたのはアルフレドだった。苦しそうに眉間に皺を寄せて大股で歩いてオデットとの距離を詰めた。その両の腕はオデットを抱き締めようと持ち上げられていた。
しかしアルフレドはオデットを抱き締めることはなかった。
少し離れた場所で止まり泣きそうに顔を歪めると、開いていた手を握り締めた。そして目を閉じて静かにオデットに頭を下げた。
「……君を助けることができなくて、すまなかった」
「……っ!」
その言葉にオデットは息を呑む。そして強く顔を左右に振った。
「お止め下さい……っ、あ、貴方にその責任はありませんでしたっ!
……わ、忘れて下さればよかったのに……っ!!」
オデットは悲痛に顔を歪めて目を閉じた。
アルフレドとオデットは婚約者だった。家同士の繋がりの為の婚約だったが、同じ歳で七歳の頃から婚約していた二人は喧嘩をすることもなく仲を深めていた。二人の時間はとても穏やかに積み重ねられ、ただ微笑み合うだけで幸せになれる関係だった。この人となら幸せな家庭が作れるのだと互いに思っていた。好きなのだと……これが恋心なのだと二人ともが暖かくこそばゆいその感情を大切に抱き締めて幸せになれる関係を築いていた………オデットがビャクロー侯爵家当主に目を付けられるまでは。
オデットは涙が止められなかった。身体の震えも止められない。嗚咽が出そうになるのを止めるのだけで限界だった。
そんなオデットを頭を上げたアルフレドが見つめる。その目は悲しげで、涙に濡れていた。
「忘れられる訳がない」
「忘れて欲しかった……っ、
だってわたくしたちはただの政略の為の婚約で、あ、貴方には、関係がなかったのに……っ!!」
「そんな風に言わないでくれ……っ、
私は……、いや、俺は、
君を好きになったんだ。
愛した女性がツライ目に遭っていると分かっていて無かったことにできる程、俺は非道にはなれないっ!」
「そんな……っ、貴方には関係がなかったのです……、
婚約を解消してしまえば……、貴方には関係がなかったのに……っ!」
両手で顔を覆ってしまったオデットを、アルフレドは抱き締めたいと思った。その震える身体を支えたいと思った。
だけどできない。
その資格がないから……
無意識に彼女の方に伸びた手をアルフレドは悲痛な顔で止めた。
「……俺が、嫌だったんだ。
惚れた女を護れもせずに、助け出すこともできずに、自分だけが幸せになるなんて……そんなこと、できる訳がないじゃないか……っ」
「わたくしたちの関係は、親が決めた……」
「政略なら好きになっちゃいけないのか?
俺は君だから……、君だったから愛したんだ……っ!」
「っ……!!」
オデットは無意識に握っていた両の手を耳に当てた。
聞きたくなかった。
聞いてもどうにもできないから……
「わ、……わたしにはアルが……」
溢れ出たオデットの言葉にアルフレドが少しだけ柔らかく笑う。
「彼に“アル”と付けたんだね」
その優しい声にオデットは『あっ』と思う。隠すことなどできないそれを、今更ながらに“知られてしまった”と思った。アルと付けたとしても知られることなんてないと思っていたのに、本人に知られてしまったことに、オデットは急に恥ずかしくなった。
だってそれは、オデットの中でその名前が忘れられないものだったと証明するようなものだったから……
「オルドランの新しい名前が“アル”だと聞いた時……、なんて言えばいいんだろうな……、何故か凄く……本当に凄く“嬉しかった”んだ……
君が付けたって分かったから。
アルフレドから、付けたんだろう?」
「……他に……知らなかったから……」
そんな分かりやすい嘘にアルフレドは笑う。他に知らない訳がないのだ。男性名など、父の名前でも親族の名前でも使用人の名前からでもいくらでも探せたはずだった。
だけどオデットは息子に“アル”という名を贈った。
そこに大した意味などなかったとしても、アルフレドは嬉しかったのだ。自分の名前の一部がオデットの側にあることが……
自分の名前の一部が『オデットの息子』へと、引き継がれていることが……
「嬉しかったんだ。
本当に……嬉しかったんだよ……」
「アルフレド様……」
アルフレドの優しい声音にポロポロと、いまだに止まらない涙を流したままオデットはアルフレドを見た。
ずっと会いたかった人が目の前にいる。
ずっと聞きたかった声が自分に向けられている。
ずっと見たかったその瞳を、今見つめ返すことができる。
オデットは唇を震わせるしかできない声でもう一度愛しい人の名前を呼んだ。
ただそれだけで涙はまた溢れ、心が締め付けられる。
手を伸ばせは触れる距離に居る。
抱き締めて欲しくて心はせがむ。
アルフレドはただの政略結婚の相手で、親が決めてきただけの人だったのに……
一目惚れなんてロマンチックなものではなかった。ただ互いに何気ない会話をして側に居て、手紙を交わして記念日には贈り物をして……、そんな普通の関係を続けて友人となっていつかは結婚して家族になるのだと思っていた。燃えるような恋心ではなく、器に水を注ぎ足すように……ただゆっくりと心を重ねた関係だった。手が触れただけで恥ずかしくなって、初めて抱き締めて貰えた時はお互いが顔を熱くしてどうしていいのか分からなくて小さく震えて……
だから……
そんなだから……
離れてしまえば簡単に冷めて消えてしまうものだと思っていたのに……
離れたからこそ固着してしまったのか。淡い恋はその淡さを捨て去ることもせずにただ心の中に居座って消えてくれなかった。
手放せば幸せなのに。
幸せになる為に手放すべきだったのに。
無かったことにして、新しくやり直せばいいだけだったのに。
アルフレドの優しさが彼自身を苦しめていることにオデットは悲しくなった。
そんな彼の優しさが好きだったのに、彼の優しさが彼自身を傷付けてしまったことにオデットの心は軋んだ。
「……私は……息子を、一人にはできません……」
意識していなければ彼に伸ばしてしまいそうな両手を胸元で握ってオデットはそう伝えた。
本当なら違う言葉を言いたかった。
会いたかった。会えて嬉しかった。来てくれて嬉しい。私も貴方を愛している。
そう言ってその胸に飛び込めたらどれだけ幸せか。
だけどオデットはその足を動かさない。
愛する男を目の前にして、その心を押し込める。ただ息子の為だけに。
だって今オデットが心のままにアルフレドの手を取ってしまえば確実にアルの心が傷付くから。今のアルにはまだオデットしか頼る者が居ないのに、その“母親”が他の手を取ってしまったら、きっとアルは“残された”と思ってしまう。“捨てられた”と思ってしまうかもしれない……そんな気持ちを、息子には感じてほしくなかった。
だからオデットは、どれだけ自分の心が求めようとも目の前の愛しい人の胸に飛び込むことができなかった。
そんなオデットにアルフレドは優しくし微笑む。
「分かっている。
君をあの子から引き離したいなんて思っていない。
……これは俺の我が儘なんだ」
その言葉にオデットの心は小さく跳ねた。アルフレドの顔を見返したオデットにアルフレドは真剣な眼差しを向けた。
「俺が君の側に居たいんだ。
近くに居て、会いたい時に君の顔を見たい……
ただ、それだけなんだ……」
「アルフレド様……」
溢れるようなオデットの声にアルフレドは困った様に笑う。
「ハハッ、重いだろ? 弟にも考え方がちょっと重いって言われたんだけどさ……」
そんなアルフレドにオデットは何も言えずにただ小さく「いぃえ」と返した。
愛が重いなんて思えないから。
むしろその愛を自分へ向けて貰えることにオデットの心は喜んでいる。側に居たいのはオデットも同じだった。ただその想いを形にできないだけ。伸ばされた手を掴み返すにはオデットは汚れていた。汚れているのだと、オデット自身が思っていた。
「わ、私には……」
向けられた好意を受け取ることができずに戸惑うオデットにアルフレドは心が痛む。
今の自分達には何も障害は無いはずだった。互いに平民となり、家という柵も義務も無い。オデットたちがこの場所を離れられないだけで再婚やオルドランの結婚を禁止しているとは聞いていない。それなのにオデットはアルフレドの手を取ろうとはしない。
だけどそれは分かっていたことだった。両親の元へ戻ることを拒絶して子供と共に居ることを選んだオデットに、自分が直ぐに受け入れられるとは思っていない。
だから。
「俺もこの村に住むことにしたんだ。身分も既に平民だ。明日からは俺も君たちと同じ村人なんだ。
だから、……これから新しく始めさせてくれないか?」
「新しく……?」
不思議そうに見つめてくるオデットにアルフレドは右手を差し出した。
「あぁ。新しく。友人として。
オデット。また一から始めさせてくれ」
そう言って自分の前に差し出された右手をオデットはジッと見つめる。それは友愛の挨拶。
「友人として……」
オデットは自分の口から出た言葉に少しだけ心が軋んだのが分かった。
……受け入れられないのは自分なのに、愛している人から『一歩距離を置いた友という関係』を提示されたことにオデットの本心が悲しんでいる。心の底ではその腕に抱きしめられたいと思っているのにできない自分に苦しんでいる。
だけどオデットがアルフレドを選んでしまえば息子が傷付くのが想像できた。『3人で一緒に』なんて都合よく簡単に収まる話ではない。アルフレドと共に居ることを選んだ時点で息子は自分の母親が自分より男を選んだと感じショックを受けるだろう。自分より愛しい人と時間を作る母親に寂しさを感じるだろう。だから、アルフレドを受け入れることはできない……
でも……友人としては……?
オデットはその一枚布を被せたような柔らかな関係に固く握っていた手の力が緩む気がした。
「友人……」
オデットの呟きにアルフレドが頷く。
「あぁ。俺のことを昔馴染みの友人として接してくれ。困ったことがあったら気軽に声を掛けられる相手ぐらいに思ってくれたらいいんだ。
君もアルくんもここに来たばかりで不安に思うこともあるだろう。俺も来たばかりだから立場は同じだけど、側に“知り合い”が居るってだけで心強いと思うんだ。
俺は君たちの手助けがしたい。
だから……、友人として、やり直そうオデット」
アルフレドの真剣な眼差しに見つめられてオデットの目からはまた涙が溢れた。見捨てられてもおかしくない自分に対して、アルフレドはその手を伸ばし続けてくれる。決して心を受け入れることができないオデットのことを理解して、その上で側に居てくれようとするアルフレドに、オデットの心は嬉しいと喜んでいる。優しさに甘えている後ろめたさを感じつつもオデットはアルフレドの申し出を拒絶するなんてできない。どうせアルフレドがこの村に住むことが決まったなら同じ村人として顔を合わせるのだ。必要以上に拒絶する方がおかしくなる。
友人なら……、昔の知り合いとしてなら…………
オデットはアルフレドの側に居られる気がした……
“女”として身体は汚れてしまったけれど、“友人”としてなら…………
オデットは差し出されていたアルフレドの右手を握り返した。
「……お友達として……
よろしく、お願いします……」
少し震えているオデットの右手をアルフレドはしっかりと握り返して微笑んだ。
「あぁ。よろしく」
そう言ったアルフレドの目元に涙が浮かんでいてオデットの心を少しだけ軋ませる。だけどそれには気付かないふりをしてオデットもアルフレドに微笑み返した。
「……そうだ。
アルくんが居るのに新しく来た俺が“アルフレド”だと変に思われるかもしれないだろ? だから俺も改名しようと思うんだ」
「名前を……?」
「そう。アルフレドの“アル”は彼に上げたんだ。
だからこれからは、俺は“フレッド”と名乗ることにするよ」
「フレッド、ですか?」
「そう、アルフレドから文字ってフレッド!
安直だけと分かりやすいだろ?」
「……そこまでして頂いて……、ありがとう……ございます」
「いいって。俺がそうしたいんだ。きっとその方がアルくんの為にもなるだろうし」
「フレッド様……」
「様は要らないよ! 同じ立場なんだ……これからは、気軽に頼ってくれ」
「……はい。よろしく、お願いしますね、フレッド」
「あぁ!」
オデットは微笑み、フレッドも笑った。
触れ合っていた右手の温かさが互いの心を温める。
ただ側に居る。
それだけのことで、やっと二人の時間がまた動き出した気がした。
あなたにおすすめの小説
留学してたら、愚昧がやらかした件。
庭にハニワ
ファンタジー
バカだアホだ、と思っちゃいたが、本当に愚かしい妹。老害と化した祖父母に甘やかし放題されて、聖女気取りで日々暮らしてるらしい。どうしてくれよう……。
R−15は基本です。
姉妹差別の末路
京佳
ファンタジー
粗末に扱われる姉と蝶よ花よと大切に愛される妹。同じ親から産まれたのにまるで真逆の姉妹。見捨てられた姉はひとり静かに家を出た。妹が不治の病?私がドナーに適応?喜んでお断り致します!
妹嫌悪。ゆるゆる設定
※初期に書いた物を手直し再投稿&その後も追記済
【完結】婚約破棄、その後の話を誰も知らない
あめとおと
恋愛
奇跡によって病を癒す存在――聖女。
王国は長年、その力にすべてを委ねてきた。
だがある日、
誰の目にも明らかな「失敗」が起きる。
奇跡は、止まった。
城は動揺し、事実を隠し、
責任を聖女ひとりに押しつけようとする。
民は疑い、祈りは静かに現実へと向かっていった。
一方、かつて「悪役」として追放された令嬢は、
奇跡が失われる“その日”に備え、
治癒に頼らない世界を着々と整えていた。
聖女は象徴となり、城は主導権を失う。
奇跡に縋った者たちは、
何も奪われず、ただ立場を失った。
選ばれなかった者が、世界を救っただけの話。
――これは、
聖女でも、英雄でもない
「悪役令嬢」が勝ち残る物語。
何もしなかっただけです
希臘楽園
ファンタジー
公爵令嬢であり王太子の婚約者であった私は、「地味だ」という理由で婚約を破棄され、王宮を去った。
それまで私が担っていた役目を、誰も知らないまま。
――ただ何もしなくなっただけで、すべては静かに崩れていく。
AIに書かせてみた第14弾は、「追放ざまぁ」系の短編。
あなたの幸せを祈ってる
あんど もあ
ファンタジー
ルイーゼは、双子の妹ローゼリアが病弱に生まれたために、「お前は丈夫だから」と15年間あらゆる事を我慢させられて来た。……のだが、本人は我慢させられていると言う自覚が全く無い。とうとう我慢のしすぎで命の危機となってしまい、意図せぬざまぁを招くのだった。
ドアマットだと自覚してないドアマット令嬢のお話。
妹だけを可愛がるなら私はいらないでしょう。だから消えます……。何でもねだる妹と溺愛する両親に私は見切りをつける。
しげむろ ゆうき
ファンタジー
誕生日に買ってもらったドレスを欲しがる妹
そんな妹を溺愛する両親は、笑顔であげなさいと言ってくる
もう限界がきた私はあることを決心するのだった
強制力がなくなった世界に残されたものは
りりん
ファンタジー
一人の令嬢が処刑によってこの世を去った
令嬢を虐げていた者達、処刑に狂喜乱舞した者達、そして最愛の娘であったはずの令嬢を冷たく切り捨てた家族達
世界の強制力が解けたその瞬間、その世界はどうなるのか
その世界を狂わせたものは