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第1章
第7話
しおりを挟む「はあ? なにいってんのよ? こんな規模の学校があるわけないでしょ」
呆れたように言いながら、セシルがランタンの準備をする。
かちかちと火打ち石を合わせて種火を作り、そっとランプに近づける。
「じゃあ、ひとつ当ててやろうか?」
「なにが?」
「内部の様子。似たような大きさの部屋が、やたらと並んでいただろ?」
「うん。がらんどうの部屋がずらっと並んでて、気味が悪かった」
「それ、全部教室さ」
「マジで? 三十人や四十人は入れそうな部屋だよ? それが全部教室って……」
「日本じゃひとつの学校に生徒が数百人なんて、べつに珍しい話じゃなかった」
「うへぇ……」
学校に数百人。
まさか子供が全員学校に通えるはずがないから、どれだけの規模の町だったというのか。ちょっと想像が付かない。
セシルの常識に照らせば、学校というのはせいぜい生徒数は五十人以下。
教室も一つか二つくらいしか存在しない。
そもそも何百人もの子供が、一斉に仕事もしないで勉学に勤しんだりしたら、町の経済が回らなくなってしまう。
どうにもニッポンという世界は、彼女の想像の範疇を超えるような場所らしい。
「けど、なんであっちの建造物があるんだ?」
ランタンの明かりを頼りに階段を降りながらナイルが首をかしげた。
「建物ごと迷い込んだのかもねー?」
「……そういう話も、あったかな」
前世で読んだネット小説群を思い出す。
彼のように異世界に転生してしまうもの、転生ではなく転移するもの。
中には、学校や家ごと移動するものもあった。
そしてたいていは、なにか特別な力を与えられていた。
「俺は、何も持っていないけどな」
「あるじゃん。精神魔術」
「セシルに簡単に負ける程度の力さ」
「あたしは特別だよー?」
からから笑う赤毛の少女。
「自信家だな」
やや呆れたようにナイルが苦笑する。
「お師匠さんに三年鍛えられたからねー ナイルもやってみればいいんだー 一流の戦士になれるよー」
「……できれば遠慮したいかな」
容易に想像できてしまう。
機嫌を損ねるたびに丸呑みされ、不始末をするたびに拳骨を落とされ、課題がこなせなければ尻尾で打ち据えられる図だ。
「ちなみに一番怖かったのはー 右足首を鷲掴みにされて空を飛ばれた時だねー 逆さ吊りでー ぶっちゃけちびったわー」
「説明しなくて良いからっ」
想像以上のスパルタ教育でした。
やがて二人は地下一階に到着する。
本来の構造で考えれば、地上四階である。
「この階で良いのか?」
「うん。目的のモノはこの階だよ。つーか下に行っても、あんまたいしたものはないんだよねー」
「まあ、そりゃそうだな」
学校である。
高校か中学かは判らないが、たいしたお宝があるわけがない。むしろ宝物がある学校というものがあったら見てみたいくらいだ。
まして、五百年も経過しているなら、薬品類などは使い物にならないだろうし、机や椅子だって朽ち果てているだろう。
リノリウム張りの廊下を進んでゆく。
あちこちが剥がれ、陥没し、劣化もはなはだしいが、セシルの歩調に危なげなところはない。
「たしかここだったはずー」
女冒険者が足を止めたのは、引き戸が無くなってしまっているやや大きめの部屋。
ナイルの知識に照らせば、音楽室である。
自重で沈んだのか、半ば床に埋もれたグランドピアノが、恨めしげに侵入者を睨め付けていた。
「肖像画とかも飾ってあったらしいんだけど、大昔に持ち出されちゃったんだってさ」
説明しながらピアノに近づいてゆくセシル。
「でも、これは重すぎてまったく動かせなかったんだって」
「だろうな。重たいものだと五百キロもあるっていうし」
「やっぱりこれがなにか判るんだねー」
「……もしかして、それが俺を連れてきた理由か?」
「理由のひとつだよー あたしに判らないものでも、ナイルなら判るかもって思ったのさー」
「なるほどな。こいつはグランドピアノっていって、楽器だよ。完全に壊れてるみたいだけどな」
鍵盤は剥がれ、天板も割れ、もう音も鳴らないだろう。
「へえぇぇ。どんな音が出るのか、聴いてみたかったね」
好奇心に満ちあふれたようなことを言いつつも、セシルは遠慮なくピアノによじ登り、天板を蹴り飛ばした。
もうもうたる埃が舞う。
「何してるんだ?」
すかさずチカラを振るって埃を遠ざけたナイルが訊ねる。
「弓弦の補給だよ。ナイルに斬られちゃったからね」
「ピアノ線を使ってたのか……」
「うん。すげー強くて、しかも頑丈なの」
秘密だよ、と、唇に人差し指をあてる少女。
そりゃそうだろう、と、ナイルは思った。
ピアノ線と一般的にいわれるが、じつはピアノにだけ使われているわけではない。建築機械や重機などにも使われている。
硬鋼線の総称なのだ。
強度でいえば、普通のピアノは二万グラムの力で弦が張られている。
そう簡単に切れるようなものではないし、一本でピアノくらい重さなら簡単に支えられるのだ。
「あと二百本くらいあるんだけどさ。全部外しちゃったら、崩壊とかしない?」
「しないよ。大丈夫だ」
「らっきっ じゃあ十本くらいもらっちゃおうっ」
喜びいさんで弦を外しはじめるセシル。
作業をしながら、いままで一本しか取らなかったのは、危険性が判らなかったからだと説明してくれる。
ナイルには見覚えのある楽器でも、セシルにとっては得体のしれない謎アイテムだ。
いじり回すのを躊躇うのも無理はない。
「気をつけろよ。セシル。かなり強く張られているから、下手に外すと弾けて怪我をするぞ」
「うん。知ってる。初めて触ったとき大怪我したもん」
「おいおい……」
「でも、おかげで外し方が判ったからね」
怪我の功名だよ、などといいながら、慎重にピアノ線を外してゆく。
長い年月の間に鉄枠もだいぶ痛んだのだろう。
すっかりしなってしまっていた。
「これを売るだけでも、たぶん一財産は築けるんだけどねー」
「売らないのか?」
外されたピアノ線を、持ちやすいように輪にしてゆくナイル。
商品を獲りにきたと思っていた。
「もったいないもん」
「たしかにな」
こちらの世界で硬鋼線など製造することはできない。
他に転移した学校なり音楽堂なりがなければ、このピアノ線しか存在しないことになる。
売ってしまうのは、いささかもったいないというものだろう。
「けど、金を作って帰らないと、マルドゥクにお仕置きされるんじゃないのか?」
「商売の種はこれじゃないよー それに、お仕置きされるのはナイルも一緒だよー」
さらっと怖いことを言って、セシルがピアノから飛び降りた。
ほとんど足音を立てないステップ。
この一事だけでも、赤毛の冒険者の技量が判ろうというものだ。
本当によく殺されなかった、と、ナイルが内心でため息を吐いた。
初めて邂逅、もしセシルが殺すつもりで戦っていたなら、ナイルの人生は十五年で終わったことだろう。
「感謝、かな」
「なにがー?」
くるくるとピアノ線を巻き、束にした少女が首をかしげた。
可愛らしい仕草。
思わず顔を赤らめるナイルだった。
「……ベアリングだな」
獲物を見て、なんともいえない表情を浮かべる。
セシルがこの遺跡で手に入れようとしていたもの。
ごく小さい鉄球。
おそらく職員室だろう部屋に入り、壊れたキャスター付きの椅子を分解してゲットした。
ご満悦のセシルに訊ねられ、ナイルが応えたのである。
鉄球を並べることによって滑りを良くする。それが球軸受け構造だ。
現代日本では、本当に多くのものに使われている。
発想そのものは太古からあったとされているが、実用化されたのは十九世紀に入ってからである。
「すっごい発想だよねっ 滑りが良くなって力の無駄がなくなるっ たとえば馬車の車軸とかに使ったら、きっとすごいことになるよっ」
「つまりセシルの狙いって……」
「うんっ この構造を再現して売るっ」
かつて遺跡に潜ったときに、転がる椅子というものに非常に興味を持った。
どうして全方向に進むことができるのか。
どうして滑らかに動けるのか。
「ナイルがいてくれたから、謎が解けたよっ」
「まあ……ライン工場で働いていたしな……自慢にもならない話だけど」
苦笑する少年だった。
彼には工業製品を作ることはできないが、その一部の構造なら理解できる。
意味がないと思っていた現代知識。
奇妙なところで役に立った。
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