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第1章
第9話
しおりを挟むオークの一団を撃退したセシルとナイルは、その後の探索を中止して撤収することにした。
どう考えても先ほどのオークどもは警邏だろう。
これを討ち漏らしたということは、遠からず増援がくるということだ。
モンスター退治が目的ではない以上、このまま遺跡にとどまるのは意味がない。
「最低限の目的は果たしたしねー」
弓弦の補充と、ベアリングの回収。
「潜ってから一時間半。えらく短い探求だったな」
一フロア、二部屋だけの冒険である。
ナイルでなくとも苦笑いくらいは出るだろう。
「変な欲は出さないに限るよー 命あっての物種さー」
肩をすくめてみせるセシル。
戦利品を背負い袋に詰め込み、ナイルに手渡す。
じつはけっこう重い。
なにしろピアノ線が十本も入っているから。
べつにナイルを荷物持ちとしてこき使うつもりはないが、単純な膂力なら、セシルよりナイルの方がずっと上なのだ。
それゆえにか、むしろナイルの方から荷物を持つと宣言している。
「けど、やっぱりナイルは強いね」
「まさかだろ? セシルが隙を作ってくれたおかげじゃないか」
よっと袋を背負って立ちあがるナイル。
このとき上半身の力だけで持ち上げようとすると腰を痛めてしまうので、しっかりと膝を入れるのがコツだ。
幼少期から実家の荷運びを手伝って鍛えた体捌きである。
「でも、ナイルの方が多く倒してるからねー」
それは事実だ。
セシルが倒したオークは一匹。ナイルが倒したのは四匹。
そのうち一匹はとどめを刺すだけだったとはいえ、戦績としては明らかにナイルが勝っている。
「優秀な助手ができて、あたしは嬉しいよー」
「下僕から助手に格上げしてもらえて、俺も嬉しいよ」
シニカルな笑みを交わし、出口へと向かう二人。
なんだか妙なコンビではある。
アルサスの遺跡で得た情報から、セシルとナイルが苦心して作った馬車用の車軸受けとサスペンションの模型。
図面付きで乗り合い馬車の組合に売りつけ、セシル商会はかなりの金銭を手にした。
巨万の富というほどのものではない。
あくまでも理論上の可能性を示しただけであり、実用するためには車軸や軸上を作る職人が不可欠だし、強度などの問題もクリアされたわけではない。
「全部うちで作っちゃえるくらいの資金力と人手があれば、もっともっと大もうけできるんですけどねー」
「それは言うても仕方がないのぅ。金も人も信用も、一朝一夕には手に入らぬものじゃ」
失うときには一瞬じゃがの、と、付け加えながら、マルドゥクがセシルとナイルの前にカップを置く。
家事はすべてやってくれる黄金竜である。
なんとか店賃の支払いも済ませ、ほっと一息という空気が商会に流れていた。
「しかし、実際問題としてどうなのじゃ? ナイル」
「強度の問題さえクリアできれば実用は可能だと思う。セシルにも言ったけど、べつに難しい構造ってわけじゃないからな」
ただ、木製の車軸と木製の軸受けでは、やはり強度的な問題は残ってしまう。
いずれ金属部品に換えていかなくてはならないだろう。
「それでもヒントにはなっただろうからねー あとの改良は専門家の仕事さー」
マルドゥクが作ってくれた焼き菓子をつまみながら、セシルが満足げな吐息をついた。
相変わらずお師匠さんの料理は美味しい、と。
かなりの線でナイルも同意見であった。
赤毛の幼女に変身しているドラゴンロードが作る食事が美味しすぎて、旅先で振る舞われる料理を食べるのが苦行に感じる。
「まあ、伊達や酔狂で千年も生きておるからの。ニッポンの料理もいくつかは覚えたものじゃ」
やや照れくさそうにするマルドゥク。
趣味である料理の分野で持ち上げられれば悪い気はしない。
「ニッポンの料理ってもしかしてアレですか? TKGとかいうやつ? あたしアレ嫌いですよ。気持ち悪くて」
一方でセシルが嫌な顔をしていた。
けっこう前に、この地にはない料理と称して振る舞われたことがある。
コメとかいう食べ物はまあ良い。パンにはない独特の旨味があった。ショウユという調味料も、ややしょっぱすぎるが悪くはなかった。
問題は玉子だ。
どうして生で食べなくてはならないのだ。
生卵にショウユをかけ、ぐちゃぐちゃにかき混ぜてから、コメにかけて食べる。
マルドゥクが、じつに美味しそうに食べているのを見ても、結局セシルは手をつけなかった。
いかに師匠が勧める料理とはいえ、さすがに生はない。
王宮料理人だって裸足で逃げ出すような調理技術をもったマルドゥクが、生卵を喜んで食しているのを見て、やはり人間と竜は最終的には解り合えないのかと思ったほどである。
「まったく。判っておらん小娘じゃの。セシルは。あれほど贅沢な料理はないというのに」
やれやれと両手を広げてみせる幼女。
「TKG……だと……?」
絞り出すような声。
ナイルが愕然とした表情を浮かべていた。
「ほう? ナイルは知っているのかの?」
「知っているも何も大好物だ」
「なのにセシルは、あんなものは人間の食べ物ではないと抜かすのじゃ」
「ないわー」
「ないじゃろう?」
「寝返った!?」
ブルータスに裏切られたシーザーのように嘆くセシル。
マルドゥクとナイルが連合した。
戦力差は二対一である。
これでは勝負にならない。
ちょっと拗ねたような顔をしたりして。
ナイルは機嫌を取る必要性を感じた。彼の知る限り、この世に怒らせてはいけない女性は二人いる。
一人はマルドゥク。もう一人はセシルだ。
両方ともこの場にいるのだから始末に悪い。
「いやセシル。本当に美味しいんだ。もちろん好き嫌いはあるけどな。俺は好物だった」
新鮮な玉子と、炊きたてのご飯。そして美味しい醤油。
この三つが揃わなくては作れない。
「むー ナイルがそういうなら、そうなのかも」
表情を和らげるセシル。
ナイルの異世界の知識は本物である。
その彼が美味だというのだから、嘘ではないのかもしれない。
「だけど、この世界には米も醤油もないからな……」
「あるぞ?」
「え?」
「あると言うたのじゃ。そもそも、無いものをセシルに食わせようとできるはずもなかろう」
「本当にっ!?」
勢い込んで立ちあがるナイルを、右手を挙げて制するマルドゥク。
「異世界からの旅人がきていたという話は、前にしたじゃろう。エオスを訪れたのは人間だけではないのじゃ」
「あー……」
つい先日、学校と思われる遺跡に潜ったばかりだ。
であれば、農作物が持ち込まれていても別に不思議ではない。
だが、何百年も昔の食材が、いまでも食べられる状態で保管されているとは信じがたい。
「我は言ったな。彼らは驚くほどの知識を持っていた、と。その知識の中には、農耕に関するものも少なくなかったのじゃよ」
「まさか……」
「うむ。我が故郷、竜の郷ではコメもミソも作っておる」
「そんな……桃源郷が本当にあったなんて……」
「大げさな」
呆れるセシル。
なんでTKGから理想郷まで飛躍するのだ。
「しかし、話しておったら我も食したくなってきたのぅ。TKG」
「俺もだ……」
「あたしはべつに?」
「では、いくかの。竜の郷に」
「是非っ」
「えー?」
約一名が渋ったが、多数決という最も民主的な方法で行き先が決まった。
「ただの数の暴力じゃんかー」
「ではセシルは留守番をしておるか?」
「やですよ。一人で店に残ってどーするんですか」
何かの依頼を受けて出かけるとすれば、店番がいないので結局は店を閉めるしかない。
ならば最初から閉めていても同じことだ。
留守は大家さんに任せて、全員で出かけてしまっても問題ない。
「張り紙をしていきましょう」
カウンターから筆を取り出し、さらさらと書き込む店長さん。
『社員旅行のため、しばらくの間休業します。夜逃げじゃないよ』
「……最後の一言が余計じゃ。痴れ者め」
ごっちんと、小さな拳骨が赤い頭の上に落ちた。
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